沖縄を思う /「琉球弧の写真」を観て〜2020年11月8日
稀有な体験と歴史を有する土地
東京の外れ、と言っても良いようなところに住んでいる私は、人の多いところは好きではない(住んでいる人には悪いが)。また、目の調子が良くない。ものもらいが治らない。いつも目に違和感がある。
今日は都心に用事があった。その僅かな時間、東京都写真美術館へ立ち寄った。気になっていた写真展が開催されていたからだ。それは沖縄を代表する写真家の作品展であった(沖縄出身の作家の作品展)。ちなみに、沖縄は昔から多くの写真家の被写体となってきた。しかし沖縄は現在、本土の人間にとって、海の美しい島、優れた歌手を生み出した島、空手のルーツ、また観光旅行の地としてしか見ていないように思う。かくいう私も同様かもしれないが、正直言えば、前述した部分にはあまり興味がない。私が沖縄に興味があるのは、稀有な体験と歴史を有する土地、また普遍的な人間性の形が未だ残る土地だ、と思うからである。だからこそ、その地に生きた写真家の作品を見て見たかったのだ。
他者との共同作業
私は最近、とても疲れている。今日も時間があるなら家に戻り、なるべく身体を休めた方が良いのでは、と思いながら美術館に向かった。もう人に教えたり、説得したりすることが嫌になっている。と言いながら、人に教える仕事をしている。そして人を説得しようとしている自分を愚かだ、と思っている。もちろん、教えなければならないこともあるだろう。ただ、物語的に理路整然と教えなければならないということに、ある種の欺瞞を感じている。だが、そうしなければ、他者との意味の交換が困難になるに違いない。しかし、より大事なのは、意味(本質)を感じ取ろうとする意志、そして感性であると思っている。それは、与えられた物語を鵜呑みにすることではない。自らの感性を働かせ、かつ高めながら、他者との共同作業を行っていくことである。誰もそんなことを望んでいないという声が聞こえる。そして私のような人間は不要だと思えてくる。
沖縄に生きる人間の姿(形)の中に「生命力」を感じた
そんな思いを巡らす中、沖縄の写真家の作品を見てエネルギーが湧いてくるのを感じた。1960年代から1977年ぐらいまでの写真だったが、その作品と沖縄に生きる人間の姿(形)の中に「生命力」を感じたのである。
行って良かった(見て良かった)。
実は、この写真展は自由に撮影をしても良かった。SNSに掲載するのが可なのかがわからないが数点、掲載しておく。ただ、石川真生氏(女性写真家)の写真だけは撮影禁止だった(プライバシーの問題と著作権のためだろう)。
石川真生氏の作品は「赤花アカバナー沖縄の女」というタイトルがついていた。主に米兵相手に商売をする女性たちの姿を写したものだった。
私は、その作品から見て取れる、写真家の心眼がとても優しく、かつポジティブなことに感動した。思い起こせば、若い頃の私は、石川真生氏のような信念の写真家になりたい、と思っていた。だが、すぐに諦め、なれなかった。きっと機縁が異なるからだろう。
私は、石川真生氏の数点あった作品の中で、沖縄の浜辺で、仕事仲間だと思われる女性達が乳房を露わにしながら肩寄せ合って、屈託無く笑う姿を撮った写真が、特に好きだ。その写真から、私はとても元気をもらった気がする。
1960年代の沖縄の光景からは、生命力の顕現が見て取れた。沖縄の置かれている状況からくる、怒りが見て取れる作品もあったが、その多くは島人(沖縄の人達の)の生命力、特に子供、若者、女性の生命力だったように思う。
さて、沖縄の写真に感動したからこそ生まれた、五行歌を掲載したい。沖縄の写真のおかげで、私の思いを五行歌という詩歌に昇華できた。山田實先生、比嘉康雄先生、平良孝七先生、伊志嶺孝先生、平敷兼七先生、比嘉豊光先生、石川真生先生、ありがとうございます。
追伸〜原点に立ち戻る
若い頃、写真学校で学んだ私だが、本当に勉強不足が悔やまれる。平敷兼七先生は私の学んだ写真学校の先輩だった。私が学校に通った頃は、まだ有名でなかったかもしれない(私の卒業後、「山羊の肺」という写真集を刊行している)。復刻版が出ていたので取り寄せることにした。「山羊の肺」というタイトルに惹きつけられる。一体、どんな思いが込められているのだろうか。一度、沖縄を旅して見たくなってきている。
