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Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
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命拾い??

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命拾い??

助かった。
今朝、起きると左膝が痛い。
左ひざの半月板ロックし、左ひざが真っ直ぐ伸ばせない。

歩けない・・・。
私の右膝も同じような状況になったことがある。
その時、私はスペインへカラテ指導へ行く直前だった。歩けないので、私は焦って手術をした(その際は遠征をキャンセルし、関係者に迷惑をかけた)。

その後、歩けるようにはなったが、右ひざにすぐに水がたまる状況が現在も続いている。幸いにも、現役選手ではないので、運動量を調整しながら、身体を使っている。

しかし、私の考えでは、手術は失敗かもしれないと考えている。具体的に言えば、できる限り、身体にメスを入れないで直す方が良いと考えていると意味においてということである。勿論、外科的手術が必要な事もあるだろう(私の右膝はそのような状況だったかもしれない)。しかしその後、私の半月板の損傷とそれによる、膝のロッキングに関しては、アイシングと周辺の筋肉のバランス調整によって、改善されるのではないかと、経験的に考えていた。

今朝は、同様の状況に陥ったのだ。


断っておくが、私の膝は、カラテで損傷したのではない。右脚は、中学生の頃にサッカーをしていた時、脚をかけらたことによるもの。左脚は柔道の練習によるものである。半月板の損傷によるロッキングは、それ以来、中学生の頃からの付き合いになる。もう40年近くの付き合いになるだろう(蛇足ながら、カラテ競技は無理なハイキックをしなければ、怪我が少ないスポーツの上位に位置すると思う)。

以来私は、膝を庇うためにも、脚の筋力トレーニングを欠かしたことはない。つまり、私の専門の打撃技の威力を増すためのウエイト・トレーニングと言う意味合いのみならず、弱い(痛めた)膝を補うために、ウェイト・トレーニングを継続していたと言うことだ。

話を戻せば、今回は先ず、アイシングをした。そしてストレッチをして、周辺の筋肉を緩めようとした。そして、なるべく安静にしながら本を読み、メモを取っていた。実は今日は、1年程、保留していた著述の作業を行ないたいと、連休を楽しみにしていた。

ゆえに、最初は、「著述のための資料の整理と、調べものをするのにちょうど良い」ぐらいに考えていた。また、アイシングをして、ストレッチをしていれば、筋肉の状態が元に戻り、ロッキングが解除されると考えていた。
焦りはなかった。ところが、朝から昼を過ぎても直らない。歩くことができない。6時間が過ぎたところで、焦燥感が出て来た。「これは、また手術しなければ直らないのでは」と。

「まずい。これではカラテ指導ができなくなる」「半月板の手術は1週間、否、3日程で歩けるようになるが、カラテの練習ができるようになるには、個人差があるにせよ、1~2ヶ月はかかる」「まずい、今の私にはそんな余裕はない」等の思いが脳裏に浮かぶ。
段々、焦燥感が高まってきた。しかし、「今日1日は辛抱だ」と考え、読書とメモに集中していた。

喉が渇いたので、冷蔵庫を開けようと立ち上がったら、膝のロッキングが直っていた。

「真っ直ぐ立てる」「歩ける」・・・、「セーフ」「ああ、良かった」・・・。
私の左足は、伸びるようになった。
本当に「命を拾った」という気分になった。また、あらためて「身体が使えることの喜び」を噛み締めた。

実は、今進めている書籍の核心は、「身体を楽しむ」ということだ。

私は、カラテをそのようなことに役立たせようと考えている。そのために、様々な武道家の書籍や運動生理学、また物理学等々、あらゆるジャンルの先達の研究を参考にしている。同時に、これまでの自分の考え方を疑い、見直すことで、新しい視点や考え方を導き出そうとしている。そして幸運にも、新たな方向性が定まって来たところである。

現在、毎日が忙しい。実は、忙しいと言うのは恥ずかしいことであると、私は思っているのだが・・・。また、早く辞世の言葉を探さなければならないと考えている。自分の内側から・・・。そして本当の言葉を。

そのためにも身体を働かせ続けるつもりだ。同時に身体が悲鳴を上げないように、感謝をして、協力してもらいたいと考えている。

相変わらず、ハイテンションで大仰な考え方だが、実は毎日、真剣にそのように考えて生きている。だからこそ、毎日が尊いし、楽しいと思えるのだと考えている。

繰り返すが、あらためて身体が使えることをとてもうれしく感じる。
そして、身体が使えること、身体を使って楽しむことを仲間と共有できるようになりたいと念じている。








−74kg級・橘真一 vs 竹井 慎戦

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第2回フリースタイルカラテチャンピオンシップ東京オープン
-74kg級・橘真一 vs 竹井 慎戦

二人ともシニアに出てもおかしくない年齢だが、一般のクラスに出てくれた。

橘選手は、柔道、テコンドー、グローブ空手をバックボーンとする選手。竹井選手は、総合格闘技をバックボーンとする選手である。

序盤は、竹井選手がフリースタ
イルカラテのルールに慣れていない感があった。しかし、それは当然であり、それを既存の空手の価値観で観てはいけない。審判は淡々とルールに則り、反則や技の判定をするだけで良い。決して偉そうにしてはいけない(声を荒げる必要はない・・・気持ちは分かるが、相手の気持ちも考えて欲しい)。また、相手の態度の本質は、相手を倒した後に現れる。倒した相手(コントロールした)に、威嚇という意味を含む、乱暴な態度が観られた時、その選手の試合目的が垣間みれる(私には)。

例えば、試合で勝つことのみを目的とする者は、コントロールした相手をぞんざいに扱う。それは、武道家として尤も戒めなければならないことだ。例えば、柔道では倒れた相手を必要以上に痛めつけないように気遣う。
「もし命を賭けた戦いを想定するなら、そんな甘い考えではいけない」というような異論が有るかもしれない。もちろん、フリースタイルカラテはそんな想定の競技ではないが、あえてそのような声にもこう応えたい。「相手のことを気遣えるぐらい長く、深く相手を見極められる力が、自分の命を真に護る能力の獲得に繋がる」と。また、「相手のことを気遣うという考えが、技を発達させる道、また自分のからだを活かす道だ」と。さらには、「それは真剣勝負に勝つ道に必ず繋がる」と(この部分はもっと丁寧に書きたいが、いずれ・・・)。


フリースタイルカラテは、相手の戦闘力を奪う技術と反則行為を明確に区別し、それを判定できるようにルールを創ってある。ゆえに審判は遠慮なく、反則を宣告すれば良いのだ。ただ、今はまだ草創期なので、審判もフリースタイルのルール、理念を体認できていないのであろう。フリースタイルカラテのみならず、試合ルールの核心は理念である(本来そうあるべき)。しかし、時代に合わなくなった理念は、より普遍的な価値観を核にして、修正の必要だと私は考えている。

ルール(理念を含む)が公正で明確であり、やってみて楽しければ、試合(スポーツ)は進展する。

進展の動きがもう少し出てくれば、選手は自然とルールに則り、試合を運ぶようになる。私は、橘選手が終盤に「テクニカルハイキックポイント」を獲得したことがうれしかった。
また、竹井選手も決勝では、フリースタイルカラテのルールに慣れ、良い動きができるようになった。竹井選手と試合後、話をした。竹井選手は普段は紳士で穏やかである。また今回、フリースタイルカラテを理解してくれた。今後、試合を繰り返せば、もっと動きは良くなるに違いない。

審判も含め、我々に必要なのは、理念の体認だと考えている。その中にルールの改善は必然である。あとはひたすら辛抱すること。

私は、ルールはほぼできたので、後は命が続く限り、辛抱することだと考えている。
また、辛抱だけではなく、どうしたら楽しめるか、絶えず考えている。

最後に、橘選手、竹井選手に感謝したい。また審判委員の池本先生にも感謝したい。
「皆さん、フリースタイルカラテ・プロジェクトに参加してくれてありがとうございます!」


蛇足ながら、誰よりも協力してくれている池本君へ、「今回は池本君への駄目だしの部分があるるけど、勘弁して」。

私の主旨は、古い空手試合試合のあり方や取り組み方を皆さんに考え直して欲しいということにつきる。そうすれば、フルコンタクトカラテのみならず,他の空手、格闘技には、もっと発展の可能性があると思う。

さら加えれば、「自分の行動は自分で判断する」「本当に自分自身で考える」というようなことに気付くような価値観や体験装置を創らなければ、斯界の真の発展はないだろう。







フラメンコ・ギター、かっこいい!!

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フラメンコ・ギターの巨匠、パコ・デ・ルシア!!

フラメンコ・ギター、かっこいい!!昔、スペイン(サラゴザ)のお祭りで、フラメンコを踊ったのを思いします。

本日は、銀座ヤマハホールで大竹史朗氏のコンサートがあります。
大竹氏は共通の友人の紹介で知り合いました。
彼とは同級生で、意気投合しました。
彼の専門は、アルゼンチン・フォルクローレ(ギター)です。

大竹史朗氏は今、アルゼンチン・フォルクローレを承継しつつ、独自の音楽を追求しているようです。それは、他のジャンルの音楽、例えば、アフリカンミュージック、フラメンコ?等の要素を融合したもののようです(あくまで私の推測です)。

確かにアルゼンチン・フォルクローレとフラメンコ・ギターは異なります。

しかしながら、憂いと郷愁を包含する、アルゼンチン・フォルクローレが大竹氏のの中で進化するように思います。

私の提唱する、フリースタイルカラテも同様です。伝統的なものを活かしながら、あらゆるものが融合していく。一時、フュージョンというジャンルが流行りました。
私の考えでは、すべてのものが変化の速度の違いはあっても、融合していきます。

否、融合できたものだけが生き残ります。いい過ぎかな・・・。勿論、私は伝統を重んじる立場です。だからと言って、伝統、伝統というのは、怪しい・・・。その中に嫌らしい権威主義が見えるのです。そんなものは、人間がより善く生きる力にはなりません。また、言い過ぎました。御免。

