「囮技を活かし、陰(かげ)を動かす」
拓心武術の戦術理論
【宮本武蔵の五輪書】
我が国には古の武人が残した兵法書と言われるものがある。その中でも宮本武蔵が残したとされる(新説がある)五輪書は現代を生きる武道人にも示唆に富む書物だ、と私は思っている。
五輪書は、序言(執筆の趣旨、地の巻は兵法の総論、水の巻は我が流の太刀筋、火の巻は勝負の法則、風の巻は他流批判を通じての我が流の主張、空の巻は結び、兵法の窮極の精神の6つの部分からなっている。五輪とは、仏教の言葉で世界を構成する4つの要素、すなわち地、水、火、風に無を意味する空を加えて5つとしたものであるが、本書の仏教の直接の影響は極めて少なく、その命名も教義とは無関係である。(武道秘伝書/編者:吉田豊/徳間書店)より。
【勝つため・負けないための戦術はあるか?】
私はこれまで、強敵との戦いを通じ、また、空手や武術の考究の中から、勝つため・負けないための戦術・戦略はあるか。あるならば、どういうものか?ということを考え続けている。
ゆえに、極真空手の競技者のあり方の稚拙さ、また自分の未熟を思わざるを得ない。一方、力や持久力、さらに数で圧倒しようとするあり方は、戦いに勝利するため要素だと思っていある。
しかしながら、個で相手と対峙することを基本とする武人の立場に立った時、空手は自己を活かすような戦術の考究がなされていない。また、他者との関係性を如何に制するかという視点を欠いていると言えば言い過ぎだとすれば、希薄である。ゆえに、一方的な戦術しか見られないのが現状である。さらに言えば、それが戦術と言えるかどうかも疑わしい。
我が国の伝統として、武人の戦術・戦略論を書き記したものを兵法書と呼ぶ。また、我が国は武士階級が全国を支配する封建制社会が長く続いたこともあり、武人の書き記した兵法書が数多く残っている。その中でも16世紀の後半から17世紀前半を生きた宮本武蔵の兵法書は独自色が強い。その独自性は、兵法書の多くが儒教や仏教などの影響を色濃く受けている感がするのに対し、武蔵の兵法書は、職人や芸術家のあり方を例えに用いた部分に示されている。それゆえ、平易ながらも現代にも通用するかのような普遍性を帯びている。武蔵がそのような感覚を有していたのは、武蔵は書画や彫刻に卓越した才を有するのみならず、諸道に対する造詣が深いことによるに違いない。ちなみに、武蔵は国宝級の優れた書画をはじめ、彫刻や歌を残している。
一方、武蔵が生きていた頃と現代の武は、武器(兵器)の進歩により、比較にならないぐらい変化している。ゆえに武の理論としては稚拙と見る向きがあるかもしれない。その代わりと言っては語弊があるが、現代における各種スポーツにおいて見られる戦術理論との共通項はある。また、ビジネス、政治の世界における人間対人間、個対個の戦いに負けないために、400年以上前の社会を生きた、武人の思想の中に示唆を得るものがあると思うのは私だけだろうか。
私は未熟な極真空手家ではある。その分をわきまえず、あまりにも稚拙な我が流を嘆いている。一方、交通手段や通信手段の発達により世界中がつながった現代において、極真空手は流派として世界最大とも言えるくらいに門弟の数が多い。1時期は、極真空手の勢力が武道界を制覇するかの様相を呈する時期もあったように思う。だが、創始者、大山倍達師範の死後、脆くも大きな組織が分裂し、分かれた組織同士が互いの覇を争っている。そのような状況においては、武蔵の述べる兵法など、無力のようにも思う。
しかしながら、私は個人の心身の可能性を広げ、その能力を高めていくような空手道を創り上げ、かつ広めたい。その意味では、数を多くし、かつ他流に対し、門弟の数、組織の規模において勝ろうとは考えていない。そのかわりに、一人一人の心身に深くアプローチする新しい武道を確立したい。また、より広く、より多様に武道を生かしていきたい。それが私の本当にやりたいことであり、空手道の質を高める道だと考えている。
【囮技を活かし、陰(かげ)をうごかす】
さて、宮本武蔵の五輪書、火の巻に「かげをうごかす」とある。一方、私が門下生に伝えているTS方式(ヒッティング方式)の組手法の核にある拓心武術の戦術理論に、「囮技を活かし、陰(かげ)をうごかす」というものがある。それは、武蔵の「かげをうごかす」と同義だ。そのことについて以下の述べたい。
まず、武蔵の言う「かげをうごかす」とは、増田流に大掴みに言えば、「相手の手の内を知って戦え」という教えである。具体的には、フェイントを使い相手の反応の仕方を探り、それに対して間髪を入れず的確な対応をせよ、というようなことを述べている。
