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「柔道」「幼なじみ(仲間)」「ふるさと」「師と父」

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岩井柔道塾60周年記念祝賀会
~「柔道」「幼なじみ(仲間)」「ふるさと」「師と父」

【岩井柔道塾60周年記念祝賀会】

「昭和6年には全国警察柔道大会に警視庁から主将として出場し団体優勝した」「牛島辰熊の薫陶も受け、県警の柔道教師を勤めた」

私の柔道の師である岩井克良先生(2代目)の父でもある、石川県・岩井柔道塾の創設者(先代)、岩井良美師範の経歴の一部である。

先日、私は石川県・岩井柔道塾の創立60周年記念祝賀会に参加してきた。このパーティーは、岩井柔道塾の2代目の師範である、岩井克良先生の業績を讃える会でもある。

私は、中学生と高校生の一時期、岩井柔道塾に通い、2代目塾主、岩井克良先生の指導を受けた。この岩井柔道塾は、これまで石川県の柔道チャンピオンを始め、インターハイの優勝者や準優勝者を多く輩出している。最近ではオリンピック女子柔道の金メダリストも輩出した。
聞けば、一時期レスリングにも取り組み(柔道の寝技のため)、レスリングチャンピオン(ジュニア?)も輩出したこともあるそうだ。

本当を云えば、私などは岩井柔道塾の門下生を名乗れる者ではない。なぜなら、早々に柔道をあきらめ、塾を去った人間だからだ(しかし、柔道が好きだとという思いはずっと持ち続けていた)。しかし岩井先生は、そんな私を招待して下さった。

本当に有り難いことだ。実は招待状を頂いた時には涙が出そうになった。

発起人の代表は、私が柔道を始めた中学生の頃、左内股で何度も投げられた福島先輩だった。福島さんは私のことなど憶えていないだろうが、私は今でも投げられた記憶を忘れていない。その福島さんは、祝賀会の運営を任されていたようだ。当日は、額に汗しながら尽力されていた。

さて、私の岩井先生に対する思いは、拙著「吾、武人として生きる」に書いた。
岩井塾での私の柔道体験、そして岩井先生からの薫陶は、私に武道教師の姿、手本を身体に染み込ませている。
残念ながら私は、未だ岩井先生のような素晴らしい業績は残せていないし、岩井先生のような生き方もできていない。

今回、私は岩井先生のお言葉に甘えて、記念すべき祝賀会に参加させていただいたが、御陰で素晴らしい体験ができた。また大変感動をさせていただいた。

私の感動をキーワードで例えれば、「柔道」「幼なじみ(仲間)」「ふるさと」「師と父」である。


先述のキーワードは、時々私の心に浮かぶテーマである。大雑把ではあるが、忘れない内に書き留めておきたい。

【柔道】
先ずは「柔道」についてだが、柔道は精力善用、自他共栄、すなわち人間教育の武道として素晴らしい。勿論、格闘技である柔道は、怪我の危険性も存在するが、その危険性を技の理論と型の確立、更には柔道理念により、昇華している。

その意味を簡単に述べる。確かに武術、格闘技の修練は危険を伴うが、加納治五郎師範は、その技術を簡単な物理学の理論(おもにテコの原理)を用い、力任せではない技術として説明している。それによって、柔道の修練に誰もが参加できるようになった。

異論はあるかもしれないが、ここでは細かいことを追及しない。あくまで柔道の大枠、骨組みを論じている。その意味で、柔道は本当に教育手段として卓越していると思う。

但し、更なる今後の発展については、斯界のリーダー達の自覚によるだろうが・・・。

【幼なじみ(仲間)】

次に「幼
なじみ(仲間)」についてだが、祝賀会で私は、塾で汗を流し合った同級生の仲間と再会した。

数人ではあったが、みんな良い男達だったので、私はとても感動した。その一人は、石川県の中量級のチャンピオンだった清水直樹君だ。彼と私は、高校生の頃、同じ階級だった。彼とは県大会で対戦し、私が敗れている。彼は中学生の頃から石川県のチャンピオンで、岩井塾の代表選手だった。

昔から彼は、もの静かではあったが、決して無愛想ではなく、話せばフランクな男だ。「わが道を往く」というような男である。私は彼を昔から「男らしい奴だな」と思っていた。
 
もう一人は、野村裕樹君、彼も忘れられない同級生の一人だ。

彼は重量級で石川県立工業高・柔道部のインターハイの団体戦の主将を努めたそうだ。中学時代は相撲もやっていたそうだ(元々は相撲出身らしい)。
中学生の頃、私にとって、初めての柔道の試合で彼と対戦している。私は彼に巻き込まれて抑え込まれた。そして肩固めで極められた。
何十年ぶりかの再会で、かなり顔に貫禄?がついたが、すぐに野村君だと解った。彼は中学生の頃から親分のような風貌だった。少しからかった言い方をすれば、「ジャイアン・タイプ」である(笑い)。

彼は、私のそんなからかいなど意に介さないようだ(笑い)。私はそこが好きだ。彼は皆が認める親分肌の人間だ。

私は彼らと2次会の場を持った。そして、他の中学、高校の柔道部だった者達も呼んで盛り上がった。

仕事の異なる男達が、幼い頃の思い出で繫がる(柔道の)・・・。
そこに利害関係はない。とても楽しかった。
昔から「同じ釜の飯を食った仲間」と云うが、「柔道」という「同じ釜の飯」を食べたもの同士、心が通い合った。
2次会では、7名程の同級生が集まったが、皆、「知命(論語による)」の年齢であり、人生のプレッシャーもあるとは思う。しかし、みんな頑張っているようだ。

私は少々疲れ気味だが、「弱気はいけない」「私も頑張っていこう」と思い直した。

【師と父】
次に「師と父」だが、祝賀会で岩井克良先生は、岩井柔道塾の沿革について、会の初めにスピーチをされた。

本ブログ冒頭の牛島辰熊師範の話は、その際のものである。
その話は延々と続いた。その話はとても興味深く、また感動もした。私はずっと聞いていたかったが、式(祝賀会)の進行の都合で中断された。

少しだけお伝えすれば、創始者の岩井良美師範は、警視庁で永岡秀一、中野正三師範の薫陶を受けたそうだ。また、冒頭に挙げた牛島辰熊師範とは、木村政彦師範の師である。私はその方々の名前を記憶していた。なぜなら私は、柔道を始めた頃、よく柔道の本をよく読んだからだ。大袈裟に云えば、伝説の柔道家の方々なのだ。また、2代目の岩井克良先生(私の先生)は、ご自分のことを余り語られなかったが、ご自身は中央大学の柔道部出身で文武両道の武道家である。2才上には、岡野功師範がいる。

少々脱線するが、実は柔道を始めた当初、私には柔道を教えてくれる先生がいなかった。私は仕方なく、経験者を含む柔道部員を集めた。そして、経験者に技に関する質問しながら、また本を読んで、柔道の技に関する自分の仮説を立てた。そして仮説を基に、実験するように稽古をした。そのことは拙著にも書いた。
柔道に限らず、人生に迷った時、私は良書(書籍)を探し求めた。私はこれまで、書籍によって助けられたことがある。ゆえに、私は書籍が大好きである。本当はもっともっと本を読みたい。

話を戻すと、2代目の岩井克良先生の話を聞き、岩井柔道塾の創設者である、岩井良美師範の柔道に対する情熱と人柄、ひたむきさが、多くの素晴らしい先輩、支援者、門人を呼び込んだと感じた。

同時に、岩井克良先生の、師に対する、そして父に対する深い尊敬と感謝の念が感じられた。それが私にとって一番、感動した部分である。

岩井克良先生は10年程前に、身体を悪くし、リハビリを続けている。
しかしながら、杖を携えつつも、背筋がしゃんと伸び、立ち姿と雰囲気がとても素晴らしい。



【「ふるさと」について】

最後のキーワードは、「ふるさと」だが、私は帰省の際、「金沢は本当に良いところだ」といつも思い直している(思い直すのは、嫌だ嫌だと思った時期もあったから・・・)。

金沢は、「犀川」「浅野川」と2本の川が流れ、いつも太陽が白山を含む山々から上り、日本海に太陽が沈む。


これも拙著に書いたが、私が生まれたのは、犀川を跨いだところにある、西の茶屋街に生まれた。金沢には東と西の茶屋街がある。浅野側の東の茶屋街は観光名所であり、作家の五木寛之先生も住んでいたことで有名である。昔、私は五木寛之の著作をよく読んだ時期がある。

一方、私の生家があった、西の茶屋街は寂れていた。最近は観光名所として整備されたようだ。

私の生家(今はない)は、茶屋だったものを豆腐屋として使っていた。
ゆえに、TVで京都の町家や茶屋を見ると、とても懐かしい。
また、小学校の頃、よく写生の授業があった金沢の中心地の公園付近は、現在、公園以外にも立派な商業ビルや美術館が建ち並んでいる。

町中を通れば、50を過ぎた今でも、昔の記憶が蘇って来る。
また、私は帰省の際、必ず墓参りをするが、そこからの景色が大好きである。

家の墓は、野田山墓地というところにあるが、私はそこが大好きである。心が落ち着く。

先日も墓参りをした。その時、私の家の墓の上の方に「カトリック」の信者の墓の一角があることに気づかされた。なぜなら、先日の連休の際、墓参りをした際、カトリックの信者の会が催されていたからだ。朝方の墓地には、私の他、30名近くのカトリック信者達(外人の神父様も含む)がお参りをしていた。とても雰囲気が良かった。

