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Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
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試論〜武道芸術論/2020年11月9日〜沖縄の写真家に触発されて

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武道芸術論〜プロローグ

 

【善と悪】

 

善悪に拘る

だが本当の悪が

誰にも

解らない

この絶望

 

善い悪いより

仲間と支え合って

ただひたすらに生きる

人間には

それが大事

 

 

 先述した五行歌が人に誤解を与えたのかもしれない。そう思って、日頃からよく相談する友人に意見を求めた。すると、空手家の増田が「絶望」なんて表現をしてはならない、と言う。また、人は先入観やその人自身の物差しで判断するもので、空手家として名がある、増田 章は誤解を与えるような発言をSNSではしない方が良いと言う。

 

 だが、今は自分流のやり方を貫けば善いのではないかと思っている。私が伝えたかったことは、沖縄の写真展を見て感じた、写真家の世界観と写真によりインスパイヤーされた、「世界(人間と社会)」に対する思いである。要するに、私は沖縄の写真家の作品を見て、自分が見ている世界の在り方を見直したのだ。その「見直し」を詩歌で表現したのである。

 私は誤解を与えたかもしれないと反省しつつ、それならば、この機会に文字に落とすことで、私の直感を深く掘り下げてみようと思った。それが後述する「武道芸術論」である。

 

写真芸術とは

 先日、沖縄を代表する写真家達の写真展を見た。そして写真芸術とは、「映像を使って表現する詩が写真」であり、「言葉を使って表現する写真が詩」ではないかと思った。もちろん、写真と詩が同じものだということではない。ただ、本質探求を通じ、新たな視点を喚起させるという点では同じではないかと私は思うのだ。作家の一人に私の学んだ写真学校の先輩がいた。嬉しくなって、できるなら、昔教わったことのある、故・重森弘淹先生(東京綜合写真専門学校 校長)に質問をぶつけてみたいと思った。もちろん、重森弘淹先生は生意気言うなというかもしれない。だが、そんなことはないだろう。数回しか授業を受けたことがないが、やさしい先生だった。笑いながら受け止めてくれるに違いない。

 

 写真学校を出てからの私は、全く写真とは縁の無い生活をしている。だが、写真学校で学んだことにより、その後の私の生き方に強い変化をもたらした。どのような変化かといえば、うまく伝えられなかった。だが、卒業後30年以上を経て、沖縄の写真家達の作品を見て、強い思いが湧き上がっている。その湧き上がった「思い」を「五行歌」と言う詩歌の形式で表現してみた。写真家になる夢は早々に諦めたが、時々、詩を書くことを続けている。なぜ、私が詩を書くのか。なぜ、私が写真家を夢見たのか。今回、その意味がわかったような気がする。つまり、私が写真家を夢見たのは、心に強く感じることを詩として結晶化させ、かつ心の葛藤を昇華させたいとの願望があったのだろう。

 

 30年以上も前の私は、詩よりも写真という表現手段・形式を魅力的な手段だと思ったのだろう。その直感が間違っていなかったということが、沖縄の写真家達の残した作品により、理解できたように思う。

 

 私は、沖縄の写真家の写真展を見て、4編の五行歌が思いついた。先日、それをブログに掲載した。実は、その内の1編をすぐに削除した。なぜなら、削除した五行歌には、「善悪なんてどうでも良い」と言う表現(フレーズ)があり、その表現(フレーズ)が誤解を生むと思ったからだ。だが、残した1編のみでは、その意味に到達した過程(文脈)がわからず、より誤解を生むこととなったようだ。私は、もし誤解を与えたなら、この際、徹底的に直感を掘り下げることとした。

 

所詮、言葉では真理を表現できない

 

 まずもって、「増田が絶望してはいけない」「少なくてもそれを人に見せてはいけない」と優しく諭してくれた友人に感謝したい。また、増田のブログに心配してリアクションした友人にも感謝だ。だが、私は妥協しない。

 

