理想を語れば…交流試合を終えて
本日は交流試合だった。
長時間の交流試合、遠方から参加しているにもかかわらず、最後まで試合場に残ってくださった方々には、頭が下がる思いだ。また、関係者の方々には、本当にお疲れ様、ありがとうございました、と言いたい。
今回、コートを1面にしたので、途中、トイレと判定の問題で、何試合かを見逃した以外、ほぼすべての試合を見ることができた。その様子は、勝敗はさておいて、参加選手の成長と頑張りに目をみはるものがあった。
【判定には口を挟まないこと】
実は私には、特に意識していたことがあった。それは、「判定には口を挟まないこと」だ。事前に荻野審判長にも申し合わせていた。
「荻野審判長にすべて任せますよ」。私は電話で告げた。しかし、その約束を反故にし、口を挟んでしまった。試合後、審判長には誤ったが、どうしても反則の取り方に疑義が生じたのだ。
断っておくが、私には荻野審判長ほどの審判経験も技術もない。
荻野審判長は本当によい塩梅で判断を下す(様々な場面で…もちろんミスジャッジもあるかもしれないが、それはワールドカップサッカーなどでもあり得ることだ)。荻野審判長の感覚は私にとっての癒しや自己の見直しとなる。
しかし、私はルール(原則)を誰よりも考えているという自負がある。私がルールというのは、「判断のための原則」と言い換えても良い。その「判断のための原則を明確にすることが、試合を公共的なもの、すなわち、選手と審判だけのものではなく、観客とも共有できるものと成すと、私は考えている。
その原則のキーは、攻撃技の実効性を判断する基準を可能な限り明確にすること。限定した競技の中で、反則(戒律)を明確にすることである。
なぜなら、反則が明確でなければ、技の限定という不自由から自由を掴み得る可能性が狭まる。なぜなら、そこには混沌の領域が広がるからだ。また、自由の質が落ちるであろう。とても抽象的な言い方ではあるが…。
さらに、反則を明確にしなければ、汚い言い方だが、「やったもん勝ち」になる。また、反則すれすれの行為を追求するというのは、不自由からの自由を掴み取る行為ではない。また、創造的行為でもない。それは、ただ勝ちが欲しいだけの餓鬼の様子である。さらに言えば、反則を明確にしなければ、選手のみならず、その競技を愛好する観客をも冒涜することになると思う。
私が何を言いたいかは、あらゆるスポーツのごく一部の人には理解していただけると思っている。強いてあげれば、ラグビー(早稲田)の大西鉄之助先生(故人)には…。
もし、スポーツが反則行為と非反則行為のボーダラインぎりぎりの領域を許容するものだったとしても、私は反則ギリギリの道を行けとは教えない。ここは表現が難しい…。
具体的には、荻野審判長は、昔の極真空手の審判方法を引きずっていて、軽微な反則を取らない傾向がある。おそらく、「1回ぐらいは故意でなければ許す」というスタンスなのだろう。それは絶対にダメである。故意と故意でない反則との判断基準は、単純至極である。故意でないものは、注意、1点(イエローカード)である。そして、故意のものは警告、3点(レッドカード)、または1回で失格もあり得る。基本的には、警告後、反則行為が見られれば、失格(負け)となる。また、イエローカードも3回続けば、警告(レッドカード)となる。つまり、注意も2回、3回と続けば、限りなく故意と同等の反則と見なさざるを得ないということだ。
【なんでもありだからこそ原則を踏まえなければ、ドツボに嵌る】
私はスポーツも社会生活もコンプライアンスの徹底が必要であると考えている。また「武道はなんでもありだ」という方がいるとしたら、それは間違いである。
実戦も「なんでもありだからこそ原則を踏まえなければ、ドツボに嵌る」
私はそのように考えている。この部分は、まだ詳しく書かない。あえて少しだけ書けば、「相手がどのような原則で動いているかを洞察すること」が、私のいう「原則を踏まえるということ」に包含されている。これ以上は機会を待ちたい。
断っておくが、ルールや法の設定を絶えず見直すという原則の原則のような考えを有し、かつそれを担保するという前提があっての原則(ルール)ではあるが…。
【理想を語れば】
理想を語れば、究極、行き着くところまで行ったら、ルールを変えれば良いのだ(リプログラミングすれば良い)。
なぜなら、我々人間は、ルールの奴隷のような立場ではなく、ルールを活用するという立場をとらなければならないと思うからだ。
それには、もっと本質的なことを考えなければならない。
【荻野審判長や秋吉師範代に謝りたい】
話は変わるが、今回、反則の取り方意外にも、中段への攻撃のポイントの取り方についてミスリードがあった。これは、私の責任である。競技ルールの記述に問題がある。荻野審判長や秋吉師範代に謝りたい。
実は、初めて試合を経験する少年たちや会員にフルコンタクトの体験を積んでもらいやすくするため、サポーターや防具の装着状況の違いにより、ライト(ライトはヘッドガード、胴用チェストガード、スネ、膝、拳サポーター着用)とミドル(ミドルはヘッドギアーとスネ、膝、拳サポーターの着用)に分けた。ちなみにフルコンタクトは、サポーターの着用なしというものである。
今回、私が失敗したのは、ライトコンタクトルール( IBMA)に、中段の効果を加えたのだが、突きと蹴りとの違いを記述できなかったことだ。
参考までにルールブックの文言は以下の通りだ
「中段及び上中段有効打突・箇所に、連続して2本以上、有効打突が認められた時。 ただし、遠間、中間から飛び込んでの打突でなければ、有効と認められない(近間での中段への打突を除く)。
私の記述ミスは、上中段と中段への突きは、飛び込んでの突きとするのは良い。しかし、蹴りは飛び込まなくても、「空手の場合、蹴りの当たる間合いがすでに中間(ミドルレンジ)である(伝統空手の試合は遠間が基本かもしれないが…)」という規定が記述されていない。
補足すれば、膝蹴りなどの蹴りは、近間での攻防において繰り出すか、クロスカウンターなど、なんらかの歩法、体捌きなどににより間合いをコントロールして出すものだ。
また、極真空手においては、前蹴りや廻し蹴りなどの蹴りを、わずかな重心移動で相手に蹴りを当てられる間合い(上段廻し蹴りも含む)を基本とすると考えている。それを中間と私は考えている。
とするならば、蹴りに関しては、飛び込み(ステップイン)がなくても的確に入れば、ポイントをとらなければならないと思う。さもなければ、防御&反撃(ディフェンス&カウンター)の技術の養成と評価という、ライトコンタクト特有の目標が達成されない可能性が高くなる。
これは、私の完全に私の記述ミスだ。ただし、試合の結果を見て、このルールについては審判員と協議し、再考したい。
今回の問題は、先述のルールがあまり機能しなかったことだ。
平野主審は中段のポイントをとっていたように思うが…、勇気が必要だったにちがいない。
【選手の能力は、限定によって向上する場合が多い】
私の考えは、選手の能力は、限定によって向上する場合が多い。ゆえにルールとは、向上させたい能力が何なのかを見極めて、設定しなければならない。ゆえに、時代とともに変化、修正しても良いものだというのが私の考え、立場である。
補足を加えれば、試合におけるルール設定において重要なのは、武術、格闘技としての普遍性と独自性を具有させることである。
【極真空手という基盤を共有しながら…】
ともあれ、極真空手を基盤に、ライトコンタクト、ミドルコンタクト、フリースタイルの3つの選択肢を用意したのは良かったのではないかと思う。
今後は、極真空手という基盤を共有しながら、幾つかのオプションにより、多様な武術的アプローチを可能とする修練体系を作りたい。
そのことにより、試合体験が各々の身体を掘り下げることに、より役立たつようになると考えている。
さらに誤解を恐れずに言えば、フリースタイルは、突き蹴りのみならず、瞬間的な「組み合い」を許している。私は、そのような試合方法によって、空手本来の護身的な技とその感覚を取り戻すのではないかと考えている。しかしながら、大衆というのは、いつもフォロワーであり、大きな力(流れのようなもの)が働かない限り動かない。
現在、わずかではあるが、フリースタイルを楽しんでいる道場生がいる。本当に嬉しく、ありがたいことだ。この芽を大事に育てたい。
また、ライトコンタクト、ミドルコンタクトの試合に臨んだ者も素晴らしかった。少しづつだが逞しくなってきている。中には、まだまだ稽古に対する姿勢が緩いのか、はたまた私の指導の至らなさか、今一歩の感が否めない者もいる。しかし、私はすべての人に、更なる成長の可能性はあると考えているので、稽古カリキュラムや指導法の改善を速やかに進めていくつもりだ。
【最後の仕事のつもりで…】
最後になるが、交流試合を支えたボランティアスタッフのみなさん、荻野審判長、審判委員、参加してくれた他道場の師範、生徒たち、そして少年部の保護者、家族の皆様、そして師範代の秋吉に感謝したい。
いつも理想ばかりを追う私を支えてくれて、本当にありがとう。
私は今、怪我で十分に動けない身体だが、必ず回復させたい。そして、最後の仕事のつもりで、本当に残したいもの、本当に伝えたいことを整理したい。
その上で、可能な限り長く、空手武道の仲間、家族として心に残るようになったら良いなと思っている。
【蛇足ながら…御免】
蛇足ながら、私は自身を反則行為を犯す弱い人間だという自覚の上で、後輩のために理想を語っている。
さらには、これからの人間社会は、コンプライアンスよりも、ルールに関するインフォームド・コンセントが重要になってくると考えている。
一方、いつの時代もそうだが、悪賢いものや、人間洞察に浅い、インテリ層の誘導に皆が身を委ねてしまうと危険性も孕んでいるとも考えている(その方が楽だから…)。また、強大な権力の構造や使い方を変えることは、困難かもしれない。でも、まずは一人から始まるのだ。
ゆえに悪い頭ながら、一人一人が全身で考えるということ。そしてそれを反映させるルール並びにシステムが必要だと、心の中で呻吟している(御免)。
理想を語れば…
膝の手術の記録 その1
膝の手術の記録 その1
数ヶ月前から加齢とオーバーワークにより、左膝の具合が悪かった。
空手の指導は、サポーターで膝を固め、時々椅子に座り、膝を休めながらこなしていた。
しかし、膝の具合は、歩くことはできるが、空手を行うほどには、良くならなかった。私は手術を覚悟し、病院を捜した。
実は、私の右膝は半月板の全摘手術を行っている。15年ほど前になるだろうか…(しっかりと記録を残しておくべきだった)。
しかし、その後の右膝の経過が良くなかった。稽古後にすぐ水が溜まった。
また、術後は思うように空手の稽古はできなかったように記憶する。
ゆえに手術はしたくなかった。なるべく自然治癒を望んだ。
【八王子スポーツ整形外科】
そんな不安を周りに吐露したところ、八王子にアスリート専門のスポーツ整形外科があると、師範代の秋吉が教えてくれた。
一向によくならない膝の不安を胸に、セカンドオピニオン並びに治療の方向性を確認するために、その病院を10月16日の木曜日に訪ねてみた。
診察には、予約が必要である。その日も予約がつまっていたが、遅くてもよければ、ということで診てもらった(最後に)。
運良く、その日は膝が専門の間瀬先生(院長)がいらっしゃる日だった(先生は複数いる)。待ち時間の間に、まずはMRIやレントゲン検査を行った。
診察では、左膝に半月版の損傷と滑膜炎の状態があるとのことだった。
また、半月板の全摘手術をした右膝には、「変形性膝関節症」の状態が見られるとのことを伝えられた。先生曰く、左膝は、手術による半月板の部分切除と膝関節内の悪い部分のクリーンナップにより、状態の改善は見込めるとのことだった。
先生の話を聞き、左膝の状態の改善を早くしなければ、むしろ右膝が更に悪化する可能性が高いと私は考えた。先生もその可能性を否定しなかった。
【格闘技や武道をやられる人は…】
面白いこと(?)を言われた。格闘技や武道をやられる人は、外傷の状態がかなり悪化してから、外科を訪れるというのだ。
同様のことを、私の左膝を、はじめに見ていただいた整形外科の先生にも言われた。
記憶が曖昧だが、格闘技や武道をする人は、なんでも根性で我慢するのでは…というような意味合いのことを言われように思う(笑)
更に、間瀬先生には、外傷があった時、なるべく早い段階で、状態を把握し、その処置や対処をしていれば、その後の更なる悪化は防げるというようなことも言われた。
