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Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
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拓真道への道程

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拓真道への道程

【拓真道の萌芽】
極真空手の修行は、いくつかの思索の契機を、私に与えてくれました。
その契機の一つは競技者としての経験、思索の内容は、心身の用法、格闘技術、勝負についてです。もう一つの契機は、大きな組織の権力闘争による分裂の過程を直に経験した事、思索の内容は、社会的、政治的人間についてです。

私は、それらの思索により、人間は理解し得ないのではないか、と思いました。言い換えれば、理解できたと考えるのは、誤謬であると。しかしながら、何か、共通するもの、共有できるものがないかとも考えていました。

ある時、理解し得ないとも思える人間を仲間だと認識させ、和解させる事が可能だと思い始めたのです。また、それを実現する鍵は、より多くの人が共有できる、新しい価値・文化の創造ではないかと考えました。

拓真道の萌芽は、伝統空手、柔道、レスリング、ボクシング、古流柔術などの経験、また、外国の人達や経済人との交流によるものです。私は、他と極真空手を比較する事で、極真空手の本質を考えました。その結果、極真空手を固定化して考えるのではなく、進化させる事が可能であると考えるようになったのです。


つまり、極真空手を進化させたものが、フリースタイル空手という新しい武道スポーツなのです。それが新しい価値の創造に繫がっていきます。

私が最初に行なった事は、極真空手の愛好者に対し、フリースタイル空手という、新しい競技(オペレーションシステム)を提案する事です。
しかし、私の提案は受け入れられませんでした。多くの極真空手家は、極真空手に満足しているか、変化を好まない人達です。それは、ある意味当然です。満足しているから、極真空手を習うのでしょうから。

新しいシステムの提案というのは、本当に大変なことです。私の行動は無謀と思われるでしょう。私には、自分の人生を賭けた極真空手が、このようなレベルで終わる事が、残念でならないとの思いが強くあります。しかし、他の人達は、このままで満足している。このギャップがいつも私を苦しめます。

私は、フリースタイル空手プロジェクトは、期限を決めて行なうと決めています。「成功するまであきらめるな」と言われるかもしれません。
しかし、フリースタイル空手プロジェクトで私が行なっている事は、すべてを投げ出すような事です。

もし、期限を決めずに、だらだらと行なえば、本当に回りに迷惑をかける事になる可能性があります。既に、かなりの負担を強いられていると感じている人がいるように、私は思っています(私は本来、悲観的な人間です)。私は、そのような人がいる事に耐えられません。

私の目的は、空手の社会的価値を高める事です。言い換えれば、より多くの人に長く愛される空手を創る事です。そのような空手にならないのなら、夢はあきらめます。

数年前、実業家でもある、某空手家が私に言いました。「フリースタイルには、マーケットがない」と。しかし、私は、やってみないと気が済まない質です。兎に角、やってみようと、行動し始めました。

当初は、みんなが納得するような形には、なりませんでしたが、少しずつ改良を加え、昨年ようやく、納得できる形になったように思います。しかし、普及するには、練習体系・技術体系の確立が急務です。


現在、フリースタイル空手と拓真道の入門書を企画しています。
正直に言えば、拓真道は完成していません。このまま未完成のまま終わるかもしれません。それでも、フリースタイル空手という武道スポーツを補足するために、拓真道という技術体系と理論が必要なのです。

【フリースタイル空手のコンセプト】
断っておきますが、拓真道は、新しい空手流派名ではありません。流派名だと考える人には、拓真道の本質を理解できないでしょう。

私は現在、極真空手を教えています。より正確に言えば、増田流の極真空手でしょう。

極真空手家の中には、極真空手は流派名ではないと主張する人もいます。そういいながら、強固な自他の壁を作ろうとしています。私は、そのような考えに与しません。なぜなら、もし、流派名でないと言うのなら、極真空手は、誰かの私有物ではなく、みんなのもののはずです。そして、皆で共有するのが、人の道というものでしょう。

拓真道は、流派名ではなく、稽古システムの名称と考えて欲しいと考えています。
例えば、パソコンを思い浮かべて下さい。極真空手とは、パソコンという名称のようなものです。そして、極真空手〇〇道場は、パソコンの機種名のようなもの。それが本来の流派名だと言っても良いでしょう。一方、拓真道は、そのパソコンで採用しているソフトウエアの名称のようなものです。

つまり、世界中で愛好されている、極真空手(フルコンタクト空手)は、世界中に普及しているパソコンのようなものだと考えます。

私は、そのパソコンを更に、人と社会に有益なもの、付加価値の高いものにするために、アプリケーションソフトの一つを作っている、技術者の一人に過ぎません。
勿論、アプリケーションソフトの使用者の集まりを流派と考えれば、拓真道も流派と言えなくもありません。しかし、現時点では、拓真道はただのアプリケーションソフトであり、それを学んでみたいという方々と一緒に、修練を楽しみたいと考えています。

また、フリースタイル空手のコンセプトは、絶えず進化を続けられる、オープンで自由な格闘技スポーツです。

その意義は、多様な格闘技術の交流を可能とすること。また、これまで理解し得ないと考えられた者同士が、仲間だという認識を有し、和解していくという物語、夢の実現です。


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