【大義を四海に】
①「堯舜孔子の道を明らかにし
西洋器械の術を尽くさば
なんぞ富国に止まらん
なんぞ強兵に止まらん
大義を四海に布かんのみ」
②「心に逆らうこと有れども 人を尤(とが)むる勿れ(なかれ)
人を尤(とが)むれば徳を損なわん
為さんと欲するところ有れども、心を正(さだ)むる〈成果をあてにする〉勿れ。
心を正(さだ)むれば事を破らん
君子の道は身を修るにあり(原文書き下し)」
(幕末の思想家 肥後藩士 横井小楠1809~1869)
参考文献:大儀を世界に(東洋出版、石津達也著)
日本の幕末のリーダー達、坂本竜馬、勝海舟、松平廣長、さらには西郷隆盛に至るまで、その思想の底流に、横井小楠の思想の影響があるというのが「知る人ぞ知る」説である。
極真会館が分裂し、派閥闘争が激しい中、私は稲盛和夫先生が開く塾で、フェリシモ会長の矢崎先生と知り合った。その時、矢崎先生から陽明学を始め、横井小楠などの日本の思想家の話、また太宰春台、さらには渋沢栄一、稲盛和夫哲学まで、我が国の政治経済思想史に煌めく賢人の話を聞いた。その中でも特に心に残ったのは、横井小楠である。私は横井小楠の伝記等を読み感銘を受けた。また熊本にある横井小楠が晩年、晴耕雨読を続けた庵を尋ねたこともある。
私は横井小楠の伝記等を読み感銘を受けた。また、横井小楠が晩年、晴耕雨読を続けた熊本の庵を尋ねたこともある。
先に挙げた横井小楠の言葉は、私がずっと記憶していた言葉である。先に挙げた二つの言葉は、小楠がアメリカに留学させた二人の甥に送ったものである。
この文章を書くにあたり、横井小楠に関する書籍を書斎から取り出した。すると、横井小楠の言葉は2種あり、私は先の言葉だけを覚えていたことがわかった。私が2番目の言葉を読み上げ、音声入力メモをとっていると、側で「実践してよ」と家内が手厳しい。
2017年は、隣国との問題を始め、老舗の巨大企業の失策、政治家達の集合離散や大相撲の内輪揉めなどなど、実に世間は喧しい。こんなに問題があるのに我が国は大丈夫なのかと思うくらいである。とはいえ日本人は楽天的なのだろう。
誰も問題を追及しない。かくいう私も身内から叱責されるように、「言うだけ」かもしれない。しかし「馬鹿にするな」と思っている。心の中ではいつも歯を喰いしばるようにして頑張っているのだ。もし、私の成果が乏しいと笑うなら、笑えば良い。私の心の中には、いつも消えない火が灯っている。
【補足】
横井小楠の思想を理解するにあたり、興味深い記述があったので以下に記しておく。何かの参考になるかもしれないので…。
小楠は「和とか戦いとかいっても結局偏した意見であって、時に応じ勢いにしたがって、そのよろしきを得るのが真の道理である。信義をもって応接し、我が国に義があれば、万国を敵に回すようなことはない」とも書いている。時勢に応じて是々非々で考えよ、という柔軟性と現実主義。高い理念とこうした柔らかな姿勢が、当時の心ある人々をとらえたのだ。
出典:大儀を世界に(東洋出版、石津達也著)
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