最初、プライバシーの侵害や著作権の問題があるかと思って掲載しなかったが、最後の女性の写真は、私が好きな平敷兼七先生の写真の一つだ。優しい光に溢れている。他にも心に突き刺さる写真があった…。
沖縄の写真家の作品はどれも、とてもとても懐かしい感じがした。そして遥か彼方から呼びかけてくるような感じも受けた。私は、その呼びかけを大切にしたいと思っている。私には、このコロナ禍の中にあって、「原点に立ち戻ることが必要だ」という声が聞こえてならない。
[ほんとうのこと]
ほんとうのことは
わからない方がいい
ほんとうのことがわかると
自分が消し飛んでしまうような
気がするから
[善悪に拘る]
善悪に拘る
だが本当の悪が
誰にも
解らない
この絶望
[善い悪いより]
善い悪いより
仲間と支え合って
ただひたすらに生きる
人間には
それが大事
[夢の中で]
みんな夢の中で
さらに夢見るように
生きている
そして夢から覚めないようにと
祈っている
心一
追伸〜その2 友人のリアクションに対し〜芸術論/2020年11月9日
「映像を使って表現する詩が写真」「言葉を使って表現する写真が詩」
以下の五行歌が人に誤解を与えたかもしれない。SNSで友人からリアクションがあった。そのリアクションが不本意なものだったので、ある友人に相談すると、空手の増田が「絶望」なんて表現をしてはならない、と言う。また、人は先入観、否、それぞれの主観で判断するもので、空手家の増田 章は誤解を与えるような発言をSNSではしない方が良いと言う。
だが、私が伝えたかったことは沖縄の写真家の写真展で感じた写真からのメッセージにより、インスパイヤーされた「世界(人間と社会)」に対する思いである。私は沖縄の写真家の作品を見て、自分が見ている世界の在り方を見直したのだ。その「見直し」を詩歌で表現したのだ。
少し脱線するが、今回、写真芸術とは、「映像を使って表現する詩が写真」であり、「言葉を使って表現する写真(が詩」ではないかと思っている。もちろん、写真と詩が同じものだということではない。ただ、本質探求を通じ、新たな視点を喚起させるという点では同じではないかと私は思うのだ。できるなら、昔教わったことのある、故・重森弘淹先生(東京綜合写真専門学校 校長)に質問をぶつけてみたい。重森弘淹先生は生意気なことを言うなというかもしれない。だが、そんなことはないだろう。数回しか授業を受けたことがないが、やさしい先生だった。笑いながら受け止めてくれるに違いない。
話を戻せば、昔から私は自分の考えをオープンにするというスタイルを保っている。これまでも多くの誤解をされたに違いない。確かに、友人の言う通りかもしれないと思ったが、私はそれに従わないことにした。
実は今回、写真展を見て、4編の五行歌が思いついたのだが、その中の1編を削除した。「善悪なんてどうでも良い」と言うフレーズが誤解を生むと思ったからだ。だが、残した1編のみでは、「この絶望」と言うタイトルとフレーズが誤解を生んだのだと思う。
相談した友人には、「増田が絶望してはいけない」「少なくてもそれを人に見せてはいけない」と優しく諭された。なるほどとは思ったが、私は友人に対し、「申し訳ないがあえて妥協しない」と答えた。私は言葉による表現には影があり、その影も含めて理解しなければならないと思っている。難しいことを書くが、所詮、言葉では真理を表現できない。だが、それでも人は言葉を紡ぎ、真理を探そうとする。そもそも真理などどこにもないのかもしれない。あるのは、なんらかの表現手段を通じ、意味を紡ぎ続ける主体。だが、その主体の正体を人間はわからないままだ。それが人間存在だ、と私は思っている。
また、希望の影に絶望があり、絶望の影に希望がある。つまり、影を含めた光の当て方で物事の見え方は異なる。だが、ほとんどの人は、人工的な光に描き出された平面的な記号を消費しながら、生を繋いでいる。ほんとうは、自己の内面からの光を活かしながら物事を映し出さなくてはならないのに。
