Quantcast
Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
Viewing all articles
Browse latest Browse all 480

勝負を考える!〜将棋・名人戦第4局を考えた

$
0
0

終盤が面白かったらしい。第73期将棋名人戦、第4局のことである。

勝負は行方八段が141手で投了。これで第73期・将棋名人戦は羽生名人の3勝1敗となった。名人戦は先に4勝したほうが最終的勝利となる。

前にも書いたが、私は行方八段と面識がある。ゆえに行方名人を応援する立場だ。一方の羽生名人も、八王子の将棋教室の出身ということもあって昔からファンのような感覚があった。
ゆえに今回の名人戦は注目していた。しかしながら、私は棋譜や棋士の考えていることなど理解できるほど将棋のことを知っているわけではない。

本日、帰宅後シャワーを浴びてテレビの前に座りチャンネルボタンを押すと、ちょうど名人戦の解説番組を放送していた( 15分ほどの短い番組、NHK・BS)。どうも縁があるようだ(将棋には)…。

番組内容は、終盤の解説のみであった。素人の私にも、対局が稀に見る、激しい終盤の攻防、寄せであったことが理解できた。その様子をボクシングのパッキャオとメイウェザーの試合みたいだと言ったら、ボクシングファンにお叱りを受けるだろうか。あるいは、将棋ファンには噴飯ものだと言われるだろうか。しかし、羽生名人の巧みさが冴え、また行方氏の闘争心には、見るものをうならせるものがあったということは間違いないと思う。

ここで、第4局終盤の私流の解説をボクシングを例に試みたい。第4局の終盤は、双方が巧みな防御技術を駆使しつつ一瞬の隙を衝いて、カウンター(反撃)を仕掛けているようだった。一手間違えれば、ガクッと膝が崩れ、そのままたたみこまれてしまうような終盤の戦いだった。そのような局面を両者一歩も譲らず攻撃をかわし、カウンター(反撃)を仕掛ける。双方、一手間違えば命取りのような厳しい寄せの応酬だった。また両者の厳しい攻撃と鉄壁の防御の応酬、その凄まじい闘争心は格闘技以上だった。さらに言えば、生方氏の針の穴を通すような「応じ(増田流の概念でディフェンス&カウンターのこと)」の一手は、絶妙だったように思う。しかし、その応じを見事に躱す、羽生名人の将棋の上手さが光った。

正直言えば、素人の私でもわかる展開というのは、果たしてレベルが高いのかどうかはわからない。また、将棋もまともに指せない私が偉そうに解説していることを大目に見て欲しい。色々と物事の本質を考え、それを書き記すブログは、私の趣味であり、精神安定剤を服用するようなことなのだ。

しかしながら、行方八段と羽生名人の対局は、本当に面白かったのではないかと思う。また、この対局は序盤、行方八段の方が攻勢だったようだ。それを羽生名人が防御巧みにしのいだという感じか(私は序盤の棋譜を見ていない)。さらに終盤も棋譜を見直せば、行方八段に勝機があったかもしれないと解説者がいうほど、接戦だったようだ(私はテレビで終盤の解説をみた)。

最後に、羽生名人がもう一勝すれば名人戦は終わる。

私の直観だが、終盤終始、守勢に回った羽生名人は、この対局を楽しんでいたのではないだろうか。一方、行方八段には攻め手が見つからなかったという後悔の念があるのではないだろうか。しかし、周りは行方八段の闘志に感動していたのではないかと想像している。また、今回の名人戦は、色々な面で面白い勝負になっているようだ。

7番勝負の第4局、1勝3敗の行方八段は崖っぷちに立たされた?否、私はこれからがが勝負だと考えたい。相手が崖に突き落とそうと、急ぐところを、逆に崖から突き落とせば良いのだ。そのように言えば、その道の達人達の勝負を「矮小化しすぎだ」とのそしりを免れないだろうか。

とにかく、私は行方八段を応援する。しかし、僭越ながら、勝負として考えるならば、相手に将棋を楽しませるようではいけないと思う。勝負師は相手をびびらせ、不安にさせなければならない。また、時には逆に相手を調子づかせるのもありだ。つまり、相手を欺き、騙し、同時に自分はそれを楽しむようでなければならない。私はだめ勝負師であるが…。

追記
後で新聞を読むと、この序盤は、羽生名人が積極的に攻撃を仕掛け、行方八段がそれに応じる形だったらしい(私は終盤の解説のみを聞いた)。また、生方氏が優位に進めていた対局のようだ。
残念だ。しかしながら、羽生名人が行方八段という好敵手と相対し、将棋を楽しんでいるのだと、私は確信している。


追?追記?
パッキャオVSメイウェザーのボクシング、羽生VS生方の将棋、その戦いに内在する創造性と普遍性。そんな戦いができる空手武道・競技を創りたいと私は夢見た…。また、そんな競技・勝負をしてみたかった。高い身体能力と闘志があったときに…。私が空手家でいる間、そのような意識が念頭からなくなることはないだろう。しかしながら、そんな空手競技は、まだない…。しかしながら、そのような創造性と普遍性は、競技(ゲーム性がなければ生まれてこない)でなければ生まれてこないとも言っておく。もちろん、競技だけが空手の全てではないことを理解した上で…。






Viewing all articles
Browse latest Browse all 480

Trending Articles