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Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
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永遠のゼロを観て風邪が治った??

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永遠のゼロを観て風邪が治った??

【最近の状況】

2月23日の大会の選手の応募を締め切った。
これから選手への連絡及び組み合わせ等々、仕事が山積している。
また、昨年の道場と事務局の引っ越しの残務、さらに道場指導を毎日こなさなければならない状況だ。恥ずかしい話、手が足りない。

また今週は、過労がたたり、風邪気味であった。あまり無理をしてはいけないと自制するが、仕方ない。薬と気力で、なんとか発熱は避けられた。

金曜日の指導が終わった日は、夜のPC業務は程々にして、薬を飲んで寝た。
病院の薬が効いた。土曜日はだいぶ楽になった。しかし、多少のしんどさはある。

しかし、仕事を先送りにすれば、もっと大変になる。いつものようにドリンク剤を飲み、パソコンに向かう。なんとか仕事が一つ片付きそうだ。

気を良くした私は、現在、話題になっている「永遠のゼロ」という映画を観に行った。レイトショーである。明日は、10時からフリースタイルカラテの大会に参加する選手の練習会がある。「早く寝た方が良い」との考えが頭をよぎる。

しかも明日は、1時から新宿で会合がある。完全にオーバーブッキング状態である。でも、どうしても映画で気晴らしがしたかった。

私は映画鑑賞が好きである。好きな気晴らしの一つだ。

プロの自覚が足りないと言われるかもしれないが、金曜日の夜、早く寝て体調が少し改善したことを良いことに無理をした。

【「永遠のゼロ」を観て、風邪が直った】
前書きが長くなったが、「永遠のゼロ」を観て風邪が治った(ような気分になった)。
女子のようだが、ジャニーズの岡田准一がとても格好良い。また演技も良かった。私は彼のファンになった。また、ベテランの役者の演技もさることながら、若手の役者の演技がとても良かった。名前はあげられないが、今後注目していきたい。

ブログの冒頭に情けない話を書いたが、映画観賞後は、「風邪が治った」というような気分にさせる程、心が晴れ晴れとした。

何が良かったかを細かくは書かない(観ていない人にネタバレになるから)。
しかし、何故、ブログに映画のことを書いているかと言えば、この映画をみんなに観て欲しいからである。

しかし、この映画は一部の人達、また映画監督の井筒氏や宮崎駿氏に酷評されている。私は宮崎駿氏の映画が好きである。最近も「風立ちぬ」を観た。

彼らの言い分の共通点は、「永遠のゼロ」が戦争賛美に繋がるということらしい。
しかし、一体どこが戦争賛美なのだろう。

この映画のテーマは、「国のために命を捨てる」という軍国主義、国家至上主義的な思想の賛美ではない。また、戦争時にもすばらしい日本人がいたというような日本人賛美でもない。
なぜなら、この作品はフィクションだからだ。

私が感じたのは、理想のリーダーとは、不断に注意と準備を怠らず、愛する家族のことを思う人間であること。そして、それを護るために何が何でも生き残るという価値観の提示である。極論すれば、原作者である百田尚樹氏の価値観の提示である。

また回りがなんと考えようと、世論や場の空気がどうあろうと、ぶれない人間が真のリーダーであるということ。同時に、人間として原初的かつ普遍的な、自分の家族を護るという価値を人間として最も崇高な価値だと描いているのだ。

低俗な言い方でも良い。それが格好良い生き方だと描いているのだ。
ゆえに私は、主役の宮部を演じた、岡田准一がとても格好良いと先述したのだ。
勿論、彼のルックスはこの役柄にぴったりだった。他のジャニーズのメンバーだったら、彼のような凛々しさは感じなかったかもしれないと思う程・・・。

さて、宮崎駿氏は、「架空の話でもって零戦を持ち上げるなどけしからん・・・」というように、この作品を酷評しているらしい。
しかし、この意見には承服しかねる。

なぜなら、この作品は決して、零戦を持ち上げてはいない(持ち上げているのは宮崎氏の方だと揚げ足を取られるだろう)。
例えば、零戦は太平洋戦争の初期こそ、その性能は群を抜いていたが、中盤以降は、米軍に研究され、その性能をしのぐ、新鋭機(グラマン?)を開発され、全く相手にならなくなっていたのである。また、多くの致命的な海戦の敗北によって、空母や航空機、優秀な操縦士(パイロット)を日本は失っているのである。
その様子を、世界にも誇れると感じた、日本のCG技術を駆使し、描いているではないか。

また、映画中盤の日本軍並びゼロファイター達の状況は、稚拙な例えで恐縮するが、カラテで言えば、脚が肉離れして、フットワークが効かなくなり、さらに回し蹴りの威力もなくなっているような状況である。そんな状況では相手に攻撃され放題になるに決まっているではないか。

話を戻せば、むしろ宮崎氏の「風立ちぬ」の方が戦争肯定に繋がると言いたくなる。なぜなら、日本人の考え方の欠陥をついていない。そして、それが敗戦の原因を忘れさせるのではと言いたい。つまり、あの映画は、「戦争はいけないが、堀越氏は日本が誇るすばらしい技術者であった」というようにもとれるからだ。それは、厳密に言えば間違っている。美学という我々の感覚の中に隠れている弱点とは何か(それが良さでもあるから厄介だが)。

私の考えでは、そもそもアメリカの兵器には、兵器が駄目になった時に兵士を護る考えが多く含まれている。誤解を恐れずに言えば、兵器が駄目になった時、兵士(人間)が逃げられるように考えられているのである。

はっきり言おう。日本人の技術者のみならず、政治家やリーダーに一番欠けている価値観がそれである。つまり、いざとなったら逃げるということ。言い換えれば、負けたと観られても、逃げて再起を期す。そのような戦略観なのだ。

そのような価値観、戦略観とでもいう考え方の欠如が、今もって日本人のリーダーにもっとも欠けている価値観ではないだろうか。

ここまで書いてきたことは、すべて私の思い過ごしかもしれない。しかし、百田尚樹氏のメッセージは、時代が喧伝する(新聞やメディア)美学に振り回されることなく、「人間として最も普遍的な価値観を大切にせよ」ということだと思っている。

そしてそれは、日本人だけというものではない。あらゆる国の人達に内在する価値、すなわち家族を思い、親を思い、先祖に感謝する。そんな単純で当たり前のことを大事にしようということなのだ。

しかし、そんな単純で当たり前のことが、国家対国家という戦争という状況の中で実践することが、如何に困難なことかということでもある。

それは「愛している」というような生易しいことではない。「身を殺して仁をなす」。それこそ、いつかは果てる命を、全身全霊で輝かせ、その命のリレーをつないでいくこと。本当は、とても苦しく、勇気のいることなのだ。

兎に角、侃々諤々、話し合えば良いだろう。これからの日本、そして日本人について。

蛇足ながら、私はこの映画を観て危惧したことがある。それは軍国主義や全体主義に傾倒し易い、つまり長いものに巻かれろ的な私達が、自分の身体と心でしっかりと考え抜くこと(これは宮崎氏のテーマでもあるはずだ)。

その考えた結果が、「やはり全体の幸せより個人の幸せが大事だ」というような個人主義に傾くのではないかということだ。

私は、国のためにとは言わないが、やはり自分の家族のみならず、他者の家族も不幸にならないよう考えたい。そして国としてより善いシステムを構築し、みんなが共存共栄できるようになったら良いと願っている。








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