【100人組手】
そのような「応じ」の術を掴むために、私は100人組手という修練を行った。
私にとっての100人組手の意義は、応じの真髄を掴むためである。
その真髄は、分別による迷いのない、真心で動くことである。それが難しい。
真心については、時間がないので、再度、話を端折りたい。
さて私は、100人組手によって、スタミナを身につけた?打たれ強さを身につけた?あきらめない精神力を身につけた?
答はどれもNO(いいえ)である。100人組手の後、私の体は壊れた。
その本当の理由は、誰も知らないはずだ。拙著には少し書いたが、いつか補足を加えたかった。簡単に述べれば、私100人組手は一人2分間であったここと。また、「にぎり棒」というものを両手に握り、相手の突き蹴りを流したり、捌いたりすることが制限された。指が自由に使えないということは、蹴りの受け流しに支障をきたす。それは短時間の戦いならば、問題ないが3時間以上ともなると、なかりの身体的ハンディなのだ。
話を戻せば、私は100人組手の後、1ヶ月の入院を含め、約半年後に世界大会に臨んだ。その時、私には打たれ強さもスタミナもすでに奪われた状態で戦わなければならなかった。しかしながら、体力がないという状況は、「後の先・応じの組手」の感覚を研ぎ澄ました。
ゆえに試合では、無駄打ちをせずに体力を温存できた。また、ダメージはほぼゼロに近かった。
おそらく、なぜ決勝で増田は攻めないのかと、思った人も多かったと思う。TVで見ていた観客もそう思っていたそうだ。
しかし、戦い方は間違ってはいない。ただ、私の拘りやすい性格は、理想の空手のスタイルを捨てられなかったのだ(理想を捨てて勝ちを目指すというような選択はできなかった)。カットされたものでない映像をしっかりと検証すれば私の言っていることが必ず理解できるはずだ(真の戦いがわかる人間ならば)。
私は、人がどう判断しようと、誰にも負けてはいない(勝ってもいないが)と思っている。事の本質は、空手レベルが変わり、元のレベルに戻ることができなかったということである。
それが苦しみの始まりである。それが今持って続いている。言い換えれば、私は極真空手における勝負の価値観に迎合することはできなかったということだ。
補足を加えれば、勝負が3分で終わるとは決まっていない。勝負はいつ終わるかわからないのである。最後の最後まで、相手に只応じる。負けないように。そして、相手に崩れが見えた時…。それが武道だ。最後の最後まで自分との戦いである。また相手を知り、己を知る道でもある。
「勝ったと思っている人間に道を説くことはできない」私はそう思う。
武道は勝負の道だという人がいるが、私はそう思っていない。
今の私には、上手い言葉が浮かばないが、「自他を最高に生かす道が武道」だと思う。
またまた脱線するが、20年近く前、北鎌倉にある松ヶ岡文庫に古田紹欽先生を私は訪ねた。
禅の哲学に傾倒していた頃だ。私は同郷の鈴木大拙先生の全集を読みふけった。また、同じく同郷の西田幾多郎先生の哲学にも傾倒した。
それは、私がお世話になった、永江トレーニングセンターのオーナーの永江さんのお宅へ挨拶に伺った時、金沢には偉大な哲学者がいると教えていただいたことに始まる。その偉大な哲学者が西田幾多郎と鈴木大拙であった(ちなみに西田先生は石川県羽咋郡の出身だったと思う。白砂青松、海の近くの西田記念館を私は訪れたことがある)。
私は、金沢にある鈴木大拙記念館?(金沢するさと偉人館?)を訪れ、そこの館長に鈴木大拙先生の高弟方の住所を教えていただいた。
その中の一人、故古田先生が、鈴木大拙先生の創設した、松ヶ岡文庫長をしているということで、先生に手紙を出した。古田先生に訪問を快諾していただいてからの訪問だった。
その時、私は鈴木大拙先生の書斎を見せていただいた。庭を望む小さな書斎だったが、先生はそこで数多い著作を行ったそうだ。
また、古田先生は、私に鈴木大拙先生の返り点入りの、臨済録の原本を手渡してくれた。そして「常行一直心」という言葉をいただいた。鈴木大拙先生が揮毫する際、好んだ言葉らしい。
私は、いつもそんな生き方をしたいと思ってきたが、あまりにも程遠い生き方にとても恥ずかしい思いがしている(危機感を感じるほど嫌気がしている)。また、先述したように、応じを突き詰めれば、一直心の境地に至ると、私は思っている。
【気が生まれる】
応じの話に戻れば、応じは「1、2」が「1」になるように修練しなければならない。さらに無数の自分の中での「1、2」が、また相手との「1、2」が円環し、繋がっていく。それを「1」と表現したのだが、禅で用いられる「円相」のようなイメージと言っても良いかもしれない。それは、自他全体を俯瞰するような視点からしか見えないだろう。
そのような、境地に至った者には、一種の「気」が生まれる。
私は「円相」「気」などという抽象的な表現は良くないと思ってきたが、そのように例えることしか今の私のレベルではできない。
さらに続ければ、私の考える武道の究極は、「応じ」の訓練を通じ、「多即一、一即多」の境地を目指したいと考えてきた。さらにその先には、体力が落ちても、最後の最後に残る「気」のようなものが永遠に働き続けているように直観するからだ。その直観を具体化するために、今一度、一つひとつの武技を見直したい。体の使い方の面からも。その先は、技や術のレベルを超えたレベルだが…。
最後に、このブログはメモ書きである。このようなメモ書きをしているのは、これまで私の道場で行ってきた昇段審査の組手において、応じを追求する姿勢が見られなかったからだ(過去においても見られたとは言い難いが…)。ということは、私の武道理論、哲学が伝わっていないということだ。
そのことに、反省と方向性の修正を加えなければならないと、私は考えている。
もちろん、私の道場の黒帯は、格闘家としての強さということではなく、道場生として、また一人間として素晴らしい。また、立派な社会人として空手武道の修練に真摯に取り組んできた人たちばかりだ。
しかし…である。私は今、限界を感じている。
その限界を越えるために、特別修練コースを設け、競技や相対的な強さの枠にとらわれない、道を求める修練を行う者を募集したい。
私の脚はまだ完治しない。しかし、このまま衰えをただ待つわけにはいかない。
黒帯有志に呼びかけ、私が生涯をかけた、空手哲学をさらに深める研究を、共にしてくれる仲間を集めたい。そして、素晴らしい「気」を生み出すような武道を研究したい。
蛇足ながら、頭も劣化し(元々よくないが)、体力も衰えていく中、今もどうしょうもない思索を続けている。
正直言えば、もう止めよう、もう止めようと思いながら生きている。しかし、最後に一つだけこだわりたいものがある。それが、私の孤独感をさらに深めようとも、そこを突き詰めなければ、先に進めないというのが、私という人間だ。
12-24一部修正
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組手修練について〜その2
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