昨日、他のテーマと一緒に掲載したものを、加筆修正して、再度掲載したい。
IBMA極真会館の方向性について重要な伝達事項が含まれているからだ。
【全空連が主催するパーティー】
私は先日、全空連のオリンピック競技化推進を応援すると同時に、互いの団体活動を尊重し、友好的な関係を築こうという趣旨の松井氏の呼びかけに応じ、その記者会見に参加した。
その記者会見から約1ヶ月が経った。その全空連が主催するパーティーが金曜日に行われた。松井氏は、全空連の友好団体、国際空手道連盟・極真会館の館長として招待されたらしい。そのパーティーに同伴しないかとの誘いを、数週間前に松井氏から受けた。
【仲良くするのが一番】
繰り返すが、今回のパーティーに先立ち、8月の後半、私は松井館長の呼びかけに応じ、幾つかの団体とともに友好関係を結んだ。その理由には、難しいことは何一つない。私にとって一番大切な価値基準は、全空連云々の前に、同じ大山倍達門下として、仲良くするのが一番という価値観である。ゆえに、松井氏がこれを機に、過去のことを水に流し、組織を友好化しないかとの誘いがあったときに、断る理由が見つからなかった。むしろ、松井氏の変化を驚くとともに、私の念願が叶ったとの喜びがあった。
私は、過去を水に流すというのは、問題を起こした当事者が軽々に口に出すことではないと思っている。しかし、松井氏の立場からそのような言葉が出るということは重く受け止めなければと思っている。また、まずもって私は、試合などを通じての交流には、互いの団体の理念等の違いなどを踏まえ、軽々な言動は慎みながら時を待とうと、いうような主旨のことを松井氏に伝えた。なぜなら、試合等の交流など、現実的な話を前提にしたら、最も大切なことが等閑になると考えたからだ。また、和解できない他の極真空手の団体のこともある。さらに私は、試合による交流は、ゴールとそれを目指すルールをもっと明確にしてからでないと、行き当たりばったりで、良いものはできないと思う。また武道団体の交流には、試合による交流の前に人間関係が大切だと、私は考えている。一方、試合を通じて人間関係が構築される面もあるという考え方もあるかもしれない。様々な見方があるとは思うが、私は今回の松井氏の友好化の呼びかけは、各団体の活動内容を尊重しつつ友好的に付き合う中で、人間関係の再構築をしていこうという主旨だと、私は理解した。ゆえに試合による交流はこの先のことだと思っている。他はともあれ、私には、松井氏の呼びかけを断る理由はなかった。むしろ、素直に嬉しかった。蛇足ながら、今回のことに対し、「松井氏には何か魂胆がある」等の見方をする人がいたが、私の心にはそのようには映らなかった。私は、極真会館で大山倍達の薫陶を受けた者同士が仲良くすることは、最低限の師への報恩だと思っている。ゆえに、他の仲間や私の恩師と松井氏との関係が良くないことが残念だ…。
【極真空手や空手を大切に思うならば】
私は、大山倍達の門下生で極真空手や空手を大切に思うならば、門下生同士が仲良くした方が良いと思っている。また、意見の相違は一時エポケーして、将来を見据えたい。さらに、空手愛好者以外の目線や社会全体のことを念頭に置きながら、現実に即し柔軟かつ慎重に考えていけば良いと考えている。「言うは易し行うは難し」かもしれない。しかしながら、現時点の松井氏と私の見識(状況認識)なら、諸事の合意形成は難しくないと感じている。さらに付け加えるならば、喧嘩をする相手は、空手家ではないと、私は思っている。また、喧嘩ではなく、真剣に向き合い、戦わなければならないのは、人間の欲深さがもたらす、各種のジレンマに対してだと思う。難しく言えば、人間がこだわってきた正義と自由という、人間に突きつけられた命題との対峙だ。武を掲げる武道人が考え続けなければならないテーマはそこにあると、私は思う。平たく換言すれば、多様な人たちが、どうしたらより良く生きていけるかを、真剣に考えるということだ。
