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Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
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憲法記念日に〜交流試合を終えて

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本日、交流試合を無事終えた。実は、交流試合前、水面下で少々思案が必要だった。私は運営を任せている秋吉に、私なりの考えを述べた。その要点は、試合における、「安全性の担保」と「ルールの明確化」であった。

 

私は、極真空手における組手の安全性の確保について、これまでも気を使ってきたつもりだったが、絶対はない。先の栃木県立大田原高校の登山訓練による死亡事故は、厳しい言い方になるが、人災だと思う。

 

初めは、従来通りに試合の枠組みを組んだが、私は前述の2点を考慮し、試案を秋吉に提示した。秋吉は私の考えをすぐに理解し、それを受けて、非常に良い案を迅速に提示してきた。私はすぐにその案を了解した。なぜなら、非常に良い案だったからだ。その対応の結果かどうかは確定できないが、今回の交流試合は怪我も少なく、また重大な事故も起きずに済んだ。

 

その内容については記載しないが、根幹をなすのは、「安全性の担保」と「ルールの明確化」と2つの判断基準をベースに現行ルール(運営方法など)を改善し続けるということである。ここでいう「ルールの明確化」には、選手のみならず、運営スタッフ、保護者等の理解、納得を含めている。

 

あえて言っておくが、現場における組織運営には権威が必要だと思う。換言すれば、組織の中枢に権威という信頼感と合意が形成されていなければ、その組織は烏合の衆のようなもの、大事な時に機能しなくなるのは目に見えている。また、それを何らかの恐怖感によって代替するあり方は、私の理想とするところではない。更に言えば、権威の中枢に鎮座する主催者(主宰者)が、有無を言わさず、ルールを決めるというスタイルは、私の考え、趣味とは合わない。

 

私はいつもイベント中は、皆にIBMAルールの根底にある理念を納得させるために、脳をフル回転させている。そんな中、今日が我が国の憲法記念日だということ思い出していた。朝、新聞にさっと目を通しただけだったが、思うところがあった1日だった。

 

さて、相変わらず大仰な物言いだと思われるだろうが、私は人類における共同体の普遍的かつ理想的な形態は、立憲主義的になると思っている。その要点は、組織の運営方法の原則と同じだと思っている。つまり、構成員の安全を確保しつつも、自らの組織ルールを内側のみならず、外側の人たちにも納得(理解、適合)させるこであると思っている。もちろん、家族や小さな組織においては、立憲主義に対し、批判的な意味合いでの封建主義・家父長主義的なあり方が必然、必要である場合もあるかもしれない。しかし、友好団体等、外部の人たちを加えた、組織運営では、ルールの明確化が必要だと思う。

 

私の主宰する、IBMA、国際武道人育英会の競技ルールにも、前述したような考えを反映させている。補足をくわえれば、「伝統の継承」という柱を加えているということを挙げておきたい。

 

本日は、荻野審判長を頭とする、審判委員会のメンバーには、よく働いていただいた。少しずつではあるが、審判委員(審判資格者)に、私の考えが浸透してきていると信じたい。ただし、運営に一つだけ問題が出た。その責任は私にある。猛省したい。しかし、私に与えられた時間は、そんなに多くないと考えているので急ぎたい。大げさに聞こえると思うが、時間が充分にあるとは、私には、どうしても思えないのだ。難儀な性質だと、自分でも思う。しかし、先師が昇天してから早くも20年以上の歳月が過ぎた。その間、空手界が良くなったとは思えない。とはいえ、僅かだが良くなっていく兆しが見えている。しかしながら、様々な考えがあるに違いない。以上は、あくまで私個人の感覚、考えである。ゆえに、それを人に押し付けず、自らに問い続けたい。

 

最後に、本日は「国民主権」「平和主義」「基本的人権」を3本柱とする「日本国憲法」を記念する日だ。私は交流試合を終え、帰宅する途中、定期購読する朝日新聞以外の数紙を購入した。自宅で各紙に目を通すと、どの紙面も安倍首相の憲法改正案に対する意見で賑わっていた。

 

私はあえて、国民主権はルールの明確化、平和主義は安全性の確保、基本的人権は伝統の継承に置き換えたい。おそらく、基本的人権と伝統の継承とは異なると思われると思う。しかし、我が空手武道の伝統的精神には、基本的人権を尊重する精神が底流にあるのだ。もし、伝統的な極真空手に基本的人権を尊重しない部分があると客観的に見られるようなら、改良すれば良い。

 

ただ、あえて言うが、批判的に捉えられることが多い封建時代、その遺産の一つだと思われる武道、武士道にも、現代社会にも通用する基本的人権尊重の種子があると、私は考えている。補足を加えれば、神・仏・儒の3道と黄老思想をも包摂融合した、我が国の武道、武士道の精神の底流には、基本的人権の尊重の精神があると言いたい。もし、私に資金があれば、学術的に証明したいほどだ。

更に言えば、儒教の教えを重要視した、大山倍逹先生の精神にも、基本的人権尊重の精神があったと、私は思っている。また、その精神が師の唱えた武道精神の底流にあると信じている。

 

 


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