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Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
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楽しめましたか〜その4

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楽しめましたか~その4

繰り返すが、競技には楽しさが必要だ。既存の空手競技はそれを大切にしているだろうか?

今回は、サッカー愛好者との対話の中で感じたことを掲載しているが、サッカー選手がサッカーを語る時、とても理論的である。(テレビで見る限りだが)。

一方、空手愛好者が空手を語る時、主観的・観念的で戦術や戦略論とは言えない内容になってしまうのはなぜだろう。空手を行う人にも優秀な人はいるはずだ

おそらく、空手が競技(ゲーム)にはまだなっていないからだと私は考える。
既存の空手競技は「美人コンテスト」のようなものだ。「その競技のチャンピオンが何を言う」「天につばするようなコメントだ」と思われるかもしれない。

ただ、「どちらが強いか」という判定基準によって格闘技と格闘の優劣を決めている姿は、「どちらが美人か」という美人コンテストと似てはいないか。本来、どちらが強いかなんて、審判に分かるとは思えない。

また、地域性、文化、時代背景等により、美人の基準が異なるように、格闘技の優劣も様々な見方ができると思う。空手の場合、時代や流派の上位の人達の価値基準を絶対とし、優劣を決めるているように見える。しかし、それではいけないと私は考えている。これからの時代は、「普遍性」を追求し、その上で個性を尊重するという方向が良い。

断っておくが、封建的な社会に於いては、上位の人の価値観を下に押し付けることは悪ではない。むしろ当然のことであるということを付け加えておく。

しかし、武術・格闘技の本質は「相手の戦意を喪失させる」ということだ。フリースタイル空手はそのための技量を磨くことを競技の核にしている。さらに、それを審判のみならず、誰にも分かるルールで了解させる。それが目標だ。
今回のフリースタイル空手競技会では、審判法やスコア等、ルールの周知がされていなかったため、観客にフリースタイル空手を了解させるところまではいかなかったかもしれない。努力不足、能力不足を悔いている。

再度、サッカーを考えれば、サッカーというゲームは、ルールはシンプルに見えるが、個人技と組織的な戦術とが融合されている。そのことがサッカーという競技に無限の可能性を生み出し、奥深さを与えている。言い換えれば、サッカーには科学(論理性)と芸術性が同居している。

ゆえに、サッカー選手には、科学を理解する力と芸術を生み出す力の両面が必要だと思う。勿論、個人差がある。

おそらく、西洋で生まれたボールゲームは、その基盤にある社会を反映していると思う。西洋社会は、科学と芸術を尊重する。また、論理的な思考を母体にルールを確立し、それを基盤に自由競争を促すという考えがあるように思う(そのように進化してきたと見る)。言い換えれば、西洋文化の核心は、「自然の征服」という考えであるとは、言い過ぎだろうか。

他方、空手家や空手界は封建的だ。封建社会はすべてを一体化しようとする。ゆえに秩序を重んじる。私は、ある面の封建制は、家族的な小単位には必要だとは考えている。また、封建的な色彩は日本社会のみならず、世界の随所に色濃く残っている。ゆえに百歩譲って、それを良いことだとしよう。また、日本は「自然を征服しない」、「自然と一体化することを目指す」と日本賛辞をするとしよう。


しかし、それでは個々人の自由な発想が活かせない。また、既に確立された個を交流させることに障壁が生まれる。また、個を取り込み、活かしながらも、絶えず秩序を形成してという機能をもつ、ダイナミックな社会システムを創りにくい。
優れた人間が力を充分に発揮できない。そのような人は秩序を破壊する悪者、変人となる可能性がある。

ゆえに、これからの社会は両面が必要だと私は考える。「自然の征服」も「自然との一体化」も人間がより善く生きるというところから始まり、その究極形で一致して行く。それで良いではないか。言うまでもなく、西洋的なもの東洋的なものは融合している。今後もあらゆるものが融合していくことが望ましいと私は考えている。勿論、何処かのスタイルが絶対だということではない。また、ローカルな文化も残って欲しい。なぜなら、古典的なものを残すことが新しい時代を切り拓く鍵になるということが往々にしてあるからだ。

結論づければ、多様性を尊重し、それらを活かし、その調和を促し管理するような社会システムを作ることが社会のリーダーの役割だと考えている。

これからの社会のキーワードは「ハイブリット」であろう。例えば、伝統と革新、近代以前と近代、あらゆるものをかけ合わせ、再編集して行く。そのような作業が必要なのではないだろうか。

少なくとも、何事も行動を起こすことが重要だと思う。但し、行動だけでも駄目。考えるだけでも駄目。行動しながら考えるのだ。また、慎重であることと怠惰で臆病なことをはき違えてはいけない。

勿論、行動しないという判断が、時にはあるだろう。



長々と語ってきたが、フリースタイル空手の試合に参加した選手達は、行動しながら考えている人達だと思う。

その同志達の期待に応えるためにも、考えて考え抜かなければならない(悪い頭で・・・)。さらに行動を止めてはいけないと考えている。倒れるまで・・・。


※段々、話が難しくなりました。フリースタイル空手プロジェクトの実現は、とても険しい道だと思っています。皆さんは想像できないでしょうが、いつ力尽きてもおかしくありません。そのような中、私なりの楽しみ方は、フリースタイル空手プロジェクトを人と社会に役立つ、教育ソフト開発と社会変革運動だと考えることです。それなら、やりがいがあります。そして、私が人生を賭けた空手がこれ以上ないぐらいに人間の幸福感の醸成に役立つことを夢見ています。ブログは、いつも私のメモ書きのような乱文ですが勘弁して下さい。~終わり。




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