「僕は1勝9敗のダメダメ男です」
「えっ?」
「本当は、その1勝だって、怪しいと思っているんです」
「???」
先日、小山郁先生の上梓する書籍の本に挿入する体験談の取材でのやり取りである。そこには、盟友の荻野先生、小山先生も同席していた。
稽古後のよれよれの状態、しかも時間も夜遅くだった。
限られた時間、通常の早口が、さらに早口になった。
本当に恥ずかしい。身内には、「どうせ、性格は直らないんだから、反省するの、止めたら」ときつい言葉を浴びせられる毎日である。
しかし、私はあきらめない。失敗の経験から、理想のあり方を、何度も何度も心の中でイメージし、それを目指した行動を反芻していく。そうすれば、イメージ通りにはならないかもしれないが、本当の個性、人間の味がでて来る。そのように思っている。
そう言えば、大山倍達総裁の生前、私は自宅に招かれたことがある。その時だったか、総裁室で言われたのかは定かではないのだが、「極真のチャンピオンはみんなハンサムだ」と言われた。そして、それを言った後、私の顔を見ながら、少し困った顔で、「うん、増田君もなかなか味があるよ~」とフォローしてくれたことを思い出す。
偉大なる師に対して不遜であるが、正直で憎めない人柄だった。弟子なら当たり前であるが、大好きな人だった。
【1勝9敗のダメダメ男のクロスオーバー体験論~その1】
さて、編集者は私に以下のような質問を投げかけて来た。
「子供の頃のスポーツ体験は?」
「陸上をやられていたと聞きますが・・・」等々
文言は正確ではない。私は「子供の頃は、毎日、学校が終わるとグラウンドにみんなで集まり、ソフトボール(野球の代用)、サッカー、ドッジ・ボール等をやっていました」というように応えたように記憶する(大体)。
編集者は、すかさず問いかける。
「子供の頃、運動神経は良かったんですよね?」
私は、「うーん、3~5番内でしょうか」
その後、私はその応えの意味を説明し始めた(編集者の方は、早く本題に入って欲しかったかもしれない)。
私が小学生の頃、私の回りには、野球をやれば、私よりより上手い奴がいた。
しかし、私は、その上手い奴からサードのポジションを奪った。そして、彼をショートやセカンドに追いやった。なぜなら、私は当時、長島茂雄が大好きだった。ゆえにサードを守りたかった。しかし私は、トンネルを良くする、ダメダメサードだった。
但し、バッティングは1、2を競っていた(バッティングも大したことはなかったが・・・)。
自覚はないが、ガキ大将だったかもしれない。
その守備の上手かった友達はその後、中学で野球部に入り、高校では星稜高校の野球部員として、甲子園に出場したように記憶している(調べれば分かるが、記憶が定かではない)。
私は走るの早くはないが遅くもない。身体がでかい割には早い方だという程度である
(先述の野球のうまい友達は、私より足が早かった)。しかし、跳び箱や徒手体操は得意だった。
要するに、何でも上位クラスだが、トップではないというのが、幼少の頃の私だ。
私は、半ばジョークのつもりで、「格闘技(喧嘩)は1番強かったと思います」と付け加えた(笑い)。
笑いながら編集者が、「要するに、運動に関してはオールラウンドだったということですね」と切り返して来た。
私は「まあ・・そうです」と照れながら応えた。
私は、さらに運動体験を語った。私は、空手は小学生から始め、中学ではクラブには入らなかった。空手をやるためである。しかし、その空手も伝統派の空手で、私には合わなかった。その後、大山倍達のことを本で読み、極真カラテをやりたいと思うようになった。しかし、私の郷里には極真空手の道場はなく、仕方なく自己流で身体を鍛えていた(オタクっぽい少年だったかもしれない・・・)。
その辺で編集者が質問をしてきた。
「中学では何もやらなかったんですか?」
私は、「いいえ」「柔道をやりました」と応えた。
(話は続く)
[補足]
この話は、空いた時間に少しづつ書き続けます。結論はシンプルなのですが、そこに至るプロセスを記しておきます。
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1勝9敗のダメダメ男のクロスオーバー体験論〜その1
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