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Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
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未来の極真空手へのメッセージ〜増田章の戦術理論

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【増田章の競技戦術理論】

 

 先日の極真会館の世界大会代表選手等の合宿でセミナーを行った際、食事会での質疑応答で、ラグビーの戦術理論を例えに増田の戦術理論を披露した。実はセミナーの内容もその戦術理論を理解するための1段階ではあった。私の道場では子供から大人までが学ぶ基本としたいが、指導的立場の有段者の理解が追いついていない。先日のセミナーでは、3時間強という限定の中で、基本的な修練方法しか披露できなかった。だが、極真会館のトップ選手の理解力は高く、10倍のスピードで理解してくれた様に思う。繰り返すが、このことは私の理論が身体的にも理論的にも理解できうる再現可能性と普遍性を有しているという証明となるだろう。機会をいただいた松井館長に、心から感謝したい。

 また、セミナー後に選手との食事会と質疑応答の場を松井館長に設定していただいた。その時、私の研究のため、代表選手の空手以外のスポーツ経験のアンケートをとった。代表選手の中に大学ラグビーの経験者がいたからではないが、私の戦術理論を少しだけ披露した。以下、その内容を紹介、補足したい。

 なぜなら、極真空手の組手競技が、いつか私が考える優れたスポーツになって欲しいとの思いと世界大会という場所の伝統を護りつつ革新して欲しいと考えているからだ。

 

【「接近、展開、連続」と増田の戦術理論】

 

「接近、展開、連続」とは大西鐡之助先生が提唱した、ラグビーの戦術理論のキーワードである。サッカーでも同じ早稲田大学出身の岡田武史監督が提唱した。サッカー競技でいえば、「攻撃の際、接触は避けつつギリギリまで相手に「接近」し、巧緻性を生かしてパスを出す。つながったパスは素早く味方に渡し、グラウンドを広く使って「展開」する。このような攻撃をチーム全員が粘り強く繰り返す(「連続」)」(時事用語辞典より)というものらしい。

 この理論は、大西鐡之助先生が身体の小さい日本人が欧米のラグビーに勝利するには、日本人の特色を生かした独自の戦術を実践しなければならないと提唱したものだ。サッカー界では批判もあるようだ。一方のラグビー界では、日本のみならず、世界のラグビーの基本戦術として認識されているようだ。だが、ラグビー界でも戦術理論は進化しており、批判というよりはより高度な戦術が生まれていると推測する。私が20年前、この言葉を見た時、極真空手の競技戦術にも応用できると思った。

 

【現在の極真空手の競技では】

 詳しくは書かないが、極真空手は相手と激しく対立する競技だ。それゆえ、相手の圧力に対し、それを受け止める力と同時に、それを回避するかのように横に動きながら位置取りし攻撃する。そしてそれを連続するという戦い方が有効だ、と私も考えてきた。だが、本当は20代半ばから、そんな戦い方はあまり高次の戦法ではないと思っていた。しかし、それに対する明確な答え、対案が見つからなかった(見つからなかったというより、それを見つけ、王様は裸だと唱える勇気がなかった)。

 最近になって松井館長率いる極真会館が、少しだけ変わってきたが、現在の多くの直接打撃制の空手競技を見る限り、変化はない。現在も直接打撃制の空手競技における多くの選手がそのような戦い方をする。私はそのような戦い方は良くないと考えている。良くないというより、そのような戦い方で勝利する選手が多くなれば、皆、そのような戦い方に習い、打撃格闘技としての組手スキルが生まれないだろう。また競技として知的ではないし、かつ創造的ではない。

 

【極真空手の競技における「展開」】

 おそらく、ラグビーやサッカー競技と極真空手の競技では「展開」の意味が異なっていると思われるかもしれない。なぜなら、ラグビーやサッカーのゴールは、自分の前方、かつ相手の後方にある。一方の極真空手は目の前にある。ゆえに「展開」の意味が全く異なっている、という向きもあるかもしれない(ボールゲームは相手のディフェンスを突破しなければならない)。だが、私は同じだと考えている。また極真空手家は、先述したように「展開ー連続」を理解してはいけないと考えている。

 私は、極真空手の競技における「展開」とは、相手の防御態勢を崩すために回し蹴りなどの曲線的、かつ外側、横からの攻撃と直突きや前蹴りなどの直線的、かつ内側、縦からの攻撃を組み合わせるものだと考えてきた。そのような攻撃を相手の攻撃を防御(かわすこともふくめ)しつつ継続しながら、相手の態勢にスペース(隙)が見えたら、そこに渾身の一撃を極めるものだと考えてきた

