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Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
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オリンピック2020年開催地は何処か?

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本日、2020年、オリンピック開催地が決まる。

我が国は、政官民が協力し、オリンピック招致に向けて頑張ってきた。
私は、日本国でオリンピックが開催して欲しい。

しかし、理論的に考えれば、日本開催は難しいと思う。
ここで矛盾がある。オリンピック並びにIOCは理論的に動いているのかと言う疑問である。

正直、理論的と言うと大袈裟ではある。しかし、ここで私が言いたいのは、オリンピック開催地の決定は、数値で決まるわけではないのでは?ということだ。
なぜなら、最後は委員の投票で決まる。つまり、投票ということは、委員による旗判定のようなものなのだ。つまり、委員の気持ちひとつで変わる可能性があるということだ。

ゆえに、旗判定、すなわち投票の基準は何なのか?

私は、そこから考えなければならないと考える。

審判に旗を揚げさせるには(投票させるには)、極端な例を挙げれば、委員に金を渡し、懐柔することである。さすがに、そのようなことはないとは思うが・・・。

さて、私が考える判定基準(決定の基準)は単純だ。

どの国で開催すれば、オリンピックのブランド価値を、一番上げるかである。

しかし、そう考えると、イスタンブールになってしまう(私の考えでは)。

つまり、安全性とか経済基盤とかは、絶対の基準ではないと思うのだ(インフラ的なことは、クリヤーされて当然だと思うからだ)。

また、マドリードがEU全体の経済効果を考え、有力視されているとの話もあるが、どうだろうか?

一方のイスタンブールは、東西融合の拠点、そしてイスラム圏の中で、最も西欧諸国に親和性がある地域のひとつだ。

その政治的意義は大きい。勿論、経済効果もあるであろう。

現在、トルコには問題があるようだ。

しかしながら、現状では難しいが、本日のトルコの代表のプレゼン次第でその問題を乗り越えることも可能かもしれないと思っている。つまり、代表のプレゼン次第で、イスタンブールの有する問題点を払拭する可能性はあると考えるのだ。

他方、我が国(日本)は、経済的側面ばかりを強調すれば、自国の利益ばかりを追求するようにも取られかねない。

また、福島の問題に対する考え方を明確にしなければ、オリンピックの人類の平和共存というようなテーマ、また、ブランド・イメージにそぐわないと判断される可能性がある(あくまで、トルコに比べて)。

ゆえに、福島の問題に関しては、我が国が、原発に対する明確なビジョンを示す必要があると思う。東京は安全だというだけでは、不十分のような気がする。なぜなら、福島の問題、原発の問題に、もっとビジョンを示したほうが良いと思うからだ。

私の考えは、2020年までに、原発を半分以下にし、更に新たなエネルギー政策を実現するモデル国となるというような政策を打ち出すのもひとつだと思っている(勿論、ことは簡単ではないことはわかっているし。私は自民党支持者だが)。


繰り返すが、IOC委員が理論的に判断、判定しているとは限らない。また、IOCの判定基準(判断基準)と私の判定基準と同じとは限らない。

しかし、ある一定の基準はあるよう思うのだ。
蛇足ながら、一番重要なのは、恒常的なロビー活動と金であろう。みもふたもない言い方になるが・・・。つまり、絶えず外国と親身な交流をし、IOCにお金をもたらす国が、一番強いということだ。

さらに言えば、そのような本体を隠すためにも、普遍的かつ理論的な判定基準が必要なのだ。そして、その判定基準が、先述した私の判定基準なのだ。

私は、今回のオリンピック開催国決議を、無謀なプロジェクトを行なっている変人として、自分の理論を試す試金石、また、修整の機会にしたいと考えている。



また、蛇足ながら、スポーツの価値を日本でもっと理解されるようにしなければならないと考えている。日本は、確かにスポーツが盛んだが、真にその精神と効用が理解されているとは言い難いと感じるからだ。


以上、恥ずかしながら、私の愚かな頭の中をさらけ出した。









$増田章の『身体で考える』


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