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Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
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人生をより有意義なものとするため〜組手修練会を終えて

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 3月20日に組手修練会としてTS方式組手法のセミナーを行った。 振り返れば、コロナパンデミックの渦中、決断、開始したと言っても良いTS方式の組手法である。 振り返れば、恐ろしく早い2年間であった(コロナパンデミックは、始まってから2年半ほど経過しているが)。その間、秋吉以下黒帯の人達の協力により、極真会館増田道場ではTS方式の組手法が浸透した。 だが、一部の人達の理解が不十分だ。総合的に見て、5段階評価で2段階といったところか。また個人差が大きい。
 

 TS方式の組手法の眼目は、組手に対する考え方と同時に空手に対する考え方の刷新と言っても良い。その刷新への思いの萌芽は35年以上前に遡る。だが、私にはどのように刷新したら善いかがわからなかった。ただ漠然と、こんなレベルでは最強、最高とは言えないという思いがあった。そして、その刷新には、まず以て空手指導者の空手に対する認識が変わる必要があると思っていた。また、伝統的な武道哲学(思想)と修練システム(体系)に対する疑義があった。今、その疑義に対する答えを手にしたとは言わない。ただ、先ず以って考え方(認識)を変えなければ、自己の心身は上達しないということだけは確信している。
 

 そもそも、 上達という概念を理解すること自体が難しい。要するに、何をもって上達とするか。「足が高く上がる」「ブロックを割れる突きを身につける」、それが上達か。また「試合に勝つ」「バットを折れるようになる」「打たれ強くなる」ことか。 それとも「型を覚える」ことか。非常に曖昧で不明瞭である。もし、それが事実なら、そんな修練・修行は何のためにあるのだろうか。

 

【上達とは何か】

 一体、上達とは何か。拓心武道的に定義すれば、「自らが決めた目的のために心と身体を活かすことができるようになること」また「制心、制機、制力が三位一体となった、優れた技を駆使できるようになること」と言っても良い。
 

 補足すれば、私が考える拓心武道は、優れた技を目指すが、それが究極のゴールではない。優れた技の体得は、あくまで目標であり、大事なことは、優れた技の本質を認識し追求することである。そして、そのことにより自己の心と身体を活かしていくことだ。
 
 

 その心と身体を活かすためには、「心とは何か」「身体とは何か」「技とは何か」をより正確に認識する必要がある。もちろん概念的な事柄を統一することは困難だ。私が使う概念用語もあくまで価値を共有するための手段として用いているだけである。
また、優れた技を有するとは、自己と他者(道具を含む)と一体化し、それらを自在に操り、かつ活かす能力があるということだ、と私は考えている。

 そのような考え方からすれば、私自身、優れた技を有しているか、甚だ疑問である(半世紀近くも空手を修行しているのにもかかかわらず)。 それゆえ、私は原点に立ち戻り、全てを見直している。まずは自己の身体を巧みに使えているかという点、次に他者との関係性を活かす技を使えているか、という点を見直した。その結果、すでに身体は老い、自由が効かなくなったことも加え、自己の身体を巧みに使えていないということを自覚した。ゆえに身体の仕組みを研究している。また、自他の関係性を活かすためには、強引なやり方では良くないということが自覚できるようになった。同時に、自己の未熟と非力を感じざるを得ない。そして、いまある物を大事に活かすことが原点であり、究極の道(理法)だと直感している。

 

【人生をより有意義なものとするため】

 そんな自問自答を繰り返した2年間であったが、わずかながら光明も見えてきた。それは、TS方式の組手は、しっかりと段階を踏んで練習を積めば、老若男女を問わず、安全に行える組手法だということが実証されたことだ。ただし、問題は、TS方式組手法により、どれほどの技が身につき、かつ武術としての実用性があるかということの立証である。それがないと、広まらないかもしれない。
 

 

 あえていうが、私がもっと若く、強ければ、それを立証できるかもしれない。だが、そもそもTS方式の組手法は試合に勝つ強さを求める修練方法ではない。強さの核となる理法を知ること、それが眼目である。そして、その理法を知ることで、個々の強さがより引き出され、活かされる。要するに、拓心武道とは、相手に勝つ強さを追求することではなく、自己を活かす強さを追求する哲学と言っても良い。もちろん、その中に相手を打ち負かす強さを内包しているが、相手を打ち負かすことが必要なのは、相手が自己の心身に暴力(実力)を以て危害を加えてきた時のみである。その暴力的強さに対するには、自らも暴力的な強さを有することが必要だと思う。しかし、そのような暴力的強さは武道として直接的に指導するものではない。間接的に特別指導(護身技指導)を行う方が良いと思う。また、拓心武術は、それを転用し、破壊力を向上させれば、十分に暴力的強さに転化できる。

 

 私の考案した拓心武道は武道人、個々の人生をより有意義なものとするための手段としたい。また拓心武道は、武術修練を自己を活かす道として昇華する哲学だ。さらに言い換えれば、拓心武道哲学の追求することは、TS方式組手法により、一人ひとりが自らの人生哲学を編むために貢献することだと言っても良い。  

 

 

 

 

 

 

 

 


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