【手術やむなし】
私は手術を回避してきたが、状態の改善が見られないのと、その状態を引きずることで、さらなる状態の悪化の可能性が高まると理解した。
また、根本的な原因を理解できたので、「今回は、手術やむなし」という結論に達した。随分と判断までに時間をかけたが…。
判断を下すのに、時間がかかったのは、仕事(指導)を休めないことや、手術の経験による、デメリットを考えたことが大きい。また、私には、少なからず、身体や手術に対する「思い込み(理解不足)」があったかもしれないということを、記録しておかなければならない。
手術という結論に達してから、急いで師範代の秋吉に術後のシフトの相談した。秋吉が速やかに、準備を整えてくれたので、心強かった。場生には申し訳ないが、これ以上無理をすれば、更に状態が悪化したであろう。
【インフォームド・コンセントの徹底】
さて、八王子スポーツ整形外科では、インフォームド・コンセントの徹底をしているようだ。また、手術の様子を最新の内視鏡を使い、モニターで見ながら手術を行う。希望があれば、患者もモニターを見る(私も自分の関節内を見ながら手術を受けていた)。さらには、コーチやトレーナーなども手術の様子を見ることができるよう、ガラスで仕切られた別室も用意されている。
感動をうまく伝えられないが、素晴らしい病院である(驚きに近いが…)。
また、間瀬院長の診察における説明の仕方は、パワーポイント(多分)や模型を使い、驚くほど丁寧である。また、理学療法士が担当する、リハビリテーションセンターの先生も、素人の私に、徹底的に筋肉の状態やリハビリの仕方を説明してくれる(もしかすると丁寧にしないと私が文句を言いそうだからかな…笑)。
手術前、間瀬先生が若い頃は少林寺拳法、現在は中国武術を修練されている武道家であると知った。色々と興味深い話を聞いたが、その中で、先生は「患者第一」をモットーとされていると伺った。
さらには、リハビリーテーショセンターでは、下は小学生から上は70歳前後の男女(プロのアスリートも患者にいるらしい)、様々なスポーツの選手がリハビリ治療を受けている(いつも患者で溢れている)。そこで私は、あらためて理学療法士は重要だと、実感している。
また、今回の手術により、私にも膝の構造が少し理解できた。正直言えば、これまで膝の構造を理解していなかった(脚や身体の構造も)。今後は、専門家の話を聞く機会を増やし、空手武道の修練体系や指導体制中に反映させていきたい。
ただ頭の悪い私は、筋肉などの名称を記憶できない。ゆえに、身体の勉強のために色々と記録をしているところだ(面倒臭いが…)。そうして、今回の外傷に対する経験を、後進の指導に役立てたいと考えている(私は入院経験が今回で5回目だ)。もちろん、私の膝が今後、悪化することも考えられる。例えそうなっても、どのような対応が最善かを、絶えず考えていきたい。
【患者第一】
最後にもう少し病院について書きたい。手術の決断は患者が行うというのが、現在の医療の通例のようだが、八王子スポーツ整形外科は、そこを徹底しているようだ。
繰り返しになるが、八王子スポーツ整形外科は、可能な限りの情報を患者に与え、患者の同意を得るよう努めているように思う(インフォームド・コンセント)。
現在、内視鏡等の技術の進歩により、多くの医療現場で、体に負担の少ない手術方法が確立されつつあるようだ。時々テレビでも見る。
八王子スポーツ整形外科は、そのような医療の最先端の道を進んでいるようだ。
そのことが、間瀬院長がおっしゃっていた、「患者第一」を実践している証明であろう。
【蛇足ながら~勇気をいただく】
蛇足ながら、土曜日の朝日新聞に掲載されていた、東大医学部6年の岡崎氏のコラム(私の視点)を読んだ。筆者は、来年から正式に医師となるという。その志として「患者第一」の精神をあげていた。
岡崎氏は優秀な医師となるに違いない。
世の中捨てたものじゃない…。
陰鬱とした話も多い昨今、志の高い若者の話に、勇気をいただいた。
木曜日、間瀬先生と術前のわずかな時間、お話しをした。
その時も、「志の気高さ」という点で、54歳の間瀬先生にも勇気をいただいたように感じる。
また、八王子スポーツ整形外科は、20数年前、ヘック八王子というスポーツクラブがあった場所にある。私はそのスポーツクラブでトレニングを行い、空手道場も開いていた。駐車場やエレベーター、病室の窓から見える、マクドナルドや丸い窓や柱は今も同じである。
私が27歳前後、22回の全日本大会大会の前年、21回の全日本大会の頃である。
その頃は、私が一番稽古をした時期でもある。とても懐かしい。
その時から20数年経ち、齢52歳を越えた。随分と歳を重ねたが、この障害を乗り越えることを、新たなスタートにしたいと思っている。
【追伸】
手術の様子を撮影した映像をいただいたので、それを、できればアップしたいと考えている。皆さんの後学のためになれば…。
膝の手術 その2
膝の手術 その2
術後の様子等のメモを掲載しておきたい。
【月曜日】
先生の診察を受ける。
膝のはれは僅か。
先生曰く、膝関節の内部の腫れはほとんどない様子だ。
腫れがひどい場合は、膝が曲がりにくいはずだが、膝は充分に曲がる。
外側に少し腫れと熱感があるが、膝の可動を妨げるようなはれはないようだ。
先生も満足そう。
抜糸は来週の月曜日の予定。
松葉杖は、外しても良いかもしれないが、念のため継続。
診察の後、リハビリ。
術後のリハビリにおける要点は、膝周辺の筋肉や腱の硬化を防ぐこと。
膝の動きを正常に近づけること。
以上を患部のはれに気をつけながら行なう。
以上のような理解で良いか、理学療法士の先生に聞いてみよう。
現在、膝の動きには余り問題がないようだ。痛みもほとんどない。勿論、少しは痛むが、右膝の半月板全摘手術の際は、膝が曲がらなかった。
記憶が定かではないが、当時(15年程前?)は、術後、膝を固定したように記憶する。
おそらく、15年前と現在では、内視鏡のみならずMRIの解像度など、すべてが進歩しているのだと思う。再認識したことだが、地元八王子のオリンパスは、内視鏡の技術で世界的なレベルを誇っているようだ。日本には、本当に優れた技術が多い。また、人口関節やips細胞の実用化等も今後進展するだろうなあ・・・。
今回の術後の様子は、右膝の手術の時と比べれば、かなり快適なような気がする。
勿論、まだ本格的に膝を動かしているわけではないし、術後の印象だけである。
しかし、本当に痛みも腫れも少ないように思う。
自宅に戻ってからも、アイシングを続ける。
膝にまだ、熱感あり。
理学療法士の佐藤先生に教えていただいたように、患部周辺の筋肉や腱を解すように、固まらないように気をつけている。
【火曜日】
松葉杖を使うのは面倒だが、万が一のことを考え、慎重にリハビリに努めている。本日は、私を支援下さっている作詞家の高畠じゅん子先生のご主人で6月11日に亡くなられた、作曲家の中川博之先生の納骨式に出向いた。車で移動するだけなので、なんとかなった。
身体がなまらないように、夜は膝のリハビリに加えて、腕立て伏せを行なう。
歩けるようになっても、体力が落ちては、空手ができない。上半身など、やれるところは、衰えさせないよう、鍛えておかなければ。
【水曜日】
兎に角、時間が経つのが早い。
もう1週間だ。膝の治療の間に色々とやろうと思っていたが、膝の治療と読書位しかできない。しかし、その読書も読みたい本があり過ぎて、収拾がつかない。
結局、1日1日のやるべきことを、シンプルにして、こなしていくしかないのか。思索などする余裕がない。
【木曜日】
投薬が朝の分で終了。現在は痛みもほとんどないが、左ひざに少しだけ負担をかけてみたら、少し痛む。
膝への負荷は、明日の診察後にしよう。
また、右膝が痛む。今後、変形が進行している右膝の方が深刻であると考えている。
今後、リハビリの知識を学びたい。
因に、リハビリの枠組みとして、「メディカル・リハビリテーション」と「アスレチック・リハビリテーション」の2つがあるように聞いた。
詳しくは、これから勉強するが、私の理解として、リハビリテーションとは、身体の機能を正常?より善い状態に回復させる、同時に維持するというような意味合いがあるように理解している。
間違っているかもしれないが・・・。
本日は上半身のウェイトトレーニングを行なうため、ゴールドジムに出かける。
松葉杖をついての外出だ。
松葉杖は面倒くさい。しかし、術後すぐに膝を動かし、もし炎症が起きたら、治りが遅くなると思う。ここは先生の言いつけを守り、なるべく膝に負担をかけないようにしよう。
特に階段の下りに気をつけなければ・・・。今日、少し油断をした。左膝を強く踏み込んだ時に、痛みがあった。
もう少しの我慢だ。
膝の手術の記録 その3
【金曜日】
リハビリ治療を受ける。
膝に熱がある。
歩き方の訓練を行なう。術前は本当にひどかった。
上手く言い表せないが、左脚がすっきりした感じがする。
だだ、術前3ヶ月程、不自由だったので、かなり歩き方がおかしい。
脚も弱くなっているようだ。
まあ、仕方ない。これから回復して行くだろうから、頑張ろう。
今日は、おもりをつけて前後左右に脚を挙上するリハビリと膝関節を動かさないようにして、脚部と体幹部(特に背筋)のリハビリを行う。
もう少し、具体的に書けば、脚部と体幹のエクササイズは、イスに座ってデッドリフトのような動作を繰り返すものだ。
負荷はほとんどかけないが、ゆっくりと20回を3セット程行なうと、とても良いエクササイズだ。
手に2㎏の鉄アレイを持っている。ゆっくりと20回×3セット。
【リハビリのメニューも悪くない?】
今回再認識したが、リハビリのメニューも悪くない。この位の負荷のエクササイズの方が、筋肉や身体にはいかもしれない。
勿論、高出力?の筋肉運動も行なった方が良いとは思うが、70~80年と長く身体と付き合うのならば、このような運動を知っておくのも必要だと思う。
私の父親は、数年前に身体を悪くし、半身が動かない。今も週に数回、リハビリを続けているらしいが、
リハビリをしっかり行なって欲しい。そうすれば、身体の調子も良くなるに違いない。
勿論、どんなリハビリを行なっているかは知らないが、理学療法士の分野は進んでいると思う。そして、その役割は重要だ。
以前、ある若い理学療法士に「理学療法士は、これから重要となる仕事ですね」と言ったことがある。
そのとき、若い理学療法士が「今、理学療法士になる人がとても増えているんですよ」というようなことを言っていたように記憶する(定かではないが)。
リハビリの後、間瀬先生の診察を受ける。私は松葉杖はもういいように思っていたが、松葉杖は抜糸まで使うように言われた。術後は、慎重にということだと思う。
【閃いたこと】
リハビリ中、ひらめいたことがある。
我々の空手の普段の稽古に於いては、怪我のしないように注意を払い行うのが基本だとは思う。しかし、怪我をしないというような浅い認識ではいけないように思う。
なぜなら、試合ではリスクを伴い、それを競技者は背負わなければならない。
だからこそ、普段から、いかに本番(高リスクの状況で)で怪我をしないようにプレイできるかを考えて、トレーニングや稽古を積まなければならないのだ。
それが高い意識の持ちかたではないかと思う。当たり前のようなことに思うかもしれないが、そのような意識を皆が持っているようには見えない。
私は選手時代、そのような意識でトレニングやケアを入念に行ってきたと思っていたのだが…。私の障害は、私の持っている身体能力を超えたトレーニングにあるかもしれない。また、本来私の身体能力は、並程度だと思っている。それを子供の頃(小学生のころ)から長い時間をかけ、執念で強くした。体には本当に感謝したい。
おそらく、行き当たりばったりで稽古の目的や意義を認識しないあり方は、けがを誘発するのみならず、よいパフォーマンスを実現しないであろう。
とはいうものの、競技選手を引退し、年をとった私は、かなりいい加減だ。
また、膝の手術後の大事な時期、段々と松葉杖の使い方もいい加減になってきている。
面倒くさいが、気をつけなければ・・・。まだ膝に腫れと痛みがある。
ここで辛抱しないと、膝の治療が長引く可能性もある。
私は、辛抱が足りないので、いつも怪我の完治に時間がかかるようだ。
ゆえに今回は、怪我の治療の様子を記録している。
また、今後も加齢していく自分の身体との向き合い方、更には、後進に身体との向き合い方を伝えるための勉強だと思って今、リハビリに励んでいる・・・。
【蛇足】
蛇足ながら、風邪が流行っているのだろうか?
