日誌/6月22日
ここ10日間ほど、TS方式空手武道競技規程を改訂することや昇級審査の審査項目の改訂など、仕事に夢中になっていた。また、新たな決断の発表の準備をしていた。そのことは次回のブログに掲載したい。
悪い癖だが、集中しだすと徹底的にやらないと気が済まない。PCに向かいすぎたせいか右目が腫れて見えづらい。眼科で「ものもらい」だと診断された。人相が悪くなったと娘に言われた。一方の家内と息子には、全然変わらないと、相手にもしてもらえない。娘の方に愛情を感じた。
さて、TS方式空手武道競技規程とは、私が考案した組手競技法のことであり、今後、IBMA極真会館の組手修練や昇段審査の手段となる。また、その組手競技法は、私が長年構想してきた新しい武道スポーツの発展系である。これまで、私はフリースタイルという空手武道競技を作った。しかし、私の体の怪我や資金不足などの理由で、しばらく塩漬けしていた。
TS方式とは、通称「ヒッティング競技」とした。詳しくは、まだ実験段階なので、書くことを省略したいが、ヒッティングはIBMA極真会館の修練体系の柱である、基本、型、組手、武道哲学の内、組手修練の核となる。また、ヒッティングは増田式空手メソッドの柱でもある。
増田式空手メソッドに関しても、詳しく書くには、もうしばらく時間を要する。大まかに言っておけば、極真スタイルの組手法に増田章の技術と技能のエッセンス、武道哲学を盛り込んだ、「ヒッティング・ベーシックスタイル」。次に顔面突きを取り入れた「ヒッティング」、究極形として投げや背後取りなどを取り入れた「ヒッティング・フリースタイル」の3種類がある。フリースタイルは、10年前に着手した、フリースタイルカラテの発展系である。
ここで断っておきたいが、今一度原点に戻り、突き蹴りの打撃技の習得に重点を置くということである。ゆえに、「ベーシックスタイル」と「ヒッティング」を主体とした稽古を門下生に指導していきたい。もし余裕ができたらフリースタイルもやりたいと思っている。約1年かかったが、6月23日「ベーシックスタイル(TS方式)」の試験的な交流試合がある。まだ理想形には程遠いだろうが、なんとかここまでたどり着いた。
交流試合の前、秋吉以下、黒帯達はTS方式の理解に頑張ってくれた。だが正直、理解は35パーセントと言ったところだろうか。いつもながら、胃に穴が開くような毎日だが、必死に耐えている。
だが、私の心中には希望がある。なぜなら、ヒッティングという組手法を稽古の中心に据えれば、一人ひとりの心身に空手武道の技術を植え付け、技能を引き出すための本当の武術修練を行うことができると確信しているからだ。これまでも理想を目指して頑張ってきたが、うまくいかなかった。だが、失敗ではない。あえていうならば、失敗・挫折経験の発展的解消、すなわち成功への道なのだ。
私の直感が正しければ、極真空手が、柔道のようによりわかりやすい武道となる。武道愛好者の中には柔道を馬鹿にする向きもあるが、あらゆる角度から考え、嘉納治五郎師範が創設された新しい武道「柔道」とは、優れた教育システムであると思う。これ以上は、いつか武道に関する論文をまとめ発表したい。そして、誤解を承知で書いておけば、空手の伝統型など、単なる古典詩の暗唱と解読にしか過ぎず、真の身体知を引き出す教育としては不十分だと考えている。もちろん、古典詩のような型の暗唱や解読から学ぶことも多いし、それは嫌いではない。しかし、それが空手の全てだとは、少なくとも私の空手の真髄は組手と組手型にある。
増田章は門下生に空手をより好きになってもらいたい。長く好きでいてもらいたい。そんな想いで一杯なのだ。ただ、空手に対する認識の次元が違いすぎるので、それを翻訳して伝えなけれなばらないだろう。これまで、私の道場に翻訳機があれば、もっと門下生は満足するだろうと思っていた。しかしながら、翻訳機はなかった。ベタな私は、私の言葉の文法を覚えて欲しいと教えてきた。それが、うざいことだとわかりながらも。だが、繰り返し言っておきたい。私のできることは、みんなもできる。より上手くできるかもしれない。ただし、私の言葉と文法を理解したならばだ。
残念ながら、現在、私の考えを完全に理解するものは、1割もいないかもしれない。もし私の決意が、道場を悪い方向に向かせるのであれば、私は門下生に道場を譲りたいと思っている。
今、実現しようとしていることの萌芽は、私が極真空手の全日本選手権に初出場した時に遡る。私は18歳、全日本選手権の2回戦で時の全日本チャンピオンの三瓶先生と3回の延長戦を戦った時からである。
極真空手を最高の空手にする、それが私の人生をかけた悲願である。40年近くの歳月が流れた。そして極真会館は分裂した。それでも、極真会館2代目館長の松井氏と和解することができた。私は極真会館が未来永劫に続くように願っている。そしてそのために微力ながら尽力したい。松井館長も年齢を重ね、人間が深くなったと思う。現在の私は、松井館長の組織の人間ではない。しかし同じ大山倍達先生の薫陶を受けた者同士である。私は大山先生の遺産を引き継いでいる松井館長をできるだけ盛り立てられるようになりたい。なぜなら、それが大山倍達先生に対する恩返しだと思うし、かつ極真会館を残す道だと思うからである。ただ、極真空手を最高の空手にするという命題に関しては、私はうるさいことをいう男として嫌われるかもしれない。