何も持たない者の武術〜プロローグ
大山倍達先生が天に召されてから、はや20数年の歳月が経った。その後、大山倍達先生の名前を踏みにじるような出来事が数多く起きた。私も大山倍達先生に親しく薫陶を受けた者の端くれとして、非常に申し訳なく思っている。
現在の私は、若い頃は100人組手を行うほどの、体力とエネルギーを有したが、だんだんと普通の人に戻りつつある。また、私も一人の人間として、人の親となった。さらには、その人生の中、良くも悪くも様々な経験を得ることになった。そうして、大山倍達先生を改めて思い出してみると、大山倍達先生の歩まれた道が、とても大変な道であったことが容易に想像されてくる。
私は、晩年の大山倍達先生と、時に館長室、時に自宅で、また、一緒に旅のお供をさせていただいてきた。そんな中で大山倍達先生から感じたことは、大山先生は「愛情深き人」だということである。諸先輩たちが増田ごとき「知った風なことをいうな」と叱る声が聞こえるが。
外に真を求めない
私は今こそ、大山倍達先生の心に立ち返りたいと考えている。また、大山倍達先生に関し、さも真実であるかのように事実を組み合わせ、真実とは程遠い物語を喧伝していくことに我慢ができない。
私の空手家としての姿勢は、「外に真を求めない」ということである。言い換えれば、外の武術家に真を求める前に、まずは大山倍達の中に、武術の真を求めて見ようということである。この試みを体が動かなくなる前に行い、成果を残したい。
大山倍達先生は武術家として超一流であった
それを始める前に、まず伝えたいのは、「大山倍達先生は武術家として超一流であった」ということである。もっとわかりやすく言えば、今、高名な武術家、武道家の先生方は多いが、その多くが大山先生の足元にも及ばないということである。もちろん、諸先生方には、それぞれの強みや弱みがあり、一様に比較するものではないということはわかっているつもりだ。しかし、あえてそう言いたくなるのは、我々門弟が、正確に大山先生の価値をわかっていないと思うからである。おそらく、先生は空手組織を大きくするという仕事に没頭されたことで、その技を弟子に伝えるということをしなかったのではないか、と私は考えている。同時に技の理論化を後回しにしたのではないか。というものの、大山先生の技に理論が乏しいわけではない。おそらく、組織の拡大に多忙だったのだと思う。それを体系化する時間がなかったのだ。その部分を武術家とどうかと言う向きもあろう。その辺に関してもは私なりの見方がある。その辺に関して一点だけ、述べておく。大衆を相手にする場合、技術探求などというテーマは、受け入れられにくいと判断したのではないか、と言うことだ。しかし、これからの時代は、大山先生も強く持たれていた、知的好奇心、探究心、そしてロマンチズムが必要となる。私は、そう確信しながら、人生最後の仕事のつもりで大山倍達先生の研究を始めたい。おそらく、批判や妨害があるかもしれない。しかし、何があってもやり抜きたい。