【精神のルールを変える】
8月16日に私の故郷、金沢に用事があり、帰省した。過労気味だったが、その前後に用事があったので車で帰省した(車は融通がきくので)。私は帰省すると、いつも真っ先に墓参りに行く。私を可愛がってくれた祖父母、57歳で他界した母、長男が墓に入っているからである。
その時、天気が悪かったが、雨はまだ降っていなかった。だが私が墓に着いた途端に雨が降り出し、あっという間に雨脚が強くなった。私にはそのあと、人と会う予定があったので、ずぶ濡れになるわけにはいかない。困ったと思ったが、なぜか雨で濡れなかった。実は墓に植えてあった樹の枝葉が生い茂り、傘替わりになったのだ。私は、これは母が護ってくれているのだと思い、しばらく墓前で手を合わせていた。20分ほど、墓にいただろうか、小降りになったのを見て、花を包んでいた新聞紙を頭に被り、急ぎ下山した(墓は山の中腹にある)。母が植えた樹のお陰で、私はほとんど濡れずにすんだ。
「私は今も護られている」。改めて今までの人生における感謝を実感した。と同時に「私の人生ももう終わりに近づいている」「一番大切なものは何かを問え」との声が聞こえたような気がした。
【私の一番大切なものは何か?】
私の一番大切なものは何か?それは精神(想いの源)を考え、それを変革することである。そして、自らの心身が生成した精神を未来永劫の宇宙に残すために生きている。観念論的だと思われる人もいるかもしれないが、唯物論に近いだろう。ただ、どちらでもないかもしれない。また私は、自分が人生で感じた「想い」は、古今東西の人間の想い(思い)と繋がっていて、その想いは人間が作り上げたルールにより、化学反応のような現象を起こすことがあると考えている。さらに、人と人との想いと想いがどのように結びつけば、より良い化学反応を起こすか、また最悪の化学反応を起こすかを、人類が研究すべきだと思っている。それは、自己が他者と想い(思い)を交流させる時、その根底にある「精神のルール」を見直し続ける営みだ。
一方、現代においては、精神のルールではなく、肉体のコードを変えようと、挑戦している人がいるかもしれない。もし人類の多くの人が望むことならば、それは重要なことなのだろう。だが私は、それが本当に正しいことかどうかは疑っている。
【精神のルールを変えること】
繰り返すようだが、私にとって一番大切なことは「精神のルールを変えること」である。なぜなら、それが想いの源を生かし、より良い自己を生み出すための方法だと思っているからだ。また、精神のルールを変えることは、人生を楽しむための方法を編み出すことにもつながる。ただ「お前の人生は楽しいのか」と聞かれたら、「?」となる。それは私が、ゴールがなければ虚しいというルールに縛られているからだと直感している。
実は、人生をより楽しむ秘訣は、大きなゴールではなく、小さなゴールを喜ぶことのように思う。しかしながら、まだ私は、そのことを理解できない。そして、いつも大きなゴールを夢見ている。なぜなら、いつも「お前ならその大きなゴールを実現できる」という声が聞こえるのだ。もしかすれば、そのことを一種の病気かもしれないとも思っている。本当は辞めたい。ゆえに期限を決めている。そして、それまでは自分の肉体と精神が維持されるよう祈っている。同時に周りの人には、こんな生き方はダメだと言いたい。また、精神のルールを変えると言いながら、強い拘りを有し、自分自身の精神のルールを変えられないとは、笑止千万な話だと思っている。また、人間にはどうしようもない流れ、力があるように思うと言っておきながら、それに抗っている自分が愚かにも思える。しかし、もう少しだけ大きなゴールに拘りたい。
【その病気を直すための手段として】
大仰なことを言えば、人類も資本主義だとか民主主義だとか言っていても、ある種、精神の病気を根治することができずにいるかのように見える。私は、その病気を直すための手段として、精神のルールについて、もっと考えた方が良いと思う。それが21世紀の宗教の役割である。否、私は哲学時代の到来だと思っている。私は、こんなことを考えて生きているので、誰からも相手にされなくなってきている。
