【生きるということの芸術家】
『我々は自然の恵みによって人間たる以上誰でも芸術家たることを許されている。
芸術家といっても画家とか彫刻家、音楽家、詩人という特殊な芸術家を言うのではない。
“生きるということの芸術家”なのである』
「禅と精神分析」小堀宗柏・訳/「鈴木大拙全集(増補新版第28巻232ページより引用)
私は肩書き等で人を観ない。芸術作品として観る。簡単に言えば、まず、その人の魂を観る。同時に生き方の技術を照らし合わせる。不遜ながら、超一流の経営者である、稲盛和夫氏を観たときも、優れた芸術品だと感じた。他方、名もない市井の人の何気ない佇まいに、芸術品を感じることもある。できれば、もう俗を捨てて、人を芸術作品として観て生きていきたい。それが、写真家を志した時の目標でもあった。同時に、そのような生き方こそが、増田流の「俗とともに生きること」でもある。
【蛇足】
以上のような雑な説明では、増田が何を感じているかはわからないだろう。
しかし、鈴木大拙氏も同様の眼差しを持っていたのではないかと、不遜にも感じている。
鈴木大拙は、幼少の頃の恩師の一人である永江輝代氏に「金沢が生んだ世界的思想家を知らないの?」と、西田幾多郎の名前とともに、だいぶ前に教えていただいた。
そこから、全ての著作とはいかないが、かなりの数の著作を読んだ。そして禅の思想にのめり込んだ。鈴木大拙氏の没後、高弟の古田紹欽先生が後を継いだ北鎌倉の松ヶ岡文庫に、私は手紙を書いた。そして私は、古田紹欽先生の承諾を得て、北鎌倉を訪ねた。その時、古田先生は、私に鈴木大拙先生の書斎を見せてくれた。庭に面した小さな部屋だった。そして、鈴木大拙先生が朱で返り点を入れた、臨済録の復刻版をいただいた。臨済録とは、禅宗の一つである臨済宗の経典である。武道家の心には、臨済の教えが、感応しやすいように、私は感じた。ただ、道元の体系だった教えも、私には興味の対象であるが。
実は、小学校3年生の頃、私は親鸞の本を読み、その感想文で表彰されたことがある。早くに夫を亡くし、信心深かった祖母が、私を可愛がり、よく寺院を訪れたこと。私の育った土地が、浄土真宗の信徒の多い土地柄だったことが、私の宗教心に影響していると思う。
また、私が鈴木大拙氏を好むのは、大拙氏に、禅のみならず、親鸞の教えをも包摂する、深い宗教体験と宗教理解があるからだろう。つまり乱暴に言えば、理屈を並べるのではなく、根底に人間としての深い体験がある。それゆえ、大拙氏の思想には、普遍性があると思うのである。
少し鈴木大拙氏について紹介したい。
鈴木大拙氏は、外国に禅を紹介した仏教学者である。今日の禅ブームは、北鎌倉にある名刹、円覚寺の釈宗演禅師の通訳として鈴木大拙がアメリカに同行したのがスタートのようだ。海外における禅の理解は、卓越した英語力を有し、同時に深い宗教理解を有する、鈴木大拙の存在と著作がなければ、成し得なかったとも言われている。その影響は、亡くなってから51年以上もたつ今日も続いていると思う。ノーベル賞候補にも上がっていたらしい。