蛇足ながら、私の道場性の宮村氏が、クラシックギターを子供のときからやっていたという話を昨晩の稽古後聞きました。

実は、お母様もクラシックギターをやられていて、昔、ヤマハ音楽ホールに勤めていたこともあるそうです。

彼は私に、自分のギターのCDを渡しました。彼は、フリースタイルカラテの大会で大竹氏の曲(フリースタイルカラテのために提供してくれた曲)を紹介していたので、私がギターが好きなのだと思ったのでしょう。

彼は仕事でコンサートには間に合わないそうですが、宮村氏のお母様を招待しました。
私は音楽の通信簿3の音楽苦手人間です。でも音楽は大好きです。そして大竹氏のアルゼンチン・フォルクローレが気にいっています。何故なら、彼の音楽は、ハイテンションな私の心を鎮めてくれるからです。ギリギリになりましたが、私は音楽好きな人に、「アルゼンチン・フォルクローレも良いよ」と、僭越ながら伝えたいと思います。

一方、フラメンコ・ギターは、私の生き方そのもののような、情熱的で挑戦的、かつ多様なものを飲み込んでいくどん欲さがあります。私は大竹氏と会食した際、お互い、アルパチーノの「セント・オブ・ウーマン」が大好きだと言うことを知りました。私が特に好きなのは、アルパチーノが盲目にもかかわらず、偶然居合わせた、若く美しい女性をエスコートし、タンゴを踊るシーンです。私はそのシーンにしびれました。

今日は、いつも私を助けてくれる宮村氏のお母様や大竹氏と会うことを楽しみにしています。

稽古はお休みにしているので、道場生には悪いのですが、私の空手道を進化させるには、大竹氏のような志の高い人達との交流も必要なのです。

今日は、音楽を堪能したいと思います。


パコ・デ・ルシアの曲はこちら
大竹史朗の曲はこちら

大竹氏&ユパンキ最高!!リサイタルの御礼を込めて〜

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大竹史朗&ユパンキ最高!!リサイタルの御礼を込めて~

【大竹史朗氏のリサイタル】
昨晩、大竹史朗氏のリサイタルが銀座ヤマハホールで行なわれた。
以前のブログでも書いたが、アルゼンチン・フォルクローレ(アルゼンチン民族音楽)のギタリスト、大竹史朗氏と私は同じ年齢。共通の友人を介して知り合った。
 
リサイタルでは、大勢の人がヤマハ大ホールに集まり、大竹氏のギター演奏と歌、語りを堪能したと思う。私には、大竹史朗氏のリサイタルは大成功に見えた。

聞くところによれば、本リサイタルは、これまでのリサイタルの中で、最も良いものだったようだ。

また、大竹氏の専門である、アルゼンチン・フォルクローレのみならず、他の音楽ジャンルの要素を取り入れた、大竹氏の楽曲も披露された。

その楽曲は「エルカミナンテ」である。
実をいえば、その楽曲は、フリースタイルカラテの大会で紹介した「タクシンの道」である。今回のリサイタルでの披露にあわせて、「タクシンの・・・」では、意味不明なので、より良いタイトルに変更したようだ。

リサイタルでは、実弟のゴロー氏と共演した。弟のゴロー(漢字が分からない)氏は、とても良いキャラである。私はファンになった。イメージは、「明るいイタリア人」といったところか(笑い)。「エルカミナンテ」という楽曲とゴロー氏の登場で、おそらく、通常は郷愁を帯び、暗めのリサイタルの雰囲気が明るくなった。本当は、史朗氏も明るくやりたいのではないだろうか・・・。これは冗談です。



話を戻せば、「エルカミナンテ」とは、スペイン語で「道を往くもの」という意味らしい。良いタイトルだ。今回のリサイタルの第1部の最後に演奏された。

リサイタルの中で大竹史朗氏は語った。「今回のリサイタルは25周年記念というものではなく、むしろ、新しい第一歩を記念するリサイタルだ」と。

彼は渡米後、日本人にもかかわらず、縁あって、アルゼンチン・フォルクローレを承継かつ探求してきた。そして現在、アルゼンチン政府の招聘を受けるまでになった。

おそらく彼は、アルゼンチン・フォルクローレ、また彼の心の師ともいえる、ユパンキ(アルゼンチン・フォルクローレの巨匠)に改めて感謝しているに違いない。

【ユパンキについて】
ここでユパンキの名前を知らない人に対し、ユパンキについて、私なりの紹介をしたい。

ユパンキは、父親がインディオ、母親がバスク出身の移民らしい。その風貌は、完全にインディオである。

ユパンキはアルゼンチン・フォルクローレ(民族音楽)の演奏家(ギタリスト)であるのみならず詩人でもあった。また社会思想家でもあったようだ。

社会思想家とは私の理解であり、大仰な表現かもしれない。しかし、ユパンキは若い頃、政府からにらまれ、亡命を余儀なくされたり、投獄されていると聞いた。「当たらずといえども遠からず」だと思う。

リサイタルでは、そのようなユパンキの境涯の話も披露された。私の浅薄な理解ではあるが、ユパンキの詩や楽曲は、彼の魂からの声としてのみならず、逆境に立ち向かう中から生まれたのだと、私は理解した。大竹氏は、そのユパンキの魂に中学生の頃から共鳴していたというから、驚愕である。それを彼は、自虐的に「暗い中学生でした・・・(笑い)」と観客を笑わせていた。

大竹氏はギターのみならず、語りも上手い。


【能を蓋し(つくし)、工夫を極めて後、花の失せる所をば知るべし・・・(世阿弥)】

大竹氏が語っていたが、彼は直接、ユパンキに演奏の指導を受けたことがあるらしい。その時、ユパンキとギターによって現出される音を聞き、「その音を一生を賭けて追い求めたい」と思ったそうだ。また、彼はその音が「聞こえたというより、見えた」と語った。

彼特有の言い回しを私なりに翻訳すれば、彼の中でユパンキの「音」の世界を明確に感じ取ったということである。

しかしながら、どんな才能ある人もユパンキにはなれない。
だからこそ彼は、ユパンキと出会った時に感じた、ユパンキの「それ(it)」を追い求めながら、自らの道を往くのだ。

およそ芸の道において心掛けること。それは、その真髄を理解しようと努力することである。そのような努力をするならば、その真髄はその努力をする人の中(からだ)で、自ずから成長し、花となる。

芸道とはすべて、そのようなものだと私は考えている。

リサイタルの締めくくりは、ユパンキが広島を訪れた際、広島に捧げた詩、「ヒロシマ」に、大竹氏が曲をつけた楽曲であった(彼は歌も歌う)。

この「ヒロシマ」という楽曲は、ユパンキが大竹氏と共作として認めたものらしい。「ヒロシマ」は、大竹氏の「風が歌う地」と共に、私の大好きな曲のひとつである。史朗さん、すばらしいリサイタルをありがとう。

最後に、僭越ながら大竹氏に、私が最も感銘を受けた書籍の一つ、世阿弥の風姿花伝の言葉を贈りたい。

「能を蓋し(つくし)、工夫を極めて後、花の失せる所をば知るべし。この物数を極むる心、即ち、花の種なるべし。花を知らんと思えば、先ず、種を知るべし。花は心、種は態(わざ)なるべし」



エルカミナンテを聞きたい方はこちら






試合に勝つために一番大事なことは何だと思う?

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【4月20日、特別稽古(組手)を実施しました】

4月20日、5月の交流試合に向けた、特別稽古(組手)を行ないました。因に土曜日は伝統型の特別稽古でした。2日続けての参加者もいます(素晴らしい)。

特別稽古とは、増田道場が会員向けに実施する、通常のクラスとは別の特別なクラスのことです。参加は希望者のみ。今回は、ほとんどが少年部でした。

また日曜日というのに、子供のために1時間以上もかけて、本部道場に来てくれた保護者の方のことを思うと、頭が下がる思いでした。

ゆえに私は、参加者のみならず、少年部の保護者の期待に応えるために、しっかり指導しなければと考えていました。ですが、私の意図するところが伝わったかどうか心配です。

特に今回の特別稽古は、幼年から大人まで、参加者の年齢に幅があります。

稽古は、修練レベルや年齢を目安に、師範代の秋吉と分担して指導をする場面もありましたが、子供には難しく、大人には簡単過ぎると感じたかもしれません。

今回の稽古の眼目は、冒頭の講義(道場生との質疑応答)と円の中での稽古法にあります。

【試合に勝つために一番大事なことは何だと思う?】
私は冒頭、少年部に質問しました。「試合に勝つために一番大事なことは何だと 思う?」と。
子供達の中で、先ず一人が手を上げました。

「相手の攻撃を受け返すこと」

私は「うん、それは大事なことだ。もっと大事なことがあるよ。他に思いつくことはない?」と、さらに問いかけました。

するともう一人が、「あきらめないこと」と言いました。
私は「それは大事なことだ」「すばらしい」「みんな、相手の攻撃を受けて返したり、試合の最後まであきらめずに全力を尽くすことは、とても大事なことです」「みんな頑張ってね」と応えました。

私は、さらに問いかけました。「まだ、大事なことがあるよ」「何でも良いから思いつくことを言ってみて」と。

すると、府中道場のるき君(漢字が難しい)が手を上げました。
るき君の応えは、「どうしたら勝てるか、考えること」でした。

私はその応えに対し、「そう、それが一番大事だ」とみんなに伝えました。

おそらく、彼は普段の稽古中の私の言葉を聞いていたのだと思います。
私は「みんな、どうしたら試合に負けないようになるか、勝てるか、自分で考えてみよう」「それでは稽古開始、みんな並んで」と声をかけました。

特別稽古では、本当に簡単な稽古しか行ないませんでした。私には、皆に教えている技の数倍もの技があります。しかし、試合稽古の眼目、重要なことは、「どうしたら、自分がより善くなるか(強くなるか)」、道場生自身が考えるようになることだと、私は考えています。

また限られた時間内、異なる修練レベルの会員達を導くためには、簡単なことしかできません。しかしながら、簡単なことに真髄があると思います。

今回の稽古で行なったことは、ミットを蹴ることと突くこと(打ち込み稽古)相手の攻撃を受け返す、組手型の基本の練習のみです。

【位置取りの練習】
少し難しかったのは、位置取りの練習です。私の道場では「運足の型」の稽古をします。

「運足の型」とは、簡単に言えば、フットワークの訓練と相手との間合い・位置を意識する訓練です(運足の型は1から10まであります)。
また、私の流派には、前後の間合い・位置取りのみならず、相手の斜め横、相手の背後を取る、間合い調節(位置取り)を大切にします(まだ、道場生には伝わっていません)。

