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サムライ柔道とオリンピック柔道の戦い
【オリンピックにふさわしいスポーツ(競技)】
私はオリンピックというイベントには、その理念に照らして、相応しいものがあると思っている。もし、出鱈目に競技数を増やしたならば、単なるスペクタクル(見せ物)としてのスポーツイベントとなり、高い理念を掲げたオリンピックの価値は低下すると考えるからだ。また実務的な運営も困難となるであろう。
空手競技が初めてオリンピック競技となった今回の東京大会を、「オリンピックにふさわしいスポーツとは」という観点で私は観ていた。その命題の解を導き出せたように思う。その解を日本武道からオリンピック競技となった柔道を例に述べてみたい。
繰り返すが、柔道を例としてあげるのは、柔道が競技ルールに様々な課題を見つけ、それをクリヤーしつてきたと思うからだ。また、オリンピック競技として加わって以来、一度は除外されたにもかかわらず復活し、かつ存続し続けるからだ。そして、その裏に「オリンピックにふさわしいスポーツ(競技)」として進化した背景があると考えるからである。
ここで柔道の概要を簡単に書いておきたい。柔道とは明治時代、嘉納治五郎が数種の古流柔術を元に、技術と修練法を武道として体系化したものである。なお「武道」という概念は、さまざまな解釈があり、柔道はその中の1種と言っても良いだろう。私は、その武道の1種である柔道がヨーロッパに誕生したスポーツと連携し、融合したのには必然性があったからだと思っている。その必然性の要素と性質とは、嘉納治五郎の創始した柔道の修練方法や技に、日本武術の奥儀、卓越性とまではいかないが、ヨーロッパ人の好む合理性が示されていたからではないかと思っている。また、柔道の修練方法や技の理解しやすさのみならず、創始者、嘉納治五郎の人格、哲学がヨーロッパのスポーツの高級貴族達の心を掴んだからに違いない。もちろん、嘉納治五郎の卓越した資金調達力や実務能力、また、門下生の尽力など、柔道普及発展のプロセスは簡単には語れない。
【ヨーロッパ人の好む合理性】
さて、柔道の試合における、相手を投げることで「技あり」や「一本」をとるという、勝負判定の基本が、スポーツを生み出したヨーロッパ人には、理解しやすいものだったに違いない。もちろん、柔道に含まれる関節技や独自の絞技などは、格闘技としての実効性と柔道に対する驚きと脅威として眼に写ったことが想像できる。それらを全て包含したものが、先述した「ヨーロッパ人の好む合理性」と言い表したことの意味である。
ともあれ、柔道の「技あり」や「一本」という判定法は、技術の効果をポイントで表すスポーツの勝負判定に置換しやすいものだ。また同じと言っても過言ではあい。そして柔道は、ボクシングのようなダメージを競うものではない。
補足を加えれば、オリンピックの理念や意義からして、相手にダメージを与える競技は相応しくない。ならばボクシングはオリンピックに相応しくないスポーツとなるはずである。にもかかわらずボクシングがオリンピックのコンテンツとなっているのは、ボクシングがフェンシングや柔道と同様に、オリンピックにふさわしいスポーツとして競技方法を変化させたからである。また、私はそこに「ヨーロッパの貴族達の伝統的精神」をみる。
【ヨーロッパの貴族達の伝統的精神〜「名誉」と「自尊心」】
少々脱線するが、「ヨーロッパの貴族達の伝統的精神」についてもう少し述べたい。19世紀の前後まで、ヨーロッパの高級貴族達の間では、決闘が盛んに行われていた。山田勝氏の著書、『決闘の社会文化史(北星堂)』の前書きに「決闘者は社会的にはエリートである。ヨーロッパの決闘はアメリカ西部劇に見られるようなアウトローたちの殺し合いでもなければ、日本の俠客たちの争いとは異質であることはいうまでない。西洋の決闘はエリートとしての名誉と自尊心に基づくものであり、きわめて自主的で個人的要素が濃い。決闘が法的に禁止されている時でさえ、貴族たちは盛んに決闘を行った」とある。
さらにヨーロッパの貴族の精神風土にあると思われる名誉と自尊心、そして決闘における介添人(セコンド)やフェアプレイの精神に基づくルールの徹底があるようだ。先の介添え人(セコンド)とは、決闘者の名誉を守る弁護士的役割、また無意味な決闘を仲裁して回避する役割を担ったと書いてある。
そのことから、私はヨーロッパで誕生したスポーツには、日本人が理解している「遊び=スポーツ」というような単純な理解とは異なる背景があるように思う。また、ヨーロッパ高級貴族の精神的土壌から芽生えた何かがある、と私は直感した。
