Quantcast
Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
Viewing all articles
Browse latest Browse all 480

わずか3手先を読むだけ〜その2 ヒッティングとは何か? 

$
0
0

わずか3手先を読むだけ

 

【ヒッティングとは何か?〜新しい組手法について】

 さて、ここで新しい組手法について述べておきたい。「ヒッティング」ことTS方式の組手法を行う際に了解しなければならないことがある。それは、組手において「顔面突きのみならず全ての攻撃技を「受ける」、また「かわす」などの防御技を使い、無力化、または弱体化させ、同時に攻撃技を相手の隙(スペース)向けて当てる。ただ、それだけである。だが、そのことを原理原則として理解してほしい。

 もう一つ重要な原則がある。攻撃をしたらすぐに防御の準備をする。防御したら即攻撃(反撃)を行うということを守ることだ。そして、その原則を了解し、その原則(ルール)を実践しようと心がけて組手を行って欲しい。そうすれば、おのずから組手を観る眼が養われ、組手の技能が身につく。だが、ほとんどの人が先述した原則の了解と実践を理解していない。ゆえに言葉を紡いでいるのだが、多忙ゆえに体力が追いつかない。だが、言葉で残して置かなければ、永遠に理解されないとも思っている。

 

【テニスに例えて説明】

 ヒッティング方式組手法(TS方式組手法)のイメージをテニスの試合に例えて説明を試みたい。

 まずテニスの試合のルールについて大まかに説明する。テニスはポイントの取り合いで試合が進行していく。 1ゲームは4ポイントを先取した方が獲得。 ただし お互いに3ポイントで同点になったときはデュースとなり、そのあと2ポイント差がつくまでゲームは行われる。 1ゲームごとにサーブ権を交代し、先に6ゲーム取った方が1セットを獲得する。

 ここで大事なことは、テニスの試合におけるポイントを奪い合うというのは、空手における一撃を決めるということ。そして球を受けるだけでは相手にポイントを奪われるということ。そして相手の球を受けるだけでは駄目なことである。武術は防御だけでは意味をなさない。考えてほしい、武術における防御も攻撃も相手を威嚇し、戦意を喪失させ、相手を仕止めるためにあるのだから。攻撃とセットでない防御は武術ではない。

 この点をより詳細に補足すれば、要するに相手の球を受けるだけというのは、空手で言えば相手の攻撃を受けるだけということである。断っておくが、ヒッティング方式の組手において、防御だけ行うことは反則ではない。例えば、相手の攻撃を防御し、反撃技を放たず、間を取ったり、呼吸を計ったりするなら、戦術として有効な時もあるかもしれない。また、テニスにはないフェイントの技(空撃)への反応は別である。ここでいう攻撃とは相手が隙(スペース)に技を決めにきた場合であり、その場合、防御のみというのは原則的に悪手(良くない戦術)だと考えて良い。なぜなら、機を捉える感覚を養うには悪弊となるからである。そこが単なる格闘技スポーツと武術の試合の違いだ、と私は考えている。さらにいえば、なるべく短い時間で相手を制するという目標を忘れてはならない。ゆえにヒッティング方式の試合では、相手との点差が一定以上となれば、勝負ありとする。武術の試合はなるべく早い時間で勝負ありを目指すべきだ。

 

 以上の理由で、ヒッティング方式の試合では、テニス同様、相手の返球を受け、かつ打ち返すことが基本である(その返球がコート内でなければならない)。つまり、「①自分の打つ球(サーブ、他)が相手コート内に打ち込まれるのが第1段階、それに対し②相手の打ち返し(返球)が基本的なテニスの試合における第2段階である。さらに③相手の打ち返し(返球)に対し自分の打ち返し(返球)の第3段階となる。その打ち返しが決まればポイントを奪うこととなる。テニスの場合、サーブのアドバンテージが高いので、強力なサーブには第2段階でポイントを奪うこともあるだろう(サービスエース)。それでも熟練者同士の試合では、第2段階に進む。さらに第3段階に進む。また第3段階における自分の打ち返しを相手が打ち返したら局面は第4段階から第5段階へ進むこともある。第4段階において相手の打ち返しがコートに入らなければ、第4段階で自分がポイントを奪取することとなる。

