2020年、東京オリンピック招致が決まった。そして、これが好機とばかり、消費税が上がるようだ。
私はこれまで、消費税を上げることは、近い将来、必要だが、その導入のタイミングが重要だという意見に与していた。
今回、2020年の東京オリンピック招致が決まり、東京都には、これで日本が良くなるという空気が醸成されつつある。
しかし、地方ではどのように感じているのだろうか?
さて私は、今回のオリンピック招致は、長年の政治家や関係者の努力の賜物だと思っている。それを最終プレゼンですべてが決まったかのような考え方を植え付ける報道は、如何かなものかと、若干思っている(もちろん、プレゼンの報道自体は良いことだ)。
確かに、今回のプレゼンや、招致チームの頑張りは、私達が想像するより、素晴らしいものだったに違いない。勿論、私も感動した。
【最後の1手にあるのではなく、寄せの創造にこそある】
しかし、戦いの意味は、「最後の1手にあるのではなく、寄せの創造にこそある」と、私は考えている。「寄せ」とは、将棋の用語であり、大雑把に云えば、将棋の終盤における、相手を詰ませる(勝つ)過程(戦い方)のことだ。
つまり、今回のオリンピック招致には、我々の知らない、そこに到達するまでの「寄せ」の過程があったのだと思うのだ。言い換えれば、詰み(結果)に至るための準備、情勢(状態)が現出する過程があったのではないかということだ。
すなわち、日本が行なってきた、「様々な1手(見えない1手)」を結集し、それを強みとして活かしたということである。
私はそのような「様々な1手」と「寄せ」に思いを巡らせてみたい。
例えば、長年、日本政府が行なってきた、アフリカ諸国に対する、ODAも、今回の「寄せ」に繫がったと思う。
今回、安倍首相は、IOCの会議前、アフリカに飛んでいる。その行動は、オリンピック招致のみの仕事ではないかもしれないが、少なからず、オリンピック招致への執念を秘めていたと、私は思っている。
また、これまで我が国には、少なくないメダリストがいる。その存在やその方々と外国との誠実で礼儀正しい交流も、「寄せ」の1手だったのではないだろうか。
また、数年前までは、東京都における、オリンピック支持者は多くなかった。
しかし、ロンドンオリンピックの女性アスリート、金メダリストの活躍があった。更にそれを見て、銀座パレード等を実施した、石原前東京都知事の1手、リーダーシップも大きいと思う。
更に、日本体育協会を長年率いてきた、森喜朗元首相の日本スポーツ界への尽力も見えない1手のひとつかもしれないと思っている。
また、アスリート出身の政治家を政界に送り込むこと等もそれに含まれるかもしれない。さらには、森喜朗元首相のラグビー支援も加えても良いかもしれない。
聞くところによれば、森喜朗元首相は、ラグビーワールドカップ招致に向け、政官民へのネットワーク作りを行なってきたようだ。
私はラグビー関係者に友人がいるのと、森元首相の意をキャノン会長が組む形でできた日本一とも言えるラグビー施設が住まいの近くにあるので、それを知っている。その尽力も、見えない1手のひとつかもしれない。
更に付け加えれば、日本のレスリング協会のリーダーの活動も見えない1手に繫がったかもしれない。
その理由はこうだ。今回のIOCの会議に先立ち、レスリングをオリンピックの中核競技から外すという提案があった。その提案を受け、日本のレスリング関係者は、レスリング競技がオリンピックに止まれるよう、ものすごい努力をしたようだ。
そのような活動も見えない1手のひとつとなったのではないかと思う。勿論、それぞれの1手が、それぞれの目的で存在することはわかっている(当然、それぞれの利害が存在するであろう)。
私が言いたいのは、そのような様々な1手、要因の相互作用で、今回の結果が生じているという視点で見るということだ。
【戦いに勝利する本質】
ここで私が武人として考える、戦いに勝利する本質について述べたい。私は、戦いに勝利する本質は、自分が素晴らしい技(1手)を持っているからと云うことではないと考えている。