今回の帰省は、道場の引っ越し作業の合間だったので、慌ただしかった(忙しいのは、いつものことだが)。

まだ、引っ越しに関する残務がある。正直、こんな長いブログを書いている場合ではないが、頭の中の整理と気を鎮めるためにブログを書いている。

【追伸】
追伸ではないが、もう一つ書き記したい。私は、ここ数週間、出張が続いた。その中、ずっと聞いている曲がある。

「風が歌う地」というギターの曲である。

私は、岩井塾の祝賀会の数週間前の10月18日、ニューヨークを拠点に活動するギタリストの大竹史郎氏のコンサートに行ってきた。

大竹史郎氏は、アルゼンチン・ギタリストの巨匠、ユパンキの後継者とニューヨークでは評価が高いそうだ。

私は、先述の曲をその時に聴き、大変気に入ったのだ。大竹史郎氏は、私の友人の宮沢君の同窓生である。大竹史郎氏は宮沢君と同じ高校で久保田紹山師範から松濤館空手道を学んでいたそうだ。

私は、銀座でコンサートがあった日の後、宮沢君を始め、彼の高校の同窓生、また空手部の顧問だった、久保田先生(英語の先生)と一緒に2次会に参加した。

男女が混ざっての2次会だっが、私も同じ高校の同窓生のようで、とても楽しい時間を持てた。

大竹氏は、2次会には参加できなかった。コンサートの直後、この曲が好きだと私は伝えたら、早速CDを送ってくれた。実は、私はこの曲を既に400回は聞いた。

私は、「風が歌う地」を車とアイホンに入れ、リピートモードで繰り返し聞いている。私は今、空手道や武道に関する思索や、人生について考えたいと思っている。中々、まとまった時間は作れないが、僅かな隙間の時間に思うことがある。今回の墓参りの時間もそうであった。

その時に、「風が歌う地」は見事にはまっていた。
この曲に関する感想は、再度、書き記したいと思っている。とりあえずは、大竹氏への思いを書き記し、再会の機会を待ちたいと思う。

また、「風が歌う地」がアップされているユーチューブへリンクを張って置く。是非、聞いていただきたい。人生を振り返るBGMとして最適だと思う。「人生など振り返らない?」そう言わず、たまには自分の人生を振り返ってみたらどうでしょうか(笑い)。
「風が歌う地」大竹史郎


$増田章の『身体で考える』-岩井先生と
$増田章の『身体で考える』-柔道部仲間と

$増田章の『身体で考える』-野田山墓地から


$増田章の『身体で考える』-大竹氏、宮沢氏と


アミーゴとのひととき

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アミーゴとのひととき

【アルゼンチンギタリスト、大竹史朗氏と~】
先日、アルゼンチンギターの第一人者である、大竹史朗氏とランチをご一緒した。
アルゼンチンギターと云っても、ご存知ない方もいるに違いない。
かく言う私も大竹氏に会うまでは、アルゼンチンギターと言われても何のことかよく分からなかった(現在も解っているわけではないが)。

ただ、アルゼンチンはタンゴが有名なこと位は知っていた。
実は、アルパチーノが主演し、アカデミー賞を取った「セント・オブ・ウーマン」という映画が、私は大好きである。

その映画の中で、アルパチーノ演じる盲目で老人(アルパチーノは老人には見えないが、原作的には、60半ばの設定だと思う)が、若く美しい女性とアルゼンチンタンゴのダンスを見事に踊るシーンが私の脳裏に焼き付いている。

その映画のシーンを見てから、アルゼンチンは、是非一度、行って見たい国の一つになった。
そのアルゼンチン音楽界の巨匠の一人に、ユパンキというギタストがいる。
大竹氏は、そのユパンキの継承者として、アルゼンチンの人達から評価されているらしい。

今回の会食は、東京に住み始めた頃からの友人である宮沢一郎氏のセッティングであった。宮沢氏と大竹氏とは、高校時代、松濤館空手道部の同窓生である。

大竹氏の活動のホームタウンはニューヨークである。ニューヨークのアルゼンチン大使館、御用達の音楽家と言っても過言ではないような立場だと周りの人から聞いた。

現在、アルゼンチン政府の招聘でアルゼンでコンサートが予定されているらしい。しかし今後は、日本での活動も強化したいと考えているようだ。

ニューヨークでの彼の評価は、アルゼンチンギターの巨匠、ユパンキの後継者として4本指に入るらしい。ユパンキ生誕100年を記念して上梓された、「ユパンキと再び出会うための手引き」と云う本に、ブラジル人2名、アルゼンチン人1名、日本人1名が紹介されている。大竹史朗氏は、その本で紹介されたただ一人の日本人である。

先日のブログにも書いたが、大竹史朗氏が銀座で行なったコンサートに、宮沢氏の誘いで参加した。

私はそのコンサートで、「風が歌う地」という大竹氏の曲を聞き、感激した。そして大好きになった。

コンサートの後、音楽に無知な私が、生意気にも大竹氏に以下のように言葉を投げた。『私は、「風が歌う地」と言う曲がとても好きです』「この曲は、もし僕の人生が映画になるとしたら、テーマ曲にしたい・・・(笑)と。

コンサートの後、その曲が入っているCDが大竹史朗氏から送られてきた。

私はその曲をスマートホンに録音し、一日中流し続けた。「風が歌う地」という曲は、大竹氏がアルゼンチンのユパンキの家を尋ねた時、インスパイアされてできた曲らしい。

「誰かの声が聞こえるような・・・」「遠い記憶が蘇ってくるような・・・」
言葉では言い表せない感覚を私は得た。

その大竹氏が先日、日韓交流のコンサートのため、短い期間だが帰国した。

一方の私は、銀座のコンサートの時もそうだが、道場の引っ越しや何やらで、これまでの人生の中で最も忙しいとも言えるような毎日を送っている。しかも風邪をひいても休むこともできない。

しかし、私は大竹氏に会って話をしたかった。宮沢氏の協力もあり、映画音楽やTV出演の打ち合わせで多忙な大竹氏が、私の都合に合わせてくれた(本当に有り難い)。

場所は恵比寿のウエンスティンホテル、22階のフレンチレストランだった。
昼時だったが、フレンチのフルコースだったので、充分な時間があった。
様々なことを話したが、私が思っていた以上に、感性が合うことがわかった。

下に掲載している写真のまん中が大竹氏である。私とルックスや物腰は全くと云っていい程異なるが、二人の間に共通項を多く発見した。

彼は「子供の頃は、青学の中等部に通い、なに不自由のない生活を送っていた」と云う。ところが、中学生の頃に両親が離婚し、人生が一変したらしい。彼曰く、「人生を投出しかかっていた・・・」と吐露してくれた。両親の離婚というのは、とても心に影響を与えると思う。思春期なら尚更である。

なぜ、こんな話になったかといえば、私自身が先ず、「これまでの僕の人生は挫折感を克服するためのものだった」と、私の幼い頃の心情を正直に吐露したからだ。
また、大竹氏に拙著「吾、武人として生きる」を読み、共感するところが多かったと言っていただき、うれしかったからだ(うれしくなると、人との距離が急激に縮まるようだ)。

私は、彼の持つ憂いが、幼い頃の体験によるものだと理解した。

信じないだろうが、増田さんも寂しそうだと(憂いがある)言われたことがある。
要するに、増田は根暗(ねくら、もう死語かな?)なのかと云われれば、そうかもしれない。
しかし、根暗と憂いは、感じは似ているが、異なると私は考えている。
勿論、根暗と云われてもいっこうに構わない。本当は絶望の中、捨て身で生きているのだから・・・。

【大竹史朗氏の足跡~】

ここで大竹氏の足跡を大まかに紹介したい。正直、コンサートのプログラムで一度読んだきりで有るから、記憶には自信がない。本人から間違いを指摘されたら、訂正したい。

1988年、大竹氏はブローウエイのミュージカルに出演することを夢見て、渡米した(クラシックギターは13才の頃から鈴木巌先生に師事している)。

ニューヨークでのある日、ギターを弾いていたら、同じアパートのアルゼンチン人が「その曲をどうして知っているんだ」と聞いてきた。

なぜなら、その曲はユパンキの曲だったからだ。そのアルゼンチン人はユパンキと縁がある男だった。そこから、アルゼンチンギタリスト、大竹氏の物語は始まった。

【大竹氏と私の共通項】
話を戻せば、大竹氏との具体的な共通項を挙げれば、「黒沢明の映画が好きなこと」。「アルパチーノのセント・オブ・ウーマンという映画が好きなこと」「ブルーズが好きなこと」「新しいものを生み出すには古典から学ぶことだと考えていること」等々である。おそらく捜せば、もっと共通項が多いはずだ。例えば、女性の好みなど・・・。(そんな話はしなかったが・・・)。
大竹氏の女性観を感じるのに最適な楽曲が有る。それは「MARIA (マリア)」という楽曲だ(是非聞いてみてください)。


因に、大竹氏が着目している古典は「バッハ」だそうだ。
また、アルゼンチン音楽の弱点は、アフリカの音楽の要素(多分パーカッション?の要素だと思う・・・よく憶えていない)が入っていないことだと語っていた。更に「スペインのフラメンコが最高」だとも語っていた。

そこで私は、すべては「融合」が重要だと感じた。スペインの音楽は「融合」しているのだろう。


【スペイン】
実はこれまで、スペインを訪問したことが、4回程ある。スペインはとても魅力的な国だ。私は松井章圭氏、アンディー・フグ氏、マイケルトンプソン氏と共に映画の撮影のため、スペインに2週間弱、滞在したことがある(残念ながら、その映画は完成しなかった)。

その時、サラゴサという街でお祭りがあった。私達一同は、その祭りに合流した。そこで私はフラメンコを目の当たりにして、とても感動したのを憶えている。生(ライブ)で体験したフラメンコは最高であった。私はスペイン人と結婚しようと思ったくらいだ(冗談です・・・笑い)

【ユパンキについて~ヒロシマ】

最後に、ユパンキについて少しだけ書きたい。ユパンキは反米の徒であり、反政府的であるとして眼を付けられ、一時期亡命していたようだ(念のため断っておくが、私は反米でも親米でもない)。

また、ユパンキは広島を訪れ、「ヒロシマ~忘れ得ぬ街」という詩を書いている。
大竹史郎氏はその詩に曲を書き、ユパンキが共作として認可した。大竹氏のアルバム「風が歌う地」の最後に収録されている。

