競技のデータ収集と分析
優れた競技の世界では、競技結果のデータを取り、それを分析する。ランチェスター理論を知った高校生の時から、空手競技もデータを取り、それを分析して戦略と戦術を構築する必要がある、と私は考えている。しかしながら、まだ空手競技はデータを取ってもそれを生かせるだけの競技にはなっていない。
昨今はサッカー、テニス、野球、あらゆるスポーツがデータを取り、それを分析するようだ。勿論、そのデータ収集の仕方、分析の仕方によって、導出される理論は異なるものとなるだろう。しかし、そのことを含めて競技を考え続けることで競技が進化、そして発展する。
私が40数年前に直感したように、世の中はデータを取り、そのデータを分析、活用する時なっている。おそらく全てのジャンルのおいて。しかし空手界や武道、武道と言っているもの達の世界は遅れている。だが、ここで言っておきたい。データを収集し、それを分析、活用するには、「人間の弱さ」「愚かさ」に気付いていることが前提になる。同時に、その地点から人間性を回復、維持するようなシステムを永続的に作り上げることなのだ。それが人間の強さであり、より高い知性の働きなのだと思っている。
スポーツも武道も人間教育システムである
振り返れば、子供の時から考えることがより本当のことが知りたかった。もっと勉強をして学者になりたかったが、身体的な才能を伸ばすことに全エネルギーを投入した。その配分には反省点もある。また、学校が嫌いだった。しかし、優れた学者の本を読み、その弟子になりたかった。だが、学校の嫌いな者が優れた学者の弟子になれる訳が無い。私の言い分を聴いた者の多くは噴飯するだろう。また、ある者は私の性格の未熟を指摘するに違いない。それは半分正しいが半分間違っている、と思っている。その意味は、日本の教育システムに良くないところがあるということだ。断っておくが日本の教育システムの良点が今日の日本の繁栄を築いたということは認めたい。しかし、本当にこのままで良いのだろうか?社会環境や生活スタイル、同時に価値観も変化している。そんな中、もう少し改変しても良いと思っている。勿論、日本の教育システムの全てが良くないということではない。だが、そこに既得権益者の自己保存の欲求からくる瑕疵があるのではないかと疑っている。また、その瑕疵を見逃していては、少数だが優れた素材を生かせない。また、劣化した人間を再生産してしまうと考えているのだ。そう書くと言い過ぎだろうか。いまの私には、その意見を裏付けるためのデータや例を挙げることが出来ない。
いま私が武道の普及を通じて思うのは、スポーツも武道も人間教育システムであるということである。同時に、より良い武道とは?またより良い教育システムとは何か?残りわずかな人生の中で問い続けたいと思っている。
追伸
最近、日本社会はスポーツバブルの様な様相である。オリンピック後、どうなるのだろうか?難しいことは棚上げし、スポーツを見て欲しい。様々なことに気付くはずである。そして、高い意識を持った同士と会話を楽しみたい。そのためには、決して「日本頑張れ」などという感情的な面からのみ観てはいけない。もっと深く観れば、色々と楽しめるはずである。私もスポーツ観戦を楽しんでいる。そして多くのことを学んでいる。そう声高に言えば、「難しいことをいうな」「楽しめればなんでも良いんだ」、また「日本を応援することが悪いのか」と多くの人から反発を受けるかもしれないが…。本当の「スポーツを愛する」「スポーツを楽しむ」とは、何だろう。そして言いたい。「何が楽しい??」「何が??」「なぜ、日本を応援する?」…。私は、人間を応援したい。また、スポーツを応援したい。勿論、日本代表も応援する。
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