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Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
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フリースタイル空手とは何かを呻吟する〜その5

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再度、カーレースの例えを用いたい。

おそらく、カーレースは、直線での加速力もさることながら、コーナーの攻め方が重要なのではないかと思う。それは、早い動きの中で、自己の動きを制御し、かつ相手の動きを見切る能力だと思う。

本来、打撃技による格闘技者もそのような能力が必要である。

フリースタイル空手の試合では、カーレースでいえば、F1レースのようなスピード感はでないが、その代わり、コーナーでの駆け引きの能力のような、体捌き、接近戦での細かい技術の向上は見込めると思う。

また、スピードが制限されているので、安全性が担保され、繰り返しドライビングテクニックを練習できる。


断っておくが、直線でのスピードが制限されいると述べたが、直線での加速力は、オプションで練習すれば良いと思う。それでも、スピードとドライビングテクニックの限界に挑戦したければ、プロになれば良い。

繰り返すが、フリースタイル空手は、誰もが長く楽しめる、武道スポーツを目指している。


【MMAのような試合ルールについて】
少々脱線するが、格闘技や武術の世界では、いつの時代も、最強の武術は何かという命題が問われる。それは、武術や格闘技が、現実の戦闘(戦い)で身を守るものとなるのか、と云う問いでもあるだろう。

昨今、MMAが社会に誕生してから、少し変化が見られる。
私の考えでは、どのような格闘技がMMAで有効かという問いに変化しつつあるのではないだろうか。つまり、世間は、MMAを最強の格闘技者を決める“物差し”として認識しつつあるということである。

私は、最強の格闘技は何かというような命題と真っ向から勝負を挑むことはしない。

ただ、確かにMMAの場合、1対1の徒手格闘としては、よりリアルな感じがする。
また、見るスポーツとしてはエキサイティングなものだ。しかし、誰もがやれることではないし、やりたいことでもないだろう。

ゆえに、より価値が高まるのかもしれない。そして腕自慢達の気持ちがよりMMAに傾くのかもしれない。少なくともそのような循環が生まれているようだ。私はMMAとは異なる格闘技スポーツを構想しているが、それとは競合するつもりはない。また、プロフェッショナル格闘技スポーツとしてのMMAに関わることはあっても、対抗する気は毛頭ない。

初老の私の目指すことは、武道や格闘技界の裾野を広げることである。ゆえに誰もができる組手法と試合法を考えている。それが武道スポーツとしてのFSKだ。

しかし、それは、MMAの技術とは近似性がある。異なる点は、立ち技に限定していることや得点制を採用することだ。

誤解を恐れずにいえば、フリースタイル空手は、限定を設けた格闘技スポーツ、ゲームである。ゆえに、最強というような命題は掲げない。しかし、「格闘技を楽しむ」という命題を追求する。
勿論、そのゲームの枠内で最強のプレーヤーを追求することは、良いことだろう。

【武道における戦い】
また、武道が想定する、究極の戦いは、1対1、「初め!!)」で始まるような戦いとは限らない。

そのような多様で不確定な状態を、真の戦闘として想定するのが武道の究極だと私は考える。そのような戦い(戦闘)に対処、対応するには、どうするか?ここでは考察しない。

あえて言えば、人間洞察、すなわち行動分析と言って良いような、科学的な態度が必要とだけ言っておく。(続く)


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