2016年がスタートした。
実は年末に高田馬場道場の移転を決断した。
年末はその準備に追われていた。移転は年始に実行する。身体のリハビリと道場業務の整理整頓と併行しての準備は、大変なストレスを伴う。しかし、この道を避けては次に進めない。必死にやれることをやっている。とても大変だが、世の中にはもっと大変な人がいると、自分を奮い立たせている。例えば、昨年も自然災害の被害に遭われた方や病により夭折された方がいた。
不謹慎と云われるかもしれないが、そんな方々の状況を思えば、心が強くなる。さらに心優しき増田道場生の協力が私の支えとなっている。
さて、年末から身の回りの整理整頓が続いている。おそらく2016年は整理整頓であっという間に過ぎるであろう。しかしながら、確実に整理整頓がされるようにしたい。先ず、断捨離だ。もちろん、アーカイブも大切にしたい。しかし、一旦捨てることも必要なのではないかと思っている。なぜなら、そんなに時間が残されているとは到底思えない。幸い、良いソフトを手に入れたので、それを使ってデータベースの構築に努めたい。私はこれまで、情報をより迅速に処理し、それを活かす方法を確立したいと考えてきた。昨今のIT分野の進展による、様々なアプリケーションソフトの誕生はとても有り難い。しかし、重要なのは、自分にとって一番大切なものが何かを見極めることだろう。私の人生は、失敗の上に成り立っているようなものだ。また、これまで汚名返上と勇んで生きてきた。ゆえに、一番大切なものを忘れがちだが、その失敗の上に成り立っているような人生の中から見つけだした最も大切なものこそが、本当の宝だとも思っている。
今日、書類の整理の合間、極真空手の道場訓の英訳を見つけた。仕事の合間、「気晴らしに英語の勉強でもするか」と思いながら見直した。この英訳は、我が増田道場生のフイリップ(アイルランド人)が行なったものだ(フイリップ、いつも協力ありがとう)。
運動とは縁がなかったと、10年ほど前に語っていた、フイリップが弐段になった。そして武道の世界に浸り込んでいる。私は彼のような者の期待に応えるためにも、原点に還る。
極真空手の道場訓の最後には、「吾々は、生涯の修行を空手の道に通じ極真の道を全うすること」とある。その「極真の道」の増田流解釈を以下に述べたい。極真の道とは、現実(リアル)との対峙を前提に「自己の本性を見極め、自己にしかできない生き方を完遂することだ。言い換えれば、自分流(マイウェイ)を切り拓くことと言っても良いだろう。
補足を加えれば、その自分流が他者を利すること(他者を益し、他者に貢献することの意味)が最高の境地である。さらに言えば、増田流の「極真の道」の解釈は、自他を活かす理法、方法を意味する。当然、異論があるだろうが、私は以上のように解釈する。
蛇足ながら、昨年暮れ、眼の具合が悪く、眼科に2度、お世話になった。加齢による劣化が進んでいる。繰り返すが、一番大切なものを見つけだし、大切にしたい。あたりはついているが、それを確信に変えたい。空手道の普及と言う仕事に関しては、原点に還りたい。何を原点とするかは、人によって様々かもしれない。それにはあえて言及しない。大事なことは、私にとっての原点だ。私の原点は、心の浄化、魂を鎮めることだと思っている。ゆえに私は、絶えず理念(哲学)を見直し、その具現化に向けて取り組みたい。
1.Hitotsu, wareware wa, shinshin o renmashi, kakko fubatsu no shingi o kiwameru koto.
We will train our hearts and bodies for a firm unshaken spirit.
2.Hitotsu, wareware wa, bu no shinzui o kiwame, ki ni hasshi, kan ni bin naru koto.
We will pursue the true meaning of the martial way so that, in time, our senses may be alert.
3.Hitotsu, wareware wa, shitsujitsu goken o motte, kokki no seishin o kanyo suru koto.
With true vigour, we will seek to cultivate a spirit of self-denial.
4.Hitotsu, wareware wa, reisetsu o omonji, chojo o keishi, sobo no furumai o tsutsushimu koto.
We will observe the rules of courtesy, respect our superiors, and refrain from violence.
5.Hitotsu, wareware wa, shinbutsu o totobi, kenjo no bitoku o wasurezaru koto.
We will follow our religious principles and never forget the true virtue of humility.
6.Hitotsu, wareware wa, chisei to tairyoku to o kojo sase, koto ni nozonde ayamatazaru koto.
We will look upwards to wisdom and strength, not seeking other desires.
7.Hitotsu, wareware wa, shogai no shugyo o karate no michi ni tsuji, Kyokushin no michi o mattou suru koto.
All our lives, through the discipline of karate, we will seek to fulfill the true meaning of the Kyokushin way.
▶日本語の道場訓
↧
Kyokushin way(極真ウェイ)
↧