同時に、我が国のサムライの行動規範(武士道)にヨーロッパの高級貴族と同様に「名誉」と「自尊心」を重んじる感性があったことを思い出した。厳密にはヨーロッパの貴族階級と我が国の武士階級との感性には違いがあるだろう。だが、嘉納治五郎の柔道哲学には、ヨーロッパ高級貴族の哲学、倫理観のみならず、我が国の上級武士の行動規範、哲学に通底する普遍性があったのだと思う。そこことがヨーロッパの高級貴族に共感をもたらしたのだと思う。
要するに、ヨーロッパ貴族の精神的伝統を反映するスポーツがボクシングであり、フェンシングなのだ。そしてオリンピックを構想したヨーロッパの高級貴族の伝統的精神、そして哲学の基盤があるスポーツゆえに近代的スポーツとは趣を異にするが、オリンピックスポーツの中で、重鎮として鎮座し続けているのではないかと思う。もちろん、組織的な問題で、オリンピックから場外される可能性はある。しかしながら、今回の柔道のように、オリンピックにふさわしいスポーツと競技団体として、変化(改革)を続けるに違いない。ここで大事なことは、ボクシング(アマチュア)もダメージ制を掲げず、ポイント制を掲げ、オリンピックにふさわしいスポーツに近づけたということである。また、フェンシング競技も防具などを用い、また得点はセンサーで判断するように変えことである。
【柔道の競技(試合)の基本的内容】
柔道に話を戻せば、先述したように柔道の競技(試合)の基本的内容は「投げ技の効果」をポイント(技ありや一本)で判定するものである。それゆえ、欧米に誕生したスポーツ競技と親和性が高い。また、投げ技は投げ方などによっては致死的、ダメージを与えるものとなるが、打撃系とは異なり、見た目はスキルフル(技巧的)である。それゆえ、他のスポーツ競技の技巧の優劣を競い、それを判定し、それを楽しむというスポーツの基本的要素と親和性が高いのだ。
だが、問題が皆無だったわけではない。その問題を挙げれば、「有効」「技あり」「一本」のポイントの判定(現在は有効はない)に審判によってばらつきがあった。また「引き分け」からの旗判定による最終的な勝負判定には非納得感が否めなかった。
【柔道競技は引き分けと旗判定を無くした】
今回のオリンピックにおいて、様々な問題点の解消が見てとれた。具体的には、有効をなくし技ありと1本のみとし。同時にレスリング的な組技をわずかに残し、ほぼ反則とした。そのことによて、柔道独自の技術、技能を発揮しやすくした。このことは、他の格闘競技との差別化になる。また指導などは3回で失格負けとした。また寝技によるポイント(技あり、1本)の時間設定を短くした。これは試合の流れを滑らか、かつスピーディーにし、観客を飽きさせないようにした。また、投げ技のポイントは、肉眼で不明瞭ならば、映像による判定(VR)を採用した。さらに誤審を防ぐための「ジュリー制度」なども採用している。
スポーツとしてより本質的な部分は、4分間の本戦の後、勝負を決することができなかった場合、ゴールデンスコアによる時間無制限の延長戦が設けられたことだ。このことは、曖昧な引き分けという判定をなくし、より明確に勝敗を決めることが重要だ、という考え方に至ったということだ。この部分が、権威者の裁定を受け入れ易い日本人的な感性にはすぐに理解できなかったと思われる部分である。
もちろん、日本人以外の人たちにも「引き分け」という感覚はあるだろう。だが、もし内容が本当に「引き分け」なら。「両者優勝」でなければおかしい。または、「敗者なし」と判定しなければおかしい。されど…としなければならない(あえて言えば)。実は戦前までは「引き分け」による両者優勝というものが柔道にはあった。
私には、幼い頃に読んだ柔道の本に全日本柔道選士権における、木村政彦対石川隆彦の決勝戦と両者優勝の記述が強く記憶に残っている。「こんな粋な計らい、公平な裁きが、昔の日本にはあったんだ(昭和24年)」という感銘としてである。
それゆえ、引き分けから無理に勝者を決する方式は、日本人の劣化だ、と私は考えていた。今回、柔道界にどのような思考的プロセスがあったのかのが、私の研究したいところである。それはさておき、今回のオリンピックにおいて、柔道が伝統的な「旗判定」や「引き分け」を無くしたと言っても良いだろう。
【「旗判定」や「引き分け」判定の問題点】
もう少し、「旗判定」や「引き分け」判定の問題点を述べてみたい。かつて柔道の勝負判定には「引き分け」からの「旗判定」という日本独自の勝負判定が残っていた。それが大きな問題であった、と私は考えている。