私は、武蔵のいう「かげをうごかす」という戦術理論を「3手決め」の稽古の中に組み込んでいる。だが、中々、その真意が伝わらない。また、武蔵の「かげをうごかす」の意味を大掴みに意訳して述べたが、「かげをうごかす」を「フェイント」を使うと短絡してはいけない。言い換えれば、「フェイント」の行為自体が大事だと勘違いしてしてはいけない。おそらく、そのようにしか理解していない者がそのほとんどだと思う。言い換えれば、フェイントという戦術を一つの技として理解している人がほとんどでだということでもある。それは空手選手しかり、スポーツ選手然りでありである。ゆえに正確な拓心武術の戦術理論では、囮技をフェイントとは言わない。
少し脱線すれば、世の中には優れた戦術を身につければ、勝てると勘違いしている人たちがほとんどである。よって、そのような技術書が世に氾濫している。だが、そのような理解では決して負けないような強さは身に付かないと言っておきたい。
また誤解や反論覚悟で述べれば、戦術は技術を含むが技術ではない。戦術の本体とは、技術を活用する技能のことであり、その活用法のことである。その技能の本体は、心身に構築された回路と言い換えても良い。拓心武術の眼目は、そのような回路の構築にある。ゆえに拓心武術の戦術理論においては「囮技を活かし、陰(かげ)をうごかす」ことを教えるのだ。要するに、武蔵の「かげをうごかす」とは、囮の技を用い、相手が隠していた、反応の癖や戦術など、すなわち手の内を見えるようにする方法なのである。私は、フェイントと先述したが、その意味を理解していない人が大勢いると考えている。それを述べたいがゆえに、あえて「フェイント」という用語を使ったのだ。
話を戻せば、「囮技を活かし、陰(かげ)をうごかす」とは、敵の心(陰)が見えない時、その心を見えるように誘導することである。同時に、相手の動きが目に見えた時には、間髪を入れず、かつ的確に対応することを意図している。さらに言えば、そのような戦術理論を意識しながら組手を行うことで、相手の予測ができるようになり、より的確な対応(技)が迅速にできるようになるのである。つまり、拓心武術で行う「3手決め」の稽古とは、「囮技を活かし、陰(かげ)をうごかす」という戦術理論を体得する方法なのだ。
【TS方式の組手がうまくできない者は】
TS方式の組手がうまくできない者は、戦術理論というものが理解できていないからである。あえて書くが、これまでの極真空手の組手法で通用した戦術を絶対としてはならない。顔面突きの攻防が基本となる戦いにおいては、まず拓心武術の戦術理論を理解してから稽古をして欲しい。さらに極真空手家の一部が顔面突きの攻防ありの戦いにおいて勝利しているのは、極真空手で鍛えた体力において相手より優っていたからか、相手の攻防の技術が稚拙ゆえだ、ということを肝に銘じ、更なる修練に励んで欲しい。
参考文献
かげをうごかす
かげをうごかすと云事、陰をうごかすと云は、敵の心の
見へわかぬ時の事也、大分の兵法にしても、何とも敵の位の見わけざる時は、
我かたよりつよくしかくるやうに見せて、敵の手だてをみるもの也、手だてをみては、各別の利にて勝事、やすき 所也、亦、一分の兵法にしても、敵うしろに太刀を構、わきに かまへたるやうなる時は、ふつとうたんとすれば、敵思ふ心を 太刀に顕す物也、あらハれしるるにおゐては其儘利を受て、慥(たしかに)にかちしるべきもの也、ゆだんすれば、拍子ぬくるもの也。
能々 吟味あるべし。
Moving the Shadow
Moving the Shadow is something for when you cannot see through
your opponent's mind. Even in martial arts situations involving large
numbers, when you cannot see through your opponents' situation in
any way, act as though you were going to attack vigorously and you will
see their intentions. Once you have seen their intentions, it is an easy
thing to take the victory by another method.
