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Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
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敬老の日に〜60歳を超えて心身の健康を維持する手段

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敬老の日に〜60歳を超えて心身の健康を維持する手段

 

 

 若くして亡くなった母に感謝、私を可愛がってくれた亡き祖父母に感謝、偏屈だが、放任主義の優しい父、本当にありがとう。墓参りと父の顔を見に故郷に帰りたいが、コロナ問題で帰省ができない。

 

 私も58歳である。あと1年半ぐらいで60歳だ。現在、60歳は老人ではない。老人といえば、70歳ぐらいからだろうか。

 

【60歳から体力は急激に下降する】

 

 テレビで60歳から体力は急激に下降すると統計が表していると喧伝している。テレビでは、そのことに対する対策として、サプリメントを勧めている。

 私は、サプリメントの摂取は悪いことではないと考えている。私も長年、アミノ酸を飲み続けている。だが、より大事なことは、身体を上手に使い続けることだろう、と思っている。また、60歳からの身体との付き合い方を準備しておくことが、万人に有用なことだと思う。

 

 60歳からの人生、より良く、かつ身体をより長く使い続けるためには?まず、身体的には、筋力の低下を抑えること。次に心肺機能を維持することだろう。さらに、身体のみならず、心理的な健康を促す、知的好奇心を持ち続けることも重要だと思う。

 

 より具体的、かつ提言的に言えば、60歳以降に「①全骨格筋の能力(柔軟性、筋力、神経回路など)を維持する運動(全身運動)」「②適度に心肺機能に刺激を与える運動」「③頭を使う運動(知能を使う運動)」「④知的好奇心を刺激する運動」という4つの要件を充たす運動を定期的に行うことが効果的だろう。

 

【60歳を超えて心身の健康を維持する手段】

 さて、60歳を超えて心身の健康を維持する運動(手段)として最適なことは、スポーツを趣味とすることだ、と私は思っている。だが、心身を勝利のために極限まで追い込む、チャンピオンスポーツのことではない。先述した①〜④の要件を満たすスポーツを、生涯を通じ、怪我せずに行うことがベストだと考えている。補足すれば、④の知的好奇心の部分に関しては、スポーツ(運動)以外のことで代償しても良い。つまり、スポーツ(運動)とは別の趣味を持つこともでも構わない。もちろん、そのスポーツ(運動)自体が知的好奇心を刺激すること、また、そのスポーツ(運動)に付随した知識の収集を楽しむことがベストである。そのような運動として最適なのは、登山(あまり高い山でなくて良い)やテーブルテニス(卓球)、テニスなどが挙げられる。もちろん、ゴルフや水泳、スキーなども良いと思う。だた、ゴルフは運動量が少ない。水泳は単調すぎる。スキーも上達すれば単調、上達すれば危険である。また環境(寒さ)がストレスとなる。もちろん反論はあるだろう。また、個々の好きなスポーツを否定するつもりはない。あくまでも、心身の健康維持という目標達成に効率が良いスポーツという観点である。

 

 少し脱線すると、私がいう頭を使うとは、スポーツに内包される、戦術を考え、技術を工夫し、それを活用して、自他とコミュニケーションを行うという知性的な面のことである。補足すれば、本来、脳(頭)は身体と一体である。そういう意味で、スポーツや競技において、身体を使うとは、脳(頭)と体を同時に使うことだと考えている。ゆえに、運動の中でもスポーツが良いというのは、脳と身体を連携させて使うからだ。また、競技スポーツでは、心と体を鍛えるとよく言う。だが、私が心と言わず、あえて知能と言ったのには意味がある。ただ「心」とすれば、感情的な部分を喚起する傾向があると思ったからだ。もちろん、感情を刺激することも脳を使うことに他ならない。また、知能には、感情的な要素がトリガー(引金)となっていると想像する。それでも、感情的な部分を強調したくなかった。そして感情的な部分のよりポジティブな面を「知的好奇心」に包含した。

 なぜなら、「スポーツにおける心」というのは、「知・情・意を統べる領域」だと定義し、もっと大きな視点から心を扱いたかったからである。さらに「心」の定義をより明確にし、かつ「感覚と体を統べる領域」である「身」を定義し、それらの両面を高める効用が、スポーツにはあると定義したかったのだ。また、そう定義しなければ、より高いレベルのスポーツ、そして競技の指導はできない、と私は考えている。現在、私が提唱している、拓心武道における「心」とも、知・情・意、すなわち、知性、感情、意志を統べる領域のことである。そして、その領域を開拓することが「拓心」の意味に他ならない。併せて、感覚と体の領域である「身」を開拓していくことがヒッティングを含む、拓心武道メソッドの目標と言っても良い。

