自分の非力が悲しい。少々心身が疲弊しているので詩が湧き上がった。それは私の人生に対する祈りであり、鎮魂のためだ。私の拙詩の後に私が幼少の頃、好きだった高村光太郎の詩を掲載した。高村が生きた時代とは100年近くの隔たりがあるが、人間の姿は変わっていないようにも思える。かなり疲れている私の現在の心境を試作によって吐露しておく。2021/5/2
生きるために
色々と考えていると、突然虚しくなる
考えることに、一体どんな意味があるのだろうか
「何も考えずに目の前のことを行え」と声が聞こえる
それでも考えずにはいられない
考えれば、虚無感を感じるのをわかっていながら
「考えていないで、まず目の前の人を満足させろ」
そんな声が聞こえる時
心の中で私は反論する
「考えなければ人を満足させられないのではないか」
そして、人の満足ばかりを考えていると、自分がなくなるように思える
人を満足させる対価とは何か?
そもそも対価を求めてはいけないのか
否
人は何らかの価値を予知するから動くに違いない
動かないと生じる罪悪感の排除という価値も含めて
一体、人間にとっての価値とは何か
私には「人を幸せにするため」なんて虚言に思える
だが「自分を幸せにする」もおかしい
また「自分も人も幸せにする」もおかしい
そんな最大公約数的な価値が本当にあるのか
一体、幸福な人生とは
充実した人生とはどんな感じなのだろう
何も考えなくても良い人生か
それとも、考え続けなければならない人生か
また、ほどほどに考え、生きる人生か
私はいつも考えている
自分を活かすことを
人生を活かすことを
そして活かされていると感じた時
幸福、かつ充実していると思える
私は感じている
皆、活かし合って生きている
人も自分も
嫌な奴も
好きな奴も
失敗も成功も挫折も裏切りも
全て活かさなければ
私は生きられない
これまでの経験が無意味となることが
恐怖だから
私は、一瞬一瞬
私を活かすために考えている
私が生きるために考えている
私を感じるために考えている
私を生きるために考え続けている
(心一)
群集に 高村光太郎/ 大正三年 道程
一人の力を尊び
一人の意味をしのべ
むらがりわめき、又無知の聲をあげるかの人人よ
逃げる者も捕へる者も
攻める者も守る者も
ひとしく是れ魂のない動搖(ゆらめき)だ
いのちある事實(事実)にならない事實
埋草にもならぬ塵埃(ちりあくた)の昂奮だ
さめよ
一人にめざめよ
眉をあげて怒る汝等の顔の淋しさを見よ
其のたよりなさと、不安と
幕を隔てた汝等自身の本體(本体)の無關心と
重心なき浮動物のかろがろしさと―
汝等すべての共の貧しさを見よ
いま向うから出る
あのまんまんまろな月を見よ
静かな冬の夜のこの潛力を感ぜよ
汝等の心に今めぐみつつある
破壞性と残忍性と異常な肉體の慾望とにめざめよ
その貴い人間性のまへに汝等自身を裸體にせよ
そして一人にせよ
汝一人の力にかへる事をせよ
哀れなこの群集と群集との無益(むやく)な争闘に對して
自然のいのちを思ふ事の無意味を知れ
汝等は道路にしかれる砂利の集團だ
汝等は偶然に生き、偶然に死に
張合に生き、張合に死に
又氣質に生き、氣質に死ぬ
さめよ
一人にめざめよ
一人の力を尊び
一人の意味をしのべ
汝等の焦心に何の値があらう
汝等の告白に何の意味があらう
ああ、群集よ
夜の群集よ
又思想および藝術にかかる群集よ
群集を生命とする群集よ
空しき汝等一人の聲に耳を向けよ
きっかけに生き、提言に生きる事を止めよ
偶像の中にもぐり込む事を止めよ
しらじらしい汝等の虚言を止めよ
群集によって押される浮動(エフエメエル) の潮流を蔑ろにせよ
一人の實體にしみ通り
一人の根を深め
一人の地下泉を掘り出せよ
こんこんとして湧き上る生水(きみづ)を汲めよ
偶然はあとをたち
思ひつきは價値を失ひ
其處にこそ自然に根ざした人間はまろく立ち現はれるのだ
一人の力を尊び
一人の意味をしのべ
むらがり、わめき、又無知の聲をあげるかの人人よ
寒い風に凍てて光るあの大きな月をみよ
月は公園の黑い木立と相摩(あいま)して光る
まんまろに皎然(こうぜん)と光る