デジタル空手武道通信 第48号編集後記より
「初心不可忘(しょしんわするべからず )」
先日、8名の昇段者に昇段認定証書を授与した。 その授与式において、私には感じるところがあった。まずは、物事に継続して取り組み、節目を持つことは人生経験として重要だということ。また、そのような経験に取り組む姿は「美しい」ということであった。
「美しい」などというと、「また大仰な話が始まった」と思われるかもしれない。言い換えれば、私には若い彼ら(壮年はいなかった)の「ひたむきさ」に感動していた。もちろん、彼らの技量は初段程度のもので、まだまだである。彼らの技量不足に関しては、私の指導者の責任として深く反省した。また、空手によって彼らの能力をさらに引き出せるようにしたいと思った。
そして、私の感動は、最後の総評に現れている。そして、私の感動は、最後の総評に現れている。だが、もっと端的に伝えればよかったと反省している。もう少し具体的に話さないと理解されないだろうと、自分の未熟が恥ずかしい。今後、再考し、かつ、補足を加えていきたい。
最後に、本道場では、「空手と自己の成長」という小論文の提出が昇段審査の課題となっている。今回、その小論文に、彼らの心の成長の跡が伺えた。心の成長とは、増田流にいえば、「認識の変化」と言っても良いかもしれない。
私は様々な修練の根底に「認識」というものがあると考えている。そして、その「認識」の変化、更新に合わせ、身体全体の認知、そして操作機能が変化するというのが上達の姿だと考えている。また、「認識の変化」と「認知能力の変化」を自覚しつつ、自らが有する「花(世阿弥の言う所の)の種子を見つけ、それを育てていくことが、上達であると考えている。また、世阿弥が「花鏡」に記した「初心不可忘(しょしんわするべからず )」という言葉の意味も其処にあるのではないかと思っている。