その詩には、原爆で亡くなった方々の鎮魂と平和への祈りとが込められてるに違いない。また、大竹史郎氏の曲と演奏にも、ユパンキのみならず原爆被害者への追悼と鎮魂の思いが込められていると感じた(是非、皆さんに聞いて欲しい)。


思い出せば、私が通った写真学校で、土田ヒロミ先生という写真家の授業を受けたことがある。私はその先生が好きだった。その先生の代表的写真集に「ヒロシマ」というものがある。

人は笑うだろうが、私の夢には、空手を人類の平和共存に役立たせたいという祈りが包含されている。ただ、今の空手界の現状は、そんなことを語るには、あまりに低レベルの状況である。しかし、どんなに些細な行動でも、必ず全体に繫がっていると私は思う。そして、一人が真剣に思い行動すれば、世界は変わると考えている。

長々と書いたが、今回のセッティングしてくれた宮沢氏も、いじめによる子供の自殺を無くそうと、NPOを立ち上げ頑張っているらしい。音楽家と空手家、そして社会起業家、「神様ありがとうございます」「御陰さまで、これからの付き合いが楽しみなアミーゴ(友)とのつながりを持てました」

おそらく、みんな自分のために生きているんだろう。それはそれで良い。しかし、本当に自分を活かす者は、必ず回りにも良い影響を与えているはずである。私はそのことを信じている。



【追伸~カミナンテ】

大竹氏は、「増田さんはカミナンテだ」と言う。
「カミナンテ」とは、スペイン語で「道を往く者」という意味らしい。
大竹氏はヤクザな空手家をカミナンテと評してくれた。光栄なことである。
実は、私が拓真(タクシン)と命名したことの意味は、自分自身の本質を見極め(自分自身を拓き)、自己(良心・セルフ)を開いていくこと。また、「神・天・サムシンググレート」とつながる道を追求していくことだ。

大竹氏とは、お互いにカミナンテでありたいと話し合った。

もう一つ、次に大竹氏と合うときは、ファーストネームで「シロウ」「アキラ」で呼び合いたいと思っている。

また、私にはアイディアがある。それは、お互いファーストネームで呼び合う、「ファーストネーム・クラブ」を作ることだ。そして、年齢、業種の境界を設けない、友人とのつながりを作りたいと考えている。



何か忘れてはいないか?〜映画小論?

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アメンバー限定公開記事です。

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ほんとう(真)に生きているか?

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新年あけましておめでとうございます!
皆様にとって良い年になりますようお祈り申し上げます。

今年、2月23日、第2回フリースタイルカラテ東京オープンが開催されます。昨年末から参加選手の2次募集を開始しました。

フリースタイルカラテ及びFKP(フリースタイルカラテ・プロジェクト)は、あらゆる武術家、格闘家の修練手段と交流を目的としています。また、生涯を通じ、格闘競技を楽しむための手段でもあります。

【ほんとう(真)に生きているか?】

さて、再びフリースタイルカラテとフリースタイルカラテ・プロジェクト(FKP)について述べたいと思います。

私は「楽しさ」がスポーツ理念の核心にあると考えています。
またその本質は、心身を最善活用することで実感される充足感ではないかと思っています。
その充足感とは、真に生きているという実感と言い換えても良いでしょう。

一方、武道修練も、「真に生きているという実感を伴うこと」と「そうではないこと」との境界線の体認(実感)が内在すると考えています。さらにそのことを実感しない武道修練は、実は武道の本質から逸脱しているとも考えています(ただし、すべてのものに役立つ面はあるので、全否定はしませんが・・・)。

つまり、私の考える理想の武道、またスポーツには、「ほんとうに(真)に生きているか?」と云う問いかけが包含されているということです。


話を戻せば、「真に楽しむ」とは、自分を超越し、大いなる自己の自覚と他者との一体感を実感することだと、私は考えています。

それは、自分自身が困難・障壁と対峙し、それを乗り越えると云った行為により実感されることだと思います。

そのような実感が「感謝」の本質だと、私は考えます。

私は今、より善く生きるということを目指す上で、必要かつ普遍的価値観である、「真に楽しむ」ということを追求したいと考えています。

それが「真に生きた」という証なのだと思っています。

しかしながら、困難と対峙しそれを乗り越えるためには、それ相応の修練が必要です。言い換えれば、心と身体という基盤の確立とその鍛錬が必要だということです。

【私にとって身体とは】
私にとって身体とは、肉体とその働きのみならず、知性の働きによって創出される精神性・霊性をも包含したものです。(いずれじっくりと思索を展開したいが、人類のみが実感していると推測する文化性及び文化(意味の体系)が私が云うところの真の身体である)。

私は、武術・格闘技を通じ、自分の身体と対峙し、それを創り続けてきました。

正直、できばえはよくありませんが(笑い)、それを創り続けていきたいと思っています。

【目指すゴール】
そして、フリースタイルカラテプロジェクトが目指すゴールは、自分自身の身体が他者の身体と共鳴し合う境地、すなわち、一人ひとりの良心が共鳴し合う境地です。

これまでは、大きく踏み出すこと(ジャンプ)を目指してきましたが、これからは、小さな一歩一歩を大切にして歩んでいきたいと思います。


2月23日のフリースタイルカラテ東京オープンへの選手としての参加については、まだ間にあいますので、多くの皆様方の参加をお待ちしています。

                             2014年1月4日
                                     IBMA理事長
                                      増田 章



私の道場の行動指針について

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私の道場の行動指針について

【人間形成カリキュラムを研究・開発中】
IBMA極真会館は、独自の空手道の稽古カリキュラムに併せ人間形成カリキュラムを研究・開発中です。

すでにIBMA極真会館岡山県支部では、中川会長が「徳育(とくいく)」という人間形成カリキュラムを実施しています。


【武道人の行動指針】
IBMA極真会館増田道場(本部)においても、『武道人の行動指針』を掲げ、その浸透に力を入れていきたいと思います。

その内容を簡単にお伝えします。

私の私淑する稲盛和夫先生が人生の方程式と称して、『人生の結果=考え方×能力×熱意』と教えられます。

稲盛先生は、『その中で一番大事なのは「考え方」である』
『次は「熱意」』『最後に「能力」』と私に教えて下さいました。

一方、人間には多様な考え方があると言う意見があると思います。
その通りでしょう。

しかしながら、どんな人も自分の考え方を絶えず吟味(反省)しなければ、独善的になり熱意や能力が活かされないようになってしまうと私は考えています。
また、私達の考え方はその行動に現れます。ゆえに行動(言動も含む)をしっかりと吟味(反省)することは、自分の考え方を知ること、そして考え方をより善く修整することの始まりとなるのです。

武道人の行動指針は、一般、少年部の両方を対象にした7つの行動指針と少年部対象に3つに絞り込んだものの2種類があります。

私は50数年の人生の中、様々な失敗と反省を繰り返して来ました。それは現在も続いています(なるべく失敗はしたくありませんが・・・)

同時にこれまでの人生の中で、実に多くの素晴らしい先生、先輩、友人との交流がありました。私は、そこからの学びの中から、より普遍妥当と思われる事柄を明文化しました。それが武道人の行動指針です。

【現場での体験と報告】
私は現在、大人達のみならず子供達と一緒に空手の稽古を行なっています。

言うまでもなく、空手の稽古は経済活動ではありません。また楽しいこともありますが、辛いことも多くあります。

昨今、経済活動が最も大切であると考えられていますが、そこに忘れてはいけないことがあると思います。また、教育の基本であると同時に最上級の目的だと思っていることがあります。

それを一言で言えば、「自分を知ることと同時に相手を知ること」です。このことがIBMA極真会館空手道、そして私がこれから完成を目指す「拓真道」の核心です(未完成で終わるかもしれませんが・・・)。

私達の中まであるIBMA極真会館岡山支部・アスリナ道場では、幼年から小学校高学年まで、一緒に空手稽古を行なっています。

その中で大変な面もあるようですが、高学年、先輩が、年下や初心者の面倒を見ます。また幼年は、年上の先輩の囲まれる中、安心感を得ています。

【カリキュラムの核心】
私が現在考えているカリキュラムの核心には、上の子が下の子の面倒を見る。下の子が上の子から学ぶ(まねぶ)ということがあります。

私はそのような行為の中から、人間としての自信が育まれると考えています。

私の道場の中には、幼年とクラスを分けている道場もあります。しかし先述のような要素を空手道修行に取り入れたいと、現在、試行錯誤中です。まだまだ実験段階ですので、今後修整もあるかもしれません。

【現場報告】
しかし私は努力します。先日、私が教える少年部道場生に変化が見られました。
簡単にお伝えします。

初めてこのカリキュラムを実施したときは、先生が私に変わったこともあってか、道場生は戸惑っていたようです。正直言えば、皆、自分のことだけを行なっていました。良くない言葉で表現すれば、小さい子供と一緒に稽古をすることで、稽古自体をなめているようでした。

しかし先日、大きな子供達が小さな子供達の面倒を見てくれました。
ほんの僅かですが、私はとてもうれしく、その道場生を抱きしめたくなりましたが、誤解されるのでそんなことはできません。

もう一つ、補足すれば、小さな子供達は、大きなお兄さんやお姉さんがいることで、安心感を感じ、楽しそうにしているのではないかと考えています。
もちろん、「ついていけない」と感じる子供もいるかもしれません。しかし、そこが先生(親)の腕の見せ所なのです。

【鹿児島の郷中教育】
話は脱線しますが、このような考えの萌芽は、フェリシモの矢崎会長に鹿児島の郷中教育について教えていただいたことによります。

鹿児島の郷中教育とは、大まかに言えば、鹿児島の地域社会(コミュニィティ)において、
子供達が子供達を教育するというシステムです。

私は、昔から個人の強さを追求する空手家にチーム競技的な人格形成の要素を取り入れたいと考えてきました。
また、誤解を恐れずに言えば、少々エゴイスティック(個人差がありますが)なスポーツ選手の傾向を変えたいと考えています。これは私自身にも言えることです。また、スポーツ選手に限らず、何らかのタレント(才能)を有する人、全般に言える傾向だと思っています(スポーツをしていなくても、才能がなくても、すべての人がエゴイスティックな面を持っているかもしれませんが・・・)。