私は、この感覚を体得するために、「フリースタイルカラテ」という競技法を考えました。正直、フリースタイルカラテの眼目を真に理解する者は、まだ多くはありません。しかし、その内、常識となると思っています。

何故なら、その眼目は、伝統のカラテ、あらゆる格闘技に必要な普遍的・要素に繋がっているからです。

【組手スペースを円にしました】
私はこの部分を子供にも理解させるために、思い切って組手スペースを「円」にしました。

以前から、私の良き理解者である国士舘大学レスリング部監督の朝倉先生に「フリースタイルカラテの試合場は円にしたら良い」「円にするべきだ」と言われていました。私もそうしたいと思っていました。

しかし、私がそれを実施しなかったのは、私の協力者への遠慮(あまり私が独断専行し過ぎると、みんながついて来られなくなると判断したから)と費用面の懸念等があったからです。しかし、費用はそんなにかからないことが判明したのと、試合場を円にすることで、「位置取り」の理解が促進されると確信しました。


因に円心会館は、いち早く、カラテの試合場を円にしています。私は改めて、二宮師範に敬意を持つと同時に、今後も良き交流をしていきたいなと考えています。

さて、今回参加した少年部が、今回の特別稽古の眼目を体得し、カラテ武道・格闘技に、より上達していることを期待しています。

最後に繰り返します。今回の特別稽古に参加した会員の皆様、お疲れ様でした。また少年部の保護者の皆様、お疲れ様でした。

私は子供達に技を仕込むことよりも前に、その心の扱い方と心構えを教えたいと思います。それは一人ひとりの心田、私がいう処の『からだ』を耕す養分となるはずです。また技の種子を得て、花開かせることに繋がると思っています。












東孝が創った早大極真会〜

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東孝が創った早大極真会~


【4月26日、東京・高田馬場】
4月26日、東京・高田馬場の中華料理店に早大極真会のOB並びに現役学生会員35名余りが集まった。

早大極真会は現在、IBMA極真会の仲間であることから、私も参加させて頂いた。ここで、私と早大極真会との関わり合いについて少し、お話をしたい。

私が主宰するIBMAの古くからの支援者の一人、川瀬先生は、早大極真会の第1期のメンバーのである。また、第3期の石川先生は、東京都稲城市長を5期、20年努めていた頃からの支援者である。石川先生には、10年間もIBMA主催の大会会長を務めて頂いた。さらには、第7期の主将だった荻野先生はフリースタイルカラテ・プロジェクトの盟友である。また古くからの友人である。


実は早稲田大学がある高田馬場には、私の道場がある。その関係で早稲田大学の学生が時々、私の道場に入会してきた。その中で、早大極真会に興味のある者は、荻野氏を通じ、早大極真会のメンバーとなっていった。その中には、主将を努めた者もいる。そのような流れの中、私と早大極真会の関係は、徐々に深いものとなっていった。

勿論、すべてのOBと面識はない。しかし早大極真会の創設者である、東孝師範や第4期の三瓶啓次師範とは私が10代から面識が合った。また、両人は大好きな先生、先輩方だった。

特に三瓶師範には、若い頃から大変お世話になった。それは良い思い出である。あえて言っておくが、三瓶師範との思い出には、嫌なことは一つあるかないかである。ほとんどの思い出が楽しかった。私が嫌だったのは、無理矢理飲まされることである(笑い)。大袈裟に聞こえるかもしれないが、ロシア遠征では、下戸の私が、ウオッカの飲み合いに付き合わされ、死にかけた。その時私は、一晩中苦しみ、眠れなかった。私は本能的に水を少しづつ、一晩中、飲み続けた(少しづつ、3リットル以上、飲み続けた)。危なかった。

さて、話を戻すが、早大極真会の会合はとても暖かい空気に満ちあふれていた。
私の筆力でそれをお伝えすることは難しいが試みてみる。

【東師範の謝罪?】
まず会の冒頭に東師範が、「今、俺がやっていることは間違っていないと思うけど」と前置きをしながらも、「俺が会をほっぽり出して悪かった」と謝罪しした。
しかし、OBの一人が大道塾の東先生というような言い方をした時、間髪を入れず、「俺は早大極真会だ」と切り返した。私はその東師範の発言に早大極真会並びに極真カラテに対する思いを確信した。

また東師範がトイレ?に消えた時。OBの一人が、「東師範は先ほど謝ったけど、東先生のおかげで早大極真会は在り、そして我々はこの場所にいる」というようなことを述べた。そこにいる全員がそう思っていたと思う。外部の私もそのように実感した。私見だが、早大極真会は東先生の志と行動によって生まれたのみならず、その人柄と生き方に共鳴する者達のあつまりである。勿論、大山倍達先師の志に共鳴する者の集まりであることは言うまでもない。ただし、近年になって、そのような共鳴度が落ちて来たのは否めない。その原因の第1は、極真会館の分裂にあるというのが一般的だとは思うが、私はそのように考えない。それについては、最後に書きたい。


【東師範と川瀬先生のやり取り】
次に第1期の東師範と川瀬先生のやり取りが面白かった。
早大極真会の草創期、川瀬先生の地元の三重県でよく合宿をしたらしい。そこに川瀬先生はいつもビールの差し入れをしていたそうだ。

そのことについて東先生が、「ビールの差し入れが少なかった」というようなことを語った。それに対し、川瀬先生が「私は早大極真会の現役学生を応援はするが、東は応援しない」と川瀬先生は笑いながら切り返す。東師範はすかさず、「いや、川瀬は偉い男です」と切り返す。

また、後輩の一人が、「川瀬先輩はお金に物言わせ、女子大生とたびたびディズニーランドでの合同デート?を企画して下さいました(笑い)」の語り始めた。他のメンバーから「俺は誘ってもらえなかったぞ(笑い)」と声が出る。その間、川瀬先生は「苦笑い」だ。

【合宿の思い出】
また、古いOBの合宿の思い出がすごかった。「我々の合宿は山中湖で行い、毎朝夕、山中湖を1~2周回った」というのだ。因に、山中湖は1周13、3キロメートルである(極真会館の全盛期だ)。また、「そこで多くの学生が脱落していった(笑い)」と。脱落とは、走りきれなかったという意味と、早大極真会に残らなかったという両方の意味が含まれていたように思う。

【私の挨拶】
幹事役の荻野氏から会の冒頭、私の挨拶を求められた。初め、私は断った。「後にして下さい(できれば最後が良いと思っていた)」「私が発言すれば、私は帰らなければならないというようになってしまう(笑い)」と荻野氏に語った。なぜなら、私が話す内容は「うざい」からだ。補足すれば、私は部外者であるから、社交辞令的かつ包括的(纏め的な)な発言になるからだ。それは、仕切り屋でクソ真面目の傾向がある私の性格による。ただそれは、早大極真会の再建の手伝いを要請されている人達に対する義務感の現れと考えて欲しい。しかし、それが回りに「うざい奴」と思われてしまう可能性が往往にしてある(だから私は人付き合いが苦手だ)。私はそれを心配した。

また私は、東師範、川瀬先生、辻先生、石川先生などの諸先輩とその後輩達の交流による生まれる空気を、入会間もない若い会員と共に、只、味わいたかった。


とはいえ、ご指名なので私は挨拶をした。そして早大極真会の皆さんに語った。先ずは、「私が普段から、川瀬先生、石川先生にお世話になっていること」また、「東先生、荻野先生が大好きなこと」などなど。

そして、こう結んだ。「早大極真会は現在、会員数は少ないが、とても優秀な学生がいます」
「この40年以上も続く、早大極真会の繋がりは、財産であり、大事にしなければならないと思います」「ただ、荻野先生の時代は、勉強をしなくても良かったが、現在は勉強もしなければなりません(笑い)」「ゆえにOBがもっと空手と関わり、現役学生を応援してあげて欲しい」というように。

現実、少しずつではあるが、そのようになりつつある。例えば、高田馬場道場では、還暦を超えた石川先生が、週1回(水曜日)に稽古指導している。そこに現役学生のみならず、OBの社会人が稽古に参加し始めている。

早大極真会はこれまで、体系だった指導法や管理体制がなかったため、昇段者が少ない。その多くが茶帯止まりである。ゆえに私は、OBの会員に黒帯を取得して欲しいと思う。そして、それをきっかけにし、生涯武道の道に踏み入って欲しいと思う。それが本来の極真の意味だとも思う。石川先生はそれを現在、東京都議会議員を務めながら実践されている。

私は、早大極真会のみならず、増田道場生に対し、「空手をやって良かった」「空手をずっとやり続けたい」と思ってもらえるように頑張りたい。しかし、いつまでやれるかは分からない。また、結果も伴ってはいない。今は只、全力を尽くすのみだ。


気がつけば、3時間の1次会はあっという間に終了した。その後、東先生を先頭に「カラオケ」に向かった。35名の多くが2次会まで向かったのではないだろうか。本当にうらやましい光景である。様々な年齢が先輩後輩として、否、仲間として何かを共有する。すばらしことだ。奇しくも、本日は大山倍達先師の20年祭があった。極真空手は本来、世界中に多くの仲間を有し、それは家族兄弟のようなものだと思う。しかしながら現在は・・・。残念なことである。

因に私は、2次会は遠慮した。私がそこに入れば、私はおそらく夢を語り出すだろう。そして自分の夢を語り出せば、うざい存在となる。それを分かっていながら、夢の実現のことをいつも考えているのが、増田章である。ゆえにうざい存在になる前に消えた。いずれ空手武道家としても消えるだろう。ゆえに日々、辞世の仕事をしたいと考えている。そんな中、私も昔の友や仲間と語り合いたいという衝動に駆られることもある。しかし今は、全力でやらなければならないことがある。

最後に、早大極真会はなんとしてでも存続させなければならない。早稲田大学が存続する限り。余計なお世だろうが・・・。

私が考えるに、OBを含めれば総数300名を超える、早大極真会が存続するために、速やかに着手しなければならないこと。それは、会運営の仕組みづくりである。正直言って、20人ぐらいのOBの有志がいれば、簡単であろう。問題は、真剣に考える人間が一定数いることである。私は20人と言ったが、それが私の感覚的な閾値である。閾値を超えれば、会は好転し始めるに違いない(僭越ながら・・・)。

【蛇足ながら】
蛇足ながら、この会合には早大極真会OBの三瓶啓次師範の直の後輩、荻野氏の直の先輩である大野氏も参加された。私にとって、大野氏はお世話になった人の一人で、頭が上がらない。大野氏の姿を見て、三瓶師範のことを思い出した。三瓶師範がこの席にいれば、さらに楽しく意義ある会になったと思う。


極真会館 早稲田大学支部の歴代主将・会員






続フリースタイルカラテとは何か?