佐藤先生がマスクをしていた。
間瀬先生も声の具合が変だった。風邪気味なのだろうか?
多くの人と関わり、かつ頼られる医療の仕事はとても大変だ(看護士さんなども含め)。休むと患者が困る。
自宅に戻ってから、PCに向かう。本当は膝が腫れ、回復が遅れるのでよくないと思う。
今日、明日にでも膝の手術の映像をアップしたい。どのようにアップするか考えている。
私は今回、手術の様子を映像で見ながら手術を受けた。とても鮮明な映像である。また、手さばきが素晴らしかった。間瀬先生は、術前、わかりやすく丁寧に、手術の方法を説明してくれた。
更に手術の際も、更に説明をしながら、施術を行なう。
とても自然に、ゆったりと簡単に施術をしていたが、そう簡単なことではないだろう。
本日の新聞に腹腔鏡手術の問題が取り上げられていた。
膝の内視鏡手術とは同じにはできないが、何事も油断は禁物である。
思わぬところに落とし穴があることがある。
今後も、物事を正確に把握できるように努めたい(私は、大雑把なので…)。
膝の手術 その4
膝の手術 その4
【土曜日】
昨日のリハビリの反応が少しある。
臀部の筋肉にが少し張りがある?
これまであまり使っていなかった筋肉を使ったのであろう。
膝には少し腫れがあるが、だんだん慣れてきて、松葉杖の使い方が雑になってきた。
自宅で、書類の整理などの雑用をこなす。
もう少し安静にしていた方が良い気もする。
【日曜日】
この日も、これまで研究ように保存していた、切り抜きやノートの整理をした。
可能な限り、紙の書類を電子化して保存しようと考えている。
富士通に良いソフトがある。そのソフトを使って紙の書類を整理しよう。
この日も安静にはできなかった。
時々、膝をアイシングする。術前の3ヶ月もそうだったが、氷の準備などに手間がかかる。とても面倒臭い。
【月曜日】
本日、抜糸をした。間瀬先生曰く、まだ半分とのこと。
まだ膝に熱があるのと、膝の内部が整ってくるのは、最低で3週間ほどかかるらしい。なんとなく、昨日より膝が腫れてきているようだ。今日は膝を冷やし、安静にしよう。
下手をすると、膝の障害が長引いてしまう。
先生の言葉を繰り返し自分に言い聞かせたい。
「まだ、半分のところだ…」
【追記…】
追記をしたい。昨晩、ゴールドジムの社長の手塚氏から、膝の具合を心配する電話があった。
手塚氏は今、スポーツに関係する日本の企業と協力して、スポーツ関連企業のイベントを企画している。今年はイベントの協賛企業が、前回の2倍に増えたと、ゴールドジムの社員から聞いた。大事なイベントを控え、大変な時期に、私を気遣ってくれるなんて、家族以上だ(家族も気を遣ってはくれるのだが、さほどではない)。
手塚氏は、数年前から膝の具合が悪く、大変だったようだ(それでも大好きな野球を続けているらしい…)。
実は、手塚氏の膝を診た先生が、私が治療を受けている、八王子スポーツ整形外科の医師として所属しているようだ。また、手塚氏氏の社員の一人も、間瀬先生に膝の手術(靭帯)をしていただいたらしい。世の中は狭いなあ。
できれば、手塚氏と間瀬先生と引き合わせたい。良い連携が出来ると思うからだ。
今、ゴールドジムは多様なアスリートが多勢所属している。今後、さらにアスリート御用達のスポーツクラブとして進化するだろう。
この二人には共通項があると、私は思っている。
それは、「患者第一」と「会員第一(お客様第一)」の理念の実現とそのサービスシステムの構築を目指すということ(医療をサービスと言って良いかはわからないが…)。
また、人間性の面で、とても物腰が柔らかく親切で、純粋に夢を追い求めているところが共通している。さらに、心が広い。私は何気なく、間瀬先生に失礼なことを言っているような気がするが、先生は意に介さないようだ(私は、後でしまったと反省する…)。
多分、私は無礼な男なのだろう。また、婉曲的な表現が嫌いだ。おそらく、根っからの「田舎者」なのだ。
さて、手塚氏は今、東京オリンピックを控え、アスリートのサポートを通じ、日本を牽引していく立場にある。また、間瀬先生は、スポーツ医療の現場で、独自のシステムにより、多様な競技者の支援をされている。この二人が仲良くなってくれれば、日本のスポーツ界がさらに良くなると思う(大げさかな?大げさじゃないよ…)。
一方、間瀬先生には、野球選手に多い、肩や肘の障害についての著書があり、
それらの障害に関する臨床経験も豊富のようだ。最初、格闘技に無縁な先生だと思っていたが、以外にも少林寺拳法や中国武術を長く修練されているようだ。実は意外に男っぽい…?
今日の診察時、9年ほど前に上梓した拙著を謹呈し、記念撮影をした。
【蛇足ながら】
明日は、起業家で友人の西内氏とフリースタイルカラテプロジェクトを支援する企画の打ち合わせをする。
私のプロジェクトは、一向に進展してはいないのだが、それでも私を応援してくれる友人がいる。ほんとうにありがたいことだと思う。
競技について〜編集後記
私の道場の会報ができあがった。私の膝の手術前に行った、交流試合の特集だ。
試合(競技)に挑んだ者達の労をねぎらうためにも、会報を仕上げている。
これから、編集後記を挿入し校正して終了である。
以下に編集後記を掲載したい。
今回の編集後記から私の競技論を汲み取れる同志と、いつの日か、大いに語り合いたい。
【追記】
現在、膝のリハビリ中の私だが、良き出会いがあった。
それは、全身全霊を傾けて、アスリートのサポートの仕事をしている、整形外科医の間瀬先生や理学療法士の佐藤先生との出会いである。また、リハビリに励む、多くのアスリート達を目の当たりにして、思うことがあった。
過去にも、アスリートのサポートを行う「八王子ビックベアー」の大隈さんやなるさん、和田さんなど、アスリートのサポートを専門とする人達との良き出会いがあった。私の大切な思い出の一つである。思い出すと胸が「キュッ」と締めつけられる。
私は若いころ、空手競技と真剣に向き合った。同時に、思春期における挫折の苦しみを空手競技に打ち込み、緩和してもらったと思っている。ゆえに空手に人並みならぬ愛情があり、恩返しをしたいと思うのだが、大きい夢を描きすぎるようだ。
私は今、空手をもっと気高いものに昇華したいと思っている。しかし、駝鳥が白鳥になりたいと願うようなものかもしれない。
ゆえに、今も学び続けながら、懊悩している。また、新しい武道スポーツ(武道競技)の構想・シナリオに修正を加えているが、困難を極めている。しかし、気力を振り絞り、競技論と共に仕上げたい。
編集後記
試合に勝って嬉しそうな顔。苦しそうな顔。負けて泣きそうな顔。負けてたまるかと懸命な顔。
そこには様々な顔があった。私は交流試合における道場生の姿から、様々なメッセージを受けとった。
その様々なメッセージを処理する際の私の基準は「空手がみんなの人生の役に立っているか」である。
私は、競技によって、すべての人に共通の所与・思いを育みたい。さらに、その思いを共有することで、みんなの心が繋がっていけばと思っている。そこには勝者も敗者もいない。
私のいう共通の所与・思いとは何か?抽象的な表現を許して頂くならば、「他者との対峙を通じ、人間の本質、そして自己の魂に気付くこと」。それが競技の意義だと私は考えている。
それは挑戦という価値観を基盤にしている。挑戦する者は美しい。そして、真に挑戦する者の姿は、異なる信念を有する他者との和解を促すものであると信じたい。(増田 章)
11-22 一部修正
11-23 一部修正
「こだわり」は美しい?
「こだわり」は美しい?
