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Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
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成瀬ヨーガ哲学に共感

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成瀬ヨーガ哲学に共感

【秘伝の対談】
本日は、BABジャパン出版局の『秘伝』という雑誌に企画で、ヨーガの第一人者である、成瀬雅春先生と対談があった。

実は今回、私に対談の相手としての指名があったのは、成瀬先生には、縁有って、普段から懇意にしていただいているからだ。

但し、断っておく。私はヨーガについては何も知らない(ヨーガの勉強をしたいとは思っている)。これまで、成瀬先生のヨーガについての著書を何冊か読んだ程度だ。しかし、ヨーガについて何も知らなくても、たまに会合でご一緒し、成瀬先生の哲学、思想に触れると、毎回、共感と学びを得る。

今回の対談は、武術雑誌の対談であるから、もっとふさわしいテーマはあったと思う。しかし、本日は哲学的な話が多かったように思う(かといってそんな難しい話ではない・・笑い)。一応、出版社の方がリードがあるが、半ば強引に私がそういう話に引きずり込んだ。

【自分自身をしっかり見つめる】
私の中で鳴り響くテーマは、成瀬先生が著書、「最高の死に方&ヨーガ秘法」の中で挙げたヨーガの哲学思想である。それは、「自分自身をしっかり見つめなさい。これ以外にヨーガの極意はない』『自分自身を磨き上げる上げることが世界を救うという行動より,人類にとってははるかに重要だ」というものだ。

初めてその言葉を聞いた時、私は、自分が考える武道哲学と同じだと思った。

但し、後者の「自分自身を磨き上げることが世界を~」という言葉には、丁寧な説明が必要かもしれない。対談では、成瀬先生の口から補足説明を受けた。それは、納得できるものだった。

私流に翻訳すれば、一人ひとりが自分自身を幸せにすることに尽力すれば、世の中は良くなるということだ。おそらく、そういってもまだ納得しない人が多いかもしれない。

【積極的に生きる】
ゆえに補足を加える。
例えば、人生は苦しいことや困難がつきまとう。しかし、どのような状況であれ(成瀬先生は、明らかに暴力的な圧力を加えられる場合等、例外はあると仰っていた・・・?)、生きることを楽しむことを目指すということだ。言い換えれば、積極的に生きるということである。
それが、自分自身の幸せにつながる。さらに、一人ひとりの積極的な生き方が、他の人の幸せにも繫がるのだと、私は理解している。

【正しく向き合う】
そのような積極的な生き方には、物事と正しく向き合うことが必要だと思う。言い換えれば、他者と正しく向き合い、その実体を知ることである。また、それを裏返せば、自分を知ることに繫がるのだと私は考えている。

さらに言えば、自分を知るということは、他者との和合、和解が為されることでもある。以上は、私の解釈であり、成瀬先生の考えとは異なるかもしれない。


また、先述の「正しく向き合う」とは、物事に対し、より多面的、詳細(細かく)に向き合い、その中でも最も本質的と思われることを選ぶということだ。また、選べる状態を作ることだと言っても良い。

【瞑想】
聞くところによれば、成瀬ヨーガでは、瞑想を大切にするらしい。瞑想とは、自分が感じていること(意識していることを含めて)をなるべく細かく、俯瞰してみることらしい。

私は、そのような手段が物事と正しく向き合うことを可能にすると考える。同時に、こころを安らかに保つ、有効な手段になると思う。さらに、そのような瞑想法は、そのまま武道家にも有効なものとなるであろう。

再度断っておきたい。私はヨーガについては何も知らないし、ここに書き記していることは、メモのようなものである。次回,成瀬先生にお会いした時に、私の理解に問題がないか聞くつもりだ。何卒ご容赦いただきたい。