 私は、言葉による表現には影があり、その影も含めて理解しなければならないと思っている。難しいことを書くが、所詮、言葉では真理を表現できない。だが、それでも人は言葉を紡ぎ、真理を探そうとする。そもそも真理などどこにもないのかもしれない。あるのは、なんらかの表現手段とその交換(コミュニケーション)を通じ、意味を紡ぎ続ける主体だけのように思える。そして、それが人間存在の正体だ、と私は思っている。また、希望の影に絶望があり、絶望の影に希望がある。つまり、影を含めた光の当て方で物事の見え方は異なる。だが、ほとんどの人は、人工的な光に描き出された平面的な記号を消費しながら意味を紡いでいる。ほんとうは、自己の内面からの光を活かしながら物事を映し出さなくてはならないのに。

 

 「絶望」という言葉

 

 大げさに聞こえるだろうが、幼い頃、私の脳裏には「絶望」という言葉がよぎったことがある。それは言葉がよぎっただけであり、その際選んだ私の行動は、開き直りだった。「生きている間は絶望はない」そして、「生きている限りチャンスはある」と自分に言い聞かせた。同時に、私は「希望」という言葉をあまり好きになれなかった。なぜなら、幼い頃、明日は良いことがありますようにと毎日祈ったのに、良いことは、いつも訪れなかったからだ。

 

 その代わりに私は、「チャンス」を探し始めた。その第一歩が本を読むことだった。幼い私は、小学校の頃は図書館が大好きだった。中学以降は学校自体が嫌いだったので図書館にはいかなくなった。その代わり、町の本屋に入り浸った。そこに行けば、何か面白いことが見つかるかもしれないと思ったからだ。実は、それが私の希望だったのかもしれない。つまり、「チャンスというものがある」という信念は、増田流の「希望」のことだと思う。つまり、私にとって希望とは物事の見え方が変わる「機会」があると信じることなのである。人との出会いも「チャンス」である。私にとって「大山倍達」「極真空手」との出会いは、まさしく「チャンス」だったのだ。言い換えれば、人は機を捉えさえすれば、自己を活かして変われる存在だということである。うまく表現できないが、私の経験的直感である。

 

チャンスを掴むための準備

 

 私は、人は物の見方が変わる時に、人の行動も変わり、生き方も変わる、と思っている。私は、そのチャンスを掴むための準備を続けているつもりだ。辛いのは、チャンスを掴むための準備は、いつも絶望を感じるような逆境から始まるのだ。その逆境を乗り越えるには、その逆境を受け入れつつ、まずは自らが言葉(定義)を変えなければならない。きっぱりと。それが難しい。なぜなら、これまでの概念を否定する要素が含まれることがあるからだ。だが、その部分に誤解が生じる原因がある。ゆえに、よほど理解しあっている相手以外には、言葉を選んだ方が無難である。かく言う私は言葉を選ぶことが苦手だ。加えて、誤解を恐れたり、人の目を気にする自分自身の性質が嫌いだ。そう言うと、私を知る人には噴飯されるかもしれない。「お前、それで人の目を気にしているのか」と。しかしながら、幼い頃の私は、自分に正直にありたいと願う気持ちと、人からよく見られたいと言う気持ちが交錯し、自分をどのように表現したら良いのかと言うことにとても悩んだ。そんな私は、固定された空手家、増田 章というイメージなど必要ない、むしろ破壊したい、といつも思っている。また、そんなものにこだわることが、自己の可能性を妨げてきたと思っている。私が拘るとしたら、自分自身の奥底に横たわる原風景と原体験を忘れてはならないと言うことだ。それが自己の魂とも言える何かなのだから…。

 

本当の人間形成とは、芸術によらないとできない〜より善い社会とは

 さて、実は私の空手道は芸術表現だと思っている。そう言えば、唐突に思われるかもしれない。また、反論や異論、また嘲笑が起こるだろう。脳裏に「増田は何を言っているんだ」「増田は独善的で話にならない」など、様々な批判が浮かぶ。また、無視されるかもしれない、と思っている。そして私の発言を無視できない、我が空手道場の門下生には申し訳ない、と思いながら書いている。それでも、正直に思うところを書いておきたい。

 