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【続フリースタイルカラテとは何か?】

フリースタイルカラテとは、「相手を打つ、蹴ること」「相手と組み合い倒すこと」が認められた新しい格闘技スポーツ(武道スポーツ)です。
但し、「相手の頭部(顔面)を手で打つことは禁止」「相手と組み合うことは4秒間以上は禁止」「関節技は禁止」という反則行為を設定し、安全性を担保しています。

以上、ルールの大枠は非常にシンプルです。

特記すべきは、認められた格闘技術の駆使等により、「相手の戦闘力を弱体化させた」と判断された場合、ポイントを付与することです。例えば、相手を打つ、蹴ることによるダメージによるポイントは2種類です。ポイントはそのダメージの大きさにより、技有り5ポイント、一本12点に分けられます。また、相手と組み合い倒すことによるポイントも2種類です。残心がとれず、相手を倒しただけの場合、効果1ポイントを与えます。但し、相手を完全にコントロールしながら倒し、残心(決め)があれば、有効3ポイントです。試合はポイントを12点先取すれば終了です(合わせ1本)。

また、選手が規定の試合時間内に12点を獲得できなかった場合、ポイント獲得数の多い方が勝者となります。つまり、フリースタイルカラテ競技は、選手の格闘能力&技術をポイントの奪取能力により判定する競技です。


さらに安全性の担保を、より強固なものとするために、禁止されている行為に対し、明確に審判を下します。具体的には、反則行為に対し、イエローカードを宣し、相手選手にポイントを付与します。また、危険な行為等には、レッドカードを宣し、反則負けという審判を下します。


以上のようなルール基盤によって、徒手格闘競技がより本格的な徒手格闘(白兵戦)に近づきます。同時にその技術や能力レベルが選手のみならず観客にも分かり易くなります。

また、12点の先取を規定時間内に目指すということは、フリースタイルカラテを詰め将棋のような訓練法に近づけます。また、勝敗が分かりにくい既存のカラテ競技をボール・ゲーム(球技スポーツ)のように分かり易くします。

さらにその訓練により養成された能力は、どのような徒手格闘技にも汎用性のある技術や能力の養成に繋がると私は考えています。

【100回の疑似体験より】
断っておきますが、フリースタイルカラテは倒し技を認めますが、寝技や関節技を認めません。また、打撃技を認めますが手による頭部打撃は認めません。なぜ、禁止規則(ルール)を設定するかと言えば、より本格的な徒手格闘の練習(訓練)を、安全性の担保により、より多く反復可能とするためです。

感覚的ですが、フリースタイルカラテによる本格的な徒手格闘の反復練習の可能性を表現すれば、100倍を超えると思います。一方、「100回の疑似体験より1回の実戦の方が勝る」というような意見があるとも考えています。私は、その意見に一定の同意をしながらも、異論を唱えます。その異論とは、真の実戦とは、今を生きている我々(死んだことのない生身の我々という意味、死んでも生き返る不死身なら別)が語るには、サンプル・データが少な過ぎるということです。上手く言えませんが、我々は幸運にも生きているだけであって、ゆえに、死んだことのない人間は、誰もその生死、即ち実戦の真の姿を語る資格はないのではないかということです。勿論、生死の境の体験をした人はいると思います。そのような人は別かもしれません・・・。

私の意見は、たとえ生死の境というような状況を体験しなくても、多角度的な疑似体験とかなりの量をこなせば、その本質が見えてくるのではないかというものです(私が言いたいことは、実戦、実戦と軽々しく言うなということですが・・・)。


【「残心」を評価することにより】
話を戻せば、フリースタイルカラテは、相手を倒すことのみならず、倒してからの「残心」を評価することにより、寝技の展開を意識させています(寝技を認めないと先述しましたが、私の道場では、フリースタイルカラテを一種の組手法と捉え、寝技や関節技は別に修練させようと考えています~拓真道として・・・)。

また、首を掛けての崩し技並びに倒し技を認め、その技を評価することにより、頭部の防御を意識させます。

さらには、徒手格闘における重要な意識付けとして、「位置取り」という概念を与えています。フリースタイルカラテでは、充分に相手の動きを支配し背後に着いた場合、「背後取り」として評価、ポイントを付与します。

そのような技術を評価するのは、徒手格闘に必要な体さばきや位置情報に関するセンサーを体得させる企図があるからです。また、位置取りのセンス(感覚)は、関節技や絞め技などの駆使にも重要な要素となるでしょう。

補足を加えれば、フリースタイルカラテにおける打撃技は「相手に打撃によるダメージを与える能力」を評価、審判します。また、倒し技は「相手の動きを支配しバランスを奪う能力」を評価、審判します。さらに、背後取りは「相手の動きを支配し、より良い位置を確保する能力」を評価、審判します。

【その本質(エッセンス)に近づく可能性を拡げる道・・・】
最後に繰り返しますが、フリースタイルカラテは、より本格的な徒手格闘(白兵戦)を誰もが体験できるようにするための「基盤」です。同時に選手の技術や能力レベルを選手のみならず観客に分かり易くするための「仕組み」です。

さらに古今東西において創出され、伝えられた、武術(マーシャルアーツ)の技を試し、その本質(エッセンス)に近づく可能性を拡げる道でもあります。

私は、そのような目標を個と多様な他者とが共有すること。また徒手格闘技による、個と他者との交流と体験を、一人ひとりが楽しんでいけるような武道スポーツができたら良いなと考えています。

フリースタイルカラテは、決して難しくありません。相手(仲間)と僅かなスペースがあれば、誰でも参加できます。

私の夢は、この新しい武道であり、同時にスポーツでもある、フリースタイルカラテを通じ、世界中の人達のからだ(心や文化的価値観の基盤としての)をつなぎ、良心(公正な価値観)を結びたいということです。

明日、5月4日は府中で極真カラテの交流試合が行なわれます。その中にフリースタイルのクラスも設けています。今回は、試合が2試合程と非常に少ないですが、6、7月頃をめどに、高田馬場道場とゴールドジム府中道場を拠点に活動を再開する予定です。

より多くの皆さんが仲間に加わって下さることを願っています。

それでは、良いゴールデンウィークをお過ごし下さい。


▼フリースタイルカラテプロジェクトサイト
国際武道人育英会







TSマークの意味(フリースタイルカラテ拓真道への思い)

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私は、カラテ技術書、フリースタイルカラテ(ノベル出版)を2007年に上梓した。
その時、TSマークの意味について書いた。それに若干の加筆修正を加えたものを紹介したい。

このマークは、国際武道人育英会の理念(志)のシンボルマークにも使用している。

あまり個人的な思想を伝えると、誤解されると思い、意味に関しては伝えず、これまで封印してきた。

TSマークの意味とは、フリースタイルカラテや拓真道がどうのこうのというものではない。
また、意味というよりは、マークに込められた祈りと言っても良いかもしれない。
それは、空手武道をより高めたいという思い、只一つだ。

話は変わるが、フリースタイルカラテプロジェクトの進行は、匍匐前進(ほふくぜんしん)のようだ。それは、私の能力のなさであると同時に、命懸けでもあるということだ。
命懸けの意味は伝わらないとは思うが、現在の初心を述べる意味で、その志を振り返ってみる。
終わりが来る前に・・・・。




TSマークの意味(フリースタイルカラテ拓真道への思い)

このマーク(しるし)は大鳥をイメージしている。
その大鳥は、古今東西の時空を飛び越える。
そして叡智を運ぶ。
その大鳥は、人と人との心間を行き交う。
そして良心をつなぐ。

我々は、カラテ武道が叡智を運ぶ大鳥になることを夢見る。
我々は、カラテ武道が良心を繋ぐ大鳥になることを夢見る。
そして人間には、良心(良知良能)という普遍性があることを信じる。




「最高の家族だ」

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「最高の家族だ」


ぐふふ!
これは、私の笑い声である。
もう少しマシな表現があるかとは思うが、思いつかない。

本日は、朝から印刷物の原稿チェックと発注等をし、夜は高田馬場で指導だった。合間に師範代の秋吉と道場スケジュールや稽古カリキュラムについて意見交換をした。

いつものことだが、正直、息つく間もなかった。また、風邪のひきかけが回復したばかりで、疲れ気味である。しかし、それでも幾分気が楽だった。
なぜなら稽古指導が黒帯や上級者中心のクラスだったからである。

しかし、いつものことだが、帰路の車中、自分に駄目だしをしていた。
「もっと、みんなを上達させるような稽古方法はないか?」「なぜ、もっと褒めて指導しなかった・・・」などなど。

帰宅後、フェイスブックに送られて来た、誕生日のメッセージに、御礼のコメントを載せて寝ようとした。

疲れているし、明日は2つも会合がある。もしかすると3つになるかもしれない。また、印刷物等の製作の仕事も残っている。それなのに、フェイスブックなんて観ている自分を、馬鹿だと思いながら、一応、最善を尽くして寝ようとした。

ふと、眼をテーブルの上に向けると、赤い箱が置いてあった。パソコンを見ていた時も目の前にあったはずである。なのに全く気がつかなかった。

良く見ると、箱の上にはカードが載せてあった。カードには、To Akira  Happy Birthdayと家族全員の名前が書いてあった。

私は赤い包み紙を開けた。中身は、忍者スマートフォン立てであった。

「ぐふふ・・・」「なんじゃこりゃ??(笑い)」

思わず、笑みがこぼれた。同時に、マニアックな私の好みを、家族は理解しているのだと感じた。

断っておくが、私は忍者が好きな訳ではない。ただ、フイギアをはじめ、日本的、江戸文化的、なんと言ったら良いか分からないが、そのような物が結構、好きである。しかしながら、そのようなものを収集しているわけではない。