Again, in martial arts situations of one-on-one, when your opponent
has taken a stance with his sword behind him or to his side, if you make
a sudden movement as if to strike him, his thoughts will be mani-
fested with his sword. Knowing these manifestations, you will imme-
diately perceive a method and should know victory with certainty. If
you are negligent, you will miss the rhythm. You should investigate
this thoroughly.
「対訳 五輪書」現代語訳:松本道弘 英訳:ウイリアム・スコット・ウィルソン
講談社インターナショナル
追伸
その1
【第10回 月例試合の感想】
本日、9月26日(日)第10回 月例試合が行えわれた。最初はコロナの影響で参加者は少なかったが、ここ1週間の感染者の減少による影響か、定員に達した。だが、初試合の者の者が半分以上を占め、かつ少年部と高校生部の参加だった。
壮年部の上達状況から、まだまだだろうと思っていたが、予想以上に上達していた。ここ1週間腰痛が悪化し、稽古ができなかった。4日間は杖を使って歩いた。ここまでかとも思ったが、持ち直した。治療に当たったトレーナーに感謝したい。
そんな中、我が道場生の上達が非常に嬉しかった。間違いなく、稽古を続ければ、今回の3倍は上達するだろう。あとは、稽古法と戦術理論の確立を急ぎたい。そうすれば、私の構想が実現するに違いない。しかし、恐れているのは時間である。今日、素晴らしかった道場生も学校を卒業し、空手を続けられるかどうかわからないからだ。要するに、上達するには稽古の継続、すなわち時間が必要なのだ。私も同じである。だが、私に残された時間は少ない。ゆえにより早く、上達させる方法と、長く空手を継続させる仕組み、環境が必要なのである。だが、頑張ろう。そう思えた1日となった。月例試合の詳しい報告と映像は10月の始めに予定しているデジタル空手武道通信に掲載したい。
その2
以下に9月23日に行われた昇段審査の感想を述べておく。
私の道場では、極真空手を母体に顔面突きの攻防がある組手試合を行なっている。それをTS方式というが、極真空手を母体としていると述べた意味は、防具を着用して直接打撃を行うこと。空手流派の中では日本拳法空手道、そして極真空手が最初に取り入れたローキック(下段回し蹴り)を使うところにある。その他は、極真空手にない技術を様々な武術、格闘技から取り入れている。また、私が考案した防御技術を基本としている。さらにグローブを用いず、素手に近い状態で、手首を掴んだりすることも可とし、かつ様々な手技を使うことが可能となっている。今後も中国拳法をはじめ、様々な技が取り入れられるに違いない。
だが、最も重要なことは、組手の目的が組手技能の体得だということである。その目的を達成するためには組手における戦術の駆使ができなければならない。そのためには、先ず以て、組手における戦術の意義が理解されていなければならない。本日の昇段審査の組手試合を見て、全員に組手の戦術が理解されているとは言い難かった。
約1年前、私の道場では、コロナウィルス感染拡大の渦中、飛沫感染を防ぐ効用もあることから、顔面突きの攻防ありのTS方式の組手の実施に踏み切った。当初は、理解されないかもしれないとの不安もあった。だが、師範代と壮年部黒帯有志の理解と協力により、少しづつ理解されはじめている。とはいえ、まだまだ理解が浅いようだ。その原因は、私の説明下手と説明不足だ、と反省している。ゆえに戦術理論の構築と執筆を進めたい。
補足すれば、私の道場では、道場における稽古以外に、教本による空手武道理論の指導をしている。しかしながら、驚くほど、理論の理解がされていないようだ。誤解を恐れずに言えば、道場生のほとんどが空手に理論が必要だということがわかっていないのではないかと思っている。また、私の理論を理解しようとしていないのだと思う。だが、断言したい。自分を天才だと思う者以外は、理論の考究が必要である。