ここ3ヶ月ほどかけて書いていた拙著を上梓した。
だが、デジタルデータの扱いが上手くできず、現在修正中だ。後10時間はアップに要するだろう。この本は死んだつもりで書いた。そして再生するために…。
私はかねてから修練理論を伝えなければならないと思っていた。自他を言語化しなければ、心と身体が創り出す技(花)と技能(花の在り方、咲かせ方)は理解できない。だが、より善い技(花)と技能(花のあり方・咲かせ方)を引き出そう(掴もうと)と思えば、畢竟、言葉では説明できない奥深い部分を認知し、引き出す必要がある。
この二律背反的な経験を乗り越え、自由自在を認知するには、どうしても理論(言語化)によって心身を運用する枠組み(構造)を把握する必要がある。その理解を基盤にして、実践を繰り返し、繰り返す。そして、その奥にあるもの(自由自在)を把握するのだ。
出鱈目に稽古しても心身を操作する前にあるものを認知できない。また、だた体を動かす、また人の真似をするだけでは、奥深い部分を認知できない。と言っても、誰も私の言うことに耳を傾けない。
私は拙速でも言葉を残しておかなければならなかった。明日のことなどわからないからだ。ようやく、その言葉を書き留めた。今回の理論書は、まだまだ不十分だ。だが第一段階にはなるだろう。あとは方便を磨くだけだ。
私は本書の上梓を新しいスタートとしたい。もしかすると、みんなから愛想をつかされるかもしれないと思っている。正直、不安だ。それでも仕方ない。これ以上、周りに合わせて入られない。
そんな思いを整理するため、夜中、郷里に向かった。父の顔を見たかった。
「元気でしょうがない」
「お前の方が大丈夫か?」
「わしは誰にも負けん」
と私の顔を見るなり、父は言った。
だが、私の父の半身は不自由である。世話をする妹は大変そうだ。
妹曰く、父は言うほど調子良くもないようだ。それでも、強気なことばかり言う。
父は弱気な私とは違う。私は、そんな父よりも妹が心配になった。
そんな妹とも3年ぶりにゆっくり話をした。
兄として妹を助けられない、私が心苦しい。
その妹も亡くなった母と同じ年齢になるらしい。
妹には自由な老後を送ってもらいたい。
夜は柔道仲間の友人と創業50年以上の行きつけの店で食事をし、お気に入りのバーで一杯飲んだ。
私は、ほぼ人前では酒を飲まない。
また、人の多いところも避ける。
だが、金沢だけは別だ。
私の帰省は、ほとんど発作に近い。息ができなくなって帰省する。また、帰省して父の顔を見て、祖父母と母と息子の墓参りをすると、すぐに帰るのが常だ。
今回もとんぼ返りしようと、朝早くに金沢を発ったが、ラジオで鈴木大拙の話をしていた。それを聞いて、鈴木大拙館(ミュージアム)を見に行こう、と思い立ち引き返した。実は今回で3回目の訪問だ。だが、新しい発見があった。これまで、何を見ていたのか、と反省した。
私は三十代の頃、大拙先生が開設した鎌倉の松ヶ丘文庫の当時文庫長だった古田紹欽先生に手紙を書き、実際に鎌倉に行ってお話を聞いた。その時は、古田紹欽先生にサイン入りの臨済録をいただいた。それから数十年が経った。鈴木大拙先生が伝えた禅と仏教思想は、私の血肉になっていると思う。
ちなみに、古田紹欽先生からいただいた臨済録にこう書いてあった。
「常行一直心」
鈴木大拙先生が好んで書いた言葉らしい。大拙先生は、私の生き方を叱るかもしれない。
「本来無一物」
その鈴木大拙館の駐車場の隣に、幼少の頃の恩人の一人、永江会長(永江トレーニングセンター会長)が務める、石川国際交流サロンがある。私はサロンに少しだけ立ち寄って、永江会長のお顔を拝見して帰ろうと思った。決して長居をするつもりはなかった。
実は、私に鈴木大拙と西田幾多郎を教えてくれたのは永江会長だった。二十代の終わり頃だったか、三十代の初めだったと思う。鈴木大拙先生を知ってからの私は、数年の間、鈴木大拙と西田幾多郎の著作を読み漁った。
特に鈴木大拙先生の著作はかなりの数を読んだ。大拙先生は禅の修行をされた禅者だが、親鸞、浄土真宗の思想にも造詣が深く、大谷大学の教授を長く務めていた。
それゆえかどうかはわからないが、大慈悲心を中心とすることを説いていた。また大拙先生の宗教経験は、幼い頃から親鸞の教えが染み付いていた私には共時性があった。私は鈴木大拙先生の思想は浄土真宗と禅宗の合体融合だと思っている。
鈴木大拙は、幼い頃の苦労と宗教経験(道心)を得て、深く、広大な思索を続けた。その宗教経験を活かしつつ努力を続け、世界中に禅の思想を広めると言う偉業を成し遂げたのだと思う。大拙先生は、私の最も尊敬する人間の一人である。
若い頃は、永江会長とゆっくり話をすることはなかった。だが、私は歳を重ねる度に永江会長の素晴らしさを実感している。
今回はアポ無しだったが、来客がいなかったこともあり、永江会長は私に色々と話をしてくれた。その話は哲学的で難しい話だったが、非常に独創的で興味深かった。永江会長は、良い意味で天才的な感じのする人だ。
また、永江会長は物事を本質的に観ようとする人でもある。それゆえ、よくも悪くも言葉が鋭い。だがユーモアもある。また、失礼なことかもしれないが、齢80歳としては元気で美しい方だ(若い頃もそうだったが…)。
おすすめの鈴木大拙の本
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