 以上を整理すると、テニス試合の基本的構造は、『①第1段階(局面)自分の打つ球(サーブ、他)が可能な状態→②第2段階(局面)相手の打ち返し(返球)が可能な状態→③第3段階(局面)自分の打ち返し(返球)が可能な状態に移行する。さらに④第4段階(局面)相手の打ち返し(返球)が可能な状態→⑤第5段階(局面)自分の打ち返し(返球)が可能な状態』というように、プレイヤーの技量によって、局面が次の局面へ移行、連続、または終了するというものだ。終了すれば、終了させた方の得点となる。

 そのような構造においては、相手の球を打ち返して即、相手の反撃(次の局面)に備えなければ、今度は相手の打ち返した球(返球)に対応できず、ポイントを奪われてしまうことは明白である。

 補足すれば、先に記した③段階から⑤段階の状態が続くことを「ラリー」というようだが、熟練者はその「ラリー」の状態の中で、相手の崩れを観て、手相手の動きの予測を行い、相手の予測の裏をかき、相手が何もできないような見事な一打を生み出す。一方の極真空手の組手は、テニスで言えば、互いがサーブの打ち合いで終始しているのかのように、私には見える。もちろん、強力なサーブは観客を魅了するし、ゲームへの勝利には重要な戦力となる。だが、私は超一流のテニスプレーヤー同士が見せるラリーの応酬こそがテニス競技の深奥を見せていると思っている。そして、空手の試合でも、テニスのような見事なラリーを行えないものかと考えている。だが、空手の場合、局面と局面の移行速度がテニスよりも速い。ゆえに空手はテニスのようにはいかないと思われるからであろう。しかし、相手との関係性をシームレス(自他との一体化)とすることができれば、可能だ。だだし、それは究極の武術の技能とも言えることで、体得は並大抵ではないとは思うが…。

 

 

【わずか3手先を読むだけ】

 さらに言えば、私はテニスの試合は将棋にも置き換えられる、と私は考えている。先述したテニス試合の基本構造を思い出して欲しい。すなわち、①段階(局面)は1手目、②段階(局面)目は2手目、③段階(局面)目は3手目、④段階(局面)目は4手目、⑤段階(局面)目は5手目と言える。

 実は、長年にわたり、テニスの試合や将棋のような観点を、空手試合(競技)にも生み出したい、と私は考えてきた。そして長い年月の試行錯誤を重ね、ようやく新しい組手法を考案した。それがヒッティング方式組手法(TS方式組手法)である。

 ヒッティング方式を採用し、まずもってわが門下生には、組手には、自分または相手が繰り出す1手目に対し、2手目を繰り出す。そしてその2手目に対し3手目を繰り出すという基本構造があるということを了解してほしい。そのことが了解できれば、相手の1手目を予測し2手目の反応がより速く、かつ、より善くできるように準備することができる。同様に自分が先手として1手目を繰り出した時、相手の反応、すなわち2手目はどうなるかを予測できる。そして、相手の2手目に対する自分の3手目を予測、準備しておけば、自分の心技体は崩れずに、より有効な(より速く、かつ、より善い)一撃を繰り出せるのだ。

 補足をすれば、基本的には相手に1手目を出させるよりは、自分が先手で1手目を繰り出し、相手の2手目を観る方が有利だと直感している。ただし、その1手目は、拓心武道で「囮技」と名付けたところの「相手の出方を探るような技」を用いることが前提である。つまり、囮技を使い、その技に対する相手の反応の予測、かつ確かめる。すなわち2手目以降の予測や準備を行っていくのだ。そして、それらの予測と準備に必要なことは、まず攻撃の種類を把握することと同時に防御法、すなわち拓心武道でいうところの「防御×反撃」の種類を把握することである。そこで忘れてはならないことは、防御と攻撃(反撃)は一体でなければ組手とはならないという原則である。テニスがそうであるように。