リハビリや雑務の間に、高倉健の映画を見ている。
どれも一度は見た映画だが、「いいなあ」と思う。
なにが良いかといえば、まず、その佇まいである。
僕の筆力では表すことは困難だが、その佇まいを作り出している基本は、他者との距離感だと思う。その距離感とは相手を拒絶しているのではなく、相手を尊重しつつ、同時に自分をも大切にしているような感じだ。しかも、その大切にする自分、強い自我の臭みを「憂い」と「はにかみ」によって消している。また脚本と脇によって、その素材を生かしているのだろうか…。
さらに健さんには、憂いこそあるものの、そこに暗さはない。主役が真に暗い人間だったら、見る人は共感しないだろう。実際の健さんも暗い性格ではないことが、映画から見て取れる。
そんな健さんを多くの人が口を揃え、「かっこいい」という。
その格好良さとはなんだろうか。僕は「こだわり」のような気がする。
自分の生き方に対するこだわり。これまで僕は、こだわりを無くしたいと考えてきた。なぜなら、こだわりを持つと生きにくいから。また、実生活でこだわりを持ちすぎると、相手を拒絶するような距離感を作ってしまう。
言わないほうが良いかもしれないが、健さんの距離感は、役者、銀幕のスターだからこそ受け入れられるものなのかもしれない。
しかし、健さんのような距離感は、他の役者に見られないような距離感のような気がする。うまく言えないが、その部分へのこだわりに対し、健さんには妥協がなかったように見える。
目めまぐるしく変化を遂げる時代。変化が必ずしも悪いわけではない。また、一見変わらない健さんこそが、変わり続けていた人ではないかと思う(他律的にではなく自律的に変化していったということ)。
本質は、多くの人が、こだわりを持ち続けたいと思っても、持ち続けられないのが現実だということであろう。ゆえに、一層、憧れが強くなるのかもしれない。
ところで、山田洋次監督は、素材を大切にして、美味しい料理を作る料理人のようだ。その料理を食べた人は、もう一度、その料理を味わいたいと思う。
僭越ながらそんな感慨を持つ。
山田洋次監督の映画は、そんな美味しい料理のようなものだと思う。
さらに、脇役が素晴らしい。主役を引き立てるための脇役が本当に素晴らしい。しかも、その脇が料理において欠かせないものになっている。
ゆえに、「幸せの黄色いハンカチ」や「遥かなる山の呼び声」で脇役を演じた、武田鉄也さんなどは、映画の中で輝いていた。
ちなみに僕が好きなのは、健さんと倍賞千恵子さんの共演作品である。
いつも「なんて素敵なカップルなんだろうか」と思いながら映画を見る。
僕は倍賞千恵子さんが大好きだ。
山田洋次監督の映画は、人間と社会に内在する不条理や葛藤、どうしようもない宿命のような現実の中で、一瞬かもしれないがきらめく、人間の輝きを表現しているように思える。
冒頭に「こだわり」と述べたが、山田洋次監督のこだわりは、そこにあるのではないだろうか。また、映画に感動する秘密は、山田洋次監督のそんなこだわりにあるのかもしれない。
僕は、映画を語る資格などない門外漢ではあるが、あえて映画は素晴らしいと叫ばせて欲しい(最近、日本映画は復活しつつあるようだ。秀作が多い)。
最後に、素敵な先人が一人、また一人と他界していく。
本当に寂しい。人の訃報を聞くたび、数人の恩師のこと、父のこと、友人のこと、これまで関わった人のことを思い出す。
また「僕は、その人達との思い出を大切にしているのだろうか」という声が聞こえてくる。
これまで僕は、自分の影に追い立てられるような毎日を送ってきた。
健さんの映画を見て、「ささやかな人生で良いから、人生をもっと味わっていかなければ」と思う。それが、これまで出会い、助けてもらった人に対して感謝することではないかと思っている。
増田メモから〜要検討
仲間へ~要検討のメモですが、今後忘れずに検討するために掲載しておきます。
【拓真道(タクシンドウ)とは】
拓真道とは、自分のからだを考えることだ。
ここでいう「からだ」とは、「自他を認識する基盤」「他者と交流する基盤」「自己を表現する基盤」を意味する。
【2013年の武道についてのメモから】
相手は止まってはいない。
絶えず動き、変化する(反応する)。
ゆえに、その変化・動きを予測し利用する。それが拓真道の原則。
例1)
相手は、押せば、押し返す。
引けば引き返す。
例2)
突きは突き込む場合もあるが、突いた後、すぐに引く場合もある。
突きが、いつも突き込んで止まっているものと想定していては、変化に対応できない。
また、その他の例もある。
要するに相手の反応、動きを利用するのだ。
2014-12-8
追記)
もちろん、全てを予測可能だとは考えていない。むしろ、全ては予測不可能だとも思える。
しかしながら、ここでいう予測とは、居着く相手、居着かせた相手の動きを予測するということである。
空手がオリンピックに?
アメンバー限定公開記事です。
自己とは何か?
「拓真道とは、自分のからだを考えることだ」
『ここでいう「からだ」とは、「自他を認識する基盤」「他者と交流する基盤」「自己を表現する基盤」を意味する』
今、断捨離を推進している。
その中、メモ書きを電子化している。捨てても良いのだが、未熟な思索を繰り広げていた昔が懐かしい。
正直言えば、段々、考える気力がなくなってきている。今のうちに、すべてを考え直さなければ、というような思い、危機感にも近い感覚で生きている。
「シンプルに生きろ」
そんな声が聞こえるような気がするが、そんな人間なら今、ブログなど書いてはいないだろう。
【自己とは何か?】
2013-2-18日のメモより
増田の世界像(世界観)を考えてみた。
自分とは一体、なんだろう?
自分と自己とは異なるのか?
からだとは何か?
私が考える自己とは、「鏡」のようなものである。
鏡のような自己の周りに、自己の肉体と他者の肉体との交流によって創り上げられた世界がある。
その周りに文化や道徳観念としての規範意識(価値観)が「壁」のように形成されている。
さらにその外側には、自我と他我の交流により生成される世界がある。
それが自分であり、それが強固になれば「精神」となる。
しかし、自分の奥底に横たわっているのは、外部、他者からの情報を鏡のように映し出す、鏡のような自己だ。
それは物質でもあり、働きでもある?言葉で正確に表すことができない。
つまり、物質といえば良いのか、働きといえば良いのか、それとも使い古された「存在」という言葉で表現すれば良いのか、今の私にはわからないということだ。
そして私の内側から声が聞こえる。
「壁を打ち破れ」「精神を解放しろ」と。
より善い生き方とは、「自己という鏡」を磨くような生き方のような気がする。
一部修正/これは、再検討を前提に思いついたことをメモ書きしたものである。
【追記/2014-12-9】
自己という鏡が壊れている人間もいるかもしれない。そのような人間をどのように修復するのか?
それは他人事ではないように思う。
フリースタイル空手プロジェクトについて
私は数年前に新しい武道スポーツの構想を持ちました。
それは、空手をオリンピック競技にするためにはどうするか?という命題に対する私なりのアプローチでした。
そして、その構想の実現に向け4年前から、フリースタイル空手プロジェクト(FKプロジェクト)を立ち上げました。
私は、オリンピック競技に必要なのは、それにふさわしい理念とそれを具現化するためのルールだと考えました。ゆえに、そのような面からのアプローチを始めました。それは、私一人の研究というものに近い様相でした。
ある人は、ルールの前に空手界の大同団結だと、助言をくれました。
またある人は、空手はオリンピック競技にならなくても良いのだと、私を諭しました。
そのような中、東京オリンピックが決まりました。さらに、追加競技の是認の可能性が出てきて、空手がオリンピック競技になるのではないかとの希望的観測が飛び交っています。
空手がオリンピック競技になれば素晴らしいことです。
しかしながら、今一度申し上げます。オリンピック競技に必要なのは、それにふさわしい理念とそれを具現化する競技ルール(判定基準)なのです。
もちろん、活動を支える資金力や政治的なバックアップなども必要でしょう。
私にはそのどちらの力もありません。
そのような中、私自身の活動方針の交通整理をしたいと思います。
その内容は、私が道場を主宰する意義、FKプロジェクトを実施する意義、さらに私にとっての空手武道の意義などです。
詳細を発表するには、今しばらく時間をいただきたいと思います。
ただ、私が道場を主宰する意義は、オリンピック競技のためではなく、空手と道場を会員一人ひとりに役立たせることだと考えています。また、FKプロジェクトは、ひとまず横におきます。その意味は、プロジェクトをストップするのではなく、全力でプロジェクトを推進することは、時間切れタイムオーバーだということです。今後は、できる範囲でプロジェクトを進めていいきます。
もう一つだけ申し上げれば、先述の活動方針を貫く、一つのテーマがあります。
それは、空手武道をすべての人が有する普遍的な人間性を向上させる教育手段として昇華させるということです。
最後に、私と共に理想の空手武道を追求する仲間を募集したいと考えています。具体的には、私の道場内に特別修練クラスのようなものを設置し、空手の上級者を中心に研究活動を実施するというようなものです。
その具体的な内容や実施決定には、もうしばらく時間をください。
また、私の身体が良くなるには、後1~2ヶ月かかりそうです。必死にリハビリやできることを続けています。
【蛇足ながら】
蛇足ながら、再度フリースタイル空手プロジェクトの趣意を述べた文を掲載します。長文ですが、1読いただければ幸いです。正直言って、熱く夢を語り、少し気恥ずかしい気もします。また、空手はマイナーなものかもしれないと弱気になっております。しかし、マイナーならマイナーで構わないとも思っています。
まずは、自分の立ち位置を明確にして、確実な歩みを実践していきたいというのが、今の私の思いです。
《フリースタイルカラテプロジェクト
~FreestyleKarateProject(FKP)とはIBMAが実施する国際交流事業です》
現在、オリンピック競技に採用されている格闘競技は、レスリング、ボクシング、柔道、テコンドーです。それらの技術は組技か打撃技、どちらか一方に限定されています。その限定により、それら格闘技の技術は向上しました。
しかしながら、徒手格闘とは、本来、相手を打つ、蹴る、投げるなど、打撃技と組み技、両方の技術を自由に駆使する状況を原点とするものです。
フリースタイル空手とは、徒手格闘の原点に還ると共に、これまで無かった打撃技と組み技を融合し修練する、新しい武道スポーツの創出を構想しています。
さらに申し上げれば、フリースタイル空手(TSルール)は、世界中にサッカーに勝るとも劣らないぐらい愛好者を有する“空手”を基盤にしています。なぜなら、TSルールとは、柔道をしのぐ競技人口を有しながら、未だオリンピック競技に選出されていない空手をオリンピック競技にすることを夢見て構想したものだからです。
ここでお断りしておきますが、フリースタイル空手とは、空手流派の代名詞ではありません。新しい武道スポーツの通称です。
また、新しい武道スポーツ(フリースタイル空手)は、異なる流派の人達が、共通のルール(枠組み)の中で“交流”することを目標の一つにしています。その上で異なる流派に内在する普遍性や良点を理解し、互いに尊敬しあうことを目指していきます。
そのルール(TSルール)はシンプルです。これまでの空手競技ルールと異なる点は2つ。先ずは、格闘技術の優劣を打撃技と倒し技による戦闘力の奪取という観点においたこと。もう一つは、戦闘力の奪取、即ち、技の効果を数字に置き換え選手と観客に知らせることです。
先述のような2つの大枠(フレーム)を前提し設定することで、これまで不透明だった勝負判定に至るプロセス並びに判定の材料が可視化されます。
そのことによって、これまで観客のみならず選手にもわかりにくかった空手競技の判定基準が分かり易くなります。そして勝負判定の不透明感が払拭されるのです。
フリースタイル空手とは、多様な背景をもつ人間同士が、全存在を賭して戦うことを前提としています。だからこそ、伝統的な村社会的ルールを採用するのではなく、外部の誰が見ても納得できるルールを新たに構築しました。
ここで少し、ルールについて説明いたします。まず、TSルールは、“一本”や“技有り”などの漢字・日本語で技判定を行なうのみならず、数字(点数)を使って、技判定とその表示を行ないます。
そのことにより、空手や格闘競技がボールゲームのように選手のみならず、観客にも理解し易くなります。例えば、効果1点、有効3点、技有り6点、一本は12点、反則行為による注意は、1点を相手に与えるなどです。試合時間は3~5分(クラス等により異なります)ですが、試合時間内に、12点(一本)を先取すれば、試合は終了します(勝負有り)。また、“組み合い(組技の攻防)”を、3秒間に制限する事により、打撃技と組技、相殺しあうような格闘技術を融合、進化させることが可能となります。
21世紀を迎えた今日も、様々な紛争の火種、問題が世界中に存在します。それらの問題解決には、貧困の撲滅を始めとする、南北の格差是正が必要なのはいうまでもないでしょう。さらに我々は、そこに暴力性と排他性の昇華という課題を付け加えたいと考えています。また、暴力の抑制と地域間の排他性を昇華するためには、国家や人種、民族等の壁を作らない、なんらかの手段が必要だと考えています。その何らかの手段の手がかりが、格闘技と普遍性を基盤にした、新しい武道スポーツの創出という事業です。
その先には、文化の異なる人間でも理解し合える価値観を見つけだすこと。そして、文化の差異をそのまま理解し、受け入れていけるような思想の基盤づくりです。
その基盤づくりこそが、新しい武道スポーツの真の目的です。
我々IBMAが唱える武道人(Budo-Man)とは、個の強さ、向上を目指す人間であると同時に、あらゆる人達と共存共栄を目指す人間です。
また、真の武道人とは、理想実現のための強い情熱を有しながらも、絶えず理性の抑制を保ち続ける、真に強い人間を意味します。
是非、より多くの人達にIBMAの主旨とフリースタイル空手プロジェクトへの参加をお願いいたします。
(IBMAフリースタイル空手チャンピオンシップ東京オープン2012大会趣意書より)
2014/5/24一部修正
2014/5/25一部修正
2014/12/18一部修正
組手修練について〜その1
組手修練について
【組手修練の意義とはなんだろう?】
組手修練の意義とはなんだろう?
