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Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
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無心~WBCを観て

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無心~WBCを観て

 

●本コラムは、WBCが開催されていた時、私の日記に記録しておいたものである。

 

 

 WBCのメキシコ戦において村上選手が打って勝利した。まさに皆が望んでいた勝利だった。

ファンの中には、佐々木が完封し、打者が打ちまくる。そんな勝利を望んでいた人もいたかもしれない。

 

 だが、メキシコチームは弱くなかった。エンジェルスで大谷と同僚のピッチャーもすばらしい投球を見せ、さらに打撃も守備も素晴らしかった。日本チームは負けそうだった。

 

  日本チームは、メキシコチームに得点をリードされた中でも動じず、しぶとく得点を挙げた。だが、ダメかもしれないと思った人もいたのではないだろうか。だが、選手は勝つことを信じていたように思う。試合の終盤、日本はメキシコとの点差を山川穂高選手の犠打、 吉田正尚のホームランなどにより縮めた。

 

  そして、4対5で迎えた9回裏、大谷が2塁打で口火を切った。まるで、「みんな挑戦しろ、これからだ」とでも言うようにチームメイトを鼓舞したように見えた。まるで、勝利への「北極星」のようだった。私は大谷という北極星が、WBCの優勝へと導いたと思う。次に吉田正尚が四球で出塁した。そして、村上宗隆の打順。最後にお傷立てが整った。

 

 私は、それまでの村上を見て、「若いな」と思っていた。誰もがそう思っていたに違いない。私は村上を「ダメ」だと思っていたわけではない。むしろ、村上がみんなの期待に応えようと頑張っている姿に好感を持った。だが、その真面目さが不調の正体はだとも思っていた。

 

 村上選手に関しては、打席数が一定数に達すれば、調子は上がって来ると、野球関係者は言っていた。私も、最後になれば、村上は良い仕事をすると思っていた。そして、打てないのは、打つための準備期間だと思っていた。

 

 しかしながら、負けが許されないWBCでは、気が気ではなかったかもしれない。それでも私は、村上は最後に仕事をすれば良いと思っていた。

 

 本来、実力はあるのだから、打てないわけはない。しかし、実力があっても重要な試合において力を発揮することは容易ではない。プレッシャーか?そんな思いが観客にはあったかもしれない。

 

 野球のみならず、スポーツは少なからず賭博的な部分がある。その意味は、確率的な部分があるということだ。私は、他の選手に変えたところで、確率的に見れば、村上を使い続けることがベストだと思っていた。また、それならば、村上に気持ちよく、かつ全力を発揮させた方が良いと思っていた。

 

 私が期待していたのは、村上から「無心の一打」が生まれる瞬間だった。そして、ついに、その一打が生まれた。

 

 

 その「無心」を言い換えれば、「応無所住而生其心」だ。その意味を私流に意訳すれば、「とらわれるものなくして心を使う」ということである。しかしながら「無心」はむずかしい….。ゆえに、私は村上の打席を見ながら、いつも「只振れば良い」と思っていた。

 

 私は「あの球を狙う」とか「こう打とう」と、思う心によって、わずかなズレが生じているのだと思っていた。

 

 只、振れば良いのだ。これまでの積み重ねた経験を信じて。私は村上のサヨナラの一打は、まさに無心の一打だった、と思う。

 

 今、栗山監督が村上を信じて使い続けたことを、美談のように皆が語っているが、実は、野球は確率的な要素が大きいということ。また、日本球界を担うスラッガーの扱い方を考えることが重要だと思っていた。つまり、あそこで代打に変えても勝つ確率はしれている。ならば…。

 

 私はそのように考えていた。そして、無心の大切さ、自分を信じることの大切さが表れる瞬間を私は予測していた。

 

 

 これまで、私は野球のみならず、さまざまなスポーツを見てきた。その目的はスポーツ観戦自体を楽しむことためではなく、その中にあると思われる勝負の構造を見るためだ。そして、勝負の構造によって「技能」が創られ、かつ、アスリートの心技体が創られるという私の仮説を確かめるためである。

 

 私は、スポーツの素晴らしさは、その競技によって創られる「技能」の巧妙さと競技によって形成されるドラマの中で、人間の心技体が研ぎ澄まされるという点にあると思っている。

 

 アスリートとは、競技によって心技体が研ぎ澄まされた者のことをいうのだと思っている。また、競技のファンはスポーツの賭博性と選手のスキル(技能)に酔いしれている。

 私は、ファンを虜にする競技とは、ドラマがあり、かつ賭博性があること(ただし数値化でき、イカサマではない競技)。その上で選手のスキルと心技体の卓越性が理解できる競技だと思っている(断っておくがショーと競技は別、ここでいう競技とはスポーツのこと)。

 

 

 蛇足だが、後日、元巨人の篠原氏が村上のバットの握り方が良くないというようなことを言っていたらしい。また、WBCの開催中、それを伝えたかったらしい。

 

 私は村上の構えとスイングにずっと注目していた。野球の素人の私だが、打てない時の村上は上の方へ(上半身の方へ)意識が行き過ぎていたと思う。

 だが、無心になった時には、力が全身に分散し、ゆったりとした構えになっていたと思う。そして、スイングは滑らかになった。

 

 

 

 

 

 


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