私は、空手を学ぶ子供達に、身体的強さと同時に心理的な強さと人間的な優しさを身につけてもらいたいと思っています。
そのような人間になってこそ、社会や企業の一員になっても、強く生き抜いて行けるのではないかと考えています。

話を戻せば、結局は、空手道や武道とは、試合に勝つ、相手に勝つということ以上に大切なことがあると思います。

しかしながら、冒頭にも書きましたように、人の考え方は多様です。ですから、試合に勝つことを最上と考える方もいるでしょう。また、体力強化を目的とする方もいるかもしれません。勿論、体力強化は大切な目的です。また試合稽古も重要だと、我々は考えています。

しかしながら、これだけは言っておきたいと思います。

自分と他者、人と人とが助け合いながら生きていく。そしてそのための行動指針とコミュニケーション能力こそが、人生を強く生き抜くキーなのだということを。

何卒、空手を子供に習わす保護者の皆様のご理解をお願いします。


■行動指針/少年部

1. 努力します
2. 反省します
3. 挑戦します

■ 武道人の行動指針

解説に興味がある方はこちらから

その1  
『自分自身を磨くようにします』
その2  
『全ての「つながり」を活かすようにします』
その3
『自己と他者、その両方を理解するようにします』
その4
『最も善いと思われることを選びます』
その5
『目標を持ちます』
その6   
『自分自身から動きます』
その7
『勇気を持ちます』

【蛇足】
現在、ブログを書く時間の捻出が大変です。
いつもブログをお読み下さる皆様、ありがとうございます。
繰り返しになりますが、私のブログは、私自身の頭に浮かんだことの記録(メモ)です。また整理の手段です。
私の頭の中は、いつも何かを感じ、その本質を理解しようとします。しかし、私の頭では本質の理解は困難です(それでもそれに挑み続ける愚かな男が私です)。

また、人に教えるというより、私自身が3つの行動指針を実戦しています。ゆえに毎日反省しています。俗にいえば、自分にダメ出しをしています。時々、家族からもダメ出しを食らいますが・・・笑い。




2014年新年稽古の後

永遠のゼロを観て風邪が治った??

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永遠のゼロを観て風邪が治った??

【最近の状況】

2月23日の大会の選手の応募を締め切った。
これから選手への連絡及び組み合わせ等々、仕事が山積している。
また、昨年の道場と事務局の引っ越しの残務、さらに道場指導を毎日こなさなければならない状況だ。恥ずかしい話、手が足りない。

また今週は、過労がたたり、風邪気味であった。あまり無理をしてはいけないと自制するが、仕方ない。薬と気力で、なんとか発熱は避けられた。

金曜日の指導が終わった日は、夜のPC業務は程々にして、薬を飲んで寝た。
病院の薬が効いた。土曜日はだいぶ楽になった。しかし、多少のしんどさはある。

しかし、仕事を先送りにすれば、もっと大変になる。いつものようにドリンク剤を飲み、パソコンに向かう。なんとか仕事が一つ片付きそうだ。

気を良くした私は、現在、話題になっている「永遠のゼロ」という映画を観に行った。レイトショーである。明日は、10時からフリースタイルカラテの大会に参加する選手の練習会がある。「早く寝た方が良い」との考えが頭をよぎる。

しかも明日は、1時から新宿で会合がある。完全にオーバーブッキング状態である。でも、どうしても映画で気晴らしがしたかった。

私は映画鑑賞が好きである。好きな気晴らしの一つだ。

プロの自覚が足りないと言われるかもしれないが、金曜日の夜、早く寝て体調が少し改善したことを良いことに無理をした。

【「永遠のゼロ」を観て、風邪が直った】
前書きが長くなったが、「永遠のゼロ」を観て風邪が治った(ような気分になった)。
女子のようだが、ジャニーズの岡田准一がとても格好良い。また演技も良かった。私は彼のファンになった。また、ベテランの役者の演技もさることながら、若手の役者の演技がとても良かった。名前はあげられないが、今後注目していきたい。

ブログの冒頭に情けない話を書いたが、映画観賞後は、「風邪が治った」というような気分にさせる程、心が晴れ晴れとした。

何が良かったかを細かくは書かない(観ていない人にネタバレになるから)。
しかし、何故、ブログに映画のことを書いているかと言えば、この映画をみんなに観て欲しいからである。

しかし、この映画は一部の人達、また映画監督の井筒氏や宮崎駿氏に酷評されている。私は宮崎駿氏の映画が好きである。最近も「風立ちぬ」を観た。

彼らの言い分の共通点は、「永遠のゼロ」が戦争賛美に繋がるということらしい。
しかし、一体どこが戦争賛美なのだろう。

この映画のテーマは、「国のために命を捨てる」という軍国主義、国家至上主義的な思想の賛美ではない。また、戦争時にもすばらしい日本人がいたというような日本人賛美でもない。
なぜなら、この作品はフィクションだからだ。

私が感じたのは、理想のリーダーとは、不断に注意と準備を怠らず、愛する家族のことを思う人間であること。そして、それを護るために何が何でも生き残るという価値観の提示である。極論すれば、原作者である百田尚樹氏の価値観の提示である。

また回りがなんと考えようと、世論や場の空気がどうあろうと、ぶれない人間が真のリーダーであるということ。同時に、人間として原初的かつ普遍的な、自分の家族を護るという価値を人間として最も崇高な価値だと描いているのだ。

低俗な言い方でも良い。それが格好良い生き方だと描いているのだ。
ゆえに私は、主役の宮部を演じた、岡田准一がとても格好良いと先述したのだ。
勿論、彼のルックスはこの役柄にぴったりだった。他のジャニーズのメンバーだったら、彼のような凛々しさは感じなかったかもしれないと思う程・・・。

さて、宮崎駿氏は、「架空の話でもって零戦を持ち上げるなどけしからん・・・」というように、この作品を酷評しているらしい。
しかし、この意見には承服しかねる。

なぜなら、この作品は決して、零戦を持ち上げてはいない(持ち上げているのは宮崎氏の方だと揚げ足を取られるだろう)。
例えば、零戦は太平洋戦争の初期こそ、その性能は群を抜いていたが、中盤以降は、米軍に研究され、その性能をしのぐ、新鋭機(グラマン?)を開発され、全く相手にならなくなっていたのである。また、多くの致命的な海戦の敗北によって、空母や航空機、優秀な操縦士(パイロット)を日本は失っているのである。
その様子を、世界にも誇れると感じた、日本のCG技術を駆使し、描いているではないか。

また、映画中盤の日本軍並びゼロファイター達の状況は、稚拙な例えで恐縮するが、カラテで言えば、脚が肉離れして、フットワークが効かなくなり、さらに回し蹴りの威力もなくなっているような状況である。そんな状況では相手に攻撃され放題になるに決まっているではないか。

話を戻せば、むしろ宮崎氏の「風立ちぬ」の方が戦争肯定に繋がると言いたくなる。なぜなら、日本人の考え方の欠陥をついていない。そして、それが敗戦の原因を忘れさせるのではと言いたい。つまり、あの映画は、「戦争はいけないが、堀越氏は日本が誇るすばらしい技術者であった」というようにもとれるからだ。それは、厳密に言えば間違っている。美学という我々の感覚の中に隠れている弱点とは何か(それが良さでもあるから厄介だが)。

私の考えでは、そもそもアメリカの兵器には、兵器が駄目になった時に兵士を護る考えが多く含まれている。誤解を恐れずに言えば、兵器が駄目になった時、兵士(人間)が逃げられるように考えられているのである。

はっきり言おう。日本人の技術者のみならず、政治家やリーダーに一番欠けている価値観がそれである。つまり、いざとなったら逃げるということ。言い換えれば、負けたと観られても、逃げて再起を期す。そのような戦略観なのだ。

そのような価値観、戦略観とでもいう考え方の欠如が、今もって日本人のリーダーにもっとも欠けている価値観ではないだろうか。

ここまで書いてきたことは、すべて私の思い過ごしかもしれない。しかし、百田尚樹氏のメッセージは、時代が喧伝する(新聞やメディア)美学に振り回されることなく、「人間として最も普遍的な価値観を大切にせよ」ということだと思っている。

そしてそれは、日本人だけというものではない。あらゆる国の人達に内在する価値、すなわち家族を思い、親を思い、先祖に感謝する。そんな単純で当たり前のことを大事にしようということなのだ。

しかし、そんな単純で当たり前のことが、国家対国家という戦争という状況の中で実践することが、如何に困難なことかということでもある。

それは「愛している」というような生易しいことではない。「身を殺して仁をなす」。それこそ、いつかは果てる命を、全身全霊で輝かせ、その命のリレーをつないでいくこと。本当は、とても苦しく、勇気のいることなのだ。

兎に角、侃々諤々、話し合えば良いだろう。これからの日本、そして日本人について。

蛇足ながら、私はこの映画を観て危惧したことがある。それは軍国主義や全体主義に傾倒し易い、つまり長いものに巻かれろ的な私達が、自分の身体と心でしっかりと考え抜くこと(これは宮崎氏のテーマでもあるはずだ)。

その考えた結果が、「やはり全体の幸せより個人の幸せが大事だ」というような個人主義に傾くのではないかということだ。

私は、国のためにとは言わないが、やはり自分の家族のみならず、他者の家族も不幸にならないよう考えたい。そして国としてより善いシステムを構築し、みんなが共存共栄できるようになったら良いと願っている。







