新しい武道スポーツ競技の競技規定
新しい武道スポーツ競技の競技規定に細かい修正を加えた。メジャースポーツを目指すようなものではないが、極真空手道を補完する役割、また生涯スポーツ、生涯武道として人と社会に有益なものになると思っている。その名称を最終的に「ヒッティング」とした。今後、理念と武道人精神を理解し、それを一緒に具現化しようと思ってくれる人達には仲間に加わってもらいたい。
本日、修正した点で大きな点は、「画龍点睛を欠く」とならないよう、理念に力を入れ、再考を繰り返した。少々、力みすぎたかもしれない。仲間に意見を求めるため、掲載しておく。
脚の治療とトレーニング、競技規定の修正、昇級審査項目の改訂、顔面突き有りのヒッティングの練習方法の確立、大山先生の古伝の研究などなど、時間が足りない。
レスリング観戦は楽しかった〜レスリングの全日本選抜
さて、そんな忙しい中、レスリングの全日本選抜に向かった。私は、昨日も遅くまで作業していた。そんな中、午前中にコーヒーを飲みながら資料を読み込もうとしていたら、家内がレスリングの伊調選手のことを話してくれた。家内は伊調選手が贔屓らしい。私も伊調選手が好きである。もちろん、他の選手もみんな娘、息子のように可愛らしいが…(最近は若い人を見ると息子や娘のように可愛らしく感じる。例外もいるが)。
単なる気まぐれだと思うかもしれないが、私はヒッティングの競技規定のためのヒントに出会うと感じた。私は作業を一旦中断し、アイデアが沸くことを願いながら駒沢公園へ向かった。
もちろん、作業が山積していたので、伊調選手の試合だけ見たら、すぐに帰宅しようと考えていた。ところが、伊調選手の試合はほぼメインイベントだった。脚が痛い中、どうしようかと思っていた。私は太田先生のことを思い出し、先生にメールした。すると電話をくれ、挨拶に伺ったら、一緒に観戦することができた。太田先生とはかなりご無沙汰していたが、最近早大極真会の会合で久しぶりにお会いした。今回も突然のメールだったが、いつもながら飾らず、気さくで、親切な先生である。今回、グレコの選手の試合やフリースタイルの多くの選手の戦いを見ることができた。また、レスリングのルールが大体理解できた。何を今更、「お前はレスリングのルールを知らなかったのか」と思われるだろう。実はよく理解していなかった(だが、私は高校生の頃レスリングの試合に出たことがある)。まずはルールの理解だなと、改めて思った。
競技ルールを理解すれば、競技に勝つために何をすれば良いかが想像できる。少し脱線するが、極真空手のルールはスポーツとしてダメである。私には勝つために何をすれば、真の意味でわからなかった。笑うだろうが、スーパーマンのように空を飛ばなければ勝てないのではないかと思うぐらいだった(私は空を飛べないにしてもムササビのように空中浮揚ぐらいはできるかもしれないと修練に励んだ…比喩であるが)。その意味を皆は理解できないと思うが、ある限定の中で競技を行い、その中で人より抜きん出るには、上に行けば行くほど、技術はどんぐりの背比べとなる。ゆえに技能の差が物言うはずなのだ。本来ならば…。その技能が発揮できない、また評価しない競技は、競技として欠陥があるのだ(意味がわからないだろうな、多分)。また、全日本で優勝する前、象徴的な出来事として、私の極真空手の先生が「極真会館の全ての支部長に年賀状をかけ」と真面目に教示してくれた。もしかすると、正しい教示なのかもしれない。もちろん、先生には感謝している。だが、私の求めているものと本質的に異なるという感覚は否めなかった。そんな世界が公正な世界だとは思わない。極真空手の致命的な欠陥はスポーツに必要な公正性がないことである。もちろん「VAR」のなかった時代のスポーツに、審判によるミスジャッジがなかったか、と言えば、あるのも事実である。だが、そんな次元ではないのだ。あえて言うが、極真空手の試合は大山倍達師範が自流を世間に顕示すために行った興行という側面が否めない。ただし、剣術が撃剣興行を経て、剣道となったように、空手が発展継承される過程で、大山先生が構想した戦略と戦術は、必要だったかもしれないとも思う。おそらく、新しいものが生み出されるためには、興行的なものが必要なのだろう。だが、剣術家はその哲学を剣道理念へと昇華させていった。その面は見習うべきだと思っている。断っておくが、私は剣道が完璧なモデルだと言っているわけではない。ただ、ひるがえって空手界を眺め、その精神の貧困を感じるだけである。このように書いて、ピンとくる人もいれば、何を言っているかわからない人もいるであろう。当然、後者が多いと思う。その原因は、多くの人が競技をやり込んでいないし、厳しい勝負の経験がないのだろう。また、極真会館には特権階級が存在している。その特権階級が損しないように組織が動いているからだろう。
私は、斯界の発展には、改革を行うリーダーが必要だと思っている。また、リーダーは公正性を重んじなければならない。それは平等性とは異なる。「極真会館にリーダーはいるか」「社会にリーダーはいるか」「お前はリーダーか」それが幼い頃からの心の叫びである。極真会館には良いリーダーがいない。補足すれば、弟子にとって良い先生はいるだろう。弟子にとって良い先生というのは大事である。私にとっての浜井先生、山田先生は良い先生だった。感謝している。だが、私が言いたいのは、斯界のリーダーの養成を誰も考えないのか、ということだ。そのためには、まず志が重要だと思っている。先生は高い志を持てと、弟子を叱咤激励するべきだろう。異論はあると思うが、私の目には志の高いリーダーがいるとは思えない。皆良い先生止まりである。なかには、良い先生でもない人もいる。私も良い先生ではないかもしれない。ただ、志だけは高い。みんな、こんな先生はいらないかもしれない。厄介な奴だと思われているだろうな。多分。私も、一仕事、成し遂げれば、皆を暖かく見守るだけにしたい。