私が考える戦いに勝利する本質は、各々が自己の利得を得ようとする過程の中、相手がミスをすることだ。言い換えれば、相手が「悪手」を指したり、「最善手」を積み重ねる努力を怠った結果、相手の情勢(状態)が悪化するのだ。そのような過程では、最強の1手を手に入れたいと思うことや、それに拘ったりすること自体が悪手(ミス)を生み出す原因になる。
さらに、矛盾すると思われるかもしれないが、自己の強みに拘ることも、そのようなことに含まれる。戦いに勝利する究極は、情勢を俯瞰することである(自己の俯瞰と言うと勘違いが生じるであろう。あくまで世界・存在自体を俯瞰する)。それを受け入れた上で、全力を尽くす。私は少々不遜かもしれないが、それが人間の生き方の最善ではないかと考えている(一撃必殺から心撃必活へ・・・そして、無心必勝である)。
今回のオリンピック招致においては、マドリード関係者にミスがあったようだ。また、イスタンブールには、近隣諸国も含む、政治情勢の不安定の影響が大きかったのではないだろうか。
そういう意味合いでは、オリンピック招致の「寄せ」の素晴らしさ評価しつつも、相手がミスをしたのではないかという視点を除いてはいけないと思う。そして、イケイケドンドン的な感覚を戒めなければならないと思う。
また、話が飛躍するように思われるだろうが、我が国における日露戦争の勝利も、日本が素晴らしい技をみせた結果のみならず、ロシア国内の情勢が不安定だったことの影響が大きいと聞く。
しかし我が国は、日露戦争の勝利を日本の軍人と日本人の優秀さ故だと喧伝し、イケイケドンドン的に軍事大国を目指し、ついには戦争に突入したと云う見解がある。
異論もあるだろう。
おそらく、現代のリーダー達が同様の轍は踏まないとは思うが、充分に情勢を判断して進んだ方がいと思う。
ここで私が云いたいのは、眼に見える技を、いかに素晴らしく眼に映ったとしても、絶対視しないということだ。また、武道でいうところの「一撃必殺」などというような、考え方を余り重要視してはしいけない。
私は、先述のような考え方が嫌いである。更に云えば、そのような考え方が国を滅ぼすと考えている。但し、自己を鼓舞する手段としては認めたい。一方、それが自己を虚飾する手段に思えてならない。また、それを目指すあり方は、私の理想とする武人の目指す道ではない。
話をオリンピックに戻せば、確かに、今回のプレゼンは素晴らしかった。また、私もパラリンピックの佐藤選手のスピーチには落涙しそうになった(ひたむきな思いが溢れていたから)。
しかし、重要なことは、世界中の人達に益をもたらすという理念を核にすることであろう。そのような理念を有する国、そしてスポーツこそがオリンピックにふさわしい。
また、それを踏まえた上で、これまで先人が積み上げてきた強みを冷静に把握し、それを活かすこと。最後の最後まで、注意を怠らず、全力を尽くしたことが、今回のオリンピック招致に繫がったと考えている(所詮オリンピックは金だというような批判的な味方に、たとえそのような面があったとしても、私は与しない)。
【最後に】
最後に、以上のようなことを前提にすれば、安倍首相の福島原発問題に対し、強く断定したことは、当然だと思う。あそこで、あのような役割を演じきった安倍首相は、政治家として大したものだと考えている。
一方、誤解を恐れず云えば、安倍首相を嘘つきという人もいるだろう。しかし、政治家として、その言を真実にするという覚悟を持って、大胆に発言したのだと信じたい。
また、くれぐれも眼に見えることに一喜一憂し過ぎて、それが過信とならないようにしなければならない。また、絶えず自己を戒め、その陰で動いている何かに眼を向けることを忘れてはならないい。
マス・メデイアは、大衆の支持を得るために、時に眼に映る、わかりやすいものを誇張し、喧伝する。これは、私が最も嫌いなことのひとつだ・・・。
私は、2020年のオリンピックが過去の歴史の繰り返しではなく、新しい日本の歴史のスタートになるように、こころから願っている(合掌)。
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オリンピック招致が日露戦争の勝利のようにならないように
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