デジタル空手武道通信・編集後記 第59号
先日、「拓心武道論」という電子書籍を出版した。内容は短いが、TS 方式の組手法を含む拓心武術の基盤となる考え方、武道哲学をまとめたものである。今後は、そこから、詳細を展開していく。もう、残された時間、体力はわずかだ。急ぎたい。
そんな思いを胸に、帯広の小川哲也先生の道場を訪ねた。TS方式の組手法を伝えるためである。帯広訪問は、5〜6年ぶりだろうか。これまで、TS方式の組手法は伝えられていなかった。今回、時間ができたのと、修練方法がまとまってきたので、長い付き合いの小川哲也君にTS方式の組手法を伝えに行った。
北海道は厳しい冬が終わり、春の少し前といった感だった。今回、晴天に恵まれ、東京と気温はさほど変わらなかった。実は、北海道からの指導要請ではなく、私の押しかけ指導だった。ゆえに、みんな理解してくれえるか不安だった。だが帯広の生徒は真面目に稽古に取り組んでくれ、かつ順応性は想像以上だった。
私は、拓心武道メソッドを指導員が理解し、2〜3ヶ月も稽古を続ければ、帯広道場の人達も東京同様、上達すると思った。とは言え、生徒にとっては初めての経験である。稽古後、感想を聞くと、口々に「難しい」と言っていた。その中で2名ぐらいが「難しいけど面白い」と言ってくれた。
繰り返すが、帯広の面々は必ずTS方式に上達する。そして組手が面白くなるはずである。私はそう確信するが、指導者の空手に対する認識が変わらなければ、そのまま変化しないかもしれない。
全てのものごとは変化し続けている。そんなふうに思うのは私だけだろうか。しかし、自己を変化に任せるのみならず、自らが変化の意味を捉え直し、活かしていく。そんな変化を能動的に捉える生き方を私は考えている。
いうまでもなく、人間は死ぬまで変化し続ける。それゆえ、今しかできないことをするのも良いだろう。だが、私は今を大事にしながらも、その変化を考え、かつ活かしたい。そして、その中で変わらないもの(道)を見つめていきたい。
ここでいう変わらないものとは何か。それは物や人ではない。個々人の人生をより善いものとする理法(道)である。そのような理法・道があると思っている。そのような理法(道)が流れを生み出している。その流れの中で、自己が浮かぶことも理法の活用だ。だが、沈んでいく人がいる。また、力に任せ強引に生きている人たちがいる。だが、自己を浮かす浮力、すなわち理法によって生かされていることを知った者のみが真の感謝を知る。また自己とその人生が有意義だったと自覚できると思っている。だが、そんな人はわずかかもしれない。皆、流されるままに、また惰性で生きている。そして感謝と言ってもその意味を知らない。かくいう私も同じである。だからこそ、真の感謝、そして納得のため、道を求めている。そのような哲学が拓心武道哲学である。
↓函館市内の夜景