 我が道場の門下生には、護身術的な部分、心身を鍛える手段という面など、空手修練の実効が重要なのだろう。だが、誤解を恐れずに言えば、私にとって空手武道は、私の芸術表現である。その芸術表現を転じて、道場生の欲しい効用を提供し、かつ、空手の価値を高める結果に繋げようとしている。しかしながら、私が望むことは、そして門下生に伝えたいのは、一人ひとりが空手を手段とする芸術家になってもらいたい言うことだ。そのことが了解できる門下生が私の求めている人間だと言えば、新たな誤解を生むだろう。

 

 武道芸術論

 一般的な武道は、修練において規律を教え、型を重視する。それゆえ、自由な芸術表現と武道とは、相いれない感じがするに違いない。だが、現実の写真芸術と言う表現手段は、自由なものでは無い。例えば、フィルムやカメラ、レンズ、光と影、などの特性を熟知し、その理合いを活用しなければならない。それが技術の部分だ。さらに、写真には撮影者の哲学、そして生き方が反映する。つまり、写真芸術にも技術が必要で、かつ、その活用には法則・理法を内在した「型」がある、と私は考えている。そして、写真家がその型(法則)をどのように使うかで、様々な個性的な作品が生み出されるのだ。さらにいえば、武道が「機」を捉えなければならないのと同じく、写真も「機」を捉えなければならない(特に昔のフィルム写真はそうだった)。

 

 30年以上も前、私が学んだ写真学校の校長の「写真芸術論」という著書を読んだ。そこには、「すなわち芸術とは、人間個性の十分な刻印を残しているところの技術の一部である(マンフォード)」「芸術創造における技術とは、常に個性そのものに他ならない」と書いてあった。私流に換言すれば、「優れた写真芸術は技術の一部でありながら、かつ個性の刻印を明確に表す物でもある」と言うことだ。その言葉を「武道」に置き換えれば、「優れた武道は、武術の一部でありながら、かつ個性の刻印を明確にあわわす物でもある」となるように思う。

 

 私の直感は、それこそが「人間形成」の究極だと言うことである。また、私は、「個性」とは写真芸術においても武道においても、精神性を内包した身体性そのもののことであると考えている。つまり、写真芸術と武道には通底する部分があるのだ。ゆえに私は、空手武道も芸術だ、と直感している。否、本当の人間形成とは、芸術によらなければできない、と私は言いたい。さらに言えば、より善い社会とは、そのような芸術活動を担保するものでなければならない、と私は考えている。

 

 言い換えれば、私が考える芸術表現とは、そこに「それが魂だ」と言えるような個性、精神を表現するものでなければならない。そのための表現手段が、ある時は詩に、ある時は写真に、またある時は武道になるだけだ。

 

 人の何らかの表現が、時に他者に誤解を与えるかもしれない。だが、それは当然のことである。なぜなら、意味は人の外にあるのではなく人の内にあるものだからだと思う。おそらく、人間はそれぞれの内にあるものを瞬時にして探し当て了解しているのだろう。それが自分の内にある物語上の意味と異なれば、了解できないに違いない。芸術表現とは、新しい物語を提示し、その人独自の意味を表現する。そのような行為が、他者の意味を否定、破壊する面があるのは当然である。

 

 そうであっても、芸術表現は、世界に新たな視点を付与し、世界に新たな意味と価値を創出する原動力になるものだと思う。それが芸術表現ではないだろうか。また、そのような芸術表現に魂が共振することが、本当の共感と言えるものではないだろうか。逆に言えば、なんらかの造形物によって自分が破壊され、かつ、新たな自分が誕生する契機となるような経験、それが共感でなければならない。さらに言い換えれば、既存の意識をある意味、破壊し、無意識と言う「心眼」の領域に働きかけ、それを動かす物、それが芸術作品だと思う。

 

 よって、安心を求める意識を基盤とした「現実意識」を壊すぐらいでなければ芸術とは言えないのだと思う。ただし、最低限の作法は必要かもしれない。写真も同じである。私が考える芸術としての武道は、高いレベルの技術を有し、かつ、個の魂(個性)を表し、かつ、他者の心眼を開かせるものだ。そのような武道が平和共存を実現する手段となるのである。

 

