「武道と武道人〜大相撲の横綱の暴行事件について」に追加する
少し前、「大相撲の横綱の暴行事件」を耳にして、武道と武道人の心得について書いたつもりだ。その内容に少し補足をしたい。ただし、まだ事実が完全に明らかになってはいない。事実が明らかになれば、それなりの共通見解を得るに至ると思う。ゆえに、最終の見解ではなく、私の直観を少しだけ記しただけと、理解してほしい。
大相撲の横綱の暴行事件が起こってすぐに、この事件はいじめとかではなく、古い慣習を引きずったゆえの力士たちの暴発だと思っていた。しかし、どうも古い慣習自体の根に、我々人間が有する、情念の問題が横たわっているように思えてきた。
まだ、正確な情報が上がってきていないが、どうも”いじめ”に近い情況があったように見えてくる。これは問題である。なぜなら、そうなれば日馬富士、一人の問題ではないと想像されるからだ。
ただ、このような問題は、大相撲にかかわらず、スポーツ界の世界にもあるだろう。また、会社や学校、学者など、人間が集まり形成した社会(村)には、必然的に生起する問題だと思う。とそのように断じれば、”言い過ぎだ”との誹りを免れまい。もちろん、程度の違いはある。しかし、感情の方が理性に勝る者たちの集団には、このようにわかりやすい形(実力行使)で現れているだけだろう(断っておくが、実力行使の能力がない者たちは、もっと陰湿な形で同質のことを行うに違いない)。相撲界は今回の事件で、うわべだけでも速やかに体裁を整えなければならない。(大変上からの物言いだが)。結果、「暴力は暴力として片付ける」だろう(それが基本形である)。つまり、暴行事件ではなく暴力事件として片付けられるであろう。さらに付け加えると、問題の本質の隠蔽と、そのストレスを与えられた腹いせに、貴乃花親方は人身御供(切腹)となるかもしれない。しかし、それでは問題の本質は、”藪の中”であろう。私の考えを端的に記しておけば、「三方一両損」ならぬ「五方?一両損」のごとく、手を打った方が良いと思う。
私がここで真に言いたいことは、どんなことがあろうとも「大相撲の世界から貴乃花親方を抜けさせるな」、ということである。また貴乃花親方にも言いたい。「あきらめるな」と…。