なぜなら、オリンピック・スポーツには万人が納得する、技術的、かつ技能的勝利がなければならないからだ。そのようなことを前提とすれば、最終的に明確、かつ明瞭な「勝敗という概念」に導き、それを決する前の「引き分け」という概念にも、明確、かつ明瞭な内容や判定基準がなければならないのである。だが、かつての引き分けから旗判定による勝敗の判定には、審判の主観的な判定しか示されていない。私は様々な国家を背にして競技を行うオリンピック競技においては、明確な勝負判定と同時に勝利に至るプロセスが明確かつ、公正でなければならないのと思う。でなければ、名誉と自尊心を命よりも重んじるヨーロッパ貴族の末裔である西洋人のみならず、様々な国家の多様な国民が勝敗を真に理解、納得はできないに違いない。
私は、柔道の変化、そして努力こそが日本人があらゆる面で目指さなければならない変化の仕方ではないかとも思っている。言い換えれば、柔道の良点や日本の伝統的文化を残しながらも、国際的な標準に合わせていくということである。一方、剣道の人達の「剣道はオリンピック競技に加わらなくても良い」「剣道は日本独自の文化であり、それを堅守する」というような考え方も悪いわけではない。むしろ日本独自の文化を堅守するというものがある方が良いとも思う。武道という看板を掲げるものは、そのような意志がなければならないとも思う。一方、嘉納治五郎師範が掲げた「武道」という概念とその他多くの「武道」というラベルには大きな乖離があると思っている。詳しくは述べるには機会を待ちたいが、柔道はその剣道がいうところの日本独自の文化への思いを無差別の全日本選手権に込めていると見る。部外者である私がいうのは甚だ僭越ではあるが、そこはある種の治外法権の場であるべきだ。丁寧に言えば聖域であるべきだ。そして、国際柔道、そしてオリンピック競技の柔道において、日本の独自性を世界に示すという意志を強固に持って欲しい。だが、そんな心配はいらないぐらい、柔道界は変化したように見えた。今、柔道ファンの私は、もう一度幼少の頃に戻り、畳に立ちたいと思っている。
総括すれば、柔道の変化も、「オリンピックにふさわしいスポーツ」として、自らを変化させて適合させた例だと思う。さらに言えば、私はボクシングやフェンシング以上に、オリンピックスポーツに相応しいものを目指して変化し続けた、プロセスの好例だと考えている。
【サムライ柔道とオリンピック柔道の戦い】
最後に、今回のオリンピックにおいては、若い個性豊かな選手立ちの活躍があったことは大変嬉しく、かつ頼もしいと思った。おそらく、選手達の個性的なキャクターの力も相まって、柔道未経験者の人達にも、柔道の魅力、そしてスポーツとしての面白さが伝わったに違いない。
さらに言えば、選手が礼法を徹底し、日本柔道の伝統を背負っているという自覚を持って畳の上に立っていたように見えた。例えるならば、サムライ柔道対オリンピック柔道の戦いであった。だが、それは相手を敵とする戦いではなかった。相手を仲間として尊重しつつ、自己の名誉と自尊心を賭けた命懸けの戦いであったと思う。
その精神は、言語、民族、宗教、国家の壁を超えた、共感を与えたに違いない。一方、オリンピック初参加の空手競技は、努力をしたとは思うが、柔道のそれには及ばなかったと言わざるを得ない。
今後、空手が武道精神を掲げ、それを世界に広め、残したいのであれば、柔道が参考になるのではないか、と私は考えている。今のままでは、西洋の空手(スポーツ)になってしまった感が否めない。しかも劣化しているかもしれないとも思う。断っておくが、私はWKFの批判者ではない。むしろ、極真空手を含め、極真空手を真似た空手人の努力不足を指摘したい立場である。願わくば、空手人が自らの未熟とその本質を認識した上で協力し、新しい空手を作り上げて欲しいと思っている。
蛇足だが、新たなルール改定の可能性を柔道競技の解説者がオープンにしていたことを、さらに嬉しく思った。なぜなら、柔道の若いリーダー達の未来に向けての希望、そして改革に対する、オープン、かつ前向きな姿勢を感じたからである。通常、ルールが変わると、不安や混乱の色を隠せないのが通常だと思う。おそらく、柔道界においては、ルール改定の納得と実行のために必要な「柔道とは何か」という理念、哲学、テーマの共有、そして「日本柔道を後世に残す」という信念が強く芽生えているのだろう。
追伸:本コラムを 元講道館図書資料部長、講道館柔道八段 故、村田 直樹(むらた なおき)師範に捧げたい。
村田先生と私は、現在、増田道場生でもある整形外科医、小山 郁先生の紹介で知り合った。
私に余裕があれば、講道館に出向き、村田先生の武道論を学びたかった。
私の主催する大会も見ていただいたにもかかわらず、お付き合いを疎かにしていたことを後悔している。
村田直樹師範は、私が人生のなかで出会った人の中でも特に上級の人物だった。
また大好きな方だった。享年71歳、とても残念である。
8月1日 第8回 月例試合において