組手修練について
【組手修練の意義とはなんだろう?】
組手修練の意義とはなんだろう?
自分の心技体のレベルを確認する手段?
相手に勝つ事?
自分の技を高める手段?
自分の体力を鍛える手段?
稽古の目標?
私が初めて組手を行った時のことを思い出してみる。
当時は組手と試合の違いを分けて考えられなかった。
また、柔道などの組技主体の格闘技と違い、空手は突き蹴りが体に当たる。
当たると痛い。ゆえに突き蹴りに対する恐怖心があったのだと思う。
私は無我夢中で組手を行った。また、入門当初から、いつかは組手を行わなければならないと思うから、先輩の稽古を必死で盗み見た。また、道場稽古後も体力トレーニングを積み、防御法を考えた。
そのような事の積み重ねに、現在の空手家としての私がある。
【攻撃は最大の防御?】
はじめは、攻撃は最大の防御なりと、相手に反撃の隙を与えぬよう攻め続けた。
そのような組手をすればどうなるか?
私は体力とわずかな空手の経験があったので、攻撃は最大の防御となった。
しかし、体力のないものがそのような組手を上級者と行えばどうなるか。
いたずらに体力を消費し、そのために隙が生まれ、そこを上級者につけこまれたら、ダメージをおう。相手が寸止めをしてくれればまだ良いのだが、寸止めでは、技の効果が初心者には伝わらないだろう。結果、初心者は一層、必死に攻撃をすることとなる。恐怖心の裏返しとして。
そうなると、余裕のない上級者は、未熟なものに突き蹴りの攻撃を強く当てざるを得なくなる。なぜなら、相手に技の効果と相手の未熟さを伝えるために。
その結果、伝統派の空手では、前歯がなくなる。フルコンタクト空手では、あばらが折れたり、顎を骨折したりする。また、ローキックで歩行困難となる。
そのような中、「ここで負けてなるかと頑張る者」「空手はこんなものだと鈍感なもの」また、「上級者の前では力を出さず、逃げ回り、先述のような状況を回避しようとする者」などだけが道場に残ることとなるだろう。
私は、先述のように考えられない人たちに空手の良さを伝えたかった(それがそもそもの間違いだったかもしれない…)。
組手修練に臨む前提として、体力を向上させるのは当たり前である。
しかしながら、体力の向上や維持がすべての基本だとしても、組手を勝負と考えると限界がある。
なぜなら、体力は相対的で、より強いものに対した場合、無力化する場合があるからだ。また、体力は不滅ではない。ゆえに体力が前提の修練には限界があるのだ。ただし、その限界を越えようとするものが一部のプロフェッショナル・アスリートである。その意義は認める。しかし、一般の空手愛好者、武道を習うものの意義はそうであってはならないと思う。
【応じ】
私は、なるべく自分の体力を消費せずに戦う技術や力を身につけたいと考えてきた。それが「応じ」を重視する組手修練である。
「応じ」のレベルが上がれば、相手を粉砕することはできないかもしれないが、自分が粉砕されることを防げる。また、相手のわずかな崩れをついて、相手の戦闘力を奪い、自分が生き残ることができるかもしれない。
そのような生き残る術と哲学を包含したものが武道だと私は考えている。
様々な表現ができるが、いずれ丁寧に記述したい。
私が「応じ」ということを考えるに至ったかといえば、極真空手のトーナメント試合を数多く経験したからだ。
私は極真空手のトーナメント試合において、身長2メートル、体重100キロ前後の巨漢で体力、技術もある選手と力対力の勝負を誰よりも経験した。
その経験の中では、自分よりも体力があると思われる選手と何回も延長戦を戦い、さらにそのような試合を同日中に、複数繰り返すという、状況に幾度も置かれた。そのような状況では、1試合でダメージを受け過ぎれば、次の戦いに不利になる。ゆえに、ダメージを極力少なくしながら戦わなければならなかった。
また、3日間を通し8試合をこなすような試合設定は、心理的、体力的にかなり極限的な条件となる。
そのような条件では、体力が必要なことはいうまでもない。しかし、体力があるだけでは十分ではない。圧倒的な体力があれば、体力だけで事足りるが、相手も体力レベルが高い、いや自分以上にある場合は、いかに自分の体力をロスせずに、相手の体力を奪うかという戦い方ができなければならないのだ。
話を端折って進めれば、先述のような闘い方を突き詰めた形が、「後の先」の戦い方である。私が「応じ」というのは「後の先」という戦法・戦術である。
サッカーなどのボールゲームでもそのような戦術は見られる。
サッカー風に言えば、「ディフェンス&カウンター」である。つまり、相手の攻撃を防御すると同時に反撃を加えるというものである。
断っておくが、ここでいう「応じ」「ディフェンス&カウンター」「後の先」とは、
防御と攻撃(反撃)が分離しているものではない。究極的にはクロスカウンター、すなわち交差法のように作用しなければならない。
ゆえに、防御が1、反撃が2というような、「1、2」というリズムではまだ初心レベルである。それは単なる「受け返し」である。私のいう応じとは、基本形としては受け返しだが、目指すところは異なる。
(その2に続く)本日の稽古指導後にアップする予定です。興味があればお読みください。
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組手修練について〜その1
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