 あえて言うが、伝統を保存するだけの武道も価値あることだとは思うが、個の魂を表す手段とはならない。武術を保存するのは良い。だが、伝統的な武道というと、それは階層的な社会に適合させるための訓練として、権威形成を主目的とする事物に傾斜していく、と私は考えている。そして、そんな武道は、人間性を回復させたり、本当の意味での人間教育にはならないと言うのが、私の直感である。

 

 私のブログに表した私の五行歌には、社会が標榜する「希望」の欺瞞と同時に、社会が産み落としている「絶望」の正体を見極めたいと思う気持ちが含まれていた。

 無名の人達(少数の人達)の声を忘れてはいけない

 今、世界中でコロナ禍による苦難にあえいでいる人がいる。また、差別、紛争、貧困、などなど、様々な困苦に対峙し、生きる人たちがいるに違いない。沖縄の先人が経験した困苦は、現代人の想像を超えるかもしれないが、私には少しだけ想像できたように思っている。その経験は不幸なことにも思えるが、その経験を想像することは、人間の尊厳を喚起させるに充分だなものだ。ゆえに語り継がねばならないと思う。

 

 翻って、「そんな経験をしてきた人達と比べれば、俺の苦労なんて…」と私の人生を思う。だが、そうは言い切れない。人は些細なことでも苦しむものだ。それを弱く、愚かだとは言ってはならない。なぜなら、弱く、かつ愚かなのが人間だと思うから。そう書くと、また誤解を生むに違いない。

 

 もう少し丁寧に言えば、世界中に、老若男女、様々な困苦に喘ぐ人たちがいるに違いない。そんな人達を弱く、かつ愚かだと語るのではなく、同じ人間として、その痛みを少しでも理解してあげることが大事だと思う。同時に、少数の人たちの経験に目を配ることが大事ではないだろうか。それが、平和の礎になると思うし、「国民国家」という暴力装置の犠牲者となった人達への鎮魂となると思うのだ。平たく言えば、みんなで力を合わせ、協力して、より良い社会を築いて行くために、いつも無名の人達(少数の人達)の声を忘れてはいけない、と思う。そして、その少数の人達の声の中に、真実がある、と私は思うのだ。

 

生きると言うことの芸術家たれ

 日本は明治維新以降、欧米の思想に習い、チャンピオンを目指したのだと思う。そして、チャンピオン争いに敗れた。私はチャンピオン至上主義自体に問題があると感じている。その意味は、チャンピオンを至上とする考え方、つまりそれを支える基盤(社会思想)に瑕疵があると思うのだ。社会はチャンピオンのためにあるのではない。これは日本に言いたいと言うより、欧米の国々に言いたいことである。だが、「それなら、どうすれば良いのか」「代替案を出せ」と政治家なら問われるに違いない。しかし、そのような考え方自体が、覇権主義であり、より強大な者が弱小な者を従えると言う思想のように思えてならない。本当に、そんな生き方しかないのだろうか。私は人生を賭けて考えている。まだ、直感レベルだが、仏教学者、鈴木大拙の「生きると言うことの芸術家たれ」と言う言葉に呼応して言いたい。武術は技術であり技術思想の枠を超えでないが、武道は技術を一部としながら、それを用いる人間(個人)の個性(魂)の表現であり、技術思想の枠を超えでていくものだと思う。そうあってこそ、「武道とは人間教育だ」と言えるのだ。そうでない武道、人間教育など、何らかの暴力を背景にした訓練、または権威の形成の舞台装置(しかけ)に他ならない、と私は思う。

 

 そのことを言うのが、空手家、増田章らしくないというのなら、それは、あまりにも増田章のことを知らなさすぎるだけだ。そして、私は自分の信じる空手武道により、愚かな人間を救いたい、と考えている。そして、自分を弱く、かつ愚かな人間だと感じない、強く、優れた人間だと考えている者達に「何か」を伝えたい。自分が救われるために。それが、幼い頃から私が持つ、私の本当の望みである。そのことを実現するには、空手武道を写真芸術(芸術表現)と同等にしなければならないのだ。

 

 

