編集後記 デジタル空手武道通信 第29号
この間、大学に入学したと思っていた大学生の道場生が、もう4年生だという。なんと月日の経つのの早いことか。こんな感じだと、私の人生もすぐに終わる。すぐに先を考えるのが私の悪い癖だ。そのくせ、先が読めるわけではない。ゆえにいつも焦りにも近い気持ちを持ちながら生きてきた。小学生の頃、私の良くないところの一つに、物事を辛抱強く続けられないということがあった。すぐに物事を諦めるということだ。実際は、私以外の者たちは、私以上に辛抱強くなかった。ただ一部の打ち込む者を明確に持っている者と比較をすれば、そのように見えたかもしれない。だが、長い人生の中で、幼い頃、打ち込むことを持っていた者もやがて諦めることとなる。
本当はすぐに諦めることが悪いことかどうかはわからないと、私は思っている。ただ、幼い頃、短気さえ起こさなければ、人生は変わっていたと思うことが、私には多くあった。それゆえ、空手の夢だけは諦めないと頑張ってきた。ある時、空手の先輩がしたり顔で「お前はしがみつくしかないな」と説教してきたのを覚えている。
私は「違う」と心の中で思ったが、我慢した。確かに私はしがみついているのかもしれないと思ったからだ。だが、本当はそれまでの人生経験で、すぐに諦めては、素質があってもその素質が開花しないと、私は思っていたのだ。ゆえに「ここで諦めては、もっと高みに立てる可能性があるのに勿体無い」と考えたいた。今もそうだ。つまり、言い換えれば、私には誰よりも空手武道を極める素質があると思っているのだ。それゆえ、弟子が集まらなくても、仲間が集まらなくても、そんなこと御構い無しがごとく、空手武道を極める夢を諦めず、研究と稽古を続けている。
そんな生き方だったが、私の人生も終盤にさしかっかった。大好きだった祖母がなくなり、母も20年前になくなっている。しかし、私には、まだ父と妹と弟、そして家内と息子、娘という家族がいる。あと10年、みんな生きているだろうか。おそらく全員は生きてはいないであろう。私の友人、道場生も同様だ。いつ別れがあるかわからない。当たり前のことだが、とても寂しい。
昨晩の研究科の参加者は3名だった。皆、この時期、忙しいらしい。 私もいそがしい。今月は出張と合宿がある。その他の雑用も山積している。 その夜、私は3名の道場生に夢を語った。 大山先生は晩年、組織運営に忙しく、空手の稽古はできなかったようだ。しかし、私は死ぬまで、空手道を更新し続けるつもりだ。たとえ、少し身体が不自由になったとしてもである。
なぜなら、稽古とはたゆまぬ自己の更新だと思うからだ。そして死ぬまで稽古することが自己を高める道だと考えるからだ。つまり、年老いて身体の機能が衰えるのは自然である。しかし、その自然を受け入れ、その上で身体の使い方を考えるからこそ、さらなる高みに立てると思うからだ。換言すれば、生きるとは稽古であり、修行だ。そして修行によって自己の認識を刷新、更新し続けることが、求道者の生き方である。だが、あえて断っておくが、求道者的な生き方とは決して苦しい生き方ではない。むしろ楽しい生き方である。私の空手武道は、その楽しさを道場生に実感させる手段である。
昨晩、私は以下のように語った。「今後、IBMA極真会館増田道場の方針を刷新する」「また、老壮青少、全ての年代の道場生が生涯にわたり空手道の稽古を続け、さらに自己を更新していけるように修練体系を更新し続ける」「ゆえに、私自身も死ぬまで自己を更新し続ける」「みんなも、自己の更新をしてほしい」「それには教本を時間を作り、隅から隅まで見てほしい」「そうでなければ、私の空手は絶対にわからない」 おそらく、私の空手をわかろうと思っていない人がほとんどだろう。もし、そうならば、なんと虚しい仕事だろうか。だが、捜せば、昨晩の3名のような人間がまだいると思っている。志と感性を同じくする友と出会うためにも、その友と出会った時に、これまでの人生がその出会いのためにあったと思えるように頑張りたい。たとえ変人と思われても結構だ。これからも、金にもならない読書を始め、情報収集、稽古、鍛錬、治療を一秒たりとも無駄にせずに行い、芸術、哲学としての増田 章の空手道を確立したい。
昇段審査において:先師への拝礼と門下生同士の極真式十字礼