 

 ここで話を戻すが、60歳以降の心身の健康維持を目的とする手段にスポーツを行うには、若干の問題点がある。それは、テニスなどは、体の一部に負担をかけすぎるという面があることだ。具体的には、テニスには膝や肘への過剰な負担が考えられる。実は、ほとんどのスポーツには、傷害の危険が伴うことを完全に排除できない。比較的、傷害の危険性の低いスポーツもあるが、短時間で全骨格筋の能力、心肺機能、脳への刺激を弱から強まで幅広く行えるという点まで考慮すると、テニスなどは最適ということになる(全てのスポーツに言えることだが、相手を含めた場へのアクセスの問題があるが、場の形成とアクセスに関しては、健康維持に必要なことだと思う)。

 また、傷害の危険性に関しては、身体運動学などに根差した、科学的なフイジカル・トレーニングによって予防し、かつ、調整しながら行えば、テニスなどは、健康維持にとって最適なスポーツとなるだろう。補足すれば、フイジカル・トレーニングは、傷害発生後の、機能障害や代償動作からの正常な機能回のためのリハビリテーションも含んでいる。要するに、スポーツを行うには、スポーツを行うための、機能維持や機能向上のためのトレーニングを併行して行うことが肝要だということである。

 

【拓心武道ヒッティングはテーブルテニス(卓球)やテニス同様の効果が得られる】

 ここで提言したいことは、先述した「①全骨格筋の能力(柔軟性、筋力、神経回路など)を維持する運動(全身運動)」「②適度に心肺機能に刺激を与える運動」。「③頭を使う運動(知能を使う運動)」「④知的好奇心を刺激する運動」という4要件を充たす運動として、拓心武道ヒッティングが良いということである。

 拓心武道ヒッティングはテーブルテニス(卓球)やテニス同様の効果が得られるだろう。否、テニスよりも短時間、かつ、少スペースで、それら以上の効果が得られるに違いない。その上で、スポーツとは異なる独自の効果を得られる。具体的には、護身術としての効用、また先述したように「心」と「身」の両面を鍛え上げるという効用である。

 

【拓心武道ヒッティングは、修練法として全ての空手から独立し、かつ繋がっている】

 ここでなぜ、私が空手と言わないかについて述べておきたい。現在、全ての空手が、先述したような面、効用を意識しているとは思えないからだ。あえて強調しておきたい。拓心武道ヒッティングは空手を基盤としながらも、心身の修練メソッドとして、より強く専門性を追求することを企図している。それゆえ、拓心武道ヒッティングは、修練法として全ての空手から独立し、かつ繋がっているのだ。

 私の論を我田引水と思われるかもしれない。だが、強い信念がなければ生きていけない(私は絶えず自分の信念と対峙し、それを批判(吟味)しながら生きてきた)。

 今、もう少し若い頃(20年ぐらい前に)に行動を起こせば良かったと思っている。なぜなら、TS方式(ヒッティング)の組手と極真方式の組手を併行して行っていれば、かなりの技能が体得できたと思うからだ。ただ、愚鈍な私には、時間が必要だったのだろう。体が駄目になりかけて、ようやく決心がついた。

 

【もう一度】

 今、私の体は、20歳代の頃のようには動いてくれない。身体はもう少し大切に扱えと、すぐに悲鳴をあげる。だが、それは大事なことだと思っている。もっと身体に気を使うこと。近いうちに、老人となる日に向けての心構えだ。要するに、痛みは、身体にとって重要な反応であり。本当は、身体の反応にもっと敏感になる必要があったのだろう。我が身体に対し、これまで、私に付き合ってくれてありがとう、と言いたい。随分、無理をさせてきたと反省している。当然、周りの人たちの身体にも気配りをしたい。

 

 20代の頃、早朝、朝日を浴びながら走った。今日1日を懸命に生きるために、また明日を夢見て…。我が人生も段々と終わりが近づいて来た。だからこそ、もう一度、自己の可能性にかけてみたい。

 

 

拓心武道HITTINGの稽古

 

 


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