ただ、作家や学者でもないのに8000冊以上、蔵書をもつというのは、コレクターの端くれといってもよいだろう(本当は図書館をもちたいぐらいだ)。

私の家族は、そんな変人の私を、時には冷たく(笑い)、しかし、時には暖かく見守ってくれているのだと感じた。また、そう思うと、とてもうれしくなった。

これまで、ブログで自分の家族のことはほとんど書いたことはないが、「最高の家族だ」と思う。

そのように大袈裟に書くのは、私の家族は普段、私にダメ出しをし、また突っ込みを入れまくるからだ。正直、腹の立つこともある。つまり、普段の感情の揺り戻しのような状態である(とは言っても、普段、仲が悪いわけではないし、普段から家族のことを私は大好きなのだが・・・)。

そんな家族だが、今回のプレゼントが面白かったので、すべてを許したい(笑い)。

(思わず、睡眠不足を覚悟でブログを書いてしまった。馬鹿だな・・・)





「交流」「理解」「尊敬」 IBMAの挨拶文の修正

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私が心魂を傾けている国際武道人育英会を紹介する、ウェブサイトに修正を加えました。内容は、トップページのメニューを整理したり、挨拶文などの修正です。

未だ、英文の修正等はできていませんし、まだまだ改善の余地があります。
1秒でも速く、より分かり易く、またより多くの方々の支持が得られるよう、頑張らないといけないと思っています。

現在、自分の持ち時間と能力を目一杯使い、ことに当たっています。皆様の考え方とは異なるかもしれません。しかしながら、武道に生涯をかけた人間の感覚です。よろしかったらお目をお通し下さい。


国際武道人育英会の挨拶文

「交流」「理解」「尊敬」
“Communication” “Understanding” “Respect”





 国際武道人育英会の前身は、2000年に発足しました。そして、2003年にNPO法人の認証を受け、IBMAこと国際武道人育英会が創設されました。

  これまでIBMAは、空手道の競技大会の主催を主な事業としてまいりました。その間、多くの方々のご支援を受けて活動を継続することができました。あらためて感謝の意を述べさせていただきます。有難うございました。

 さて、国際武道人育英会ことIBMAは、2011年度から、活動の方針を刷新してまいります。活動の新しいキーワードは、「交流」「理解」「尊敬」です。

その内容は、武道を通じ、人間共通の心と心を交流させ、互いが人間としてより普遍的な部分で理解、共感し合うこと。そして、立場や能力などあらゆる差異を受け入れ、人間として尊敬しあうことを目指すというものです。

 現在、我々の住む地球上には、実に多様な人種や言語、文化等々が存在します。私は、その差異を有意義なものとして受けいれながら、やはり人間には普遍的な部分があると実感しています。

 私は今、人間の有する普遍性を理解しようとしています。そして、その普遍性を了解し合うならば、社会における対立・闘争のより良い解決法を創出する基礎となるのではないかと考えています。

 我々人類は、「安心」や「幸福」への願望から、科学を進歩させ、経済活動を営み、その一方で「暴力」と「自由」という問題を抱え込んでいるのだと、私は思います。
 
 私は今、そのような願望の実現や問題の解決に対し、武道家として、何ができるか考えています。

 
 私の立ち位置は、キーワードで先述した、それらの願望の実現や問題の解決が、社会や集団によってなされる事物と考えると同時に、一人ひとりの行動が生み出す事物だと捉えています。言い換えれば、一人ひとりの心が、願望を実現させ、問題を解決するのだと考えているのです。

 武の先達の教えに、「彼を知り己を知れば、百戦殆うからず」というものがあります。その意味は、他者や敵と認識しているものの本質・実態を知ることと同時に自分や自己と認識しているものの本質・実態を知ることが「武」には必要だということだと思います。

 私が考える武道の究極の目的とは、敵を打ち負かすことではなく、他者や敵を活かし、かつ自分を活かすことにあると考えています。それが真に「勝つ」ということだと思います。

ゆえに現代における武道の役割は、一人ひとりが他者の心身と共に自己の心身を活かすという思想を育み、それを伝えることだと思っています。

 言い換えれば、武道とは、武力のように他者を破壊するための力ではなく、自他を活かしていく力の養成とその道なのです。様々な武道論が存在しますが、私の考える武道とは、そのようなものです。

 我々のいう武道人(Budo-Man)とは、上述のような武道を理解し、国家と国家の架け橋となる人間のことです。是非、より多くの空手愛好者、格闘技愛好家の方々の入会をお願い申し上げます。


2014-5-24修正


国際武道人育英会サイト

未だ見ぬFKPの仲間へ

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 今年の2月からFKPは、私の頭の中では、ほぼ休止状態のようでした。それを無理矢理に再起動させました。本日は、次回の大会に向けた抱負を述べたいと思います(抱負等という程、威勢の良いものではないですが・・・)

【未だ見ぬFKPの仲間へ~2015年にむけて】

 私は、2006年から少数の門弟、仲間と共に、空手のみならず、あらゆる格闘技術を試せる新しい試合ルールを模索して参りました。そして、出来上がったものがフリースタイル空手です。

 フリースタイル空手の目指すところは、多様な格闘技の特殊性(独自性)を活かすと共に、そこに内在する普遍性を発見することです。言い換えれば、多様な格闘技術を交流させ、多様な武術、格闘技を尊重し、それらを活かし合うことです。

 さて、いまだ人類には、相互理解の困難や暴力の行使、現出という問題があります。それらの問題は、自他を客観的に見ることの困難に起因するのではないかと私は考えます。にも関わらず、我々人間は、自他を区別する意識やテリトリー意識などを生成します。そのような性質が、様々な矛盾と葛藤を生み出すのではないかと、私は考えます。一方、人間は、他者と共感し合う感情(こころ)を有していると考えています。
 

 私は、それらの意識や感情の存在を前提に、他者と交流し、理解し合うためのより良い手段を創りたいと考えました。また、人類の意識や感情が生み出す暴力性(攻撃性)を昇華する手段を持ちたいと考えました。その手段がフリースタイル空手という新しい武道・格闘技スポーツなのです。

 その手段には、世界中の誰もが納得できるような“明確性“が必要だと考えました。また、多様な技術を受け入れ、融合できるような“受容性”も必要だと考えました。さらには、受容した事物を基に、新たな技術と価値を創り上げるような“創造性”が最重要だと考えました。つまり、“明確性”“受容性”“創造性”を生み出すシステム(有機的組織体・構造)が必要だと考えたのです。そのようなシステムを目指すものが、フリースタイル空手です。

 かって我が国の先達のひとり、嘉納治五郎師範が、普遍性の高い理念を核に日本古来の武術を再構築し、新しい人間教育のシステムを創出しました。それが柔道です。当時、それは新しい武道の誕生といっても過言ではないと思います。さらに柔道の思想は、西洋から興ったスポーツやリーダーシップの思想(おそらくキリスト教の教えも含む)と親和性があるものでした。ゆえに、柔道はオリンピックゲームとなりました。 異論はあると思いますが、私の眼にはそのように映ります。


 私は、カラテ武道も柔道に倣い、高い理念を核にシステムを再構築するならば、オリンピックゲームに認められる可能性が高いと思っています。また、新しい武道スポーツが、21世紀以降を生きる人達の人間性回復の手段、人間教育の一助となると考えています。しかしながら、まだまだ仲間が足りない状況です。

 ここで、これまで言い続けてきたことを繰り返します。フリースタイルカラテは難しくありません。ルールがあるだけです。そして、そのルールは、ほぼ出来上がっています。後は、各地域でフリースタイルカラテ・プロジェクトを始めていただくだけです。柔道の技術も草創期は、様々な流派の人々が手探りで行動・修練し、創り上げていったのだと想像します。

 私は今、2015年に開催予定の第3回大会に向け手動き出しています。しかしながら、FKPは瀕死の状態と言っても良いぐらい脆弱です。

 私が今、祈り続けるのは、各地域で同志が行動を起こすことです。私は、思いを有する武道家が必ずいると考えています。その仲間に伝えたいのは、自分自身が1から行動すること。そのような体験が人間形成の第一歩であると同時に、自己実現への第1歩でもあると言うことです。

 最後になりますが、フリースタイルカラテは、個々が個を強くしながら、同時に他者と共に全体を創っていく武道です。それでは、自分自身で行動を起こす、未だ見ぬ友人を日本で待っています。2015年に向けて・・・。
(予定では、第3回大会は2015年9月になると思います)



蛇足
私の欠点は、馬鹿正直過ぎて、はったり等をかませないことです。はったりをかますぐらいの方が人はついてくるのかもしれませんが、それができません。なるべく真実に近いと思われることを、いつも選ぼうとしています。
さらに蛇足ですが、本当は、柔道やスポーツ等の発展形態を、各地域の宗教の伝播や政治状況等を含め、価値観の変遷というテーマで社会学的に研究したいと考えています。そんなことを言い続けて人生が終わると思います(笑い)。


2014/5/24修正


道場稽古リニューアル計画開始!

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道場稽古リニューアル計画開始!