 今回、わが道場生に組手修練の骨子のイメージを伝えた。だが、余計混乱させたかもしれない。要するに将棋でいえば、わずか3手先を読むだけだ。5手先を読めればかなりの技能に到達するということだ。だが、わずか3手先を読むことがとてつもなく難しい。それでも、それを行うことが、自己の心身のデータベース(無意識)を作り上げ、直感力を養う。手の読み方には具体的な方法があるが、今回は記さない(時間がない)。

 また、「空手を将棋の如く難しく考えなくても、良いではないか」との向きがあるだろう。だが、そのように考えるのは武術修練を浅くしか観ていない証拠である。私は武術の理解には、将棋同様に智力の深いところを使うべきだと思っている。しかしながら、誰もそれを研究しない。その原因は、端的にいえば、組手修練の意義が理解されていないからだと思っている。

 

【人を殴ったり蹴ったりする武術の組手や試合修練】

 私は、人を殴ったり蹴ったりする武術の組手や試合修練は、精力の発散、勝負を楽しむということだけの手段としては良くないと思っている。また、私は武術修練を核にした武道とは、断じてそうあってはいけないと考えている。なぜなら、そうなると日本武道が培ってきた精神、そして独自性が失われてしまうからだ(すでに喪失しているかもしれない)。平たく言えば、価値が低くなると思っている。だが現実は、多くの武道流派の試合修練が単なる精力の発散、勝負を楽しむというレベルに止まっている。そして、武道修練者がハイレベルなスポーツの勝負理論にも劣るような感覚しか持ち得ていないように見える。

 そのような状況なのは、端的に言えば、試合方法並びに試合の判定法(観方)が良くないからだ、と私は考えている。特に空手はそうだ。ゆえに、私は組手法に改良を加えた。今後、組手や試合を行いながら、将棋のように、わずか3手先、5手先の読みを行い続けることで、膨大なデータが蓄積され、そのデータが直感と考察によって整理され、より普遍的な原理原則を生み出し、競技者を洗練、上達させていくと信じている。また、五感をフルに動員して、知情意の統合のシステムを作り上げていく修練システムには武道が最適だと考えている。ただし、私の考えている武道ならば、である。

 繰り返すようだが、私は武道において組手や試合が重要だ、と考えている。また真剣な組手(勝負)を想定するからこそ、基本がいかに重要か理解できる。また、型を通じて原理原則を体得することの重要性も理解できるのだ。

 いかなる情況においても、無心で原理原則を実践する。それが武術修練を核にした武道、また、それを実践する武道人の目指す覚悟である。その上で、唯一無二の妙手を生み出していくことが、武道の究極だ、と私は確信している。 

 

 これまで私が述べてきたことを、私自身が確実に実践、具現化できるかどうかはわからない。言い訳に聞こえると思うが、これまで長い年月を無駄にしてきた。そして年老いてしまった。 急がなければ時間が残されていない、と思っている。そういうせっかちさが私の悪い性癖の一つだ。もう60年近くも生きてきたのに、まだそんなことを言っている。未熟な人間だとは思う。それゆえ、自分を戒め続けなければならない。

 

 と言った側だが、あと5年、いや3年で形にしなければ、とせっかちに考えている。だが、私の考え方が「焦り過ぎ」だと思う人は、よほど充実した人生を送った人か、とても呑気な人に違いない。これまで、私は突如襲ってくる敗北感に苛まれながら生きてきた。ゆえに毎日努力を欠かしたことがない。そして「最期の最後に状況を大きく転じ(転回)てやる」と思って生きている(私の心はすでに転じているが、周りの心が転じるには時間が必要なのだろう)。

 

(了)

 

「極真空手についての評論」という題で小論を認めた。これを読まなければ、将棋のように組手ができない理由がわからないかもしれない。長くなったので、分けてアップしたい。

 

 

 

 

 


 

 

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 480

Trending Articles