2023年6月12日、日記
毎年、鎌倉にある神社を訪れるのが、私の家族の恒例行事である。
だが、今年はコロナに罹患し、私だけは自宅で静養していた。
娘に私の分の「おみくじ」を引いてもらった。
自宅で、娘が引いてくれた「おみくじ」を見ると
「凶」だった。
家族全員が笑った。
特に家内は大笑いだ。
私の家内は、おみくじ、占い、血液型の類を全くと言っていいほど信じない。
神頼みもしないらしい。
一方の私は、幼い頃、神社を見かけるたびに、手を合わせ、幸運を祈った(笑)。
また、家内に血液型の話などしようものなら、すぐに馬鹿にされる。
「頭の程度が低い人だね」と(私の家内は私に対し猛烈に口が悪い)。
一方、私は子供の頃から、その類に関する本を商売ができるほど読んだ。
よほど、頭の程度が低いのであろう。家内に言わせると…。
誤解を恐れずに言えば、若い頃の私は毎日、生きるのが苦しかった(他者から見放された経験がどうしても受け入れられなかった)。
その苦しさを空手の道に吐き出してきた。
気がつくと61年もの歳月が経った。
今思えば、空手の道を往くことで、私の心は救われたのだろう。
しかし、その道の景色は変わり、険しい道となった。
私は「凶」の「おみくじ」を見て、銘記した。
今年で「おみくじを引くのを最後にしよう」と。
そして、今年の「凶」のおみくじを死ぬまで保管すると決めた。
なぜなら、絶えず「凶」の戒めを持って、毎日を生きようと思ったからだ。
同時に「私の運命がこれから「凶」なら上等だと思った。
そして「かかって来い」と…。
昨年12月にコロナに罹患し、ようやく回復した、今年の元旦のことである。
そして、4月の中頃に蜂窩織炎で2週間入院した。退院後も2週間は歩けなかった。椅子に座ることも足が痛くできなかった。
2ヶ月あまり経って、ようやく歩くことができる。
1ヶ月半ほどうまく歩けなかったことにより、下半身の筋力は落ちた。また、片足を庇ったことで、以前から悪い両膝の具合がさらに悪化した。現在、リハビリに奮闘努力している。
蜂窩織炎が軽くなく重くなった原因の一つには、私の脚の血管が壊れていることがある。
10年ほど前に下肢静脈瘤の除去手術をした。その頃から私の足及び全身は年々、血行不良で具合が悪くなっている。
ゆえに、私は毎日、自分の身体の具合と向き合わなくてはならなくなった。
だが、重い持病を持っている人は、私以上に自分の身体と向き合っていることだろう。それを思えば、「まだ良い」と気が楽になる。
これまで私は、アスリートでありながら、自分の体を酷使するばかりで、大事にすることに関し配慮がかけていたのだろう(それでも普通の人より知識はあり、管理はしてきた)。
否、知識が不足していたのだ。おそらく、ほとんどの人が身体に対する知識、認識がかけていると思う。そして、悪くなってから真理らしきことに気がづく。
最後に、人間はよく、真理とか、正しさを唱えるが、そんなものは悪くなった原因、また、失敗の原因を真に理解した時、少し垣間見る程度だ。人間は、決して真理や正しさを真に理解したわけではないと思う。
そして人間は、失敗を嫌い、かつ認めない。その結果、人間は永遠に失敗し続ける。
人間とは、実に愚かな存在である。
そんなことを思いながら、早くデスクワークをやめなければと、日記を書いている。
私は今年の5月で61歳。身体が悪いので、無理をすれば、すぐに人生は終わる。
今、長年のパートナーである身体にお願いしている。もう一度、目標を達成するために協力してください。そして、一緒に人生を楽しみませんか、と…(身体は、ふざけるな、と思っているだろうか?)。
段々、足が痺れてきた。身体からの警告だと思う。想いを五行歌に託し、すぐにデスクワークをやめたい。
毎日
凶も良し
吉も良し
生きているだけで
幸せだ
心一