昨日は朝から、頭痛がひどかった。
金曜日は少年部指導があるし、これ以上、悪化するとやばいと思った。
しかし、家内に「頭痛薬飲んで稽古行け!」と尻を叩かれた。

「厳しいなあ(笑い)」と内心思いながら、薬を飲んだ。
頭痛は治まり、私は高田馬場に向かった。

脳裏には、「そうだ、本日は取材の約束がある」「手嶋君や道場生が待っている」また、「新しい稽古メニューをみんなに伝えなければ」と思いながら移動した。


先述の取材とは、小山郁先生が上梓予定の「クロストレーニングに関する書籍(タイトルは聞かなかった)に載せる、私のインタビュー?である。

小山郁先生と私は長年、懇意にさせて頂いている。小山先生は医師で武道家でもある。
また、私の道場では月に一回、小山先生主催のクロストレーニングセミナーを主催している。

【「やはり、増田流・極真空手の基本を徹底して突き詰めよう」~新しい稽古メニューについて】
さて、私の道場生に対し、新しい稽古メニューについて簡単に説明したい。
私の道場では、長年、伝統的な極真空手の稽古の他に私が考案した組手型(約束組手も組手型に含む)や組手技の稽古を多く行なう。

そこに、フリースタイルカラテの技術(倒し技等)の練習、時には関節技の練習も、近年行なってきた。

しかしながら、あまりにも技の種類が多くなり過ぎた。また、多くの技を道場生に教え込もうと、道場生に負担をかけ過ぎたかもしれないと考え直した。

それに、私の道場では伝統技も大切に稽古するので、指導員が私の考案した技を上手く伝えられなかったように思う(すべて指導員ではなく、私の責任だ)。

そこで私は、思い切って稽古メニューの見直し、リニューアルを考えた。
そして、そのリニューアル案が、ほぼ纏まって来たので、ここ数週間、いくつかの道場で実験的施行を試みていた。

リニューアルと言っても、内容が大幅に変わる訳ではない。基本的には、稽古の枠組み、時間配分を変更するだけである。しかし、それによって、すべての稽古クラスの質と量を維持、調整し易くなり、道場生の上達スピード等が向上すると考えている。勿論、稽古項目に若干の変更はある。

ただ、そこに一つ大きな問題があった。それは、フリースタイルカラテの稽古をどうするかである。

当初、高田馬場道場の木曜日の師範稽古をフリースタイルカラテの練習日にする案を考えた。

しかし、道場生に意見を求めた際、「やはり伝統基本から、増田(師範)の指導をきっちり受けたい」と先述の手嶋君(道場生)からの応えがあった。


手嶋氏は現在、仕事場は道場の近くだが、通勤に2時間近くかかるらしい。
誰よりも稽古熱心で、毎回1、2番目に道場に通って来る黒帯、手嶋氏の意見である。
私に感情的な思い入れがなかったかと言えば嘘になるだろう。

しかしながら、ここ数ヶ月の間に得た直観を正しいものと実感した。
誤解を恐れずに言えば、「やはり、増田流・極真空手の基本を徹底して突き詰めよう」「その上で、新しい技術を補足していこう」ということである。


【木曜日の師範稽古クラスは、すべての会員が楽しく、効果的に空手稽古を行なえる一般クラスに変更】

今回の稽古メニューリニューアルついて説明したい。変更内容はシンプルである。
内容を簡単に説明すれば、100分の稽古時間に「基本稽古」「打ち込み稽古」「組手稽古」「型稽古」を配置するだけである。つまり、道場稽古リニューアルの意味は、稽古の大枠(フレームの変更)の変更のことだ。

具体的に言えば、基本稽古には、「伝統技」「組手技」「フイジカル・トレーニング(簡単な体幹トレーニング)」「移動稽古」までを時間内に収まるよう配分した。

ご存知ない方もいると思うが、極真カラテの伝統基本は、空手流派の中で最も量が多いと考えている。そこが極真空手の良い点でもあったのだが、それを忠実に実施すれば、新しい技を身につけることが難しい。


ゆえに、技を何種類かに分類し、それをブレンド?した。1ヶ月4回、1週間毎にブレンドの内容は変わる。勿論、正拳突きや蹴り技に関しては、毎回、同じ稽古項目を実施する。細かい技に関しては、1ヶ月単位で、すべての技を体験する。そのようにすることで、普段良く使う技と普段あまり使わない技の上達に必要な稽古量も確保しながら、時間を節約できる。

打ち込み稽古に関しては、これから道場生に伝えたい。増田道場オリジナルの稽古メニューを考案してある。


【昨晩の稽古は】
昨晩の稽古は、言うなれば、体験会のようなものであった。50代半ばの荻野聡先生にも新しい稽古メニューと打ち込み稽古を体験してもらった。荻野先生の動きは、とても50代半ばには思えない。

稽古後、感想を求めたが、「非常に良い」という解答だった。勿論、様々な感想があると思う。これからさらに、体験者を増やし、更なる検証と検討を行いたい。

私がここで言いたいことは、木曜日の師範稽古クラスは、すべての会員(白帯から黒帯まで)が楽しく、効果的に空手稽古を行なえる一般クラスに変更するということである。勿論、稽古における安全の担保は言うまでもない。

時間は、夜7時半から100分間(9時10分まで)。
兎に角、すべての会員が参加して欲しい。

補足を加えれば、フリースタイルカラテは、一般クラス終了後、フリースタイルカラテをやりたい人が残り、約30分間だけ、受け身を始め、倒し技の型、軽い限定のFK組手を行ないたい。限定という意味は、道場生のレベルにあわせて、技を限定し組手練習を行なうということだ。例えば、首取りだけ、首取りと膝蹴り(首相撲)、組み合いと膝蹴りのみ、すべての技を使った組手等々。

さらに、定期的にフリースタイルカラテの特別稽古や講習会を、広い道場で集中的に行ないたい。

是非、より多くの道場生に木曜日の一般クラス(研究クラス改め)に参加していただきたい。

【FKC東京増田道場】

フリースタイルカラテについては、約30分の練習会だが、「FKC東京増田道場」の定期練習会と名付け、継続していきたい。サッカーチームの名前のようだが無関係である(笑い)。しかしながら、Jリーグやサッカーの組織づくりとは共通項があるかもしれない(今後、構想は具体的にしていく。いつも構想のみ先走るが・・・)。

ここでFKCについて少し述べたい。FKCとは、フリースタイルカラテ・クラブの意味だ。このようなFKCは、現在、岡山、イタリア、フランスにある。今後、総合格闘技ジム、マスタージャパンも加わってくれると確約がとれている。近いうちに、整理し、発表したい。
各地に、様々な流派のフリースタイルカラテ(新しい武道スポーツ)のクラブ(同好会)が発足することを夢見ている。

最後に、一旦は代行指導を頼んだが、取材の約束があるのと、手嶋君やいつもの道場生の顔が浮かび、無理して道場に向かった。道場で、本間、手嶋、玻場、荻野氏の顔を見たら、元気が出て来た。9時近くになって、中台、福岡氏も稽古に参加した。

昨晩は、一旦、一般クラスの100分コースを終えて、FKC(フリースタイルカラテクラブ)の練習を新たに開始した。

僅か30分の練習会である(稽古後自主トレはできる)。シンプルな練習内容にした。昨晩は限定のFK組手(膝蹴りと組み合いの限定組手)だった。平たく言えば、膝蹴りOK&「着」を掴んで良いという限定(ルール)のレスリングのような組手である。

私の愚息のような福岡氏との稽古は楽しかった(御免、彼は理系大学院出のインテリです)。彼は柔道4段だと聞く。
彼も、昨晩のFKの練習について肯定的な意見を述べていた。彼は、ストレートな男で、時々彼の物言いには腹が立つが、身内だと思って我慢している(笑い)。おそらく、彼を知る道場生は、うなずくに違いない(笑い)

また、取材もおもしろかった。帰宅途中、荻野先生と話をしたが、私のトレーニング論、トレーニングの歴史に関する、再発見があった。これは、とても重要なので、明日以降、ブログに記したい。





蛇足ながら

忙しくて散髪にもいけない。また、くたくたなので、帯の長さの左右が違う(笑い)。
返り際、車で正面衝突しそうになった。私に非はなかったが、気をつけたい。
日曜日は、テキスト製作と勉強、そして「クロストレーニンング再発見」というようなテーマで小論を書こう。生きていれば・・・笑い。






1勝9敗のダメダメ男のクロスオーバー体験論〜その1

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「僕は1勝9敗のダメダメ男です」
「えっ?」

「本当は、その1勝だって、怪しいと思っているんです」
「???」

先日、小山郁先生の上梓する書籍の本に挿入する体験談の取材でのやり取りである。そこには、盟友の荻野先生、小山先生も同席していた。

稽古後のよれよれの状態、しかも時間も夜遅くだった。
限られた時間、通常の早口が、さらに早口になった。
本当に恥ずかしい。身内には、「どうせ、性格は直らないんだから、反省するの、止めたら」ときつい言葉を浴びせられる毎日である。

しかし、私はあきらめない。失敗の経験から、理想のあり方を、何度も何度も心の中でイメージし、それを目指した行動を反芻していく。そうすれば、イメージ通りにはならないかもしれないが、本当の個性、人間の味がでて来る。そのように思っている。

そう言えば、大山倍達総裁の生前、私は自宅に招かれたことがある。その時だったか、総裁室で言われたのかは定かではないのだが、「極真のチャンピオンはみんなハンサムだ」と言われた。そして、それを言った後、私の顔を見ながら、少し困った顔で、「うん、増田君もなかなか味があるよ~」とフォローしてくれたことを思い出す。

偉大なる師に対して不遜であるが、正直で憎めない人柄だった。弟子なら当たり前であるが、大好きな人だった。


【1勝9敗のダメダメ男のクロスオーバー体験論~その1】

さて、編集者は私に以下のような質問を投げかけて来た。
「子供の頃のスポーツ体験は?」
「陸上をやられていたと聞きますが・・・」等々
文言は正確ではない。私は「子供の頃は、毎日、学校が終わるとグラウンドにみんなで集まり、ソフトボール(野球の代用)、サッカー、ドッジ・ボール等をやっていました」というように応えたように記憶する(大体)。
 編集者は、すかさず問いかける。
「子供の頃、運動神経は良かったんですよね?」

私は、「うーん、3~5番内でしょうか」
その後、私はその応えの意味を説明し始めた(編集者の方は、早く本題に入って欲しかったかもしれない)。

私が小学生の頃、私の回りには、野球をやれば、私よりより上手い奴がいた。
しかし、私は、その上手い奴からサードのポジションを奪った。そして、彼をショートやセカンドに追いやった。なぜなら、私は当時、長島茂雄が大好きだった。ゆえにサードを守りたかった。しかし私は、トンネルを良くする、ダメダメサードだった。
但し、バッティングは1、2を競っていた(バッティングも大したことはなかったが・・・)。
自覚はないが、ガキ大将だったかもしれない。

その守備の上手かった友達はその後、中学で野球部に入り、高校では星稜高校の野球部員として、甲子園に出場したように記憶している(調べれば分かるが、記憶が定かではない)。