大げさに聞こえるだろうが、幼い頃、私の脳裏には「絶望」という言葉がよぎったことがある。それは言葉がよぎっただけであり、その際選んだ私の行動は、開き直りだった。「生きている間は絶望はない」そして、「生きている限りチャンスはある」と自分に言い聞かせた。同時に、私は「希望」という言葉をあまり好きになれなかった。なぜなら、幼い頃、明日は良いことがありますようにと毎日祈ったのに、良いことは、いつも訪れなかったからだ。
その代わりというか、ゆえに私は、「チャンス」を探し始めた。その一例が本を読むことだ。私は町の本屋が好きだった。そこに行けば、何か面白いことが見つかるかもしれないと思ったからだ。だが、それが私の希望だったのかもしれない。つまり、「チャンス」とは増田流の「希望」のことであり、希望とは物事の見え方が変わる「機会」があると信じることなのではないだろうか。人との出会いも「チャンス」である。私にとって「大山倍達」「極真空手」との出会いは、まさしく「チャンス」だったのだ。言い換えれば、人は機を捉えさえすれば、自己を活かして変われる存在だということである。うまく表現できないが、私の経験的直感である。
また、人は物の見方が変わる時に、人の行動も変わり、生き方も変わる。私は、その変化を掴む準備を続けているつもりだ。辛いのは、チャンスを掴むための準備は、いつも絶望を感じるような逆境から始まるのだ。また、その逆境の中においては、まず自らが言葉(定義)を変えなければならない。きっぱりと。それが難しい。なぜなら、これまでの概念を否定する要素が含まれることがあるからだ。その部分に誤解が生じる原因がある。ゆえに、友人が言いたいのは、人前では語り方を考慮してということだろう。だが、誤解を恐れたり、人の目を気にする自分自身の性質が、実は嫌いである。そして、固定された空手家、増田 章というイメージなど必要ない、むしろ破壊したいと思っている。そんなものにこだわることが、自己の可能性を妨げてきたと思っているからだ。
芸術表現とは
一方の芸術表現とは、誰がなんと言おうと自分の言葉(表現手段)を、そして詩を、そして写真を赤裸々に表現することである。表現が誤解を産んでも良いのだ。また、現実の否定と取られても良いのだ。否、むしろ現実を壊すぐらいでなければ芸術とは言えない。付け加えれば、今回の五行歌による表現には、社会が生産していると思われる、「希望」の欺瞞と「絶望」の正体を見極めたいと思う気持ちが含まれていたのだ。
今、世界中でコロナ禍による苦難にあえいでいる人がいる。また、差別、紛争、貧困、などなど、様々な困苦に対峙し、生きる人たちがいるに違いない。私の苦労なんて、その人たちに比べればとも思うが、そうは言い切れないとも思う。人は些細なことでも苦しむものだ。それを愚かだとは言ってはならない。なぜなら、愚かなのが人間なのだから。そう書くと、また誤解を生むだろう。丁寧に言えば、老若男女、世界中に様々な困苦に喘ぐ人たちがいるに違いない。そんな愚か者の一人として、私も人生を考えてきた。そのことが空手家、増田章らしくないというのなら、それは、あまりにも増田章のことを知らなさすぎるだけだ。
最後に、私が沖縄の写真家たちの作品に感じたのは、以下の2編の五行歌で表すことができる。陳腐な作品だと考え削除した。だが、それが沖縄の写真家の作品を見て一番強く感じたことなので、載せなかったことに後悔している。ゆえに追伸で追加した。友人に止められたが、本当の増田 章と付き合ってもらうために…。みんな知らないだろうが、私の祖母はとてもオープンな性格だった。生まれた家は金沢の花街の中の豆腐屋、育った家は、公衆浴場だった。場末の公衆浴場では、水商売、看護師、ヤクザ、肉体労働者、などなど、実に様々なお客が通ってきた。祖母はそんな客の姿を時々、子供の私に話して聞かせた。その内容は書かないが、底辺というと語弊があるが、ひたむきに生きる、人間の本当の姿を想像するに十分な内容だった(良い意味で)。普通の家庭では絶対に聞けない話だと思う。そんな環境に育った私には、沖縄の写真家が見た世界を親近感を持って感じることができた。ゆえに、よくぞ残してくれた、と感動した。
[善悪に拘る]
善悪に拘る
だが本当の悪が
誰にも
解らない
この絶望
[善い悪いより]
善い悪いより
仲間と支え合って
ただひたすらに生きる
人間には
それが大事
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