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Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
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井上雄彦のバガボンドを観て 〜追記

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 宮本武蔵は「勝つ」ということを掘り下げた武人である。井上雄彦氏の描くバガボンドには「強く」というキーワードがよく見られる。私には、井上雄彦氏のバガボンドで見られる「強く」という言葉の裏側には「自分を生きろ」というメッセージを感じる。

 

 そう思っていたら、友人から電話があり、バガボンドと「天才バカボン」は語源が同じだと聞いた。もちろん、語源が同じだというだけである。実は赤塚不二夫の「天才バカボン」の原名は「天才バガボンド」だったらしい。「バガボンド」とは「放浪者」の意味のようだ。当時の赤塚不二夫の担当編集者は、「天才バガボンド」というタイトルよりは、「天才バカボン」とした方がギャグ漫画にふさわしいと考えたらしい(本当かどうかはわからない)。

 

 そこで、井上雄彦氏は天才バカボンからインスパイヤされたのか?と私が聞いた。友人は、井上雄彦は赤塚不二夫の天才バカボンからインスパイヤされてはいないだろうと言っていた。

 しかし、これは偶然の一致だろうか。世間では、天才バカボンはギャク漫画との見方が普通である。だが、天才バカボンこそが赤塚不二夫の魂が表現されている、と私は見ている。何を隠そう、私が一番好きな作家、そして漫画が赤塚不二夫。そして天才バカボンである。

 また、私は天才バカボンを単なるギャク漫画だと思っていない。もし、天才バカボンをただのギャグ漫画だとするなら、それと正反対とも思える、梶原一騎の世界観こそが、ギャクではないか、と私は思ってしまう。その意味がわかるだろうか。要するに、天才バカボンの方が真実を描いている、と私は感じていたのだ。もちろん、梶原一騎のセンスも素晴らしいと思うし、そんな単純に考えてはいけないとは思う。

 とにかく、井上雄彦の世界は、これまでの漫画の域を超えているように思う。そして、放浪者、すなわちバガボンドとは、人間の生きる姿そのものではないだろうか。

 

 

 

追記:井上雄彦の漫画が、これまでの漫画の域を超えていると言っても、すでに古典とも言える手塚治虫や石ノ森章太郎の漫画は、時代が変わっても人は感銘を受けるだろう。また、個人的には水木しげるも良いな。また最近、白土三平の漫画を入手した。これも古典と言えるが、私は好きである。補足ではないが、Dr.スランプやドラゴンボールなどで有名な鳥山明の漫画も良いらしい。以前、読もうとして書棚に積んである。漫画のみならず小説もだが、その世界に凝ってしまうと、私の仕事ができなくなる。あえていうが、漫画に関する私の話など、あてにならない。増田がそう思った、というだけである。漫画を読む量が少なすぎる。ただ、他の世界を広く深く観ている。その者が、漫画を読む物としてではなく、観る物として見た場合、バカボンドのレベルが群を抜いてきたように観えるだけである。


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