私の道場の会報ができあがった。私の膝の手術前に行った、交流試合の特集だ。
試合(競技)に挑んだ者達の労をねぎらうためにも、会報を仕上げている。
これから、編集後記を挿入し校正して終了である。
以下に編集後記を掲載したい。
今回の編集後記から私の競技論を汲み取れる同志と、いつの日か、大いに語り合いたい。
【追記】
現在、膝のリハビリ中の私だが、良き出会いがあった。
それは、全身全霊を傾けて、アスリートのサポートの仕事をしている、整形外科医の間瀬先生や理学療法士の佐藤先生との出会いである。また、リハビリに励む、多くのアスリート達を目の当たりにして、思うことがあった。
過去にも、アスリートのサポートを行う「八王子ビックベアー」の大隈さんやなるさん、和田さんなど、アスリートのサポートを専門とする人達との良き出会いがあった。私の大切な思い出の一つである。思い出すと胸が「キュッ」と締めつけられる。
私は若いころ、空手競技と真剣に向き合った。同時に、思春期における挫折の苦しみを空手競技に打ち込み、緩和してもらったと思っている。ゆえに空手に人並みならぬ愛情があり、恩返しをしたいと思うのだが、大きい夢を描きすぎるようだ。
私は今、空手をもっと気高いものに昇華したいと思っている。しかし、駝鳥が白鳥になりたいと願うようなものかもしれない。
ゆえに、今も学び続けながら、懊悩している。また、新しい武道スポーツ(武道競技)の構想・シナリオに修正を加えているが、困難を極めている。しかし、気力を振り絞り、競技論と共に仕上げたい。
編集後記
試合に勝って嬉しそうな顔。苦しそうな顔。負けて泣きそうな顔。負けてたまるかと懸命な顔。
そこには様々な顔があった。私は交流試合における道場生の姿から、様々なメッセージを受けとった。
その様々なメッセージを処理する際の私の基準は「空手がみんなの人生の役に立っているか」である。
私は、競技によって、すべての人に共通の所与・思いを育みたい。さらに、その思いを共有することで、みんなの心が繋がっていけばと思っている。そこには勝者も敗者もいない。
私のいう共通の所与・思いとは何か?抽象的な表現を許して頂くならば、「他者との対峙を通じ、人間の本質、そして自己の魂に気付くこと」。それが競技の意義だと私は考えている。
それは挑戦という価値観を基盤にしている。挑戦する者は美しい。そして、真に挑戦する者の姿は、異なる信念を有する他者との和解を促すものであると信じたい。(増田 章)
11-22 一部修正
11-23 一部修正
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競技について〜編集後記
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