今回は、ご恩のある馳浩先生(衆議院議員)への思いをこれまでの御礼を兼ねて、手紙風に書いてみたいと思います。
尚、大会参加選手への思い、大会スタッフへの思い等は、機会を見て、掲載したいと思っています。
【拝啓、馳先輩】
拝啓
東京は先週とは一転して、陽春を思わせるような日となっております。
先輩におかれましては、懸命に公務に励まれていることと存じます。
さて、第2回フリースタイルカラテチャンピオンシップ東京オープンを無事に終了いたしました。
また、馳先輩、いつも暖かい言葉をありがとうございます。
先輩と言うと馴れ馴れしいかもしれません。今や石川県やレスリング界のみならず、スポーツ界や自民党を代表するリーダー、手本のような人ですから・・・。
でも、私が星稜高校柔道部と永江トレーニングセンターにお世話になっていた時からの先輩ですから、どうかご容赦下さい。
先輩は、いつもスポーツ選手の手本のような人でした。高校時代、学校の教室を使った柔道部の合宿があった時、レスリングの先輩が柔道部の合宿(練習だけだったかもしれませんが)に参加していたように記憶します(確かではありません)。その時先輩は、「俺の首を絞めてみろ」と言って、首を絞めさせていたように記憶します(笑い)。
また、私は先輩のロサンゼルスオリンピック出場を賭けた選考試合(全日本選手権だったかもしれません?)に応援を兼ねて、写真を撮りに行ったことがあります。
そんな事ができたのは、当時の極真空手のオフィシャルカメラマンだった講談社の小林さんにお願いしたからです。私は小林さんに報道カメラマンのパスをもらいました。
その時の先輩の直向きさには、とても驚いたと同時に感銘を受けました。その時のことは、今でも忘れられません。
先輩は、代々木第2体育館に布団を持ち込んでいました。もしかすると、前日から泊まっていたのではないかと、私は驚いたことを憶えています(おそらくそこまではしないとは思いますが・・・)。
また先輩は、布団の上で禅僧のように精神を集中させているようでした。その時私は、先輩のオリンピック出場に賭ける思いの強さを感じました。
さらに先輩の優勝が決まった時、先輩の大学の仲間達が大勢、祝福に駆け寄っていた場面には感動しました。同時にうらやましく思いました。おそらく、レスリングの仲間ではなく、大学のゼミか何かの仲間・友人だと思います。なぜなら女性も多く含まれていたからです。先輩は、文武両道の方ですから、学業も大切にしていて、おそらくレスリング以外の学生とも親しくお付き合いをしていたのだと思います。本当にその時の光景が忘れられません(みんなが先輩を祝福する、本当に素敵な光景でした)。また、先輩はスポーツマンの手本だと、その時に感じました。
私の学生時代は先輩とは正反対のようでした。本当は反抗的・反逆的な生き方等、したくはありませんでした。でも思春期の私は甘えていたのでしょう。しかし、人それぞれ性質や家庭環境などの境遇の違いがあるので、仕方ないとも思っています。但し、その代償は本当に大きかったです。30才を越えても、学生時代の悔しさが忘れられず、時々、夢でうなされていました。
もう忘れても良いかなと思っていますが、結構深い心の傷です。しかし、ブログですからもう少し書かせてもらいます。
実は星稜高校の後、私は石川県立、鶴城高校に通いました。その時のことはこれまであまり語ってきませんでしたが、本当にすばらしい仲間と出会うことができました。
例えば、陸上部の顧問だった日体大陸上部出身の加藤千草先生やスキーを一から教えてくれた石浦君、柔道部の工口君、野球部の森君、本当に大勢の素敵な男子、女子に出会いました。私は彼らのことを忘れてはいません。
特にスキーの経験からは、スポーツのみならず武術にも重要な体重移動の原理や自他一体の原理等、様々なことを学びました。スキーから学んだことは私の空手理論の中に活かされています。それは秘術というようなものではありませんが、すべてに通じる普遍的な事柄、そして真理へ繋がる事柄だと思っています。私はその事柄について、35年以上も前から、まとめたいと思っています(しかし、もう少し研究時間が必要です)。
ゆえに私の人生観を一言で言えば、「人生万事塞翁が馬」そして「禍福はあざなえる縄のごとし」です。
今私は、数多くの失敗と試練から得たことを、将来世代を生きる子供達に伝えていきたいと思います。同時に、どんな失敗も活かすことができるということを・・・。
話を戻せば、先輩の専門のグレコローマンのクラスは、ほとんどの選手が先輩より身体が大きく見えました。グレコの選手は今もそうですが、上半身の大きい選手が多いと思います。試合は途中まで五分だったように記憶します。しかし、先輩は最後の最後で、技を決め、ポイントを取って勝利を得ました。
本当に善いものを観させて頂きました。
それから、お付き合いはなかったですが、先輩がプロレスの世界に入り、スターになったことを同じ格闘家として、励みにしておりました。
その後、先輩は政治家になりました。そして苦労をされたと思います。私は微力ながら応援をしたいと思っておりました。しかし、いつも応援ができず、悔しく思っていました。
そんな甲斐性のない私を、先輩はいつも見放さず、暖かく受け入れてくれます。
本当にありがとうございます。またいつも暖かい応援の言葉を頂戴し、感謝申し上げます。
お世辞ではなく、先輩の真面目な政治活動は、政治に無縁な私にも届くぐらいです。
私は先輩のようなスポーツマン、そして青少年の教育や支援に熱心な政治家は少ないと思っています(残念ながら)。
今回、私が主催した大会は、本当に小さな大会です。人は笑うかもしれません。また、先輩をお呼びするような大会には、まだ至っていません。
しかし、志の高さ、そして私に協力してくれる仲間の純粋度は、どの大会にも負けない自負があります。
今回も、大会ができるような状況ではないぐらい、直前まで困難続きでしたが、私の古くからの友人の支え、そして道場生の支えで、無事、大会を終えることができました。今回も、困難の中だからこそ、本当に心を許せる、信頼できる仲間と出会うことができたのだと思っています。
ここで、そのご報告とお言葉の御礼を述べさせて頂きます。
押忍
追伸
昨年、20年以上も続いた道場を移転しました。その際、写真学校時代のネガの入った段ボール箱が何故か道場の倉庫からでてきました。
もしかすると、先輩の写真があるかもしれません。昔、先輩から写真の焼き増しを頼まれた記憶がございますが、今回の引っ越しで、捨てたと思っていたものがでてきました。少し落ち着きましたら、ネガを調べてみたいと思います。
また、振り返れば、先述の小林さんには本当にお世話になりました。それなのに私は、小林さんに何も恩返しもできていません。本当に恥ずかしく思います。
これを機会に、自分の人生を整理してみたいと思います。そして心機一転、仲間や家族を大事にできるように、頑張りたいと思います。これからもご指導の程よろしくお願いします。
【おまけ】
私の大好きな河島英五さんの「いくつかの場面」~最高です!!
高校生の頃、僅かな期間ですが引きこもっていました。その時ラジオから流れてきた、河島英五さんの「どんまいどんまい」という曲に勇気をもらいました。もう英五さんは、逝ってしまいましたが、私の大好きなアーティストの一人です。
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拝啓、馳先輩
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