自分の心技体のレベルを確認する手段?
相手に勝つ事?
自分の技を高める手段?
自分の体力を鍛える手段?
稽古の目標?
私が初めて組手を行った時のことを思い出してみる。
当時は組手と試合の違いを分けて考えられなかった。
また、柔道などの組技主体の格闘技と違い、空手は突き蹴りが体に当たる。
当たると痛い。ゆえに突き蹴りに対する恐怖心があったのだと思う。
私は無我夢中で組手を行った。また、入門当初から、いつかは組手を行わなければならないと思うから、先輩の稽古を必死で盗み見た。また、道場稽古後も体力トレーニングを積み、防御法を考えた。
そのような事の積み重ねに、現在の空手家としての私がある。
【攻撃は最大の防御?】
はじめは、攻撃は最大の防御なりと、相手に反撃の隙を与えぬよう攻め続けた。
そのような組手をすればどうなるか?
私は体力とわずかな空手の経験があったので、攻撃は最大の防御となった。
しかし、体力のないものがそのような組手を上級者と行えばどうなるか。
いたずらに体力を消費し、そのために隙が生まれ、そこを上級者につけこまれたら、ダメージをおう。相手が寸止めをしてくれればまだ良いのだが、寸止めでは、技の効果が初心者には伝わらないだろう。結果、初心者は一層、必死に攻撃をすることとなる。恐怖心の裏返しとして。
そうなると、余裕のない上級者は、未熟なものに突き蹴りの攻撃を強く当てざるを得なくなる。なぜなら、相手に技の効果と相手の未熟さを伝えるために。
その結果、伝統派の空手では、前歯がなくなる。フルコンタクト空手では、あばらが折れたり、顎を骨折したりする。また、ローキックで歩行困難となる。
そのような中、「ここで負けてなるかと頑張る者」「空手はこんなものだと鈍感なもの」また、「上級者の前では力を出さず、逃げ回り、先述のような状況を回避しようとする者」などだけが道場に残ることとなるだろう。
私は、先述のように考えられない人たちに空手の良さを伝えたかった(それがそもそもの間違いだったかもしれない…)。
組手修練に臨む前提として、体力を向上させるのは当たり前である。
しかしながら、体力の向上や維持がすべての基本だとしても、組手を勝負と考えると限界がある。
なぜなら、体力は相対的で、より強いものに対した場合、無力化する場合があるからだ。また、体力は不滅ではない。ゆえに体力が前提の修練には限界があるのだ。ただし、その限界を越えようとするものが一部のプロフェッショナル・アスリートである。その意義は認める。しかし、一般の空手愛好者、武道を習うものの意義はそうであってはならないと思う。
【応じ】
私は、なるべく自分の体力を消費せずに戦う技術や力を身につけたいと考えてきた。それが「応じ」を重視する組手修練である。
「応じ」のレベルが上がれば、相手を粉砕することはできないかもしれないが、自分が粉砕されることを防げる。また、相手のわずかな崩れをついて、相手の戦闘力を奪い、自分が生き残ることができるかもしれない。
そのような生き残る術と哲学を包含したものが武道だと私は考えている。
様々な表現ができるが、いずれ丁寧に記述したい。
私が「応じ」ということを考えるに至ったかといえば、極真空手のトーナメント試合を数多く経験したからだ。
私は極真空手のトーナメント試合において、身長2メートル、体重100キロ前後の巨漢で体力、技術もある選手と力対力の勝負を誰よりも経験した。
その経験の中では、自分よりも体力があると思われる選手と何回も延長戦を戦い、さらにそのような試合を同日中に、複数繰り返すという、状況に幾度も置かれた。そのような状況では、1試合でダメージを受け過ぎれば、次の戦いに不利になる。ゆえに、ダメージを極力少なくしながら戦わなければならなかった。
また、3日間を通し8試合をこなすような試合設定は、心理的、体力的にかなり極限的な条件となる。
そのような条件では、体力が必要なことはいうまでもない。しかし、体力があるだけでは十分ではない。圧倒的な体力があれば、体力だけで事足りるが、相手も体力レベルが高い、いや自分以上にある場合は、いかに自分の体力をロスせずに、相手の体力を奪うかという戦い方ができなければならないのだ。
話を端折って進めれば、先述のような闘い方を突き詰めた形が、「後の先」の戦い方である。私が「応じ」というのは「後の先」という戦法・戦術である。
サッカーなどのボールゲームでもそのような戦術は見られる。
サッカー風に言えば、「ディフェンス&カウンター」である。つまり、相手の攻撃を防御すると同時に反撃を加えるというものである。
断っておくが、ここでいう「応じ」「ディフェンス&カウンター」「後の先」とは、
防御と攻撃(反撃)が分離しているものではない。究極的にはクロスカウンター、すなわち交差法のように作用しなければならない。
ゆえに、防御が1、反撃が2というような、「1、2」というリズムではまだ初心レベルである。それは単なる「受け返し」である。私のいう応じとは、基本形としては受け返しだが、目指すところは異なる。
(その2に続く)本日の稽古指導後にアップする予定です。興味があればお読みください。
組手修練について〜その2
【100人組手】
そのような「応じ」の術を掴むために、私は100人組手という修練を行った。
私にとっての100人組手の意義は、応じの真髄を掴むためである。
その真髄は、分別による迷いのない、真心で動くことである。それが難しい。
真心については、時間がないので、再度、話を端折りたい。
さて私は、100人組手によって、スタミナを身につけた?打たれ強さを身につけた?あきらめない精神力を身につけた?
答はどれもNO(いいえ)である。100人組手の後、私の体は壊れた。
その本当の理由は、誰も知らないはずだ。拙著には少し書いたが、いつか補足を加えたかった。簡単に述べれば、私100人組手は一人2分間であったここと。また、「にぎり棒」というものを両手に握り、相手の突き蹴りを流したり、捌いたりすることが制限された。指が自由に使えないということは、蹴りの受け流しに支障をきたす。それは短時間の戦いならば、問題ないが3時間以上ともなると、なかりの身体的ハンディなのだ。
話を戻せば、私は100人組手の後、1ヶ月の入院を含め、約半年後に世界大会に臨んだ。その時、私には打たれ強さもスタミナもすでに奪われた状態で戦わなければならなかった。しかしながら、体力がないという状況は、「後の先・応じの組手」の感覚を研ぎ澄ました。
ゆえに試合では、無駄打ちをせずに体力を温存できた。また、ダメージはほぼゼロに近かった。
おそらく、なぜ決勝で増田は攻めないのかと、思った人も多かったと思う。TVで見ていた観客もそう思っていたそうだ。
しかし、戦い方は間違ってはいない。ただ、私の拘りやすい性格は、理想の空手のスタイルを捨てられなかったのだ(理想を捨てて勝ちを目指すというような選択はできなかった)。カットされたものでない映像をしっかりと検証すれば私の言っていることが必ず理解できるはずだ(真の戦いがわかる人間ならば)。
私は、人がどう判断しようと、誰にも負けてはいない(勝ってもいないが)と思っている。事の本質は、空手レベルが変わり、元のレベルに戻ることができなかったということである。
それが苦しみの始まりである。それが今持って続いている。言い換えれば、私は極真空手における勝負の価値観に迎合することはできなかったということだ。
補足を加えれば、勝負が3分で終わるとは決まっていない。勝負はいつ終わるかわからないのである。最後の最後まで、相手に只応じる。負けないように。そして、相手に崩れが見えた時…。それが武道だ。最後の最後まで自分との戦いである。また相手を知り、己を知る道でもある。
「勝ったと思っている人間に道を説くことはできない」私はそう思う。
武道は勝負の道だという人がいるが、私はそう思っていない。
今の私には、上手い言葉が浮かばないが、「自他を最高に生かす道が武道」だと思う。
またまた脱線するが、20年近く前、北鎌倉にある松ヶ岡文庫に古田紹欽先生を私は訪ねた。
禅の哲学に傾倒していた頃だ。私は同郷の鈴木大拙先生の全集を読みふけった。また、同じく同郷の西田幾多郎先生の哲学にも傾倒した。
それは、私がお世話になった、永江トレーニングセンターのオーナーの永江さんのお宅へ挨拶に伺った時、金沢には偉大な哲学者がいると教えていただいたことに始まる。その偉大な哲学者が西田幾多郎と鈴木大拙であった(ちなみに西田先生は石川県羽咋郡の出身だったと思う。白砂青松、海の近くの西田記念館を私は訪れたことがある)。
私は、金沢にある鈴木大拙記念館?(金沢するさと偉人館?)を訪れ、そこの館長に鈴木大拙先生の高弟方の住所を教えていただいた。
その中の一人、故古田先生が、鈴木大拙先生の創設した、松ヶ岡文庫長をしているということで、先生に手紙を出した。古田先生に訪問を快諾していただいてからの訪問だった。
その時、私は鈴木大拙先生の書斎を見せていただいた。庭を望む小さな書斎だったが、先生はそこで数多い著作を行ったそうだ。
また、古田先生は、私に鈴木大拙先生の返り点入りの、臨済録の原本を手渡してくれた。そして「常行一直心」という言葉をいただいた。鈴木大拙先生が揮毫する際、好んだ言葉らしい。
私は、いつもそんな生き方をしたいと思ってきたが、あまりにも程遠い生き方にとても恥ずかしい思いがしている(危機感を感じるほど嫌気がしている)。また、先述したように、応じを突き詰めれば、一直心の境地に至ると、私は思っている。
【気が生まれる】
応じの話に戻れば、応じは「1、2」が「1」になるように修練しなければならない。さらに無数の自分の中での「1、2」が、また相手との「1、2」が円環し、繋がっていく。それを「1」と表現したのだが、禅で用いられる「円相」のようなイメージと言っても良いかもしれない。それは、自他全体を俯瞰するような視点からしか見えないだろう。
そのような、境地に至った者には、一種の「気」が生まれる。
私は「円相」「気」などという抽象的な表現は良くないと思ってきたが、そのように例えることしか今の私のレベルではできない。
さらに続ければ、私の考える武道の究極は、「応じ」の訓練を通じ、「多即一、一即多」の境地を目指したいと考えてきた。さらにその先には、体力が落ちても、最後の最後に残る「気」のようなものが永遠に働き続けているように直観するからだ。その直観を具体化するために、今一度、一つひとつの武技を見直したい。体の使い方の面からも。その先は、技や術のレベルを超えたレベルだが…。
最後に、このブログはメモ書きである。このようなメモ書きをしているのは、これまで私の道場で行ってきた昇段審査の組手において、応じを追求する姿勢が見られなかったからだ(過去においても見られたとは言い難いが…)。ということは、私の武道理論、哲学が伝わっていないということだ。
