夢を信じる〜「令和」版
「夢を信じる」私が極真空手の選手だった頃に心に浮かんだ言葉である。
「世界一になる」と公言してはばからなかった10代後半から20代頭の頃、生意気なやつだと、言われていたに違いない。
私は生意気だったが、同時にとても素直で正直な男だったと思っている。自分でいうのもなんだが…。それがアダとなったかはわからないが、なかなか人に認めてもらえなかった(本当は認められていたのかもしれないが)。そして、世界一になると言い始めた20台前半、生意気の絶頂の頃から、10年近くもの年月を要して全日本選手権で優勝することができた。
周りは、増田はチャンピオンになれずに終わると、言っていたに違いない。99パーセントの確信がある。さらに言えば、私を支えた友人も内心はそう思っていたに違いない。それでも無邪気に夢を追い続ける私を友人たちは応援してくれた。感謝している。
そんなことがわかっていたから、私は「夢を信じる」と言った。夢を信じるとは、自分を信じることだが、自分を信じるとは、人が言うほど簡単なことではない。当時、したり顔で、説教をする先輩はいた。今なら、論破できる。自分なんかどこにある。そんなものを信じてどうする。ならば、「夢とはなんだ」「夢は夢ではないか」と返されるに違いない。野球のある天才ピッチャーは、「僕は夢など持たない」と言うようなことをいった。私からすれば、それこそが生意気とも言える。自信の塊だったのだろう(今はどうか聞いてみたい)。私には、そんな自信などなかった。また余裕もない。だから、独りでありとあらゆる努力をし、勝つための準備をした。宗教にもすがった。全ては、予測などできない将来を信じるためだった。しかし、その準備をしては失敗し、また準備をしては失敗すると言う経験が、私の中に豊富なデータベースを作った。
当時の私の考えは、何一つ完全な予想などできない、何一つ確信など持てない、極真空手の判定法や人生に対して。それでも、それを受け入れ、かつ自分の全てをそれに捧げる、ということだった。そして夢に賭ける。私にとって、それは祈りでもあった。またそれは、「いつ死んでも悔いなしという覚悟」でもあった。もう一度、そんな生き方をして見ようと思っている。
もう、身体のあちこちが痛くて、思うように動かないにも関わらず。しかし、だからこそ面白いのだ。その方が知恵が湧いてくる。動かない身体になってきたからこそ、身体の気持ちがわかってきた。これからは、「身体」とは本当のパートナーになれると思っている。もちろん「心」ともだ。今だからこそ、もっと良きパートナーになれる。
さて、今から20数年前、私の極真空手家としての生き様を見ていて欲しかった大山倍達総裁が亡なった。その喪失感の中、さらに追い討ちをかけるように極真会館が分裂した。
私は、無我夢中で道を探した。だが、道は見つからなかった。それが今、憑き物が落ちたように、道が見える。それは蜃気楼のような、幻のようなものかもしれない。しかし、それは肉眼で見えるものではない、私の心眼に見えている。
そんな中、「夢を信じる」という言葉を思い出した。
おそらく、私の人生は10年もつかどうかわからない。「そんなことを言う奴に限って90歳まで生きる」などと言う輩が多いが、「それならそれで良い」「嬉しいことだ」だが「それを誰が保証できると言うのだ」大山先生もそう言われて亡くなっていかれた。
ゆえに私は、「いつ死んでも良い」と強く思うための準備をするのだ。もう一度。
私を支えてくれた家族には最低限のお礼はしたい。しかし、勘弁してくれ。
みんなが納得はしてくれないかもしれないかもしれない。だだ犬死だけはしないつもりだ、これまで57年近くも「理性」を磨いてきたから。
私はただただ、天の誠を信じたい。そしてそれを具現化していく。ただ一つ心配なのは、明日、金沢まで車で出張の予定である。なるべく体力は使いたくない。そして、ゆっくりと眠りたい。