永田博士とランチ

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日曜日の昼、友人の永田氏とランチをご一緒した。
場所は、私が仲間とよく集う代々木である。
私達は、いつも気になっていた一角に足を踏み入れた。
そこは想像以上に素敵なところだった。デートに使える(笑い)。
聞けば、ミスターチルドレンのプロデュサー??が企画、運営していると言う。

さて、永田氏とは、20数年来、いやもうすぐ30年近くの付き合いになる。
私が高田馬場のビックボックスを練習拠点にしていた頃からの付き合いだ。

永田氏は医学博士号を有し、30冊以上の著作がある。またインシュリンダイエットに関する本では100万部以上の発行部数を記録している。
彼は私より4つ年上であるが、気さくな方で、私を尊重してくれる。

また、時々彼の友人を紹介してくれる。さらには、カラテ馬鹿で大変そうな私をサポートしようと、時々仕事の話を持ちかけてくれる。有り難いことだ。
カラテの研究ばかりに没頭していた(本当に馬鹿だな・・・私は)。

しかしながら、私のみならず私の回りの人達も年をとった。あらためて健康の重要性を感じ毎日である。

今後は強さをのみを求めるカラテではなく、健康でより永く、自分の身体と付き合えるようにカラテの稽古や稽古指導を考えたい。

そのためには、食事の取り方や栄養摂取のこと。また、心の用い方(メンタル)なども指導カリキュラムに取り入れていきたい。

実は、選手の時代から、栄養面の管理や研究メンタル面のレーニングや研究を、私は実践していた。選手時代にトレーニング指導士の資格も取り、最低限の知識もある(ほとんどは忘れてしまったが)。

しかし、地上最強のカラテのキャッチコピーに惹かれて、道場の門をくぐる道場生には、興味がないだろうと思っていた。

しかし、私が研究したことの集大成、否、本当に人に役立つ武道を目指す拓真道の普及の活動では、健康面を重視したい。できれば、私の道場で教える極真カラテにその要素を取り入れていきたい。
しかし、現在のような多忙な状況では、構想だけで終わるかもしれない。
健康管理同様、余分なものは捨てなければならない・・・・。


【永田 孝行(ながた たかゆき)】
1958年10月10日生 名古屋市出身。
医学博士(Ph.D. in Medical Arts)
ACSM(アメリカスポーツ医学会)公認HFS(ヘルスフィットネススペシャリスト)。

東京大学大学院医学系研究科に於いて肥満と代謝を研究する。
生活習慣病予防と改善の為の食事療法としてGI値(グリセミックインデックス)に着目し、実験・研究を経て2001年に「低インシュリンダイエット」を提唱する、その関連書籍は国内外(日本・台湾・韓国・中国)で38冊出版した。

また2003年には特異的な体脂肪分解のメカニズムを実証研究し、部分痩せを可能にする著書「10days ポイントダイエット」を国内外(日本・台湾・韓国・中国)で10冊出版した。

他の書籍と合わせて59冊を出版し、書籍販売総数は500万部を突破した。

現在、(株)TNヘルスプロジェクト代表取締役、TN健康科学研究所所長
日本ダイエット健康協会(ダイエット検定)理事、日本コナモン協会理事

主な活動としては各健康保険組合及び各企業を通して社員の健康・保健指導や生活習慣病予防と改善対策に於ける食品等の研究開発、健康コンサルタント、及び講演・セミナー・研修活動や雑誌の指導・監修、テレビ、ラジオ、新聞などの取材も多数受けている。

オフィシャルサイト http://www.tn-hp.com
健康情報サイト   http://www.nice-body.jp/
Facebook       https://www.facebook.com/takayuki.nagata3
Ameba        http://profile.ameba.jp/tn-hp/
日本ダイエット健康協会 http://diet-kyoukai.net/
日本コナモン協会     http://www.konamon.com/


永田先生
代々木レストラン


大竹史朗を知っているか?

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【大竹史朗を知っているか?】

いつものことだが、大仰な書き出しだ。
大竹史朗というのは、ニューヨーク在住のギタリストだ。
私達は同じ年である。
最近、同じ友人を介して知り合った。

以前にもブログで紹介したことがあるが、彼はアルゼンチン民族音楽の英雄、ユパンキの継承者の一人としてアルゼンチン本国の人達にも認められているようだ。最近、アルゼンチン政府の招聘でアルゼンチンにおいてコンサートを行い、成功を収めたと報告を受けた。

彼の専門はフォルクローレと云う、平たく言えば、アルゼンチンの民族音楽である。
私は、音楽に無知だが、昔から弦楽器の音色は好きであった。
眠れない夜は、バイオリンの曲を聴きながら寝たりしていた。ギターの曲も大好きである。
兎に角、テンションの高い私は、テンションを下げる必要がある。

そのためには、弦楽器の音色はとても心地よい。勿論、テンションが更にあがる曲もあるだろう。

昨日、大竹氏がニューヨークから、私に曲を送ってくれた。
タイトルは「タクシンの道」である。彼が私と会食した後、インスピレーションが湧き、できたものだと云う(ユーチューブに曲をアップしています)。

彼は私を、カミナンテ(道を往くもの)と云ってくれた。私だったら、「同志!」と叫ぶところだろう。
要するに、彼とは魂がバイブレートしたのだ。

彼は4月に銀座のヤマハホールでコンサートを行うと云う。
私にも来て欲しいと云うが、恥ずかしい話、今の私には全く余裕がない。

「ブログを書く余裕があるではないか」と云われるだろう。
しかし、毎日朝から、業務をこなし、夕方から指導。そして帰宅後、また業務というような毎日である。本日は睡眠時間を削り、名古屋経由で三重県の川瀬先生にご挨拶だった。本当は東京にトンボ帰りをした方が良いのだが、移動中に電話やPCを使って業務をした。かなり無理をしている自分に対するご褒美も兼ねて墓参りのため、石川に帰郷することにした(私は墓参りが好きだ。でも褒美なんかもらえる状況ではない・・・)。日曜の朝には帰京する。

そんな中、大竹氏の曲は、私に気力を与えてくれた。現在、夜中の3時近く。早く寝なければ・・・。そして、もう語るのはやめよう。

しかしながら、私にとって書くということは、単なる報告や伝言のための行為ではない。それは内観であり、心の浄化ための行為と言っても良い。

私は今、50年近く変わらない場所で、このブログを書いているが、ここに昔は母がいた。また祖母もいた。荒んだ自分もいた。努力家で真直ぐな自分もいた。

私は帰省すると、老いた父を世話する妹を励ましている(つもりである、相手はどう思っているかわからない)。

また、私がこれから望むことは、私の存在が誰かの役に立つことだ。
これまで、大きな夢を語ってきた、テンションの高い私の言葉とは思えないかもしれない。

今日は、もう止めにする。考えるのは・・・(今日の移動距離は700キロぐらいかな、かなり疲れている・・・)。

大竹氏の曲に対し感じたことを詩で表現したい。そして、それを大竹史朗氏からのギフトへの応えとしたい。

同志へ


喜機(きき) ~ タクシンの道(リンク)平成二十六年一月三十一日 金沢の荒ら屋にて



喜ぶがいい
どんなに怒れる時も
喜びの精霊達は傍にいる
しかし
その精霊達は言葉を持たない

喜ぶがいい
どんなに哀しい時も
喜びの精霊達が傍にいる
しかし
その精霊達は声を持たない

喜ぶがいい
どんなに苦しい時も
喜びの精霊達が傍にいる
しかし
その精霊達は眼には見えない

そんな喜びの精霊達は
お前に何もしないだろう
しかし
その精霊達を感じた時
お前は喜びの中にいる

その瞬間こそが
お前が
本当のお前を
掴んだ
時だ
  


 

 

 



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2月23日のFK大会選手の皆さんへ

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 本日、東京は記録的な大雪に見舞われました。私の住む東京の郊外(駅から20分程離れています)では、車で移動することも大変でした。
下手をしたら、帰宅困難な状況だったと思います。

 実際、家の付近で車が前に進まなくなりました。幸い、車の往来がなく、自宅付近だったので、家に戻り、スコップを持ち出すことができました。しかし、車がきたら面倒なことになるので、4倍速(笑い)で雪かきをし、車を動かしました。普段、鍛えているはずなのですが、明日は筋肉痛かもしれません(私も50歳代ですから・・・笑い)。
 

 くだらないことを書く前に、大事なことをお伝えしたいと思います。
来る2月23日に開催される、第2回フリースタイルカラテ・チャンピオンシップ東京オープンの組み合わせを発表いたします。
 
 本大会には、前回に続き2連覇を目指す、マスター・ジャパン所属の菅原和政選手、初優勝を目指す、龍道場所属の元キックボクシングチャンピオンの青木亮選手、元USA大山カラテのチャンピオンの中川賢一郎選手等が参戦します。その他、総合格闘技、芦原カラテ、テコンドー、柔道などなど、様々な格闘技、武術、カラテ流派をバックボーンとする選手が参戦します。プロの興行とは趣は異なりますが、多士済々な選手の参集により、面白くなりそうです。
 

 また、ルールの修正をいたしました。僅かな修正です。しかしその修正によって、フリースタイルカラテが選手のみならず、観客により分かり易くなるはずです。これから試合当日まで、より多くの皆さんが試合を観に来て下さるよう、ぎりぎりまで努力します

 少々脱線しますと、2月という時期は選手の募集を含め、すべての面で時期が良くないと回りから言われました。確かに今回の大会は、諸事情が重なり、前回以上に大変です。しかし今回もいろんな人に助けられ支えられています。そのことに気付かされたことは、第2回大会の開催に勝るとも劣らない収穫です。

本日も、大会パンフレットに盛り込む私の空手理論(実際は初心者用のカラテの基本レッスンで、そんな大袈裟なものではありませんが・・・・)のページのための写真撮影と打ち合わせを行ないました。

