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Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
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新型コロナウィルスに思う〜2020年9月19日

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新型コロナウィルスに思う〜2020年9月19日

 

 

 一体、新型コロナウィルスの終息はいつ頃だろうか。おそらく完全な終息はないだろう。やがて感冒の一種として扱われるに違いない。そして、完全なワクチンもできない可能性が高い。ただ、重症化を避けるぐらいの薬や対応策ができるだろう。それでも老人や身体の弱い人は死亡することもあるに違いない。要は半永久的に感染に気をつけるしかないのだ。

 実は、意外と大雑把な私は、これまで毎年のように風邪を引いていた。私は体温が低いようだ。また免疫力が弱いのだろう。そんな私も今年は風邪をひかない。だが、感染したら、免疫力の弱い私は、重症化するかもしれない。

 私は、今回のコロナ問題の中、免疫力を上げる食事を心がけてきた。今後も、その心がけを継続したい。私は仕事があるので、絶対に感染したくないと思っている。否、感染できない。だが、現在のような過剰とも言える、感染予防の態勢がいつまで続くかを見とおさなければならないとも思っている。

 現在は、人と会うことや出かけること、飲食店を訪れることも憚れる。だが人と会うことも大事だと思うし、こんな状況だと、周り回って、私の仕事にも影響がある。

 本日から連休に入ったが、久しぶりに空港には大勢の人が集まり、高速道路は渋滞、ある温泉街は、予約で満杯らしい。おそらく、連休後は感染者が増えるだろう。だが、その数字次第では、みんなの警戒心が解除される可能性があるとも思っている。現在、メディア(テレビや大手新聞)や専門家は、大丈夫だとは絶対に言えないのだろう。なぜなら責任を取りたくないからだ。気をつけるように言っておいた方が無難である。

 私は感染者が予想より高いか低いかで潮目が変わると思っている。誤解を恐れずに言えば、メディアや専門家の意見が外れるようになれば、世間の意識は変わると言うことだ。もちろん、天気予報や世論調査は当たるようになってきているようだ。それでも、まだまだ本当のことは誰もわからないと言うのが現状ではないだろうか。そもそも、完全に予想できたら、人間社会はおかしくなるだろう。だが、世の中は、全てを予想したがっているかのようだ。そのことによる混乱、暴力が静かに近づいていると言うことも知らないで。

 さて、今回の連休後(1、2週間後)、東京で感染者300名以下だったら安心、400名台だったら注意。500名以上だったら、再び警戒。そんな風に世間の空気が変わるのではないだろうか。もちろん、コロナに関して私の書くことは、与太話で、あてにはならない。野球の予想ぐらいのものだ。コロナ問題を野球の予想同様に論じることは、不謹慎だろう。だが、我々の気分が変わることが問題だと思っている。そして、私も含め人間の気分は思うようには変わらないだろう。とは言うものの、簡単に変わるのも人間の気分である。私はそんな傾向が嫌いなのだ。政治しかり、経済然り、もっと地に足をつけて生きていきたい。また、本当のことが知りたい。コロナ問題は現実である。だが、我々は本当のことを知っているのだろうか。

【言いたいこと】

 最後にいくつか言いたいことがある。一つ目は、医療制度、医療体制を整えなければならないということ。なぜなら、同様なことが起こるに違いないからだ(また継続中でもある)。

 政治家の方々は当然のことだというかもしれない。だが、本当に現在の医療システムで良いのだろうか。医療システムにまで、新自由主義のいう民営化をあてはめてはいないだろうか。おそらく、何らかの理由があるに違いないが、乱暴な言い方をすれば、取捨選択が正しいのか。既得権益者に阿っていないか。本当に大事なことを見逃していないか。

 我が国とアメリカ社会の成り立ちとは異なる。日本には社会民主主義とも言えるような、日本型民主主義がある。その土壌を、アメリカを信奉する一部のエスタブリッシュメントの思想によって汚染させて良いのか。私はそんな危惧を持っている。一方で、国であろうが民であろうが、マネジメントという概念を有するべきだとも思う。その上で「公共」という国家と民間を分けない、新たな価値観、思想を基盤に社会システムを作るべきだ、と私は考えている。

 二つ目は、政治家は、大きな政府、小さな政府の二項対立で物事を考えてはならないということだ。私は、日本独自の道を行けば良いと思っている。また、その道を開拓せよ、と言いたい。そう言えば、お前はグローバル社会の中で生き残ると言うことを理解しているのか、と噴飯されるに違いない。だが、そのグローバル社会というのも怪しい。もちろん「世界の中の日本」という視点は良い。だが、株価に左右され、金ばかりを追いかけて良いのか。もちろん、国や国民に金がないと幸福が担保されないことはわかっている。だが、使い道はちゃんとしているのだろうか。私は、日本国民の知性や情熱を育み、それを後押しするようなお金の使い方をして欲しいと考えている。

 私は、今はそれどころではないと言われるかもしれないが、国民教育にお金をもっと使って欲しいと思っている。そのためには、若い人から活動原資を奪っている通信料に関しては考えてほしいと思っていた。また、新しく立ち上がった菅政権が掲げる不妊治療費の保険適用拡大は重要だと思う。

 今、菅総理や河野太郎大臣への期待が高まっている。私の意見としては、菅総理には、明らかに格差がある、教育を受ける国民の権利に着目して欲しいと思っている(良い大学には親の経済力がなければたどり着かない、レベルの低い大学に国民の富が吸い取られている)。具体的には、現在の枠組みを生かしながらも、教育機関へのアクセスをもっと自由にすること。言い換えればオープンで自由、かつ公共性の高いものとすることである。

 現在の教育機関は、まだまだ閉鎖的、かつ封建的だと思う。もちろん、伝統的な教育機関も存在して良い。だが、そのような教育機関ばかりでは、より多くの人の可能性を活かせないだろう。私の意見には、誰も賛同しないかもしれない。嫌味な言い方だが、権力の中枢には、これまでの学校教育で悩んでこなかった人達、かつ、その恩恵を被ってきた人達ばかりだろうから。

 

 

 

 

 


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