デジタル空手武道通信・臨時増刊号・編集後記
4月16日、私は長野県にいた。ホテルで寝ようとしたら、右足が痛くなった。見るとの足首あたりが腫れ上がっている。また、とても寒くてホテルの暖房をつけた。初め「東京と異なり、まだ長野は寒いんだな」と思っていた。しかし、段々寒くて、身体が震え出してきた。
一晩中、水を飲んでは寝て、トイレに起き、また寝る。こんなことを5回ほど繰り返しただろうか。結局、ほとんど眠れなかった。それでも、次の日に予定していた、空手指導は頑張ろうと思っていた。だが、どうも普通じゃないと思った。あまりにも寒く、足が痛い。私は、これまでの経験上、このまま頑張ると長野で倒れる予感がした。どうせ倒れるなら、家族のそばが良いと思い、予定は中止とし、東京に戻ることにした。
私は、同行した荻野氏に運転を頼み、急いで帰京した。途中、病院を探した。だが、東京に戻った時は、午後だったので、どの病院も受け付けてくれない。ようやく見つけた当番医の整形外科ににいくと、熱が三十九度あるので発熱外来に行ってくれという。
私は看護師に「コロナではないと思う」「足の炎症による発熱だと思う」「なぜなら、足が異常に痛く、腫れている」「コロナは昨年の暮れに罹患している」「コロナの可能性は低い」と伝えた。だが、受け付けてくれなかった。しかし、一人の看護師が、気の毒に思ったか、先生に掛け合ってくれた。だが、先生は受け付けてくれなかった。
他に行く病院がなかった私は、その整形外科で1時間粘り、その看護師に頼み込んだ。ようやく1時間ほど経った時、若い医師が外に出てきてくれて、診察をしてくれた。そして、蜂窩織炎だと診断し、抗菌剤を処方してくれた。その医師は、今回は応急ていな処置で、なるべく皮膚科に行った方が良いですよ、と優しく教えてくれた。
帰宅後、私はすぐに抗菌薬を飲み、足を冷やしながら寝た。だが、足が痛く、長くは寝ていられない。次の朝、ほとんど良くなっていないので、これはいよいよ大変なことになると思い、救急で対応してくれる病院を捜した。そして見つかったのが杏林大学病院である。
杏林大学病院は緊急外来で行き、すぐに血液検査を行なった。結果、即入院となった。百人組手の時もそうだったが、誰も私が具合が悪いと言っても信じてくれないようだ。体がゴツく、声も大きいので、元気があると思われているのだろう。
杏林大学病院には、2週間ほど入院した。病名は蜂窩織炎だった。入院中は点滴を1日6時間も投与し続けた。また、ほとんど歩かなかった。にもかかわらず、足の方は良くならなかった。それでも血液データは、ほぼ正常に戻ったので退院した。退院後も自宅療養が必要だった。なぜなら、足の腫れは引かず、痛みもあったからだ。私は毎日、足を冷やし続けた。患部に熱があり、冷やさなければ痛くて寝ていられなかったからだ。結局、退院後2週間以上、歩くことができなかった。だが、それでも治らない。
ようやく1ヶ月半が過ぎ、痛みと腫れが小さくなったので、5月の終わりから私は歩くことにした。だが、長時間のデスクワークはできない。足に血液が溜まり、腫れがひどくなるからである。
この編集後記も1ヶ月半ぶりにパソコンに向かっている。段々と足が痛くなってきた。実は、明日早くに病院に行く。おそらく、あと2ヶ月間ぐらいは必要だと思う。体力も落ち、仕事もできない。だが、私にはやりたいことがある。新しい武道を作る。それが、私が最後にやりとげたいことだ。今後、短時間に区切り、腕立て伏せやトレニングをするつもりだ。また、読書はできる。
おそらく、回復には時間を要するだろう。また、加齢により身体が弱くなっている。それゆえ、今回の傷病により、膝や腰の障害の悪化を招いている。だが、これで最期だと思って、挑戦したい、後悔のないように。