 本日のような大雪で大変な日、長い付き合いの熊さん(イー・ファイトの熊久保さん)週末は他の格闘技のビックイベントの取材で、大変多忙なはずです。
 

 私は、参加選手も含め、大会スポンサー、自分の道場生、家族、友人、多くの方々に支えられています。本当に感謝しています。しかし私の妹なら、「お兄ちゃんは口ばっかり」と言うかもしれません(実は最近、三重の川瀬先生にご挨拶に伺った時、田舎に立ち寄りました)。そんな保守的で口の悪い私の妹ですが、私を駅まで迎えにきてくれたり、街まで私を送ってくれたりします。

 彼女が車で私を送ってあげると言ってくれた時、私が「本当にありがとう。お前はやさしいな」と御礼を述べると。先述のようなことを述べたのです。

 また「口で上手いこと言うのにはだまされないよ~(笑い)」というようなことも言っていました。私は「それで良い」「簡単に人を信用するな」「特に男には気をつけろ」と出戻りの妹には伝えました(笑い)。本当に妹が心配だからです。人に騙されないか・・・。

 その時、そんな妹が良いことを教えてくれました。それを端的に言えば、「僕はカラテに生涯を賭ける」そう言えば、お兄ちゃんを信用するというようなことです。
 

 これは端的に言えばということです(様々な言葉、思いのキャッチボールの中での話です)。ですが、私は「なるほど」と思いました。そして、二日間程、あまり睡眠をとれない中、「心の声に従って良かった」と思いました。ここで言う心の声とは、「墓参りがしたい」ということです。

 ここ数週間、息つく暇もないぐらい動き回りながらも、様々なことを考え続けています。そのような中、思っていることは、これまで支えてくれた人に対する恩返しは、「カラテの夢を追い続けること」ではないかということです。

 現在の私は、大会を主催したり、選手を指導したりする裏方ですが、選手として、一人で追う夢ではなく、みんなで夢を追いたいと思っています。そんなカラテなら、みんなで追いかれられる、そんなカラテの夢ならば、死ぬまで全力で追い続けられるような気がします。

 最後になりますが、選手の皆さんとは、末永く格闘技を愛する仲間として、お付き合いできるよう祈念しております。また大会までもう少しですが、健闘をお祈りいたします。



2月23日大会組み合わせ




《お詫び》

 今回、一般・無差別級とシニア・中量級が人数に満たなかったため、実施しないこととなりました。ご応募して下さった選手の方々には、大変申し訳なく思っております。
 今後は、大会時期の検討を含め、フリースタイルカラテ競技の普及に一層の努力をして参ります。何卒、ご理解の程、よろしくお願い申し上げます。



ナイス・ミドル観戦!!

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ナイス・ミドル観戦!!

 IBMAの審議委員長を務めてもらっている、大森敏範氏がプロデュースしている、『ナイス・ミドル』 というキックボクシング・イベントを観に行きました。
 フリースタイルカラテ大会のスポンサーのUGPの村瀬氏と試合後、食事でもしようと思っていたからです(村瀬氏も応援にきていました)。

 ナイス・ミドルの観戦は初めてでしたが、会場は盛上がっていました。
また、とてもアットホームな雰囲気でした。もう一つ思ったことは、安全性を考慮した試合ルールが良いということです。


 ナイスミドルのルールは、パンチがクリーンヒットして、少しでも「ぐらっ」ときたら、ダウンを取ります。それが2回でKOとなります。試合時間は2分、2ラウンドです。

 参加選手の年齢を30歳後半から40歳以上とするイベントのルールとしては、とても良いルールだと思います。

 今回、大会の仕事と雪の関係で後半の試合のみの観戦でした。その中で、特に印象に残ったのは、54歳の女性と51歳の女性の試合です。女性は「ナイス・マダム」というようです・・・。

 その選手達は、見た目、50台には見えず、しかも動きがとても良かったです。本当に脱帽です(その体力と気力に)。

 ファイナルは、会社社長のカラテ家?とエンジニアの格闘家?の戦いでした。試合結果は、パンチ力のある、強そうなカラテ家の方の勝利でした。

 カラテ家のおじさん(失礼)も良かったですが、エンジニアの格闘家にも親しみを感じました。なぜなら「こんな普通の感じのおじさん(失礼)でもリングに上がって戦うんだ」とうれしかったからです。


 金曜日から風邪気味なのと「雪かき」による腰痛を我慢しながらの観戦でしたが、元気をもらいました。大森さんありがとうございました。
 

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皆さん、ありがとうございました!大会観戦をお願いします!!

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皆さん、ありがとうございました!大会観戦をお願いします!!


【ありがとうございました】
第2回フリースタイル空手チャンピオンシップ東京オープン開催まで、残すところ1週間となりました。

先ずは、大会スポンサーの皆さんありがとうございました。
また選手の皆さん、本プロジェクトへの参加ありがとうございます。
選手の皆さんが、新しい武道スポーツ(競技)を楽しんで頂くことを、只ただ祈念しております。

さて、本大会は選手の皆さんの参加がなければ開催できません。同時にスポンサーのご支援がなければ開催できません。当たり前のことですが、この部分がとても貴重かつ困難なところです。

【正直に言いますと】
正直に言いますと、昨年の8月以降、諸事情により、FKPの活動がほとんどできませんでした。また年明けの2月という開催時期が相俟ってか、選手が集まりませんでした。それでも有志が集まってくれて、大会まで漕ぎ着けました。本当に感謝しています。

【残念なこと】
残念なことは、無差別級とシニア中量級は、参加人数の不足により、実施できないことです。いくつかの団体や道場に声を掛け、ギリギリまで努力をしましたが駄目でした。おそらく時期の問題と私が昨年の後半から身動きが取れない状況だったことに起因すると思います。すべては、私の責任です。ゆえに実施できないクラスの選手には申し訳なく思っています。

【少し脱線しますと・・・】
少し脱線しますと、今回、新極真会の選手の出場を期待していました。その選手がでれば、フリースタイルカラテ競技にふさわしい試合になったと思います。それが駄目になりました。このように書くと新極真会の駄目だしで出場できなくなったというように思われるかもしれません。そうではなくて、現在の私と新極真会の関係からすると、きちんと関係を構築しないと、回りに迷惑がかかると云う判断で選手は断念したということです。それは正しい判断だと思います。私は本大会に出てみたいと思ってくれてだけで充分だと思っています。また、その選手が大好きになりました。

私がここで言いたいのは、新極真会も極真会館松井派(このように書くと、きっと松井館長は怒るでしょう)も、その他の空手流派の人達も、このプロジェクトに参加してくれて、みんなで空手の可能性を拓いて往けたら良いなという思いです。「そんな簡単にいくわけはない」と多くの方が仰ると思います。また、そこが私の頭の悪いところだと思います。しかし、「いつかは空手家達がみんな仲間になる」という夢を私は捨てきれません。

【心機一転・・・】
話を戻します。これまで様々な失敗と試行錯誤(失敗というと語弊がありますが・・・)により、考えを改めようと思います。それは、あらためて本プロジェクト、大会の意義を明確にするということです。そして心機一転、出直す位の気持ちで、プロジェクトの展開戦略の変更をするということです。

先ず、本プロジェクトは、最強の格闘家やカラテ家を決めるというような目的で実施するのではありません。「共に創る、新しい武道スポーツ」という指針の通り、既存の格闘技、武道、空手とは別に、多様な格闘家が交流できる、武道スポーツを創るということです。その意義は、見方によっては暴力的な印象を与える格闘技や武道をもっと開かれたもの、安全に楽しめるものにすることです。

断っておきますが、危険を伴う格闘技自体の存在意義を否定する訳ではありません。それは各団体が追求すれば良いと思います。

我々は、競技者がもっと仲良くなれる武道スポーツを目指しています。
「それでは抽象的で意味が分からない」と仰る方もいると思います。

私が考える、先述のような武道スポーツとは、「ルールが公正であること」「特殊性と安全性が最大値で両立していること」が前提条件となります。我々は、その部分に集中し、新しい競技を模索して参りました。勿論、まだ未完成な部分もあります。

しかしながら、私はそのような夢(理想)に向かって、挑戦してきたということに誇りを持っています。

【再び、脱線をお許し下さい】
再び、脱線をお許し下さい。愚痴っぽく聞こえるかもしれませんが、私は夢の実現に向けて、多くの投資をしてきました(あくまで私のレベルで)。そのような中、私の心中にはいつも「回りに苦労をかけているな」という思いがあります。

相変わらずの下手な例えですが、私は「ノーコンピッチャー」です。ですから失投が多々あったかもしれません。

また、1ストライク3ボール、しかも満塁というような状況もあったと思います。そのような状況では、心臓が破裂しそうになることもあります(丈夫な身体があるからなんとか生き延びているのかもしれません・・・笑い)。

そんな時、私の回りには、助けてくれる友人や仲間がいました。その中の一人である荻野審判長には、いつも心理面で助けてもらってます。本当はすべての支援者の名前を挙げて御礼を言いたいのですが、今回は荻野審判長に対する気持ちだけを記述します。

荻野審判長は、僕が悩み、やけになりそうな時、いつも悩みを聞いてくれます。そして「いろんな考え方がある」と、私を諭してくれます。本当は、聞いてもらうだけで救われています。本当に荻野審判長には、心の支えになってもらっています。ありがとうございます。身体に気をつけて下さい。3週間程間、私の友人が40代でなくなりました。人生は本当に何があるかわかりません。
ですから、私は今できることを全力でやろうと考えています。同時に矛盾すると思われるかもしれませんが、30年、50年先も朽ちないだけの仕事をしたいと思っています。


【夢を実現するリーダーには】
私は、夢を実現するリーダーには、針の穴を簡単に通すようなコントロール(戦術アプローチの精度)が必要だと思っています。また、グローバルに通用するリーダーには、多様な球種(戦術アプローチの種類)が必要だと思います。私の支援者の一人、手塚社長はそんなリーダーかもしれません。