拓心武道〜「井の中の蛙一天を見つめる」天は全世界につながっている〜母の愛

 『「井の中の蛙一天を見つめる」天は全世界につながっている。突き抜けていくと宇宙にも達する。高校の先生が言った言葉が私の沖縄の写真を撮影していく力となった(平敷兼七/山羊の肺より)』。感動して取り寄せた写真集の冒頭の言葉である。

 沖縄の写真家、平敷兼七先生の写真集も、先述の言葉のように、私の背中を押してくれたように思う。今回、沖縄の写真家の写真を見て想起するのは、これまで多くの人の物心両面の支えで生きてきたのだ、という感謝である。そして、決して忘れてはいけないことがあると言うことだ。

 

 おそらく、多くの人が母の愛を感じて生きているに違いない。もちろん私もその一人だ。多くの人間は、母の愛と母の愛との連携で生きているのではないだろうか(何も女性だけを割いているのではない、父親の中にも母の愛は生きている)。

 

 1960年代の沖縄の写真を見て、私は幼い頃を思い出した。幼い頃の私は、祖母達(父方と母方)にとても可愛がられた。母方の祖母は、とてもオープンな性格だった。私は祖父母のもとで生まれた。幼い頃の家は、金沢の花街の中の豆腐屋だった。小学校に上がる頃の家は、公衆浴場を営んでいた。裕福ではないが貧乏でもなかったと思う。だが、場末の公衆浴場では、水商売、看護師、ヤクザ、肉体労働者、などなど、実に様々なお客が通ってきた。祖母はそんな客の姿を時々、子供の私に話して聞かせた。

 

 私の祖母の話は、沖縄の写真にもあった、底辺というと語弊があるが、ひたむきに生きる、人間の本当の姿を想像するに十分な内容だった(良い意味で)。普通の家庭では絶対に聞けない話だと思う。また、花街近くに住んだ体験から、沖縄の写真家が見た世界を親近感を持って感じることができた。おそらく、思い出したくない体験だと言う人もいるに違いない。現代日本では、こんな写真は取れないかもしれない。様々な理由で。それゆえ、よくぞ残してくれた、と私は思った。そして感動した。私は、間違いなく、沖縄人の魂のようなものをそこに感じた。かつ、写真家たちの魂のようなものをそこに感じた。私もそんな人間になりたい。そして死んで生きたいと思っている。まだ死ぬには時間があるだろう。さて、どう生きるか…。だが、あまりにも世界は多様だ。そんな中で自己を貫くには、並外れた信念が必要な気がする。

 

 最後に、私は武道の精神、魂の中心に「愛」がある、と思っている。また、人間の精神の中心にも「愛」があるに違いない。もし、それが本当につかめたなら、世界中の人達はもっと力を合わせていけるだろう。それが、まだ完全でないように見えるのは、まだ全ての人の心眼が開いていないからに違いない。私は、まずは人がどうあれ、「天」を相手にして行こうと思う。だが、言わずもがな、天とは井の中の蛙が見つめる上ではない。この言葉にある、井の中の蛙が見ているのは、自分自身の内面なのだ。そこに「天」は広がり、そこを極めた時、世界は繋がるのだ、と私は考えている。

 

 同様に、拓心武道とは自分自身の内面、すなわち心を開拓し、それを拡げていく道だ。そして心眼を開く手段としたい。人生の終盤で、ようやく心が定まったような気がする。今私は、この思想を武道流派としてではなく、一人の武道家の在り方、拓心武道として伝えたい、と考えている。

 


 

 

備考:本編は2020年11月9日のブログの追伸〜その2に加筆、再編したものを掲載しています。ブログの内容が多くなりすぎたので、重要な部分を再編集して掲載する。私の気まぐれな思索に真摯に向き合ってくれた友人に感謝したい。ありがとう。

おかげさまで、新たな気づきがありました。

 

 

下の写真は一見、平凡な写真である(失礼)。だが、撮影場所、光、表情、笑顔だけを浮き立たせるような手法などなど、何か特別な意味があると感じている。また、作者の魂が見て取れるような気がする…。私がとても好きな写真の一つ。

撮影者:平敷兼七

 

 

 

 

 

 

 

 


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