5月24日 22日に58歳の誕生日を迎えて
新型コロナウィルス感染拡大による、経済環境の疲弊と被害は、これから様々な形で顕在化してくるに違いない。だが、そんなに深刻でない人もいるようだ。全員が深刻だと、それはそれで困るかもしれないが、これ以上続けば、回り回って、みんなが深刻になるに違いない。どの辺で気持ちを切り替えるか。正直言えば、私は深刻である。トヨタのコマーシャルではないが「深刻にならずに真剣になれ…」中々良い言葉だ。同様の言葉を私は年始にも聞いた。
ゆえに今年は原点に立ち戻り「真剣にやる」と気負っていた。ところが新型コロナに皆が怯え、社会状況が一変した(私はいち早く正しく新型コロナウィルスに気をつけていた。しかし世間は…)
今、我々に未来があるのか…。そんな暗い言葉を書いてはいけないと思いつつ、20時間をかけて、企画とプレゼン資料を3本ほど作った。また性懲りも無く、無駄なことをして、と周りの冷ややかな反応が頭をよぎる。だが、私にとっての問題はそんなことではない。本当に原点に立ち戻るかということである。できれば断捨離をして整理整頓したいが、人生には捨てられることと捨てられないものがある。その判断が物のようにはいかない。
私にとって極真空手は捨てられない。しかしながら、ただ握りしめているだけでもダメだろう。人生、あと10年あるかないかとして、60歳までは己の信念を見つめ続けたい。その信念のイメージは、何も掴んでいなかった頃、素直だった頃の気持ちに立ち戻りことで掴めると思っている。言い換えれば素直に夢を信じ追い続けることだ。未来がないと書いたが、実は若い頃も今同様に未来がないと思っていた。また謙虚になどと自分で言うのは大嫌いである(みなさん謙虚にしている奴の胡散臭さ、いやらしさを感じない?)。一方、変に強がる奴も面倒臭いから嫌いだ。いつも素直に、そして正直でありたい。
本来私は自分に自信がなく、だからこそ人一倍勉強し努力している。外見がどうあれ中身は謙虚なのだ。私はだから夢を信じ続けた。そしてがむしゃらに努力した。そんな生き方をもう一度しよう。だが商売はダメかな。こんな性格じゃ。だから他の方法で人と社会に貢献するつもりだ。あと数年、家族に見捨てられないことを祈りつつ…。
空手ヒッティングのススメ〜身体を拓く心を高める
極真空手の修正
極真空手の基本である直接打撃制の組手稽古は、長い間人々に評価され普及してきました。その組手法を採用する空手人は世界中で100万人以上にもなるでしょう。その良点は多くの人が認めるところですが同時に欠点も見えています。もちろん物事には長所短所があり、長所を見て短所は大目にみるとの考え方もあるでしょう。しかしながら極真空手の原点に思いを馳せ現在を見てみますと、空手武術に必要な「攻撃と防御の技術」「間合い調整の感覚を始め攻撃と防御技術を活用する応用力」などが不十分です。ひらたくいえば、顔面への攻撃技術と技能が不十分だということです。その不十分さは現在の極真空手の組手法が未成熟な競技ルールに縛られているにも関わらず、勝利偏重ゆえに発生した瑕疵部分だと思います。言い換えれば、競技によって極真空手が本来目指すべく理想を喪失し、その形が偏向したということです。私はその理想喪失と形の偏向を修正したいと考えてきました。その結果、極真空手の修正のためには、新たな組手法の創設が必要だという地点に辿り着いたのです。
これまでの極真空手の組手競技は
もちろん、これまでの極真空手の組手競技は残すべきだと思いますし、私の道場でも残します。なぜなら、私はその組手法により、誰よりも長い期間、また多くの経験を得、かつ多様な仲間を得ました。私は20代から30代の前半、世界数10カ国を回りましたが、私の想像以上の多様な空手人が存在するに違いありません。私は、その物語と伝統を継承することは我々の使命だと思います。しかしながら、このままではより高いレベルの武道とはならないでしょう。
