私の考えはこうだ。既存のフルコンタクト空手の試合には、頭部打撃もなく、接近戦での組み合いもできない。ゆえに、そのルールで勝敗を競えば、間合いを制する眼と足捌きの養成が困難になる。
その状況を稚拙な例えで説明する。既存のフルコンタクト空手の試合は、カーレース(車のレース)でいえば、道が狭過ぎて、すぐにクラッシュする状態だということだ。それは、車の性能、ドライバーの能力を発揮ないということでもある。また、それは車の性能やドライバーのドライビングテクニックを向上させるフイードバックを得られないということだ。ここでいう車とドライバーとは、空手家のことである。そして、道というのは試合ルールのことだ。
私は極真空手の選手時代から、空手の本道について考えてきた。そして、既存の試合方法だけでは、空手の本道を掴めないと常々考えてきた。そのことについて少し話したい。打撃技格闘技の特性のひとつに、相手と離れた間合いからの機動性(足さばき・体捌き)を活かした、攻撃力が挙げられる。
また、そのような攻撃力は、離れた間合いから、相手を見切り、そしてロックオンする能力が含まれている。言い換えれば、相手の動きを予測し、それに対応する。そして、その状況で一瞬の隙を見極め、照準を合わせる能力だ。それを私は、眼と言いたい。そして、試合の本道は、それらの能力の向上にあると思うのだ。
つまり、空手の試合を本道に戻すには、頭部打撃を入れるという声が上がるのも当然である。
しかし、頭部打撃をフルコンタクトで入れれば、安全性を担保できなくなる。
では、寸止めならば良いかといえば、寸止めルールにも問題点はある。それは、技の判定がわかりにくくなるということだ。確かに寸止めからての足さばきには、空手の独自性を醸成する効果がある。しかし、フェンシングのように、デジタルで、正確にどちらの攻撃が当たったかを伝えられるのならば、わかりやすくなるが、現在はそうなっていない。
私の構想(フリースタイル空手)には、一旦、フルコンタクト空手、伝統派空手という枠を取っ払い、空手の本質、本道を考えることから始まった。
その結果、空手の本道を活かすためには、寸止め空手(伝統派空手)が有する機動力、すなわち、「間合い感覚と足さばき」、フルコンタクト空手が有する、「わかりやすさ」を融合する試合方式に至った。但し、頭部打撃は禁じている。
その理由は後で述べる。勿論、頭部打撃の修練は重要である。しかし、頭部打撃の直接的な修練は、それぞれの流派が、独自の方法で行なえば良いと考えている。なぜなら、フリースタイル空手の目的は、最強を決める手段を目指すのではなく、より格闘技や武道を楽しめるものとすることだ。言い換えれば、より多くの人に役立つ武道を目指している。
例えば、ボクシングから得られる能力、レスリングから得られる能力が、MMAで有効なように、FSKで得られる能力が、他のジャンルの役に立つようにすることだ。
私が想定する、FSKで得られる能力とは、柔軟で対応力のある、間合いの調節能力だ。私は、打撃技と組技の両方を使用可能とすることで、そのような間合い感覚が生まれると考えている。
【武術の本道は眼(心眼)と足さばき(体捌き)の養成】
繰り返すが、私は、打撃系格闘技の試合の本道(主眼)は眼と足さばき(体捌き)の養成である。私はそのように考えている。しかし、既存のフルコンタクト空手の試合ルールだけを行なえば、蹴り技や突きの威力や体力は向上しても、空手や武術の本道を見失うだろう。
車に余り興味のない私が、再度カーレースに例えて、状況を説明したい。
既存の試合ルールは、試合のための道路が狭過ぎ、直線距離でのスピードや制動能力が試せないような状態に例えられる。また、コーナーでのハンドリング技術やブレーキングというようなドライビングテクニックのような技術・能力が発揮できないような状態ではないかと思う。
そのようなルール設定(枠組み)の中、選手(車)は、抜け道を見つけだし、ゴールに到着するタイムだけを問題にしている状況である。
そうなれば、本来の道路でみせる性能ではなく、抜け道を活用する能力、裏道を活かし勝つ方法を、競い合うことになっていく(例えるならば、ラストの手数アップというような戦い方や間合いを詰めて、直線的な技を無効にするような戦い方を指す)。
おそらく、カーレースの場合、直線道路でのスピードアップと、コーナーの攻め方等の絶妙の配分が、レースの勝利に影響するのではないかと思う。
つまり、私は、車本来の能力を、発揮できないような状況の根本原因を考え、それを改善したいと考えたのだ。
【安全性の担保】
ここで頭部打撃を禁じた理由について述べる。先ずは、安全性の担保である。私は、FSK(フリースタイル空手)を武道スポーツとしたいと考えている。その理由は、誰もが武道を体験できるようにしたいからだ。また、誰もが体験できるようにしてこそ、武道が社会に貢献するものとなると思うからだ。
また、運動能力に劣等感のある人を、武道の体得者にしてこそ、本物の武道だと私は考える。
そのためには、複雑さと安全性を絶妙のバランスで配合しなければならなかった。
(その4へ続く)
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フリースタイル空手とは何かを呻吟する〜3
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