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Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
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「自分を極める」〜デジタル空手武道通信 第 40号 編集後記より

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「自分を極める」〜デジタル空手武道通信(会員向け) 第 40号 編集後記より

 

 【月例試合】

 昨年末から企画していた顔面突きありの月例試合がようやく実施できた。コロナの問題により遅れたのだが、むしろコロナのお陰で実現できたのかもしれない、とも思っている。なぜなら、コロナ問題がなければ、面防具を使った、組手稽古は受け入れられなかったかもしれないと思っているからだ。もちろん、現在も全ての道場生が積極的に顔面突きありのヒッティング稽古を行っているわけではない。

 

 だが、今回小学生から中学生、50歳未満の青年部、60歳代の壮年部を含めて、多くの門下生が新しい組手法の試合に参加してくれた。私が特に嬉しく思ったのは、60歳を超える壮年部の門下生が、積極的に試合を行なったことだ。その人達は、楽しみながら組手稽古を行ってくれている人達ばかりだ。つまり、ヒッティング方方式は正しく稽古すれば楽しいのだ。また楽しく稽古すれば、正しくなる。そのような確信が、私にはある。だが言葉で説明することは虚しい。体験してみればわかる。ただし、考え方と最初の50時間ぐらいの稽古法(体験)が重要だろう。

【本当の自由】

 年始の時点で、「顔面突きありは黒帯のみとした方が良い」と言っていた師範代が、最近は子供達に私の考えた「ヒッティング」を教えてくれている。小学生も3ヶ月足らずにも関わらず、非常に良くなってきた。だが、稽古時間が少ないことが、明らかに見て取れる。「ヒッティング方式の組手」はスキーの習得同様、センス獲得とそのセンスを磨くための経験量と理論の体得を主眼とする。これを伝えるのが難しい。一方、その事を一瞬で理解できる者はすぐに上達する。もう少しの我慢が必要である。

 現在は、当道場の師範代も五段位を目指し、さらに組手の実力を磨こうと行動してくれている。ゆえに今回の試合にも参加した。そして、他の道場生に比べ、数歩、先を言っていた。私が教えているのだから当然のことと言えばえば当然だ。おそらく、センスの優れた師範代にとって、ヒッティングの稽古は楽しいものだと思う。私にはみんなよりも早く、それがわかっていた、しかし、私は何かを恐れていた。その「恐れ」が私の心に不自由感をもたらし、かつ苦しめる。 

 

 さて現在の私は、空手武道理論をまとめたいと考えている。数年前から、構想を更新し続けているが、ここからが遠い。私自身が老骨に鞭打ち、一書生として、今一度、空手武道の修練に挑まなければならないと考えている。正直言えば、身体の具合は良くない。それでも、蓄えた体力と技能があるから、なんとか普通の人ぐらいには対応できる。だが、もう空手を極めるというレベルではないかもしれない。しかし、身体の不自由を受け入れるからこそ、自分の身体と心を極めることができるのではないかと考えている。また、そこに本当の自由がある。

 

【極真とは】

 ここで言っておきたい。私の空手理論では、「極真」とは真を極めると書いて、その意味は「自分を極める」ということだ、と思っている。もちろん本物を極めるという意味も含意しているだろう。しかし、本物を認知、認識するのも自分の身体と心なのだ。また、私は本物も偽物もどうでも良い。さらに言えば、偽物とは自分を偽ることであり、自分を偽らず、自分を活かすなら、それは本物なのだ。自分を偽らない。これが難しい。みんな自分を偽っている。私も長く自分を偽ってきた。だが、もう偽ることをやめたい。できるなら…。幸いなことに、増田章という人間は、偽ることが下手な人間だ。

 

 もうひとつ、「極真」の「真」とは真理のことではなく、自分の身体と心で感じたことを掘り下げ、その感覚とイメージを本当に我がものとすることだ、と私は考えている。それが自分を極めるということである。平たく言えば、どんな状況でも自分を大切にできるような感性を涵養することと言っても良い。同時にそれは他己を大切にできる感性を涵養することになる。難しく言えば、自分を存立させている基盤が、自分の正体であり、かつ、その基盤が他者を感じ、認識しているのだから。

 

 もちろん、自分を極める手段は、何も空手に限ったことではない。だが、本当に徒手空拳で、道具もいらない、そして自分の「身体と心」と他者のそれと対峙する徒手格闘術、つまり自分と相手との対峙を基本とする空手武道が最善の手段だと言いたい。ただし、理念と手法が正しければの話だが…。これは調子に乗った言い過ぎだ。勘弁して欲しい。

 

 言い過ぎのついでに言えば、拓心武道メソッドには、「基ー型ー形(キ−ケイ-ギョウ)」の段階と階層がある。基本を極め、組手型を極め、組手を極める。言い換えれば、明確な理念と手段を有する空手の基本稽古において、自分の身体と対峙し、組手型の稽古で自他の関係性を学び、さらに組手により、自己を更新、かつ創造していく。そのような構造を有する空手武道なら、一人ひとりが、自分自身の可能性を開拓し、かつ、感覚(センス)を研ぎ澄ましていくだろう。また、そこで得られた感覚により、自分を尊重する精神を涵養し、かつ他者の感覚を尊重する意味を紡いでいく。そんな空手武道が拓心武道なのだ。また、そんなあり方が、私の考える「極真」でもある。

 


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