私が考えるより高いレベルの武道とは、その機能と内容に「技術」「技能」「理論」「心法(心理学)」を創出していく力のある武道です。しかし現在の極真空手は機能が脆弱で、内容が貧困です。このままでは人間を根本から変える人間教育としてのシステムではなく、単なる鎧(よろい)としての武道となるでしょう。しかし本来の空手には競技試合の勝利だけの価値しかないのでしょうか。空手とは身体と心を鍛え、多様な仲間を作り、その仲間達と共に社会に貢献していく。そんな価値、そして物語があるのではないでしょうか。
「技術」「技能」「理論」「心法(心理学)」
を創出できるシステム~空手武道学校の創設
現在、空手界を見れば、団体や流派間の仲が悪く、自団体の良さのみを誇ることが多いように見受けられます。私はそのような立場から離れ、独立自尊で理想を追求します。具体的には新しい組手法と競技会を創設し、先述したように空手本来の「技術」「技能」「理論」「心法(心理学)」を創出できるシステムを作ります。そのシステムを作るために、まずは自分の団体のみで普及者を大事に育て上げます。なぜなら、普及をあまり急ぎ過ぎれば、既存の団体同様、やがて本来の価値を喪失して行く可能性が高いからです。また余計なことに労力を必要として、このシステムをより良いものにして行くための時間がなくなるからです。
もちろん、私の提言とシステムを理解し、修練方法の一つとして採用してくれる人、かつ協力者になってくれる人とは、共に研究、研鑽していきたいと思っています。 空手ヒッティングの詳細は、私が開校を準備、予定している、通信制道場の拓心空手武道学校で伝えていきます。
空手ヒッティングのススメ
ここで空手ヒッティングの大枠をお話しておきます。
空手ヒッティングにおいて最も重要とすることは、「1)理念(目的)」「2)作法(礼法)」「3)攻撃と防御技術の精度」「4)試合経験量の確保」「5)試合結果の正確な分析(感想戦)」の5項目です。それら5つの要素を具現化するために、空手ヒッティングでは防具を採用します。その形態は既存の防具空手団体と似ています。しかし異なる点は、ムエタイや様々な格闘技の技術を柔軟に取り入れてきた極真空手の組手法を基盤にしています。ゆえに伝統的な空手の組手法を基盤とする既存の防具空手の組手法とは少し異なります。いうまでもないことですが、私は既存の防具空手団体の方々の理念と先見性には敬意を持っています。
空手ヒッティングの目指すこと~極真空手を本来あるべき姿に軌道修正する
あえて申し上げておきたいことは、空手ヒッティングという組手法並びに競技会を確立する意義は、極真空手を本来あるべき姿に軌道修正することが目的です。
また繰り返すようですが極真空手が空手のみならず、ムエタイ、中国武術、レスリング、柔道、そして日本柔術など、あらゆる格闘技術を融合したものであったこと。
さらに空手ヒッティイグは、将来的な可能性として、投げ技も可能とする競技法としての「空手ヒッティング・フリースタイル」として発展することも視野に入れています。ただし、私がまず心魂を尽くすのは、打撃技に特化した空手ヒッティングです。
アプローチを変えなければ理想は実現しない
最後にもう一つ述べておきます。かつて私が始めた「突く、蹴る、投げる」を可能とした「フリースタイル空手競技とプロジェクト」は一旦停止します。その代わりにその改訂版として「空手ヒッティング」の普及とプロジェクトを開始します。改めてフリースタイル空手プロジェクトに協力してくれた皆さんには感謝すると共に、私の考えを理解していただきたいと思います。ただ私は、決してフリースタイル空手プロジェクトを始めた意義を喪失したのではなく、アプローチを変えなければ理想は実現しないと考えたのです。
空手ヒッティングのススメ(増田章 2020/5/22記)より
(終わり)