断っておくが、私は単なる迎合をしたつもりはない。また私の心中には、もう空手家を前に抜くことを止めようと考えている刀がある。おそらく、私の言っていることを誰も理解できないと思う。それは仕方がない。地に足をつけて生きている人たちには、「今」が重要だからだ。もちろん、「今」が重要であることに、私も異論はない。だからこそ、私は未来志向で生きていきたいのだ。
今回私は、松井氏の誘いを私への友情と捉え、全空連へのパーティーへ同行することにした。同じ極真空手で育てられた者同士は、家族同然にならなければならないとの理想が私にはある。それが斯界の真の発展につながると思っている。増田はいつも青臭いと思われるだろうが、死ぬまでその思いを持ちながら生きていきたい。また、例え今後、私が人里から離れたとしても、時々はその思いを伝えていきたい。
あえて記すが、極真会館の分裂後の20年は極真空手界にとって不毛な時間だったと、私は思っている。松井氏も共通の認識だという。私はもう、そのような時間を過ごしたくない。
【小林先生との再会】
そのように考えている中、全空連のパーティーで感動する体験があった。それは、私が10代の頃、防具空手の試合で対戦した小林先生との再会だ。小林先生との対戦については、拙著「増田章 吾 武人として生きる」で少し書いた。私は、小林先生との対戦後、伝統派の試合方法を研究した。
小林先生は現在、奈良県の全空連の理事長をされているらしい。職業は、私の記憶通り、教員だった(小林先生に35年ぶりに確認した)。昨年、定年を迎えたらしい。小林先生との対戦はおよそ35年以上も前のことだ。お互い歳をとったようだ。小林先生は若い頃、精悍な面構えの美男子だったと記憶する。
【みんなで仲良くすることは良いことなのよ】
小林先生は、パーティーの名簿の中に私の名前を見つけ、私を探し出してくれた。先生は、とてもフランクで、昔の印象と変わらなかった。私が小林先生に、近いうちに伝統派の組手の研究に奈良県に出稽古に伺いますと言うと、「ぜひ来て」と快諾してくれた。傍にいた松井氏が「僕も行くよ」と言う。「本当に行くの?忙しいでしょ」と私が言うと、「日程が合えば行くよ」と言う。最近の松井氏はサービス精神が旺盛なのか、フットワークが軽いようだ。その時、小林先生と同伴していた奈良県連の大木さんという女性空手家の方が、「こんな風にみんなで仲良くすることは良いことなのよ」「絶対に来てね」「ゆびきりよ」と私に小指を差し出した。私は、その女性と小指を絡めて「ゆびきりげんまんをした」。大木さんは、年齢不詳だが、おそらく私と同じぐらいの年齢だろうか?それとも年上か?。大木さんは「子供たちに素晴らしい先生がいると紹介したいのよ」「絶対に来てね」と畳み込んできた。私は大木さんの邪気のない、純粋な目と言葉に感動してしまった。まるで、「アルプスの少女ハイジ」にお願いされているような感じだった(下手な例えでゴメンなさい)。私はその時、不覚にも落涙してしまった。なぜなら、打算と見栄を気にして生きている大人たちが多い中、大木さんの心は、年を重ねても美しいままだと感動したからだ。そして他流の空手家の中にも素晴らしい人がいることを実感した。同じく、剛柔会や和道会の重鎮方とも松井氏のおかげでご一緒したが、皆さん懐が深かった。
笹川先生も紹介していただいたが、私の眼には、志が高く、信念があり、懐の深い方に見えた。ほんの少しだけ、口が悪い気もするが(笑い)。ストレートでオープンな性格なのだと思う。今回、私に良い体験をもたらしてくれた、松井館長に本当に感謝したい。また、お互い身体を大切にして、最低でも後10年は生きなければならないと思っている。
最後に、この日はハードな1日だったためか熟睡できた。次の日、私は山梨の友人宅へ向かった。紅葉が始まり、富士山麓も美しい季節を迎えている。これからの人生、美しい季節を体験できるよう頑張りたい。
2015/11/5 一部加筆修正
2015/11/6 一部加筆修正
2015/12/18一部修正
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みんなで仲良くすることは良いことなのよ!
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