 テニスに例えれば、攻撃と防御をテニスのラリーのように行う「攻防」を繰り返すことで、相手の構え(陣形、心構え)にスペース(隙)が生まれ、そこに一撃が決まるようになるのだ。私が極真空手で実現したいのは、ただ前に出るだけの戦術、手数で勝つ戦術というものではない。また、スタミナを競うかのような連続攻撃というものではない。

 相手の圧力に屈しないメンタルとフィジカルは当然のことである。また、パワーに対しスタミナで対する持久戦に持ち込むことは有効な戦術ではある。だが、真に競い合う部分は、相手の優位性を認めつつ、自己が有する独自性を、相手の優位性に対し勝るとも劣らないものに高め活かすことだ、と私は考えている。そして、競技の意義は、そのようなテクニックと戦術スキルを体得することなのだ。そして、そのスキルの創出の原則が攻撃方法の「展開」である。それは、テニスやバトミントンのラリーにも見て取れる。連続とは、展開と併せ、相手の崩れが生じるまで、スペースが見えるまで繰り返すことなのだ。その先に勝利がある。以上のような点を踏まえ、私が考える未来の極真空手の競技者に向けて、「接近—展開—連続」を基本原則の見直しを提言したい。同時に、その原則をさらに一歩進めた「対峙—透視—創造」という戦術的キーワードの視点を提案したい。

 

 

【「対峙—透視—創造」とは】 

「対峙—透視—創造」とは、相手とより正確に対峙すること。その意味は、否定し合う対立ではなく、相手とコミュニケートすること。その上で自他の状況を俯瞰しつつ、自己の可能性、優位性を見つけ出すこと。そして優位性を生かす戦術スキルの創造を通じ、ゴールの新しい意味を創造していくことである。

 そのことを若い極真空手の世界大会選手に伝えた。現状の競技ルール、審判法では、私の理想は実現できないかもしれないし、私の伝えたことは一笑に付されたかもしれない。それでも、私が実現したいのは、より精度の高い技術(破壊力も含めて)とそれを駆使する戦術スキルが創造、示されるような競技なのだ。ラグビーのW杯を見ていて、私の戦術理論が実践されていると感じるラグビーチームがあった。それはニュージーランド、オールブラックスである。

 私がオールブラックスの試合で着目したのは、彼らの試合でよく見られる「ターンオーバー」である。「ターンオーバー」とは、オフェンス側とディフェンス側、すなわち攻守が入れ替わることである。それは、私の空手理論の「応じ(技)」と同じである。武道の世界でいう、「後の先」という攻撃法とも捉えられるかもしれないが、そんなに簡単なことではない。また、決して単なる相手のミスを待つような消極的な戦術だと理解しないで欲しい。

【応じ(技)とターンオーバー】 

 「応じ」を簡単に定義すれば、相手の攻撃を確実に防御し、間髪を入れずに相手の隙(スペース)を攻撃する戦術であり、戦いのイメージである。それは100人組手をより高いレベル完遂するために考えた、戦いのイメージ、そして会得した戦術である。

 少し脱線すれば、私が先日行ったセミナーにおいて、はじめに掲げたセミナーテーマは、「相手の攻撃を一撃ももらわずに、一撃(自分の)一撃を決める」だった。また、さらに高次のコンセプトとして「一撃を追い求め、心撃を極める」というキーワードを掲げた。たった10分の説明だった。その後、おこなった基本練習とTS方式の組手法の目指したことは「応じ」の認識であった。また、組手の基本は相手とのコミュニケーション、対話であり、同時に自己内部にも同じコミュニケーションがなければならないと言うことを伝えたかった。そこまで理論的に伝える時間はなかっが、松井館長、ただ一人理解してくれたように感じた。それは新たな友情の萌芽でもあった。兎にも角にも、私の言う「応じ」の理論と意義が認識できなければ、今、私が書いていることも理解できないかもしれない。

 話を戻せば、ラグビーチーム・オールブラックスの「ターンオーバー」は、あらかじめ意識され、かつ準備された戦術であると見る。彼らは、強力なフォワードの圧力を真っ向から対峙しながら、冷徹に相手の陣形と自陣を透視し、そこから流れるような展開ラグビーを見せていると感じた。つまり、オールブラックスが実践している戦術は「対峙—透視—創造」である。彼らのプレーに見える、「対峙—透視」から生まれる巧みなスキルとしてのパスプレー(連携プレー)やキック、そこから生まれるトライ、ドロップゴールこそが、新たな戦術スキルとゴールの意味の創造なのである。それを、新しい意味へのブレイクスルー(突破)といっても良いかもしれない。

 