【解脱の哲学】
少し長くなるが、私がヨーガ哲学で、最も気に入っているのは、「解脱」の思想である。

「なんのこっちゃ??」「増田は何か変な教えにはまっているんじゃないか?」と思われるかもしれない。

私の父なら間違いなく、「あきら、お前、頭がおかしくなったか」と言うであろう。

少々脱線するが、私は昔、「鈴木大拙」(私の地元、石川県金沢市出身の世界的仏教学者)の思想に傾注した時期がある。帰省の際もその著作を何冊も抱えていた。その時、私の父は、私の頭がおかしくなったのではないかと心配した。その数年後、地元の北国新聞で鈴木大拙に関する連載があった。それで鈴木大拙が地元金沢の出身で、その生き方がとても素晴らしいということを知ってから、父の対応は変わった。また、その連載記事をスクラップにして取っておいてくれた。

話を戻せば、ヨーガ哲学では、生を受けるのは修行のためであり、その修行により覚醒、すなわち悟ることができないもののみ、輪廻転生があると考える(間違っているかもしれません)。
そして、修行を完成したもの、すなわち解脱したものには、輪廻転生はないというものだ。つまり、解脱とは、本当の生を全うするということだと思う。
私は、その考え方に共感する。否、それを理想としたい。しかしながら、凡夫の私は、輪廻転生を繰り返すだろう。

【生き方のイメージ】
おそらく、解脱などと言うと、多くの人は首を傾げるに違いない。
私は哲学的には、インド哲学のような立場を取らないが、思想的には、インド哲学に惹かれる。
これは明らかに矛盾ではある。言い換えれば、理論的には納得しないが、ひとりの人間として、そのような生き方を目指すのは、構わないのではないかということだ。

例えば、苦しいことや嫌なこともある人生だが、それを自分自身(魂)の修行と受け止め、積極的に生きる。それが幸せを掴むことに繫がる。私は、そのように思うのだ。
そのような物語的な生き方のイメージも、人が生きる上では、大切なのではないかと思う(再考する)。

ここで繰り返し、私の生き方のあこがれのイメージを象徴するものとして、佐野洋子先生の「100万回死んだ猫」を挙げたい。以前にも、私のブログで感想を書いた。

読後、しばらくして、絵本作者(佐野洋子)の思想とインド哲学が、私の中で繫がった。勿論、作者の考えと私の考えとは、異なるかもしれない。

しかし、そんなことはどうでも良い。私の中にそのような思想が芽生えているということが重要なのだ。また、それを私は、育てていきたいと思っている。

あらためてお伝えすれば、「100万回死んだ猫」の主人公は、100万回輪廻転生を繰り返した。それが、最愛のパートナーと出会い、人生を供にすること(供に暮らし、それが亡くなるまで)により、真の愛を知ったのだ。すなわち、僭越ながら、佐野洋子先生流に言えば、真の愛を知ること、それが真の生なのである。

私には、そのように感じる。


【蛇足ながら】
蛇足ながら、ここ数カ月、フリースタイル空手の大会の企画と、自分の道場の整理について、私は頭を痛めていた。秘伝を出版している、BABジャパン出版局と話を進めていた、出版企画も手が付けられなかった。私は、集中タイプなので、構想がまとまり、書き始めれば,おそらく2ヶ月位で出来上がるはずだ。

構想は、ほぼ纏まっていた。しかし、頭を悩ますことが多いのだ。きっと、空手の練習をやり過ぎて、勉強で頭脳を鍛えるのを怠ったからだと思う。

盆休み中も、道場やフリースタイル空手プロジェクトを運営するための、データベース作りのめどが立った。

大きな夢を実現するには、労力が必要な事は言うまでもない。しかし、労力はコストであり、資金が必要だ。私はずっとその悩みを抱えている。

そこで、データを合理的に管理し、活用する仕組みを作りたいと思っていた。その念願がようやく適いそうである。実は、私のような頭の悪い人間でも、安価で簡単にデータベースを作れる仕組みが、世の中には出回っていた。
とは言うものの、そのカスタマイズ(変更)には、30時間はかかったが・・・。

おそらく、これから実際にデータを入力し、問題点を修整したり、機能の追加などに、1ヶ月位かかるであろう(せっかちな私には、とてもストレスだ)。

そんな中、成瀬先生との対談は、こころのマッサージ、ストレッチと言っても良い、身体にエネルギーが充電された感じがする。


成瀬先生、ありがとうございました。


$増田章の『身体で考える』-最高の死に方&ヨーガ秘法
$増田章の『身体で考える』-100万回生きた猫


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