そのことに、反省と方向性の修正を加えなければならないと、私は考えている。
もちろん、私の道場の黒帯は、格闘家としての強さということではなく、道場生として、また一人間として素晴らしい。また、立派な社会人として空手武道の修練に真摯に取り組んできた人たちばかりだ。
しかし…である。私は今、限界を感じている。
その限界を越えるために、特別修練コースを設け、競技や相対的な強さの枠にとらわれない、道を求める修練を行う者を募集したい。
私の脚はまだ完治しない。しかし、このまま衰えをただ待つわけにはいかない。
黒帯有志に呼びかけ、私が生涯をかけた、空手哲学をさらに深める研究を、共にしてくれる仲間を集めたい。そして、素晴らしい「気」を生み出すような武道を研究したい。
蛇足ながら、頭も劣化し(元々よくないが)、体力も衰えていく中、今もどうしょうもない思索を続けている。
正直言えば、もう止めよう、もう止めようと思いながら生きている。しかし、最後に一つだけこだわりたいものがある。それが、私の孤独感をさらに深めようとも、そこを突き詰めなければ、先に進めないというのが、私という人間だ。
12-24一部修正
2015あけましておめでとうございます
あけましておめでとうございます。
年末からインフルエンザに罹患し、部屋にこもりきりでした。
高熱と吐き気、体の節々の痛みなど、インフルエンザの症状はきついものでした。
そんな中、私を応援してくれる友人が経営する会社の社員のI氏から、電話がありました。
フリースタイル空手プロジェクト(FKP)の支援サイトと私の道場のサイトのリニューアルのチェックの電話です。
年末、I氏も忙しいに違いありません。にもかかわらず、私の要望を聞き、休みを返上で仕事をしてくれていたのです。
正直言えば、高熱に苦しむ中、もうプロジェクトはやめようと考えていました。
なぜなら、あまりにも負担が大きいからです。
また早いもので、プロジェクトを本格的に開始してから4年ほどの歳月が経ちます。
その4年間で、私に筆力があれば小説にも出来そうなくらい、様々なことがありました。そんな中、人間の弱さを痛感しています。
同時に、「人間は弱さを抱えながらも、精一杯生きているんだろうな」とも思っています。
さて、I氏への感謝の念により、なんとしてでも今後の方向性をまとめなければと思いました。ゆえに気力を振り絞り、先述のプロジェクトに関する、今後の方向性をまとめました。具体的にな活動についてはこれから告知していきます。まずは、大まかなシナリオだと思ってください。
端的に言えば、FKPは大きな夢として持ち続けようと思います。
しかしながら、具体的な行動としては、原点にかえり、極真増田空手の普及と武術の探求をしていきます。武術の探求については、拙著、フリースタイル空手で示した事を基本にし、それをさらに深化していきます。よって、内容や修練方法についての修正や変更はあります。
この辺のニュアンスがわかりにくいと思いますが、後に記載した小論文を読めば理解できると思います。
実は、拙著フリースタイル空手のタイトル案には、「空手武道入門」「拓真武術」というものがありました。
空手という呼称を採用したのは、空手に対する深い思い入れの現れです(出版社の意向もありましたが)。
しかしながら、その理想を追求し展開していくには、それにふさわしい仲間を集める必要があります。そのためには、方向性を明確に示さなければと思います。私は、気力を振り絞り、小論文をまとめました。
長文ですから、2回に分けて掲載しておきます。興味がある方だけ、お読みください。
新しい武道スポーツをデザインする2015版
【新しい武道スポーツを世界に~】
有史以来、人類は敵と徒手で交戦するための様々な格闘技を考案してきました。それら格闘技には、時代と共に社会的存在価値の変遷が見られます。
我が国における徒手格闘技の場合、実際の交戦のためというものから、人間教育的なものへと、価値の変遷を見せています。さらには、見世物・エンターテインメントへの転換も見られます。また、現代においては、古典武術の継承というような価値も見られます。
【徒手格闘技の新しい枠組み】
私が構想する新しい武道スポーツとは、徒手格闘技の新しい枠組みです。また、徒手格闘技の社会的価値をさらに高めようという試みです。
それは、決して既存の価値を否定するものではありません。むしろ、先述した様々な価値を高め、さらに包摂・融合するための枠組みでもあります。
もう少し具体的に言えば、新しい枠組みは、基盤となる3つの異なる枠組みと繋がるようイメージしています。
ここでいう3つの枠組みの一つは、専門性に重きをおく武術という枠組みです。もう一つは、人間教育に重きをおく、武道という枠組みです。最後の一つは、精神の解放に重きをおく、スポーツという枠組みのことを指します。
また見方を少し変えれば、武術とは芸術・芸能的あり方です。武道とは、精神鍛錬的あり方です。スポーツとは、精神解放・浄化的あり方とも言えます。
それら3つの枠組みとあり方を基盤とし、かつそれらをつなぐ新たな枠組みとあり方が新しい武道スポーツなのです。言い換えれば、新しい武道スポーツとは、武術と武道とスポーツを繋ぎ、融合するものと言っても良いでしょう。
【新しい武道スポーツが見据えるもの】
新しい武道スポーツが見据えるものは、徒手格闘競技の中から、人類普遍の高い精神性を醸成するというゴールです。
その理念は、「精神鍛錬と精神浄化」「闘争心と知恵」「体育と芸術」という2種の補完しあうキーワードで言い表すことができます。
そのルールとは、それら2つの補完しあうキーワードを車輪のように繋ぐ車軸のようなものです。
【ルールの核となる概念】
そのルールの核となる概念は、「相手の戦闘力を奪う技術を競い合う」ということです。
その概念をもとに、数多い戦闘技術(格闘技)の中から、相手の戦闘力を奪う、3種の戦闘技術を選びました。それ以上多くなると、複雑になり過ぎ、愛好者を増やすことが困難となると考えたのです。
具体的には、「手足を使い打突すること」「相手のバランスを奪い倒すこと」「相手を突き飛ばすこと(場外へ押し出すこと)」です。
さらにその競技をやらない人にも勝敗が一目でわかるよう、戦闘技術の効果を数値化して示すことにしました。
また当然の事ながら、安全性の確保のために反則行為を設定しました。
反則行為を設定するのは、過激な徒手格闘術の試し合いにおける、傷害を最小に抑えるためです。そして試合を反復可能とするためです。
競技の判定材料の数値化や競技の安全性を確保し反復可能とするのは、より多くの競技データを取り、それを検証できるようにするためです。
また、競技の反復と検証により、高度な技術や戦術が生まれる可能性が拡がります。
そうなれば、競技者のみならず観客にも、より共感してもらえるようになり、斯界が発展するはずです。
【初めは…】
最後になりますが、新しい武道スポーツに、初めて接する人には、打撃技と組技の2つを使いこなすことが、とても困難なことと感じるかもしれません。
しかし、「案ずるより産むが易し」。少しずつでも良いですから、やって見れば良いのです。
誤解を恐れずに言えば、初めは「擬似取っ組み合い」のようなつもりで体験するぐらいで良いのです。技術レベルの低さを否定してはいけません。どんな武術も初めは不恰好なものです。格好良いものに囚われてはいけません。そんなものは偽物であることの方が多いものです。
冷静に自分の技や戦術を検証し、次の挑戦に備えるのです。新しい武道スポーツは、そのような知的作業に必ず、相応の結果をもたらしてくれるはずです。
新しい武道スポーツをデザインする2015版の補足
文と武と道
年末から体調が良くないのと、手術した膝の回復に時間がかかっている。
あわせて、私の道場のサイトの更新にあわせてサイトのリニューアルを自力で試みていた。
年末から200時間以上を要した。私が私淑する、盛和塾の稲盛和夫先生なら、「ばかたれ、そんなことに時間を費やしているんじゃない」と一喝するにちがいない。しかし、自分でやるしかなかったのだ。ゆえに数年前から言い続けている、教本の製作が遅れている。また、出版の企画も頓挫の状態だ。毎日、パソコンと睨めっこし、胃をキリキリさせ、胸が息苦しい。そんな状態だから、当然ブログやフェイスブックも後回しだった(今回、約2ヶ月ぶりのブログ更新である)。
ようやく、視界が少し晴れてきたように感じる。
しかし、道場の仕事やその他にも整理しなければならない仕事がある。正直、一人でやれば、心身が危ない(膝の怪我も同様である。私はいつも無理をするのだが、もう若くはない…)。しかも、金銭的な利益にはならない(損出はあっても利益にはならない)。
本当に愚の骨頂のような有様だ。なんとかして、生き延びる方法を考えなければならない?その方法は?「勇気をふるって、ほんとうに必要なもの以外は捨てることだ」と思っている。しかし、愚か者の私には、それができない。
実は10年以上も前に、あることを悩んでいて、稲盛先生に助言を求めたことがある。その時の稲盛先生の応えは、「お前、ガダルカナルの話(ガダルカナル島の戦い)を知っとるか」だった。その時の私の反応は「はあ?名前だけは」という恥ずかしいものだった。
私は中学生の頃、小谷さんという、近所に住んでいた1年年長のお兄さんが大好きだった。よくプラモデルで遊んだ。小谷さんは、お父様が船乗りでジャズと船のマニアだった。確か、お兄さんが2人いて、一人が京大生だたっと思う。私は、彼のもたらす知識、情報にとても憧れを抱いたのを今も憶えている。その小谷さんの影響で、戦記(”丸”という雑誌やその他の戦記物)をたくさん読んだのに、意味がわかっていなかった。私は家に帰り、書棚から数冊を手に取り、ページをめくりながら、稲盛先生のアドバイスの意味を噛み締めた。
申し訳ないが、この話に興味があれば、インターネットでガダルカナル島の戦いの話を調べて欲しい。
ここ数ヶ月、私の心の中に「何が一番重要か」という問いかけが鳴り続けている。私には、答えが見つかっている。今後、その見つけた答えを表現していきたい。しかし、その答えを実行、表現するには、少しの勇気と準備が必要だとも思っている。まあ、人の評価を気にしないでやれれば問題ない(しかし、人の目を人一倍気にするのが私だが…変身が必要だ??)。
最後に、私に残された時間は、そんなに多くない。まずは身の回りを整理したい。そして、何年か後に、武蔵が霊眼洞に籠もったように、空手–武道家として最後の仕事をしたい。
久しぶりのブログなのに、陰鬱な話で申し訳ない。ここで話は終わりである。以下は付録だ。
今回、私の著書でカットされた、草稿の一部を紹介したい。原稿は、6年前に書いた原稿で、加筆修正を加えたい部分もある。しかし、6年前の自分の姿が懐かしく思えるので、掲載したい。
文と武と道
【文武】