【闘争ゲーム(競技スポーツ)の意義】

 これまでのラグビーは闘争ゲーム(競技スポーツ)だった。その闘争ゲーム(競技スポーツ)の意義を大西鐡之助先生は、闘争における倫理性と問題発見解決型の真の知性を育むこと。また真の知性を有するリーダー教育だと考えた。私は、そのことに強い共感を覚えた。だが、新しい武道スポーツの創出を考えている私は、これからは大西哲学を承継しつつ、ゲームが敵と共に人類の良知良能を顕現させるのだ、という価値を提示し、闘争ゲームに内在する、創造スポーツとしての面に着目したら良いと思っている。その認識を持てれば、本当の敵は頑迷で卑屈な自分だということに気づくはずだ。また、それを認知できれば、スポーツ競技を通じ真の友情を理解できる。さらに、それを認知できる人を増やしていけば、闘争ゲーム(競技スポーツ)の普及が人類社会の融和と共存により貢献できるようになると考えている。

 それには、私が「その2」で書いたように『「勝利」に真の意味があるのではなく、「勝利の創造」に真の意味があるということだ。優れた競技スポーツにおいて、真に感動を喚起するのは、「勝利の創造」とそのプロセスなのだ』。という価値観が共有されていなければならない。大変困難なことだとは思うが、未来の極真空手はそのような方向性で発展してほしい。

 極真会館の世界大会代表選手に伝えたかったことは、以上のようなことだ。少し難しすぎるかもしれない。だが、選手等にも時にはラグビーでも見て、気分転換と勇気をもらうことを進めたい。

【蛇足】

 これから書くことは、戦術理論とは関係ない蛇足である。私はラグビー自体を楽しむのみならず、自分の戦術理論を確かめるためにラグビーW杯に注視している。私は日本におけるラグビーワールドカップの優勝チームは、ニュージーランドと予想しているだ(ただフォワードが強いチームが勝つかもしれない。私もフォワードが強い選手が好きだ)。

 私はオールブラックスのラグビーを創造的で素敵だと思いながらも、一方でフォワードが強く、前へ前へと圧力をかけ続ける南アフリカチームが好きだ。また、彼らの戦い方のひたむきさは、最も好きである。選手たちは全盛期の極真空手家のようだ。もちろん、一番応援しているのは日本であるが。また、アイルランド、ウェールズ、南アフリカ、イングランドの活躍も楽しみである。

 ここで思い出されのは、20年ほど前にNECラグビー部で講演をしたことである。その時はラグビーのことがわからず、また、自分の戦術理論も上手くまとめられなかった。その時は、攻撃のみならず防御の重要性と守りを固めれば、相手にミスが生まれるはずだ。そのような態勢と心構えを作れば、負けないチームが作れるのではないかと言うような話をしたように思うが覚えていない。しかし現在は、若干考えが変わった。20年前に考えたことは完全な間違いではないかもしれない。ラグビーでは、相手の圧力に負けず、相手に圧力を加えられるようなフィジカルやメンタル、そして戦術は必要であることは間違いない。また、そのような拮抗した状態で慎重に戦い続ければ、相手がミスすることもあるだろう。新日鉄釜石の全日本選手権の連覇を阻止した、平尾誠二率いる神戸製鋼の戦い方は、相手のミスによって得点を確実に稼ぎ、接戦を制する。そんな戦い方をしていたように記憶する。私も延長戦が限りなく続けば、全試合勝てるはずだと思っていた。負けると考えた選手は一人もいなかった(当時は)。なぜなら、誰よりも体力があり、攻撃力があり、防御技術があった。それでも勝てなかったことに対し、その意味がわからず、死ぬほど悩んだ。その意味を解明するのはここではしない。ただ、その戦い方は理想形ではなかったことは書いておきたい。

 最後に、私がラグビーをやるとしたら、味方のみならず、敵ともコミュニケーションを取るように戦うこと。そして、対峙(アタック、接近)から、自他の陣形を透視しつつ、水が高きから低きに流れるようにパス、キックとスキルを発揮し、展開していく。さらに、そのような戦い方を連続しながら、新しいトライ、ゴールを創造していく。そんなラグビーを目指すだろう。田村選手がスタンドオフを務めるジャパンが最高に機能するとしたら、アイルランド戦では、そんな展開になるだろう。そして、そのような展開になれば、4年前の再来となるかもしれない。ただ、そのような展開は困難だと思う。なぜなら、アイルランドのフォワードの力に対しジャパンのフォワードが持たないように思うからだ。また選手たちがそんなイメージで準備していたかどうかはわからない。ラグビーのことをほとんど知らない私がここまでいうと、お叱りを受けるだろうが。否、素人が色々と評論できること。それもメジャースポーツが有する要素、特徴である。

 

その5に続く

2019-9-28:加筆修正

 


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