そのような想いを落ち着かせ、納得させるために、より高いレベルの空手道の修練体系の完成を目指している。もちろん、わたしの作ったものは未熟なものだろう。だが、これまでの私は、未熟ながらも少しづつ進歩、成長してきた。今後も同様である。少しづつ進歩、成長していく。もし、進歩、成長の時間が足りなかったら、後を継ぐ者が、私の死後に改善を加えれば良い。その者が私の目指したゴールの実現を目指すというのならば…。だが、私自身が進歩、成長し、ゴールを目指すにしろ、私の仕事をだれかに託すにせよ、組織の土台がまだ脆弱すぎる。また核ができていない。それは、極真会館の空手道も同じである。必要なのは、斯界のリーダー達に精神のルールを変え続けるという自覚、意志が備わることだ。
【自己変革】
断っておきたいが、精神のルールを変えるとは、換言すれば「自己変革」のことである。しかし、自己変革とはとても大変な作業だ。本当の自己変革は自己のアイデンティティーを疑い、時にその認識を変更しなければならない。そのことを詳しく述べると、言葉が多く必要になる。そうすれば、より迷路に入る可能性があるので機会を待ちたい。
自己変革について、私がいつも思うことがある。それは極真会館の分裂後、時々耳にする、大山倍達の残した極真空手を変えずに残すのが本当だという言に対する疑義だ。それは極真空手、極真会館のアイデンティティーの確立ではなく、各々の保身という次元に過ぎない。さもなければ、それは低いレベルにおけるベストだと認識できずにいるのだろう。あるいは、さらなる高みを目指していないか、慢心しているかである。どれであっても、私には恥ずかしくてたまらない。
私は大山倍達先生が亡くなる直前、先生に館長室に呼ばれ「支部長になれ」と言われたことがある。その時、大山先生は「若い支部長と力を合わせ、極真会館を変革して言ってくれ」と仰った。また、「古い支部長たちは守りに入っている」「これからの極真会館を変革しなければならない」とも仰っていた。私は、大山先生に100年の寿命があれば、必ず現在の極真会館とは異なる状態に変革していたと思っている。否、人間に300年年の寿命があれば、必ず自己変革が必要だと思っている。否、自己変革の連続が本当であろう。事実、大山先生の生き方は、自己変革の連続であった。だが、志半ばで命が尽きただけである。私はたゆまぬ自己変革の実践こそが、伝統を護るというより、伝統を創出し、かつ生き残ることだと確信している。しかし、人の寿命は短い。ゆえに私の考えが正しいとは証明できない。ならば、「極真会館を高めるために大山先生がやらなければならなかったこととは何か」と考える。そうすると、「いかにして極真会館を社会において価値のあるものとするか」という答えが出てくる。私はそのことをいつも核にして生きてきた。館長室で大山先生に「支部長になり、極真会館を改革して行ってくれ」と言われた時、「私の夢は極真空手を世界最高の空手にすることです」と宣言した。
その時の私は、すぐに大山先生が亡くなるとは思わず、私が極真会館のリーダーとしての所信表明、活動宣言のつもりだった。また次の世界大会で必ず世界一になると心に秘めていた。あまりにも大仰な私の物言いに、大山先生も若干、訝しげな感じだったが、「うん」と大きく頷いていた。
大山先生の死後、極真空手の愛好者は増えた。だが、その質は高まっただろうか。また、社会的な地位は向上しただろうか。私が考える極真空手と極真会館のアイデンティティーとは、表は人間教育の手段であり、人間教育団体。裏は、武術の研究とその普及団体である。そしてその表裏が一体となって機能し、初めて武道団体となる。そのような団体の形成の社会的意義については、時間の関係で端折りたい。
おそらく、私の意見は極真会館の仲間たちには疎んじられるだろう。だが私はこんな極真空手のままでは我慢ならない。私はこの程度の空手を修業してきたつもりはない。人の何倍もの時間を空手の研究に費やしてきた。とはいうものの、自己変革のみならず、組織の変革には、ものすごい力がいる。ゆえに、大きな変革は、なんらかの外的な環境変化、または技術革新によりなされることが多い。つまり、一人の人間の力では不可能と思われる。
だが、先述したように一人の深い想いが、古今東西の深い想いの源につながっていると信じ、自己の研究を深めたい。だがその想いの源に辿り着ける者はほとんどいないだろう。そして、その僅かな志士たちが拓く道筋が、変革の始まりだと思っている。おそらく変革には、資金と時間と労力が必要だろう。また大きな犠牲を必要とするに違いない。それでも私は、そのような志士になりたい。否、私がやるしかないと思っている。