悔しいですが、未熟な私には、そのどちらも備わっていません。しかし努力をし続けます。或は、優秀なピッチャーを捜します。

話を戻します。繰り返しになりますが、これまでのIBMAの大会スポンサー、そして今回、新しくIBMAスポンサーになっていただいた方々には本当に感謝します。


失礼かもしれませんが、スポンサーの方々は「新しい武道スポーツを広める」という夢を私が実現しそうだから、応援しているのではないでしょう。おそらく、大きな夢に向かって一生懸命(愚かにも)頑張っている姿に寄付してくれているのです。ですから私は、見方によっては愚かに見えても、全力で挑戦し続けなければならないのです。それが私できる最善の恩返しだと思っているので・・・。

また、前回もそうですが、手塚社長率いる、スインク・フィットネスグループのフイットネスショップの宇井さん、ファイト&ライフの宮地さんには多大な協力をして頂いています。また、ゴールドジムの青木亮選手、中川選手、マスタージャパン所属の菅原選手には感謝しています。

先日、久しぶりにゴールドジムを訪れた時、青木亮選手と会いました。
彼は風邪を引いているらしく、声がかすれていました。私が「大丈夫ですか?」と声をかけると、いつものようにさわやかな笑顔で「頑張ります」と気丈に答えてくれました。彼は現在、2つのジムを掛け持ちで仕事をしています。また、彼のパーソナルトレーニングはとても人気があるようです。

そんな忙しい中、キックで輝かしい実積のある彼が、いつも「空手や格闘技に恩返し」と云うようなことを語ってくれます。最近は、私も忙しく、ジムで会うことも余りなかったのですが、彼の笑顔に元気をもらいました。

実は彼のような格闘家が世界中に大勢いるはずです。なんとかして、そのような格闘家とつながりを持ち、このプロジェクトを実現したいと思っています。

最後になりますが、円心会館の矢島支部長、如水会館の斉藤支部長、田中塾の田中塾長、龍道場の前田会長、マスタージャパンの弘中会長、帝京平成大学の南先生、その他、大会に関わるすべての人に、感謝申し上げます。至らない点が多々あるかともいますが、何卒、ご容赦下さい。

我々実行委員会は、準備に追われていますが、最後の最後まで頑張ります。

【試合観戦の・・・】
さらに恐縮ですが、このブログをお読みになった方々にお願いがあります。
何卒、ご家族、友人に試合観戦のお声掛けをお願いします。また当日は、充分な対応はできないかもしれませんが、気軽に私にお声かけ下さい(名刺を頂けると有り難いです)。
それでは、大会会場で皆様に会えることを楽しみにしています。



【お詫び】
帝京平成大学の表記が平成帝京大学になっていました。南先生を始め関係者の方々にお詫び申し上げます。修正いたしました。

大会観戦の登録(無料)

青木亮

You'll Never Walk Alone!!

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大会まで、あと僅か。

選手の皆さんがより善い状態で試合を迎えられるように願っています。

大会の準備に関しては、ぎりぎりまで何があるか分かりません。ゆえに最後まで全力を尽くします(というより手が足りないのでぎりぎりまで必死です)。

正直言えば、今回は前回以上に問題を抱えていました。それでも、大会開催まで漕ぎ着けたのは、只ただ私の道場生と家族の支え、そしてFKPの仲間、スポンサーのおかげです。繰り返し、感謝を申しあげます。

また、これまでの数多い失敗や困難のおかげでもあると思っています。なぜなら、失敗や困難を人生の中で数多く経験したからこそ、気持ちの切り替えができるのだと思っているからです(完全には切り替えられてはいませんが・・・。いつももがいています)。

大会が終われば、振り返る時間も持てると思うので、再考します(持てないかもしれませんが・・・)。


とりあえず一言で言い表すならば、「人生塞翁が馬」です。

実は幼少の頃、私は困難な道を歩んだ先人達の業績を敬愛し、同時にその先人の言葉を自分への励ましや支えにすることが多々ありました。

そのような先人の一人にマハトマ・ガンジーがいます。今回はガンジーの言葉を掲載したいと思います。厳しい状況の自分を鼓舞する意味でです。偶然ですが、昨年、フランスを訪れた際、旧友のティエリー師範から、ガンジーの言葉を贈られました(別の言葉ですが)。


『An error does not become truth by reason of multiplied propagation, nor does truth become error because nobody sees it.
Truth stands, even if there be no public support.
It is self sustained.』

『広く知られていることだからと言って間違いは真実にはならないし、誰もそうだと思わないからといって、真実が間違いにもならない。たとえ大衆の支持無くとも、真実は立ち上がる。
真実は自立しているからである』
(この文言は以下のサイトからの転用です。皆さん、他の言葉に興味があればご覧下さい)
http://iso-labo.com/labo/words_of_Gandhi.html

もう一つお伝えしたいことがあります。IBMAの大会は「You’ll Never Walk Alone」と言う曲をテーマ曲にしています。この曲は、私が長年、愛聴しているものです(曲も詞も素敵です)。

実は最近知ったことですが、この曲は世界中のサッカーファンにも愛されている歌のようです。

これまで、著作権に引っかかると思い、掲載はしませんでした。ですから、以下に私の稚拙な訳で掲載したいと思います(正しい訳詞ではありません)。
それでも、「格闘技や空手をサッカーにも負けないスポーツにしたい」というフリースタイルカラテプロジェクトへの私の思いを汲み取っていただければと思います。
(先述のガンジーの言葉に「Walk Alone」というものがあり、その言葉と矛盾するかのように感じる方もいるかもしれません。しかし、私の中では矛盾が統一されています。いつかお話ししたいと思います)


女性歌手シセルのバージョン『You'll Never Walk Alone』
私の大好きなエルビス・プレスリーのバージョン You'll Never Walk Alone

When you walk through a storm
Hold your head up high
And don't be afraid of the dark
At the end of the storm
There's a golden sky
And the sweet silver song of a lark

Walk on, through the wind
Walk on, through the rain
Though your dreams be tossed and blown
Walk on, walk on, with hope in your heart
And you'll never walk alone
You'll never walk alone♪


増田 章訳

嵐の中を往くときは
顔を挙げたままで
そして暗闇を恐れないで

嵐の後には
金色の空
そしてひばりの甘く澄んだ歌声が広がっているから

往こう 風の中を
往こう 雨の中を
たとえ君の夢が揉まれ吹き飛ばされても

往こう 往こう 希望を胸に
そして君は決してひとりではない
決してひとりではないから・・・

(2-20一部修正)

断っておきますが、私は家内から「学生時代、勉強しなかったのね」と馬鹿にされる程、英語ができません(プラス家内は口が悪い)。
振り返れば、私は英語ができないのに多くの国、そして他国の友人と、これまで交流してきました。冷静に考えると漫才みたいです(赤面するぐらい)。
そんな私による訳詞というのは、あくまでも、仮のものです。
本当に良い訳詞は、サイトから捜して欲しいと思います。正しい訳詞を掲載できないので、わざと稚拙な訳詞を掲載しているだけですので、拙い部分はご了承下さい。

おそらく、英語ができる人なら、訳が要らないぐらい、簡単な英語です。
また、曲もユーチューブのURLを掲載しておきます。
但し、大会で使う曲は、ユーチューブにアップされているものではなく、世界3大テノールが歌ったものです。これが最高です。


最後になりますが、是非、大会観戦にきて下さい。
当日、時間ができて観に行くというのでも良いです。
大会の受付にきて頂ければなんとかします(土曜日からインターネットによる申込みや問い合わせができなくなります)。

選手のみんなは、良い試合をすると思いますので・・・。


大会観戦の申込み








拝啓、馳先輩

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今回は、ご恩のある馳浩先生(衆議院議員)への思いをこれまでの御礼を兼ねて、手紙風に書いてみたいと思います。

尚、大会参加選手への思い、大会スタッフへの思い等は、機会を見て、掲載したいと思っています。


【拝啓、馳先輩】

拝啓

東京は先週とは一転して、陽春を思わせるような日となっております。
先輩におかれましては、懸命に公務に励まれていることと存じます。

さて、第2回フリースタイルカラテチャンピオンシップ東京オープンを無事に終了いたしました。
また、馳先輩、いつも暖かい言葉をありがとうございます。

先輩と言うと馴れ馴れしいかもしれません。今や石川県やレスリング界のみならず、スポーツ界や自民党を代表するリーダー、手本のような人ですから・・・。

でも、私が星稜高校柔道部と永江トレーニングセンターにお世話になっていた時からの先輩ですから、どうかご容赦下さい。
先輩は、いつもスポーツ選手の手本のような人でした。高校時代、学校の教室を使った柔道部の合宿があった時、レスリングの先輩が柔道部の合宿(練習だけだったかもしれませんが)に参加していたように記憶します(確かではありません)。その時先輩は、「俺の首を絞めてみろ」と言って、首を絞めさせていたように記憶します(笑い)。

また、私は先輩のロサンゼルスオリンピック出場を賭けた選考試合(全日本選手権だったかもしれません?)に応援を兼ねて、写真を撮りに行ったことがあります。

そんな事ができたのは、当時の極真空手のオフィシャルカメラマンだった講談社の小林さんにお願いしたからです。私は小林さんに報道カメラマンのパスをもらいました。

その時の先輩の直向きさには、とても驚いたと同時に感銘を受けました。その時のことは、今でも忘れられません。

先輩は、代々木第2体育館に布団を持ち込んでいました。もしかすると、前日から泊まっていたのではないかと、私は驚いたことを憶えています(おそらくそこまではしないとは思いますが・・・)。
また先輩は、布団の上で禅僧のように精神を集中させているようでした。その時私は、先輩のオリンピック出場に賭ける思いの強さを感じました。

さらに先輩の優勝が決まった時、先輩の大学の仲間達が大勢、祝福に駆け寄っていた場面には感動しました。同時にうらやましく思いました。おそらく、レスリングの仲間ではなく、大学のゼミか何かの仲間・友人だと思います。なぜなら女性も多く含まれていたからです。先輩は、文武両道の方ですから、学業も大切にしていて、おそらくレスリング以外の学生とも親しくお付き合いをしていたのだと思います。本当にその時の光景が忘れられません(みんなが先輩を祝福する、本当に素敵な光景でした)。また、先輩はスポーツマンの手本だと、その時に感じました。