私は走るの早くはないが遅くもない。身体がでかい割には早い方だという程度である
(先述の野球のうまい友達は、私より足が早かった)。しかし、跳び箱や徒手体操は得意だった。
要するに、何でも上位クラスだが、トップではないというのが、幼少の頃の私だ。
私は、半ばジョークのつもりで、「格闘技(喧嘩)は1番強かったと思います」と付け加えた(笑い)。


笑いながら編集者が、「要するに、運動に関してはオールラウンドだったということですね」と切り返して来た。

私は「まあ・・そうです」と照れながら応えた。

私は、さらに運動体験を語った。私は、空手は小学生から始め、中学ではクラブには入らなかった。空手をやるためである。しかし、その空手も伝統派の空手で、私には合わなかった。その後、大山倍達のことを本で読み、極真カラテをやりたいと思うようになった。しかし、私の郷里には極真空手の道場はなく、仕方なく自己流で身体を鍛えていた(オタクっぽい少年だったかもしれない・・・)。

その辺で編集者が質問をしてきた。
「中学では何もやらなかったんですか?」

私は、「いいえ」「柔道をやりました」と応えた。
(話は続く)


[補足]
この話は、空いた時間に少しづつ書き続けます。結論はシンプルなのですが、そこに至るプロセスを記しておきます。野田山墓地から

【1勝9敗のダメダメ男のクロスオーバー体験論~その2】

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【1勝9敗のダメダメ男のクロスオーバー体験論~その2】


ここから長い話が続くかもしれない。私は、中学・高校時代に実に様々な体験をした。
ゆえに、ある程度、きちっと話さないと、経験が多過ぎて、?マークが一杯でる可能性がある。ゆえに、少々脱線するようだが、書いておく。

【私が柔道を始めたのは】
私は、中学生から高校の始めまで、柔道に打ち込んだ。
私が柔道を始めたのは、中学生のある時、大山先生の本の中で、先生が柔道や様々な武術を修練したと書いていたのを見つけたからだ。それで、将来、極真空手をやるにしても、ひとまず柔道をやろうと思い立ったのだ。しかし、私の中学の柔道部は廃部寸前だった。しかし、私は本で柔道の勉強をする内、どうしても柔道がやりたくなっていた。そこで、中学の柔道経験者を一人ひとり口説いた。「柔道部を創ろう」と。中には、断る者もいたが、5~6人が集まった。その中には、少年柔道をやっていた林君がいた。

特に、柔道部の副キャプテンを務めた、林君は、背負い投げが上手だった。

後日、聞いたところによれば、彼は少年柔道クラブのメンバーの中でもセンスのある少年だったらしい。

私も始めて練習した時、そう感じた。素晴らしい背負い投げで、見事に投げられた。しかし、私はその彼を副キャプテンにした。

私は柔道部創設の際、「柔道部は、俺が仕切るから、私がキャプテンで、お前は副キャプテンをやってくれ」と彼にはっきりと伝えた。


彼は、口は悪かったが、いい男だった、あっさり「良いよ」と応えてくれたように記憶する。本当は、陰で悪口を言っていたかもしれないが・・・(笑い)。
でも、私は信じている。短い期間だったが、チームワークの良い柔道部だった。

ある時、学校の講堂でクラブの新人募集の集会があった。私が代表した。そして新入生に「柔道部に入って強くなろう!!」そんな感じの呼びかけをしたように記憶する。すると、新人が10数名ほど、入って来た。女の子も見学にきた(窓の外から数人が見ているだけだが・・・笑い)。その後、私が引退してからは、クラブは存続したかは分からない。


余談だが、数年経ってから、暴走族になった後輩に出会った(笑い)。男前のかわいい奴だった(笑い)。

断っておくが、私がキャプテンになったのは、誰よりも柔道に対する情熱があると自負があったからだ。また、廃部寸前の柔道部は、強いキャプテンシーがなければ、なし得ないと直観していたのと、時間を無駄に過ごすのが大嫌いな私の性癖による。以上の部分は、拙著にも書いた。

中学3年生だった私の柔道部運営方法は、稽古メニューの大枠は私が決め、技の研究は経験者の中から、その技の得意な者を選び、みんなで教わる。

例えば、背負い投げを教えるのは林君、払い腰は何々君というように。
また、当時を振り返ると、柔道の技の習得に一生懸命だった。技の研究を懸命に行なった。後から考えれば、経験に乏しい私の研究等、たかがしれている。しかし、それをさとるには、数多くの体験と失敗、そして5~6年の歳月を必要とした。

当時の私は、勉強もせずに柔道の本を読み続けた。おそらく、柔道部の中で、柔道の本を一番読んでいたのは私だったはずだ。大雑把に例えれば、柔道オタクのような感じだ。

実は、私の中学の柔道部顧問は、柔道ができなかった。しかし、顧問の先生は、懸命な私に柔道塾を勧めてくれた。

その柔道塾が、私が人生の中で、最も感謝している先生の一人である岩井克良先生の主宰する岩井柔道塾である。当時の中学の柔道部顧問の先生にも御礼を言いたい。健在であることを祈っている(段々人生が終盤に向かっている。寂しい・・・)


しかし、柔道素人の私がキャプテンとは、ギャグ漫画のようだ・・・。
私にとっての最初の柔道教本は、秋田書店の「柔道に強くなる」(醍醐敏郎)である。今も永久保存版として残してある(笑い)。

また猪熊功先生の「柔道」(講談社)も岡野功先生の「バイタル柔道」も永久保存版だ。高校に入ってからも、多くの柔道の本を読みあさった。原 康史先生の「柔道三国志」も私の愛読書だった。

私が好きだったのは、猪熊功先生である。当時、猪熊功先生が「俺がヘーシンクと戦ってやる」と何かの本で語っていたのを読んで、気持ちが高ぶったのを憶えている。

(その3へ続く)




1勝9敗のダメダメ男のクロスオーバー体験論~その3

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1勝9敗のダメダメ男のクロスオーバー体験論~その3

【柔道体験によって得た、最大のものは・・・】

柔道の経験、そしてその勉強は、私に多大な影響をもたらした。柔道体験によって得た最大のものは、「技術の重要性」と「ウエイト・トレーニング、体力増強の重要性」である。また、「柔よく剛を制す」の思想である。それら3つの観点が、増田 章を創ってきたと言っても過言ではない。

浅く受け取れば、「柔よく剛を制す」という思想は、体力増強と相反すると思われるかもしれない。しかし、その直観は、何十年の歳月と経験により、確信に変わっている。

周知の事と思うが、私の空手の師、大山倍達先生は、「技は力の中にあり」と教えた。そして、体力増強を修練の柱とするよう我々に唱えた。

この辺は、私が本当に書きたい、空手武道理論書の眼目とも繋がるのだが、辺りだけ述べておく。

先述の「柔よく剛を制す」という、中国古典の三略の言葉の指し示すことと大山先生の指し示したこととは、視点が異なる(三略じやなかったかな~?)。

大山先生が言われた「力」とは、噛み砕けば、技の基盤こと。つまり、基盤がしっかりしていなければ、「技」は生まれないということである。

他方、「柔よく剛を制す」の指し示すところは、相手の反応や相手の力に逆らわず、それを利用するということだと、私は考えている。

つまり、視点が異なるのだ。「技を生み出すには基盤が大事」と言っているのと、「自分の力だけを使うのではなく、相手の反応に重きをおき、それを活用するのだ」という考えとは、視点が異なる。ゆえに先達の2つの言葉、教えは相反しない。

【技は力を生み出し、力は技を生み出す】
先達と対立するわけではないが、私流に言えば、「技は力、力は技」、あるいは「技は力を生み出し、力は技を生み出す」と云いたい。

その意味は、「基盤(原理)こそが力の源泉であり、力そのものである」ということ。また、「基盤(原理)の本質は技を生み出すこと(生成)にある」というものである。ゆえに、より良く生きるには、力の本質を見極めなければならないということだ。これ以上は、執筆を再開し、思索を深めてからにしたい。

話を戻すと、柔道修業時代、憧れた猪熊先生の著書は、当時としては珍しく、ウエイト・トレーニングに多くの項を割いていた。

大山先生の著書も体力の重要性を説いていた。
私は大山先生と多くの柔道家の伝説と稽古法の情報により、「先ずは体力だ」と体力トレーニングに力を入れたことを思い出す。

思い起こせば、ブルースリーも抜群の肉体美を誇っていた。
笑って欲しいが、中学生の私は、毎日腕立て、懸垂、エクスパンダーや鉄アレイ、短距離ダッシュ(スプリント練習)等を家や近くの公園や駐車場で繰り返した。

(その4に続く)

1勝9敗のダメダメ男のクロスオーバー体験論~その4

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【1勝9敗のダメダメ男のクロスオーバー体験論~その4】


【陸上競技の体験】
かなり脱線したが、この辺で取材の話に戻りたい。

柔道の話を遮るように編集者が、「陸上のレーニングを多く取り入れ,やられたとお聞きしましたが・・・」と軌道修正を入れて来る(笑い)。

私は、「はい、陸上トレーニングは、毎日多い時で2時間程、やりました」
続けて「実は高校生の一時期、陸上部だったんです」
「陸上部では、砲丸投げをやりました」
「私は、その競技で石川県のランキングに入り、インターハイに出場するという目標を掲げて一生懸命に陸上競技をやってました(笑い)」と伝えた。
さらに、私は熱弁を振るった。
「陸上部の先生には、お前がインターハイにでれたら、日体大に入れてやると言われていました」「しかし、目標は達成できず、陸上に挫折しました」・・・・。

私は、いつもテンションが高く、始めから高い目標を掲げる。それが私の悪い癖かもしれないと、あらためて思う(笑い)。

編集者が、そんな話はどうでも良いと言わんばかりに質問を投げかけて来た(冗談です・・・笑い)。
「どんな陸上トレーニングをやられていたんですか?」


私の応えは以下のような感じである。
「当時、空手の稽古も併行して行ないながら、陸上、そしてウエイト・トレーニングを行なっていました」

「トレーニングの中には、プライオメトリック・トレーニングという、記憶は定かではないが、当時、旧ソビエト連邦や東ドイツのアスリートが行なっていたトレーニング方法もありました」
「例えば、ジャンプして高い台の上に、飛び載ったり、飛び降りたりするトレーニングです」
「また、台の上から飛び降りてからすぐにジャンプするようなトレーニングもしました」

