ふるさとにて〜父と妹に 2018-11-3
【父に〜 俺は泳ぎが下手だ】
2018年11月3日、前日の深夜に金沢に実家に帰り、午前中、父と喫茶店でお茶を飲む。いつものことだが、往復1000キロ以上の旅程をほぼ、2泊2日でこなした。いつものことだが、無理をし過ぎたかもしれない、全身の痛みと頭痛がする。
喫茶店では、近況を父に報告した。父はいつものように、うるさそうに、私の話を聞いていた。たが、そうして父に自分の近況報告するのは子供の勤めだと思っている。その中、いつものことだが、私は講釈を垂れた。
以前は、帰ってこなくて良いと言う父だったが、最近は「帰れ」と言ってくれる。父も老いたのだろう…(父は半身が動かない)。
また最近の私は、一つだけ私の講釈を聞くか?と聞いてから講釈を垂れる。父が、「聞くよ、話せ」というので、私は話し始めた。父は私の講釈を黙って聞きていた。以下に私の講釈(説法)を記録しておく。
幼いころ、お父さんに海で泳ぎを教わったね。でも増田 章は、泳ぎが得意ではない。
でも、いくら泳ぎの上手い者でも、海では溺れることがある。多分、波に流されてしまい、力尽きるのであろう。
そこまで想像して、俺は気がついたんだ。
実は自分を泳がせてくれているのは、自分の周りにある大きな海の存在があってこそなんだ。
その海という存在と浮かぶと言う理法があるからこそ、自分が泳ぐことができる。
それを忘れ、自分の力で泳ぎ切ろうとすれば、やがて力つき、溺れてしまう。
海の力を知り、自分の我を捨てれば浮かぶ。本来は、その「浮かぶ力(理法)」を活かして生きれば良かった。
繰り返すけど、いつも俺は溺れ掛けていた。10台の頃、本当に生きるのが辛かった。
そんな増田章に、おばあちゃんや母さん、お父さん、家族は小舟だった。
俺はその小舟に助けられ生き延びることができた。
やがて、極真会という大きな船を見つけて、それに乗ろうとした。泳ぎが下手な増田 章だけど、その船の力で、俺は生きてきた。今は、その船から離れ、自分で泳がなければならない。
お父さん、もう一度言うだけ言う。
すでに残り時間がわずかだが、小さくても良いから船を作り、誰かのための船になりたい。それを目指したい。
そして忘れてはいけないと思っている。
自分の周りの大きな海の存在を認め、意識することで、自分が浮かぶんだ。その理法を信じることを。
最後に、もう一度言う、俺は泳ぎが下手だ。
だが、下手だからこそ、また、大きな船に乗れなかった人間だからこそ、その理法の体得が重要だと理解できる。
今、そんな自分を反省している。
そして、父母に感謝している。お父さん、ありがとう。
父にそこまで言い、話を終えた。ただ、話終えてから、少し偉そうに話しすぎたかと、反省した。
【妹に〜 到る処に青山あり】
夜に妹と話をした。
私は、娘と共に父と暮らしてきたシングルマザーの妹と姪のことが気になっている。とは言ってもも、何もしてこなかった私には偉そうなことは言えないだろう。
20数年間前、妹には娘がお前の心の支えになるから、大事にしていけと、私は言った。その娘も大学を卒業し、就職した。
だが、色々と大変なこともあるようだ。
その姪と会った。東京へ戻る、日曜の明け方、6時ごろだった。ほんの少しだけ話ができた。
私は偉そうなことは言えない立場だ。だが、もっと、ゆっくりと話をしたかった。
帰京を急ぐ明け方のフリーウェイで車中から、金沢から富山までの景観に見とれていた(あまりよそ見はしてはいけないが、他車は1、2台)。
そんな中、姪の仕事のことで、何かを伝えたいと思っていた。私は、途中休憩の際、妹に金沢滞在のお礼のメールと写真を送った。その写真は、増田家の墓の写真と石川、そして日本の美しい景観の写真だった。
我がふるさとのみならず、富山、長野、山梨、特に富山は、海があり山があり、川があり田園があり、とても美しい土地だ(住んだことはないが)。
また妹へのメールには「人生到る処に青山あり」と結んだ。
本来は「人間到る処に青山あり」と言う、幕末の日本人が作った漢詩からの引用である。
また、「人間到る所青山あり」とは以下のような意味である。
故郷ばかりが墳墓の地(青山のこと)ではない、人間の活動のできる所はどこにでもあるの意。大望を達するために故郷を出て大いに活動すべきことをいう。(広辞苑)
ただ私は、「人間」を「人生」と言い換え、「どんな場所でも、一所懸命に生きれば、そこが懐かしく、素晴らしい場所なり、やがて終の住処にもなる。と言うような解釈で伝えた。ダメだろうか。
妹は自分自身のことを変わり者だと言っていた。また、とても臆病で人付き合いが苦手だ、とも言っていた。心配でならない。
兄として、気にかけてあげなければならないと思う。ただ、私の妹は愛想が良くない。特に家族には。時に父はそれを責める。しかし、昨日は父に「父ならみっこの全てを認め、受け入れるべきだ」と諭した。「みっこには、悪いところなどない」と、私はさらに加えた。
かく言う私も、妹の性格に閉口したことがある。だが喧嘩はしたことがない。
私は、俺はみっこ(妹の愛称)と喧嘩したことはないよね。と改めて尋ねた。妹は面倒臭そうに頷いた。それに続けて、「ただ、俺も変わり者で、妹としては嫌だったかもしれないけどね」と付け加えた。
さらに妹には、「そのままで良いんだよ」と「増田 章編、荘子の無用の用」の説法を加え諭した。妹には、俺がアレンジした話だと言ったら、「真面目に聞いて損した」と怒っていた(本当に怒っていたのだろうか?いつか、本サイトにも掲載したい)。
昔から私は、兄弟とは仲良く、そして力を合わせるべきだと、ずっと思っている。また、そうしようとしてきたつもりである。しかし、現実はうまくいかなかった。
私は、その夢を私の息子と娘が実現してくれたらと思っている。私の心からの夢である。