「文武に徳と芸との本末あり。仁は文の徳にして文芸の根本なり。文学礼学書数は芸にして文徳の枝葉なり。義は武の徳にして武芸の根本なり。軍法射御兵などは芸にして武徳の枝葉なり。根本の徳を第一につとめてまなび、枝葉の芸を第二にならひ、本末かねそなはり文武合一なるを、真実の文武といい、真実の儒者という也。文芸ありて文徳なきは文道の用にたたず、武芸ありて武徳なきは武道の役にたたず。例えば根なき草木の実をむすぶにことあたはざるがごとし。」[翁問答/中江藤樹(日本思想体系)]
日本陽明学の始祖である中江藤樹によると、現代の定義で言うと「文」すなわち文学や詩歌などの根本に「仁」がなければならないという。また、「武」すなわち武力や各種武術の根本に「義」がなければならないという。
【仁とは?義とは?】
「仁」とは辞書的には「いつくしみ」「思いやり」であるが、中江藤樹は陽明学的「万物一体の仁」を意識していると考える。よって、ここで言う「仁」は、キリスト教の「愛」の概念、仏教の「大慈悲心」と類似のものと考えて良いだろう。「義」とは、辞書的に「人として行うべき正しい道」であるが、「人間として正しい行為(行い)」というように私は考えている。義に関しては後で項を割く。
古から今日まで、文も武も格段の進展を見せている。しかし、それは中江藤樹の謂うところの文芸、武芸の領域であろう。しかし、その核心に、「仁」そして「義」が捉えられているだろうか。
【文武一徳・文武一道】
私は、翁問答で「文武一徳」を説く中江藤樹と同じく「文武一道」を説く立場である。わが国の歴史に、武士という種族の長期にわたる支配があった。その体制イデオロギーとして、「御恩」「奉公」というものがあった。そして、武士の支配が長期に亘った過程において「武士道」という支配階級の倫理観が育まれた。その武士道に内包されるものが「文武両道」という行動規範だと考えている。
しかしながら、昨今、そのような倫理観を支配階級(リーダー)に求める意識が希薄になってきているように思う。その原因には、リーダー意識の喪失、あるいは嫌悪があるように思う。私の浅薄な想像であるが、先の世界大戦により、リーダーシップに対して懐疑心があるのかもしれない。その一方で、今も存在する各界のリーダー(支配階級)に、おもねり、全てを依存しきっているかの観がある日本国民には、正直ふがいなさを感じる時がある。
国家を含む人間社会のあらゆるジャンルが進展する中、各界のリーダーは「文武一道」を心掛けなければならないと思う。それには、一人ひとりに主体者意識(リーダー意識)を育もうとする姿勢が必要であろう。
【愛を育むことを根本に、勇気を持って人間として正しい行いを行なうこと】
前述の「翁問答」には、「文道をおこなわんための武道なれば、武道の根は文なり。武道の威をもちいておさむる文道なれば、文道の根は武なり。そのほか万事に文武の二ははなれざるものなり。」(中江藤樹)ともある。私は、古人が考えたように、「愛を育むことを根本に、勇気を持って人間として正しい行いを行なうこと」が文武一道の意味、同時に文と武の眼目であると思うのである。
日誌3月7日
花粉症がひどくて眠れない。
薬を飲めば、頭がぼうっとする。膝も少し無理したようだ。本日は冷やしている。
しかし、そんなことは言ってられない。なんとかして、良い仕事をする準備を完成させなければならない。毎日、時間の許す限り、これま活動と今後の活動をスムーズにするための整理整頓をしている。
【準備】
拙著にも書いたが、まずは、チャンピオンになる準備をしなければならない。
その準備には、体力トレーニングや技術練習は勿論、メンタルトレーニングも含まれる。そして、何より大事なのは、「心構え」である。実はここで「覚悟」という言葉が浮かんだが、あえて使わない。なぜなら、覚悟という言葉自体は悪くはないが、実際に使うと、胡散臭い感じがする。また、陰鬱で消極的だ。私の感性では、覚悟という言葉は使わない。私の考える「心構え」とは、もっと前向きで積極的な感じだ。
ここで増田流の「準備」と「心構え」について説明したい。まず「大きな目標を掲げる」次に「小さな目標を設定し確実に実現していく」その中で、大きな目標を達成するために必要な体力や技やメンタルタフネス、つまり「装備」が備わっていく。そして、最後にもう一度、確認するべきことが「心構え」なのだ。
正確には、「心構え」は、世阿弥のいうところの「初心」と同じと言っても良いだろう。
増田流だが…。世阿弥のいうところの「初心」も私の考える「心構え」も日々、成長し続けていくものなのだ。そして、ある一定のステージ、節目と言っても良いが、そのステージに立った時、真の意味での、自分の心構えを知る。そしてそれが完成する(私は世阿弥の風姿花伝が好きだが、世阿弥のいうところの初心に関しては、風姿花伝を再読し、再考しよう)。
【型論】
そんな中、6年間に上梓した、拙著で不採用になった「型論」を再読した。
正直言えば、「悪くないかもしれない」という感じだ。
その内容を掻い摘んで言えば、技には、「原理技」というものが内在するということ。
さらに原理技は、有形の技ではなく、無形の技であり、眼に見えな技だということである。
また、原理技は多様な状況に対応するために要になる技である。さらに言えば、原理技の応用が、千変万化の技を生み出していく。そして、私の考える型の修練とは、原理技を体得するというところに眼目がある。
【私の仮説を証明するために】
今、そのような私の仮説を証明するには、「原理技」の具体例を挙げることだと考えている。
さらに、その体得方法を言い表すことができれば、身体操作の理論として成立するだろう。
この原理技の存在の証明と具体例を突き詰めてみよう。そうすれば、保留にしていた、出版の企画が再稼動し始める。
同時に、この理論を成立させるためには、バイオメカニクス理論を始め、解剖学や運動生理学など、ここ半年間に渡り、私が取り組んでいる研究が役立つように思う。
半年前に2回目の膝の手術をした。1回目の時は、若いがゆえに、視界が広くなかった。考えも浅かった。
具体的な事は、これから文字に落としていくが、ポイントを一言で言えば、「身体の機能は何もしないでいれば、衰えていくということ」また「身体には掘り下げれば、細胞レベルまでの多様な働きが連鎖しているということ」である。しかしながら、多様な働きのことを知り、その機能を維持、向上せせる努力をすれば、衰えを抑えられるということである。シンプル過ぎるだろうか?
繰り返すが、「人間の身体は使わないと衰える」。しかし、上手に身体を使い続ければ、機能の低下を遅らせることができるのだ。
今、競技に勝つことを目標としていた若い頃とは異なる次元で、自分の身体を再度、鍛えていこうと考えている。
話は脱線するが、もし、私が取り組んでいた競技が、もっとルールが明確で、金銭が得られるものであれば、私は40歳位まで、現役でいた可能性が高いだろう。また、トップに君臨していたはずだ。それほど、私はストイックであった。
少し自慢げに聞こえるかもしれないが、空手家で、私ほどウェイトトレーニングと陸上トレーニングをした人間はいないという確信がある。しかし、私はその経験をほとんど語らずにきた。それが空手家、増田章が理解しにくい原因だと思っている(実は簡単に理解されたくないと思って生きてきた)。
【もっと良い方法があったのではないか」ということを前提に研究してみたい】
しかし、これまで現実は、明確な価値基準がある競技をしていたわけではなかったし、金銭が競技によって得られるわけでもない。日々、雑務に追われながら、雑な身体の使い方のまま、生きてきた部分もあっただろう。
ゆえに、これまで軽い肝臓疾患、腎不全、骨折、腰痛、静脈瘤、半月板の損傷、肩関節の損傷などなど、数々の障害があった。同時に私は、トレーニングに関する勉強もしたきたつもりである。私は、それらの障害の経験、克服の経験、またトレーニングを振り返り、それらについて掘り下げてみたい。例えば、「なぜ私は障害と出会ったのか?」「なぜ障害を回復できたのか?」「どのようにして障害を克服したのか?」「なぜ、自分よりはるかに骨格に優れる人間と戦えたのか?」などである。
それらを基礎にして、「もっと良い方法があったのではないか」ということを前提に研究してみたい。なぜなら、そのような研究を通じ、より良い方法論を残し、後陣に伝えることで、私の空手、私の人生が人の役に立つように思うからだ。
実は、いつも私の心の中には、先述のような観点があった。ゆえに新しい武道スポーツを作りたいと考えた。しかしながら、時間は有限である。ゆえに、考えるということに関しては、限定がない方が望ましいが、行動は、目標を絞らなくてはいけないと思っている(実は、このブログも現在制作中のウェブサイトに吸収合併?したいと考えている)。
兎にも角にも、現在の私は、なるべく少ない目標に絞って、行動したいと考えている。これまで、あまりにも行動目標が多すぎた。
私の今後の目標については、後日、丁寧にまとめあげたい。まずは、増田の極真空手の体系をより高いレベルで纏め上げること。同時に後継者を育成することだ。次に、身体の使い方、鍛え方を研究し、それを空手の技や稽古に活かす事である。同時にそれを増田の武道理論として纏め上げることである。
これまで私は、観念的な執筆を多くしてきたように思う。今後は、具体的で、科学的な記述を心がけたい。
蛇足ながら、原理技は私の理論(仮説)の一部である。勿論、私の直観と仮説が間違っている可能性もある。ただ、研究してみる価値はあると思っている。
拙稿の「型論」は長いので、明日以降、掲載したい。興味があれば…。
【追伸】
「型論」を再読したが、やはり再考しよう…。もっと違う表現方法があるような気がする。
また、覚悟という言葉が好きでないのは、私に覚悟がないからか?また、覚悟という言葉を使いたがる人を見ると、格好つけた感じがするからか。
型 論
以下に、昨日の日誌に書いた、「型論」を掲載する。
この原稿は、2009年ごろ拙著「フリースタイルカラテ」の草稿を加筆修正したものだ。
この原稿は、ボツとなったが…。
現在、フリースタイルカラテは、新しい武道スポーツという定義付けをし、増田流の空手–武道とはあえて一線を画している。それを前提に読んでいただければ幸いである。
また、これは仮説であり、これを具体的に証明しなければならないだろう。大変な作業になるが、挑戦してみたい。ちなみに一番大変なのは、私の家族のような極真–空手家に私の意図するところが理解されないことだが…。私は、みんなの役に立ちたい。その理由は後日述べる。それでは…。今日は少し体を休めたい。
型 論
検討を要する
【一般的な型の考え方】
日本武道では「型」を重要と考えてきたが、フリースタイルカラテ拓真道における「型」の意義について述べてみたい。一般的に日本古来の芸道では、「型」とは理想的な動き(技)の鋳型として考えられている。一方、「技」とはある目的を実現するための法則性、型を内在する手段と言うように定義できると考える。