私の学生時代は先輩とは正反対のようでした。本当は反抗的・反逆的な生き方等、したくはありませんでした。でも思春期の私は甘えていたのでしょう。しかし、人それぞれ性質や家庭環境などの境遇の違いがあるので、仕方ないとも思っています。但し、その代償は本当に大きかったです。30才を越えても、学生時代の悔しさが忘れられず、時々、夢でうなされていました。

もう忘れても良いかなと思っていますが、結構深い心の傷です。しかし、ブログですからもう少し書かせてもらいます。

実は星稜高校の後、私は石川県立、鶴城高校に通いました。その時のことはこれまであまり語ってきませんでしたが、本当にすばらしい仲間と出会うことができました。

例えば、陸上部の顧問だった日体大陸上部出身の加藤千草先生やスキーを一から教えてくれた石浦君、柔道部の工口君、野球部の森君、本当に大勢の素敵な男子、女子に出会いました。私は彼らのことを忘れてはいません。

特にスキーの経験からは、スポーツのみならず武術にも重要な体重移動の原理や自他一体の原理等、様々なことを学びました。スキーから学んだことは私の空手理論の中に活かされています。それは秘術というようなものではありませんが、すべてに通じる普遍的な事柄、そして真理へ繋がる事柄だと思っています。私はその事柄について、35年以上も前から、まとめたいと思っています(しかし、もう少し研究時間が必要です)。

ゆえに私の人生観を一言で言えば、「人生万事塞翁が馬」そして「禍福はあざなえる縄のごとし」です。

今私は、数多くの失敗と試練から得たことを、将来世代を生きる子供達に伝えていきたいと思います。同時に、どんな失敗も活かすことができるということを・・・。

話を戻せば、先輩の専門のグレコローマンのクラスは、ほとんどの選手が先輩より身体が大きく見えました。グレコの選手は今もそうですが、上半身の大きい選手が多いと思います。試合は途中まで五分だったように記憶します。しかし、先輩は最後の最後で、技を決め、ポイントを取って勝利を得ました。

本当に善いものを観させて頂きました。

それから、お付き合いはなかったですが、先輩がプロレスの世界に入り、スターになったことを同じ格闘家として、励みにしておりました。

その後、先輩は政治家になりました。そして苦労をされたと思います。私は微力ながら応援をしたいと思っておりました。しかし、いつも応援ができず、悔しく思っていました。

そんな甲斐性のない私を、先輩はいつも見放さず、暖かく受け入れてくれます。
本当にありがとうございます。またいつも暖かい応援の言葉を頂戴し、感謝申し上げます。

お世辞ではなく、先輩の真面目な政治活動は、政治に無縁な私にも届くぐらいです。
私は先輩のようなスポーツマン、そして青少年の教育や支援に熱心な政治家は少ないと思っています(残念ながら)。

今回、私が主催した大会は、本当に小さな大会です。人は笑うかもしれません。また、先輩をお呼びするような大会には、まだ至っていません。

しかし、志の高さ、そして私に協力してくれる仲間の純粋度は、どの大会にも負けない自負があります。

今回も、大会ができるような状況ではないぐらい、直前まで困難続きでしたが、私の古くからの友人の支え、そして道場生の支えで、無事、大会を終えることができました。今回も、困難の中だからこそ、本当に心を許せる、信頼できる仲間と出会うことができたのだと思っています。

ここで、そのご報告とお言葉の御礼を述べさせて頂きます。
                                                                                     押忍


追伸

昨年、20年以上も続いた道場を移転しました。その際、写真学校時代のネガの入った段ボール箱が何故か道場の倉庫からでてきました。

もしかすると、先輩の写真があるかもしれません。昔、先輩から写真の焼き増しを頼まれた記憶がございますが、今回の引っ越しで、捨てたと思っていたものがでてきました。少し落ち着きましたら、ネガを調べてみたいと思います。

また、振り返れば、先述の小林さんには本当にお世話になりました。それなのに私は、小林さんに何も恩返しもできていません。本当に恥ずかしく思います。

これを機会に、自分の人生を整理してみたいと思います。そして心機一転、仲間や家族を大事にできるように、頑張りたいと思います。これからもご指導の程よろしくお願いします。



【おまけ】
私の大好きな河島英五さんの「いくつかの場面」~最高です!!

高校生の頃、僅かな期間ですが引きこもっていました。その時ラジオから流れてきた、河島英五さんの「どんまいどんまい」という曲に勇気をもらいました。もう英五さんは、逝ってしまいましたが、私の大好きなアーティストの一人です。




フリースタイルカラテ競技の核心?

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【フリースタイルカラテ競技の核心?】

第2回フリースタイルカラテチャンピオンシップ東京オープン
-60kg級の決勝戦の映像を配信いたします。

今回、決勝戦を戦ったのは、帝京平成大学の 櫻井悠貴選手とIBMA極真会館岡山支部の木村選手です。
櫻井選手は60kg。木村選手は53kg。7キロ程の体重差がありながら、木村選手の勝利となりました。
試合内容は両者、軽量級ならではの軽快な動きから打撃技と倒し技を繰り出し、動きのあるものでした。

木村選手の戦術は、上段への囮技(FK用語)の蹴りをだし、囮技(おとりわざ)からタックルを繰り出すというものです。

敗れた櫻井選手も非常にバランスの良い選手です。再戦をすれば、結果はどうなるか分かりません。
今回、選手にはフリースタイルカラテのルールが浸透し始めました。

今後、期待できます。

少し残念なことは、審判がルールに対応しきれていないということです。勿論、誰が審判を行なっても、現主審より、正確に審判を行なうことは困難でしょう。

しかしながら、フリースタイルカラテのルールが難しいということではありません。
私はフリースタイル空手を相撲やレスリング(現在の)のようにしたいと考えています。

具体的に言えば、反則技は、故意であろうがなかろうが、反則行為は反則行為として、イエローカードを宣告しなければ、選手の技量は上がらないということです。

ここで改めて申し上げたいと思います。

【フリースタイルカラテ競技の核心~】
フリースタイルカラテ競技の核心は、選手の安全と格闘技術の使用の自由度を最大値で合致させ、選手の個性を引き出すことです。

そのようなフレームを作ることで、彼らのような若い人達の創造性を引き出すのです。また、私が考えるフレームは、若い人のみならず、老若男女が長い間、試合を楽しめるようになると考えます。
同時に人種や文化の壁を乗り越え、協働することが可能となるフレームとなると思っています。

更には、そのフレーム(システム)による格闘技術の試し合いが多様な格闘技術を融合し、かつ生み出すことに繋がると考えています。

話を戻せば、審判は封建時代の絶対君主のような存在ではありません。憲法や法律(フリースタイルカラテ・ルール)に則り、選手の戦いぶりを公正に判断するための公僕なのです(ゆえに憲法や法律は、より善く修正を加えるのが当然というのが私の立場です。ただし、修正の仕方が公正でなければなりません)。

【主役、そして試合の主人公は~】
主役、そして試合の主人公は選手自身です。先生でもコーチでもありません。
但し、先生やコーチ、そして観客は、選手(自分自身)のライブ(人生)を支援する、かけがえのない人達です。その人達の期待に真に応えるために、自分自身に誇りを持って、正々堂々と戦うのです。私はそのように考えています。

つまり大事なことは、自分自身で考え判断して、行動する(挑戦)勇気を武道スポーツで得るということです。

それが、私が考える武人的(武道的)、生きる力の養成法です。

まだ、フリースタイルカラテの仲間は少ないですが、もう私がいなくなっても誰かがこの方向性を目指すような気がします。
勿論、私も全力で理想を追い求めます。生きている限り・・・・。

【追伸】
蛇足ながら、-67kg級の優勝者、青木亮選手が試合後、私に以下のように言いました。
「5分間の試合時間は、ばっちりはまりました」「打撃と組み技の配分を考えられるし、組手が将棋のように面白くなりました・・・」と。

大会前、私は迷っていました。1年かけて、試合時間を5分にして、選手から良いフィードバックをもらっていたにもかかわらずにです。
実はイタリアから試合時間は3分の方が良いとの提案があったのです。

しかし、空手の試合の中で打撃技と組み合いを融合するには、ある程度の試合時間が必要だと、私は考えていました。大会前のある日、青木選手とゴールドジムで会いました。そこで私は、彼に聞いたのです。「試合時間は5分では長いですか?」と。その時彼は、「5分の方が良い」と言い切ったのです。つまり、試合時間を5分とする決断を彼は後押ししてくれたのです。

結果、櫻井選手と木村選手の試合は、一瞬も気の抜けない試合となりました。少なくともライブで見ていたときは、そのような雰囲気でした。

皆さんは、どのように考えるでしょうか・・・。


)


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緊急地震速報の仕組みや実際速報を見聞きした場合に取るべき行動についてご紹介!

今日も1日、頑張れることに感謝して。

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ここ1年近く、保留にしておいた書籍出版の仕事が始められそうだ。
ただ、いつお迎えがくるか分からないし、相変わらず、雑務に追われる厳しい状況だ。
しかしながら、そのようなぎりぎりの土壇場でこそ、気付くことが多くある。
確かに、今まで何をやって来たのだろうというような後悔の念もなくもないが、そんなことを思っている暇はない。

書籍のイメージが鳴り始めた。

ここにそのイメージを記しておきたい。

【拓真の道】

私は技や術理を伝えたいのではない。

誰もがその身心から、最善の技や術理を引き出すことができるようにしたいのである。

拓真道とは、個々の身心から内発的に技や理を引き出す道である。

同時にそのような道を開く理でもある。



今日も1日、頑張れることに感謝して・・・。





くだらない世間だ・・・。

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