競技ルールを理解すれば、スポーツは面白い
実は最近、テニス観戦が大好きである。たくさんプレーを見ていると、その動きができるような感覚に陥る。しかし、それは間違いだとわかっている。その道の一流選手のような動きができるわけがない。実際のプレーをするには技術が必要である。その技術の獲得がまずもって大変なのだ。さらに、技能の獲得がそれに加わる(実は本日、技能獲得の理論を考えるための資料を読み込もうと考えていた)。それでも、増田式空手メソッドを応用すれば、テニスだって、レスリングだってそれなりにできるとも思っている(誰でも)。
それはさておき、スポーツは競技ルールが理解できると面白くなる。ただ、レスリングのルール場合、少し難しい部分があった。それはタックルとタックルに対する反撃の投げが交錯する状態でのポイントの部分。また、チャレンジという制度が1回のみであること。また、チャレンジして失敗すると、相手に1点が加点されるという点、などがテニスなどに比べ、わかりにくい。また、3ピリオド制から2ピリオド総得点制という方式も、それで良いのだろうか。もちろん、男子女子とクラスや階級が多く、あまり試合時間が長すぎると競技大会がし難いということだろう。特に男子は女子よりも展開が早い。ゆえに素人には理解が難しいように思う。一方の女子は、力がない分、わかりやすいと言ったら語弊があるだろうか。とにかく、レスリングとレスラーには優れた技術と技能がある。その技術と技能を観客と共有、共感できるようにすることが、メジャースポーツへの道なのではないだろうか。
仕事の途中なのに、かなり長居をしてしまったが、新しい武道スポーツの競技規定作りにレスリング観戦は役立った。また、私が研究している「技術と技能」についての論文に関するひらめきもあった。大仰にいえば、運動学に関する論文だが、太田先生には、運動学という学問自体が古いと言われた。また、「スポーツや武道は哲学だ」と言ったら、「違う」と言われた。もちろん、嫌な感じではない。素直な意見であり、感謝している。しかし、私はドン・キ・ホーテのごとく見果てぬ夢に突き動かされている。現実の仕事よりも、その論文を書くための資料の読み込みと思索が大事だと思う、私がいる。困ったものである。そのうち家族からも見放されるときがくるかもしれない。
私は、いつもアンバランスな自分と格闘している。それでも、今日は収穫があったと思っている。新しい武道スポーツへのヒントも数点浮かんだ。駒沢体育館から帰宅後、いつでもセミナーツアーができるよう、準備のためのトレーニングをしにジムへ出かけた。ただし、下半身は痛むので休めた。トレーニング後、アイディアが湧いた部分を追加、修正した。次は、練習体系の完成である。
修正:2019-6-17
「基本3分間の本戦と2分間の延長戦と再延長戦だが、トーナメントによる競技大会以外も想定し、競技大会の形式によっては、3セッマッチも有りとしたこと。すなわち、3回競技(試合)を行い、2セット先取した側を勝者とする形式も可と明記したことなどである。競技時間が長くなるが、レベルの高い選手同士なら、そのような競技形式もありだと思っている。前もって、そのような形式も可としただけである。実験をしてみたい」以上の文を削除した。
防具をつけた試合で競技時間が長くなりすぎると良くないと、考えるからだ。まずは実験をして、よければ、競技規定に加えれば良い。失敗した。金曜日に胃カメラを飲み、問題なかったが、少々胃炎と逆流性の炎症があった。金、土、日とPCに向かいすぎた。睡眠不足と胃が痛い。気をつけたい。
第1節 ヒッティング競技の目的と理念
本規定は、手足を用いた突き、蹴りなどの攻撃技を相手の身体に当てる技術を競い合う、ヒッティング競技の内容を示すものである。ヒッティング競技試合とは、突きや蹴りなどを当てあうことによるダメージを防具により軽減し、その有効、無効をポイントで表し、そのポイント数で勝敗を決するポイント制競技である。なお、ポイントの判定基準は、技の正確性である。また、身体的ダメージによるノックアウトは判定基準に設定していない。そのことにより、突きや蹴りの当て合いなどの武技の駆使を老若男女が行えるよう、安全性を確保する。
その意義は、老若男女が長期にわたり、競技を繰り返すことを可能とすること。そのことにより、その技術のみならず技能を高め、一撃必殺の武道哲学を心撃必活の武道哲学へと昇華することにある。ゆえに、その競技理念の核心は、勝者を決するためにあるのではなく、競技者が共に武の理法を学び合い、無益なダメージの与えあいを避ける道を知ることにある。その道とは、自他一体の理法を知ることであり、他者を生かし自己を生かす道を知ることである。
なお、ヒッティング競技者は、我々が唱える武道人の一員として、「仁(Perfect Virtue)」「智(Sense)」「勇(Courage)」の醸成を目指す、武道人精神(BudoMan Ship)を念頭に置き、活動することとする。さらに、ヒッティング競技は、競技の普及を通じ、自他の平和共存、人間完成を図るための「悟り(Enlightenment)」をゴールとする武道人の育成を目的とする。
補足
「智」を「sense」とするか「Intelligence」か迷っている。ここでは、「sense」とした。
なぜなら、インテリジェンスは、今後AIとの共同作業となると思う。そうなると、心身に内在すると思われる知性、すなわち感性が、人間としてより重要になるのではないかと直感している。ゆえに智性を「sense」とした。増田の論文のテーマもそこにある。