空手においては、型の意義は伝統技の継承という程度にしか考えられていない感がある。私が空手競技の修練をおこなっていた時、型を将棋で言う手筋、すなわち局面における理想的な戦い方を習得するという目的で行ってきた。ここでいう型とは、空手の伝統的型ではなく、相対で行う型である。約束組手という流派もあるようだ。更に型には、基本的かつ形式的な手筋の理解と習得のみならず、相手との様々な状況における最善の対応を行なうための原理原則を伝えるものとしての意義があると考えている。言い換えれば、技と技のやりとりとは、他者・外部からの働きかけに対し応答するというコミュニケーションの要素を内在しているとも考えていた。同様な観点として、柔道の嘉納治五郎は、形(型)を言語体系における文法に、乱捕り(組手)を作文に例えた。
【型–修練の意義】
フリースタイルカラテ拓真道においては、「型」及び「型修練」の意義は、将棋における手筋の如く、「局面のおける最善の戦い方」を学ぶと同時に「戦いにおける原理原則(理法)」を学ぶものであると考えている。さらに「戦いにおける原理原則(理法)」を学び、相手との対応状況における最善の対応を創出するためにある。また、新しき型の創出は、さらに新しい型を創出することにつながる。
補足を加えれば、組手型は複数の技が組み合さって構成されているが、そこには「原理–技」と私が命名する技が内在している。
「原理–技」とは、複数の技を合成した組手型と異なり、それほど多くないかもしれない。しかしながら、「原理–技」こそが、技を実効あるものとする要素といっても良い。つまり、型–修練の意義とは、型を媒介とし、自己の心身操作の高下を「他者からのフイードバック」を通じ再認識されるところにある。さらに、自己の心身の操作を、より高次化するための「原理–技」の体得を目指すところにあると言いたい。
【原理技とは何か】
「原理–技」とは何か。例えるならば、心身の操作における数学の公理のようなものかもしれない。また、型とは方程式のようなものかもしれない。さらに究極の武術家は、複雑な局面の打開を、自他一体の精緻な心身操作と原理技の応用により転化していくものだと、私は想像している。その有様が数学者や数学のように思えるのは、私が数学に関して無知であるからかもしれない。ゆえに、数学に例えたのは妥当ではないかもしれない。しかし、いつかこの直観を解明してみたいと私は思っている。
話を戻すが、「原理–技」とは、あらゆる身体操作に内在する「天地自然の理」、すなわち「普遍性」を活用すること言い換えても良い。絶えず最善の技を駆使するには、「理」を体得することが重要だ。つまり「原理–技」というものは、動きの中で原理的に機能している要素のことだ。その要素には、眼に見えない心の働きも包含する。ゆえに技を真に観るということは、あまりにも複雑で一般人には理解不可能かもしれない。しかし、意識を高めつつ修練を積めば人間の心身を用いた、技の真の姿が見えてくると私は考えている。
【型–修練の第一義は原理–技の体得である】
わが空手–武道における型–修練の究極的な目標は「原理–技」の体得である。なぜなら、「原理–技」を体得した者は、多様な状況において、より善い技を再現できる可能性が広がるからだ。それは、「原理–技」を応用する「術」を創出したということと同義である、
本来、行為・形態としての「技」は一回限りのものである。しかし、「術」を併せ持った「技術」というものは、千変万化する状況に対応し、あたかも、繰り返し最高の技が繰り返されるかのような錯覚を起こさせる。そのような技術・能力の創造が「型–修練」の究極的な意義である。
柔道では、「型」を「形」と呼称しているが、その意味合いは、私の云う「型」と同じであるかどうかはわからない。一方、わが空手界の「型」の多くは、残念ながら、皮相的な「型」と言わざるを得ない。多くの武道流派には、形の稽古と同時に約束組手や分解稽古などというものを行なうところもあるようだ。そのような稽古を並行して行う場合は、私の考える「型–修練」に近いかもしれない。
突き詰めると、型–修練は理想の形を創出するという目的と同時にあらゆる状況において実効性のある「技術」を体得する目的のためにあると私は考えている。ここでいう実効性のある技術と理想の技とは別物ではない。断っておくが、あらゆる状況において実効性のある技術とは、一般人が観る形態的「技」のことではない。優れた技に内在する「原理–技」とそれを駆使する「術」を指す。
心身を共通基盤に相手と対峙する戦闘という状況においては、複合的な要因が絡み合い、絶えず状況は変化する。そのような中で「勝利」という状況を創り出すには、先ずもって、絶えず変化する相手の動きに普遍性を見出さなければならない。なぜなら、相手の「技(形態)」が完全に表出するより少し前に、その意味を理解、予測しなけらばならないからだ。その理解力、予測力の高低より、対応(技)の実効性が担保される。
繰り返しになるが、武術家には、技が表出する際の「普遍性」を察知する能力が必要である。さらに「原理–技」を充分に活かし、合理的かつ最小の動きで対応するものが高い技術である。華美な動きは、応用力が低く、高い技術とは言い難い。
【形に囚われず、無形の型(見えない技)を追求すること】
ゆえに空手–武道の修行者は、「単なる形態としての技を追求するのではなく、技術を究める」ということを目指すことが理想だと、私は考えている。ただし、技術を究めるには、形態としての技の研究も必要である。それがあって初めて、次の段階に到達する。
私がここでいう「技術を究める」とは、有形の形に囚われず、無形の型(見えない技)を追求することだ。言い換えれば、技が生み出される状況を構造的に理解することだと言い換えても良いかもしれない。そのためには、他者を知ることと共に自己を知ること。また、その関係性を理解すること。さらには、勝負という概念の考察と見直しと同時に人間の全てを考察することである。
【技を普遍の技術にする】
武道家の理想は、技術を究め尽くすことにより、自己の技を真の技に、すなわち、技を普遍の技術にする。それは、決して天才の道ではない。あくなき、自分への挑戦である。
古来武道は、技と心が一如と考えた。その教えは「心法」と呼ばれた。心法とは自然の道(天地自然の理法)と人間の道(人の道)を踏むものである。新しい武道であるフリースタイルカラテ拓真道も、その日本武道の道統を受け継ぐものである。ゆえにそのあり方は、天地自然の理法と人間を探求する道である。
【真(ほんとう)の身体(からだ)】
最後に、私が考える型とは、自己の身体を活かすことを目標としている。また真の身体とは、技と心を一体とする基盤のことである。その身体は、我々が生活の中でプログラムされた組織でもある。私が考える拓真道とは、その身体をより善く作り変えていくこと(リプログラミング)への挑戦でもある。
2009年
一部、加筆修正
教育について〜たけしのTVタックルを見て
ブログの更新ができていないので、なんとか更新したいと思っている。これまで、雑務の処理とその休憩時間はすべて、インプット(読書)に当てていた。今週末は、膝を休めることも含め、雑務を傍らにおき、少しアウトプットをしてみたい。
現在、膝の具合が思わしくない(一進一退、60~65%)。書き記したいことは山ほどあるが、リハビリを含めた、雑務に追われている。体調も良くない。そんな中、昨年に書き記したが、アップしなかったブログをアップしたい。昨年は、教育現場における体罰の是非が話題になった。私は、体罰反対の立場だが、問題の本質は、体罰の是非ではないと考えている。問題の本質は、家庭や地域社会における教育的機能の弱体化や価値観の多様化による、教育現場の混乱である。
さらに、日本人の熱しやすくて冷めやすい気質、メディアの目先重視の仕事ぶりなどが問題だと思う(もちろんメディアに携わる人たちにも、長期的展望や志があると信じたいが…。信じたいが…である)。
教育について~たけしのTVタックルを見て 2014/11/18
たけしのTVタックルを見た。
内容は、体罰の是非の討論だった。
討論と言っても、いつものメンバーに加え、尾木ママとヤクザ先生と呼ばれている教師と堀ちえみとみっつマングローブ?と東国原氏だけだったが。
尾木ママと堀ちえみは、体罰反対陣営、ヤクザ先生とみっつは体罰肯定陣営だった。
その内容は、結論を急ごう。今回の討論は、現場教師にとって、どちらも参考にはならないだろう。
なぜなら、現場ではひどい生徒(社会性に乏しい未熟な人間という意味での)が存在するからだ。それを教師全員に尾木ママのスタイルで教師をやれといっても酷だ。
一方、ヤクザ先生のスタイルで教師をやるのも無理がある。
私はどちらかというと、尾木ママスタイルを支持するが、ヤクザ先生の言うこともわからないではない。実際は、尾木ママ、ヤクザ先生の両者とも、それなりの実績(教育の)を有しているようだ。しかし、それは両者とも人間的魅力が備わっているからだ。
ちなみに堀ちえみもそうだ。彼女の事はよく知らないが、彼女には人間的魅力が備わっているように見える(私には)。
つまり、両者のスタイルが上手くいったのは、両氏に人間的魅力が備わっていて、なおかつそれを魅力的だと感じる人間がいたからだ。
さらに言えば、それを魅力的だと感じない人間は、彼らの視界から消えていたという事実をメデイアは消し去っているからだ。
つまり本当のことを言えば、体罰肯定だろうが否定だろうが、教育には人間的魅力がなければ難しいということだ(厳密に言えば、魅力を感じるための感性教育が重要だ。感性に強い刺激を与えるものや装置、それが映像メディアやテレビの実体だろう。私は、そんなものや装置がみじかに溢れているということに恐ろしさを感じる~補足2015年4月)。
おそらく、多くの教師には、そこまでの人間的魅力はないと思う。
ゆえに、人間的魅力がないところで、体罰を肯定すれば、どうなるか?同時に尾木ママの理想論を持ってきたらどうなるか?
そんなうまくいくはずがない。
一番重要な事は、人間的魅力に乏しい、悩める多くの教師を救うためにはどうしたらよいかということである。私は教師は重要だと考えている。その教師によって人間の人生が左右されることだって少なくない。ゆえに、教師を批判する前に、教師を支援しなければならないと考えている。
ただし、教師にばかり期待するのも問題がある。やはり、家庭が重要だし、さらに言えば、一人一人の価値観が重要である。また、TVを始めとするメディアの責任も重大であろう。
とどのつまり、子供の教育は親がしっかりと責任を持つべきだというのが、私の意見である。
しかし、そこが問われていないし、そこが曖昧になってきていると思う。そこをもっと問い詰めるべきではないかと思う。