それらのトレーニングは主に瞬発力を高めるトレーニング方法だったと思う。
その他、三段跳びの練習のようなことも行なった。
また、重量挙げの練習も取り入れた。私が、よく行なったのは、ハイクリーン&ジャークやジャンプトレーニングである。

ハイクリーンは、金沢の永江トレーニングで教わった。また、後に東京のビックボックスで、当時、早稲田大学教授で早大極真会の顧問をしていた、窪田登先生にも、ハイクリーンとゴム飛びが良いと教わったことがある。

また、大山倍達先生も、若木竹丸先生の著書を読んで、重量挙げの練習やジャンプ(おそらく飛び蹴りの練習)のトレーニングをよく行なっていたと聞く。

その他、陸上部時代に、短距離の走り方(今の理論とは異なるが)を教わった。陸上部で行なった、「流し」や「アジリティー・トレーニング」始めとする、数々の陸上トレーニングは、30数年を経た、現代でもアスリート達が採用しているトレーングの基本だと思う。私は本が好きだったので、当時も陸上の本を良く読んだ。当時は本を買うお金がなかったので、立ち読みが多かったが(笑い)。

書籍により、最新の運動生理学や運動理論の領域があるということを知った。
理論については、すべてを理解することは難しかった。
だが、陸上競技の経験により、科学的な領域、アプローチ方法がスポーツにもあるということを知った。そのことは、私の人生に重要な意味があると思っている。
因に、当時の日本は、精神主義全盛の時代だった。


(この後も続くが・・・、しばらく書くのを止めたいと思っている(笑い)。
今回、他の書類を作成しながら、その合間にブログを書いていたが、ブログは時間が取られる。かといって、いい加減にも書きたくなかった(俺は馬鹿だな~)。これでは身体を壊してしまう。

まだ、書いた原稿がある。少しづつ継続するか、本題に入りたい。この回で書きたかったのは、クロスオーバートレーニング意義と体験的、クロスオーバー体験論である)

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1勝9敗のダメダメ男のクロスオーバー体験論~その5

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【1勝9敗のダメダメ男のクロスオーバー体験論~その5】
【陸上部時代の体験】
ここで少し、陸上部時代の体験を記しておきたい。

私はワンシーズンだけ、高校の陸上部に籍を置いた。
陸上部の顧問は、日体大を卒業し、体育教師になりたての女性の先生だった(正確には2年目だったかな)。加藤千草先生と言った。拙著で少し触れているが、とても素敵な先生だった。
誤解を恐れず書いておきたい。加藤先生は、とてもスタイルが良く、走る姿はバンビのようだった(笑われるかな・・・)。

加藤先生は、とてもオープンで気さくな先生だった。実は、年も7歳ぐらいしか離れていなかった。

私は、先生の車に乗せられ、毎日、約30分(?)かけて、県営の陸上競技場に練習に向かった。BGMはいつも松山千春であった(笑い)。
松山千春の「銀の雨」は先生の大好きな楽曲だったと確信している(笑い)。

さて、毎日練習した、県営陸上競技場には、様々な高校の陸上部が練習にきていた。時々、私が放校になった、星陵高校の陸上部も練習にきていた。

【ある時】
ある時、こんなことがあった。中学、高校と同級生だった奴が、ロッカー室で後輩に「あんな陸上競技の素人に負けるな」と、発破をかけていた。
彼に悪気はなかったと思う。しかし、思春期だった当時の私のこころは、甚く傷ついたのを記憶している。


【ほろ苦い思いで】
ほろ苦い思い出を、少しだけ吐露したい。

先述の加藤先生は、陸上への具体的な目標を語り、一生懸命練習する私を高く評価してくれていたと思う。

時には、競技場の芝生の上で、先生の身の上話等を聞かせてくれた(彼氏の話だっだように記憶する)。青春ドラマのようであった(笑い)。

だからこそ、私が陸上部を止めたいと伝えた時、とてもがっかりし、かつ、私に幻滅したと思う。
少し背負っているかもしれないが、ほんとうに申し訳なく思っている。

私はよく挫折する男だった(笑い)。回りもあきれていたのではないだろうか。
盟友の荻野氏は、「1勝9敗のダメダメ男・・・・」のタイトルを見て、「1勝99敗じゃないの~」と突っ込みを入れて来た。「仰る通り(笑い)」
私は1勝99敗のドジなダメ男である。

なぜ、挫折ばかりするのか?おそらく、何事にも高い目標を掲げる割に、能力と努力が足りなかったからか・・・。また、あきらめが早過ぎたのか・・・。
兎に角、思春期の私は、受験勉強、柔道、そして陸上競技等、多くの挫折を繰り返した。

「挫折の一番大きな原因は何か?」
私は、長い年月を要したが、極真カラテの修行を長く続けて来て、ようやく理解しはじめている・・・。
(その6に続く)


自意識過剰?

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自意識過剰?

息子「自意識過剰じゃね?」
父「なぬ?」
息子「だって、自分の誕生日をTシャツにいれるなんて~」
父「バカ言え、でたらめの番号を入れるよりは、何か意味のある数字を入れたかったんだ」
息子「自分の誕生日を~」
父「俺の道場の記念Tシャツだ」「他に良い数字があるか」


以上は、私が息子に道場Tシャツのデザインのラフを見せたときの感想である。

本日、私の道場の2014年版、Tシャツのデザインが決まった。

先日したやり取りは、愚息とのやり取りである。私はなんでも一生懸命にやる(自分でいうのもなんだが)。このTシャツづくりも忙しい中、色々と考えながら、全力でやっている。
それを、一刀両断にしてきた家族に、「俺をそんな馬鹿に見ているのか」と、腹が立った(笑い)。

少しだけ、私の心情を吐露したい。
実は、ここ数年、とても大変だった。その理由は悪い奴に絡まれたからである。勿論、すべて自分の判断の甘さに帰着するが・・・。また、「それもまた良し」「そういう経験をしたから、気がつくこともあった」「それを生かそう」と思い直しているからだ。また、過去をうだうだ言っている暇はない(人生はいつ終わるか分からない)。

さらに道場の移転を昨年、決行した負担が尾を引いている。ゆえに、ここ1年間、気が休まる時がない(まだ片付いていない)。しかし、仲間の協力がこころの救いである。


現在私は、道場の稽古メニューや管理方法の改善に尽力しているが、落ち着くまでには、もう少し時間がかかりそうだ。しかし、なんとか心機一転、頑張りたいと思っている。

最近、そのような気持ち、気分を創るためには、「ビジョンやコンセプトを明確にし、それを打ち出す必要がある」と直観した。その内容は、機会を見て話したいが、先ずは合宿に合わせて、道場のTシャツを創ろうと考えた。

そこで、以前にもTシャツやロゴマークのデザインの作成を依頼したことのある、坂上誠氏に相談した。

実は、坂上氏は有能なデザイナーでもあるが、熱心な増田道場生でもある。現在は独立し、自分でデザイン会社を立ち上げているが、以前は、某有名アパレルでTシャツデザインを手がけていたらしい。聞けば、数十万枚のヒット作品もあるらしい。実際、10年程前、彼のデザインしたTシャツを良く目にした。


坂上氏とは、かれこれ10年以上の付き合いになる。彼に仕事を依頼する時には、必ず、食事をしながらデザイン論を交わす。私は、彼からデザインの話を聞くと、ついつい時間を忘れる。なぜなら、彼のデザイン論が面白いからだ。

私も調子に乗り、「私もデザイナーのつもりでフリースタイルカラテ拓真道を創りたい」と熱く語る。

因に私は、「僕は、今は売れないデザイナーだけどね(笑い)」「でも、僕が死んだ後に売れるから」という落ちを必ずつけているが・・・(落ちてない?)。

今回、彼から、私が技を相手にかけている写真をトレースのような感じで使い、TSロゴと組み合わせ、デザインしたものを見せられた(決めたのは3作目)。

師範代の秋吉や高校生の道場生は「良い」という感想だったらしいが、私が拒絶した。

なぜなら、自分の写真(イメージ)をTシャツに使うということにアレルギー反応があるからだ。
私は「そういうのは、俺が死んでからにしてくれ(笑い)」とストレートに伝えた。

私は、男性も女性も、子供も大人も、誰もが着ることのできるデザインにしたかった。さらにオリジナリィティー(独自性)が有り、かつ多少の宣伝になるようなデザインにしたかった。

自分の誕生日を人に知らせたい訳ではない。そこには、独自性がないといけないのだ。それを、例えトレースであっても、写真では出過ぎなのだ。
でも、増田道場だけでは、どこの増田道場か分からない。

ゆえにシンプルな数字に意味を持たせたかったのだ。それなのに・・・・。


話を最初に戻せば、家族は口々に、「会社の設立記念日にすれば~」「なんで522なの~」と完全に馬鹿にして来た。

本当にそうかな・・・。例えば、「2014」というような4文字では駄目だ。「私は3文字が良い」と坂上氏に伝えた。彼も3文字が良いと応えた。

皆さんはどう思われるだろうか?

後は、道場生に聞くだけである。私は坂上氏のデザインが気にいった。
少し自慢すると、私のイメージ、方向性が再現されているからだ。
勿論、イメージ以上ではあるが。

最後に私は坂上氏にこう伝えた。
「御免ね、馬鹿クライアントの意見を聞いてくれて」「ありがとう」「気に入ったよ」と。
坂上氏は、電話の向こうで苦笑していた。


自意識過剰な男のくだらない話でした(笑い)。それでは皆さん、良い休日を・・・。










坂上 誠(Makoto Sakagami)
グラフィックデザイナー/イラストレーター
deeDesign(ディー・デザイン)代表
デザインの専門学校卒。総合印刷会社、総合広告代理店、
アパレルの会社を経て、deeDesignを設立。
数々の有名アパレルブランドのプリント図案の企画・制作
を中心に、ジャンルを問わず、幅広くデザインやイラスト
を手掛ける。

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